その11
本を閉じる。
それからイチョウは改めて部屋を見渡した。ありふれた本、拙い出来の家具、誰が作ったかわからない置物、さっきまではただの物に過ぎなかったそれらが今は一つ一つに意味があるように思えた。イチョウにとっては大した価値の無い物であっても、その持ち主にとっては大切な大切な。
そして思いを馳せるのはこの世界に来てからの事だ。長いような短いような月日の中で経験した物事が吹き抜ける風のように過ぎ去って行く。それは決して機械のように血の通わぬ冷たい物ではない。
「……そろそろ行こう」
イチョウは唐突にそう言った。リオは少し面食らったような表情を見せたがすぐに頷き。
「ではそうしましょうか」
それだけを言って持っていたものを元あった位置に戻した。そして二人は部屋を出る。
冷たい廊下を歩き続けて彼らはどこかを目指す。本来の任務は機械を生産している設備の破壊だ。しかし今のイチョウには別の目的があった。
会わねばならない者がいる。
しばらくの時が経ち、外へ向かう機械を避け、用途もわからぬ部屋を無視し、地下の奥深くへと辿り着く。その最奥と思しき部屋の前で二人は立ち止まる。
「どうやらここが最後の部屋のようですね」
幾つもの柱と数段の階段にむやみやたらと豪著な扉、いかにもこの先にここの主がいますと言うような造りは、或いはこれを作った者の本来の趣味なのかもしれない。イチョウはぼんやりとそんなことを考えながら階段を一段登って回れ右をした。
「リオ、悪いが一人で行かせてくれないか?」
そしてここまで共に来たリオを前にそう言い放つ。
わけのわからぬことを、そう一蹴されてもおかしくない提案だ。イチョウ自身、この提案が通るとは思えずどう言い訳して行こうかと頭の中で考え続けている。
リオはじっとイチョウを見据える。
「一応、理由を聞いてみましょうか」
そして頭ごなしに否定するような真似はしなかった。イチョウはそれに感謝すると共に申し訳ない気分になる。
「それは……、言えない」
彼にはその理由を言うことは出来ない。それにはあまりに秘密が多過ぎたからだ。
「……そうですか」
やはり駄目か、そう思ったイチョウは全てを話してしまおうかとも考え始めていた。長い付き合いでリオが義理堅い性格の持ち主であることは分かっている。黙っていてくれと頼めば秘密を漏らすことは無いかもしれない、と。
しかし現実は彼の思う通りにはならない。
「では、私はここで待つとしましょう」
「え?」
リオがあっさりと彼の提案を吞んだからだ。
「……いいのか? いや、助かるけど」
「あなたには何かしら考えがあるのでしょう? 大方、先ほど暗号解読と称して読んでいた本に何か書いてあったのでは?」
「いや……、あれはそういうんじゃ」
誤魔化そうとしどろもどろになるイチョウを見てリオは大きく溜息をついた。
「イチョウさん、あなたとはそこそこ長い付き合いになりますがずっと思っていたことがあります」
「……言ってみてくれ」
「あなたって結構……」
リオは言葉を選ぼうと次の言葉を発するのを一旦止める。しかし考えても仕方がないとすぐに口を開いた。
「馬鹿ですよね」
結果として超ド直球の悪口が放たれる。イチョウはリオの口からそのようなものが出るところを初めて聞き思わず固まっている。
「もしかしたらあなたは隠しているつもりなのかもしれませんが、あなたが我々とは違うなんてことはとっくの昔に皆知っているんですよ」
「ち、違う?」
「あなたがどこから来たのか、どんな風に育ったのか、何を思って生きているか、我々の元に来たのはどうしてなのか、興味が全くないとは言いません。しかしそれは些末な事でもあります」
「些末……」
「ええ、些末です」
自らが必死に隠し続けてきたことを些末と言われ少々落ち込むイチョウ。その方にリオが手を置く。そこには優しさと温かみがあった。
「過去がどうであれ、今の私たちは共に未来の為に戦う仲間です」
真っ直ぐに見つめる瞳には嘘や偽りの揺らぎなど見えはしない。リオは純粋に心の底からそう思っている、イチョウはそう確信していた。
だってそういう奴らだから俺はこいつらを好きになったんじゃないか。
「そうだな、俺達は仲間だ」
「ええ。どのような事情なのか、話せる時が来たら教えてくださいね。興味が無いわけではありませんから」
「……少なくともお前が死ぬまでには教えてやるよ」
イチョウはそう言って扉の元へ走る。そしてその姿が扉の向こうへ吸い込まれ、消えた。