若宮 さつき⑧
夏期講習期間中、ウチはモッチーのお父さんにお世話になる。
別に男子の家に行くのは初めてじゃないのに、とっても緊張する。モッチーは今学校にいて、家にはいないと分かっているのに、心臓がうるさい。
家の前に着いた。望月の表札。ここで間違いない。呼び鈴を押せばいいのに、立ち尽くしてしまう。早く押せばいいのは分かってる。
あと、30秒で押そう。気持ちの整理をしてからにしよう。
呼び鈴を押すかずっと迷っていたとき、扉の開く音がした。
家の中から綺麗な女の人が出てきた。独特の雰囲気があって、少し怖い。
「若宮さつきちゃん、でしょう? いらっしゃい」
案内されて、家に上がる。入ってしまえば簡単なものだ。女性の後を付いていく。お母さんなのかな。
この家にモッチーが住んでたと思うと、むずがゆい気持ちになる。
「さつきちゃん、魁のこと好き?」
「え? えっと……」
「分かった。やっぱり好きなんだ」
「…………はい…」
やっぱり、この人ちょっと怖い……。
「大丈夫。魁に言ったりしないから。それじゃあ、ここで座って待っててね。今、夫を呼んでくるから」
借りてきた猫のウチ。
部屋の中を眺めてみる。
待っているこの時間が、とっても長く感じる。
「はーい、お待たせちゃーん。望月賢でございますよっと。えー、若宮さつきちゃんね」
『語り部』の警察だったと言うから、もっと厳格そうな人かと思った……。ただの髭を生やした部屋着のおっさんだ。でも、強いのは間違いないはずだ。
「えっと、さつきちゃんの『言霊』とかは鷹見先生から聞いてるけど、実際に見せてくれる?」
「もしもし君!」
ウチが出せるものを一通り出して見せる。マイクとイヤホン、モニターとカメラがある。
「なるほど。全部小型で使い勝手も良いね。気軽に設置できるのも便利だ。磁石みたいにくっつくんだね」
それぞれの機能を使いながら確かめていく。
「さつきちゃんからどれぐらい離れて使える?」
「300メートルくらいです」
「同時に何個出せる?」
「10個くらいです」
「オーケー。俺が選ばれた意味が分かった」
少し考えるような仕草をしてから、話を切り出した。
「取り敢えず、目標は1000キロと60個。期限は講習終わるまで。方法は召喚の応用で行けると思う」
目標を決めるまでが速くてちょっとびっくり。そして、なによりその目標の高さにびっくりだ。
「召喚の応用ってのを具体的に言うと、この通信機たちを自立させるってこと。自立させるから、遠くまで届くようになるし、苦労せずとも個数を出せる。って言っても、流石にこれを講習が終わるまでは無理だから、ちょっと工夫する。自立させる時間を制限する」
「本格的にやるなら、自立させるための仕組みとか色々と考えないといけないけど、時間制限があるとかなり楽になる。言ってみれば、これは使い捨てになる。最初の充電が切れたら終わりだ。自動で充電する機能を付けなくていいってこと」
「元々遠隔系の『言霊』だし、そもそも通信機って地球の裏側でも宇宙でも使えるから、イメージはしやすい。個数も今の時点でそれなりに出せてるし、十分に期限までにいける」
ウチの『言霊』を見て、この短時間にここまで具体的な計画を立ててみせた。やっぱり、優秀な『語り部』だと分かる。
「あと、副産物だが通信機が少し浮くようになる。魁の黄昏の龍と同じだ。ドローンみたいな感じだな」
「大きさも可変にした方がいいな。モニターは特にあると役立ちそうだ」
すっかり緊張はなくなり、ウチはただやる気に満ち溢れていた。
そこから、数日経った。着実に目標に近づいていった。なんとなく望月家にも慣れてきた。
今日は、奥さんの美名さんの好意で晩御飯をご馳走になっている。普段の態度や、身だしなみから分かってはいたけど、美名さんも相当ぞっこんだ。毎日、こんなに気合いの入った料理を作っているらしい。
「遠慮せずに食べなさい。口に会うか分からないけどね」
お言葉に甘えて……いただきます。
「おいしい……」
今日、特別贅沢なものにしたわけじゃないんだよね? めっちゃうまい。
「当たり前だな。美名の料理は最高だからね」
何を見せられてるんだウチは……。
「魁から聞いてましたけど、本当におしどり夫婦ですね……」
奥さんが好きすぎて、『語り部』の警察辞めて、殺しもしなくなったとか。
「へえ。魁がねえ。じゃあ、この家のこともある程度知ってる感じ? え、美名、これうまい」
「ええ、まあ。高崎くんのこととか……」
「あー。そういや、魁って彼女とかできた?」
「うえ?」
「そういうことにあまり首を突っ込まないの」
奥さんがフォローを入れる間もなく、すっとんきょうな声を出してしまった。
「この前、魁が公園で見かけた女の子を、多分知り合いだとか歯切れの悪いこと言うからさ」
「できてないと思いますけど……どんな子ですか?」
「結構背は高かったな。白い肌で長い髪がさらさらの子」
「ん~。少なくともクラスにそんな子はいないですけど……。三上さんかな?」
「三上って、晃ちゃんのこと? だったら違うよ~。晃ちゃんは分かるもん」
三上さんって親にも認知されてるんだ……。
それにしても、一体誰なんだろう……。
美名さんが、こちらを意味ありげに見てくる。
未知のライバル登場ね、とか思ってそう……。やっぱりちょっとこの人怖いな……。
「誰でもいいじゃない。誰にでも、他人に言えない秘密の1つや2つあるものだから。ましてや、親にはね」
「それならいいんだけどな。親だから言えないってだけならさ」
奥さんに弱すぎるんじゃないかな。と思ったけど、少し違うみたいだ。
「さつきちゃんも知っての通り、魁は本当の子供じゃないからさ。何考えてるか言うような性格じゃないから、心配なんだよ。だからさ、友達としてこれからも仲良くしてやってくれ」
「もちろんです!魁と一緒にいると楽しいですから」
ウチの言葉に、嬉しいような悲しいような表情を浮かべて、重々しく言葉を紡ぐ。
「ここだけの話、魁は大学を卒業する前に辞めるつもりらしいんだ」
「え……」
「理由は分からない。でも、多分辞めると言っていた。魁は何にも本気になれないのかもしれない。俺は魁に産みの親のことを訊かれたこともないし、魁が寂しいのかも分からない」
モッチーが、魁が何にも本気になれないなんてことはあり得ない。『もののけ』を倒したあのとき、私に向けた言葉は心の底からのものだった。
ずっと、全部が他人事だったウチだから分かる。あのときの戦いで、魁が見せた焦りや緊張は本物だ。
「それでも、魁は大丈夫だと思います。ウチもなに考えてるのか完璧に分かるわけじゃないですけど、魁がちゃんと本気で生きてるのは分かります」
「ふふっ、ありがとうね。さつきちゃん。私たちのできることには限りがあるから。友達として支えてあげてね」
「すまないな、あまり他人に言うような話ではないが……さつきちゃんを選んだのは鷹見先生だからな。つい喋りすぎてしまった」
ウチは、魁のためなら何だってしたいと強く思った。
そして、このとき、明確に、まるで錨のように心の中に沈んでいくある感覚を自覚した。
白石世良への嫉妬心。
それは、ウチの人生で最も楽しくない瞬間だった。
また、新しい世界を見つけた。




