番外枝葉:スクラップブック〈家路〉
今年の大晦日と元日の二日間は、実家で過ごした。煩わしいので帰りたくなかったけど、高等部進級に際し、親の記入を要する書類があったので仕方なく(寄宿舎関係含む)。書類は帰って早々、説明に生返事の母をなんとか操縦して済ませた。
用事が済んでからは、ひたすら自習。妹の同意を取りつけ、学習机を占領した。妹曰く『年末年始に勉強なんかしない』そうで。相変わらず畳はボロボロ、襖一枚隔てた隣室からはテレビの音が素通りする、目にも耳にも騒々しい環境。でも、文句は言わなかった。一時停泊の客人身分に過ぎないし、母が夢中で見ていたテレビ番組はベタな恋愛ドラマだったから。
年末年始に顔を見たのは、母・妹・姉の三人。就職して家を出た姉ですら一瞬は実家に戻ったのに、父はついぞ現れることはなかった。母の愚痴かつヒステリーっぽい訴えによれば、父は今、どこかの海辺の街に住んでいるらしい。仕事の傍ら、地域の子ども達にマリンスポーツを教えているんだとか。
なるほど、上から、海佳、櫂凪、真帆と名付けた娘達があまり海に興味を示さず、無理強いできそうな男子も生まれなかった鬱憤をそうやって昇華していたとは。ある意味、ご苦労なことである。娘達がマリンスポーツ全般に親しまなかったのは、父が娘達に親しなかった影響が多分にあるのだけど。
パートタイム労働を強いられる程度のはした養育費だけで、子ども三人の世話を丸投げされもすれば、母がヒステリックになるのも仕方がない、のかもしれない。少なくとも、誰にも邪魔されずに恋愛ドラマに熱中する権利くらいはあって良い。……母がそれで良いのなら。
「そろそろ帰るね」
「お姉ちゃん、もう行っちゃうの?」
一月二日。昼食を食べ終え席を立つワタシに、真帆が聞いてきた。友達と初売りで買ってきたらしいモノトーンのマセた服にハーフアップの黒髪は、女児服にお団子頭だった昔とは大違い。
「うん。集中して勉強したいし。ワタシがいたら部屋狭いでしょ?」
「そうだけど、ゆっくりしてけば良いのに。夕霞女子学院ってそんなに楽しい?」
「まぁね。やりたいことやれて、友達もいるから」
「ふーん」
ワタシの顔をまじまじと見つめてくる真帆。
横で母が口を開いた。
「真帆には無理だからね。勉強せずに冬休みも遊んでばっかり。寄宿舎は毎日勉強しなきゃならないのよ?」
「もー! お母さん! お姉ちゃんと比べないでって言ったでしょ?! 別に行きたくて聞いたんじゃないもん!」
「アンタまた口答えして!」
わーわーぎゃーぎゃーと家族喧嘩し始めたので、その間に自分の食器を洗い、妹の部屋に避難。荷物をまとめて帰り支度。
……をしているうちに、妹が部屋に入ってきた。襖がぴしゃりと閉められる。
「お母さんったら、あんな風に言わなくてもいいじゃん! 中学生がどんな感じなのか気になっただけでさ!」
「まぁまぁ、落ち着いて。お母さんだって大変だろうから」
「でも!」
「中学の話する? 写真見せたげようか?」
なだめるために話題変更を試みた。真帆の反応は──。
「する! いいの?! って、写真???!!!」
──乗り気。鼻息を荒くした。もの凄く驚かれてもいる。まぁ、言ったワタシが驚いているんだから、さもありなん、と言ったところ。まともに学校の話をしたことは一度もなかったし、見せられる写真も持ってなかった。それが今回は持っている。と言うか、持たされた。学校でのワタシを家族に見せてあげたら、って、鳴子に。
スクールバッグを開けて、まだ全部埋まりきってないアルバムを真帆に渡す。
「写真撮るの好きな友達……がいて、焼き増ししてもらった。だから、ワタシ写ってないのもあるよ」
説明など待たずに開かれるアルバム。鳴子やメアさんと観に行った涼香の選考会だったり、文化祭での妖怪の仮装だったり、プロムの沙耶達だったり、メアさんとの買い食いだったり、ホームパーティだったり。寄宿舎のクリスマス会に沙耶や真理華が遊びに来た時の写真もある。真帆は一つ一つに目を輝かせた。
「~~ねぇねぇ、この綺麗な人は?」
「雨夜メアさん。高等部の人で、最近、海外の学校に転校しちゃった」
「そうなんだ。仲良さそうなのに残念だね。こっちの可愛い人は?」
「舟渡鳴子、さん。寄宿舎の同室の子で、写真をくれた人」
「この人のおかげなんだー。あっ、すごいカッコイイ人がいる!」
「その子は小清水涼香さん。陸上部のエースで~~」
などと話して、出発の時刻に。
アルバムを回収したら、真帆は不貞腐れた顔。
「もっと見たかったのにー。行くの明日にしてー」
「しない」
「じゃあ置いてって」
「ダメ。高等部になったらまた増えるだろうし。夏に帰ったら見せたげるから」
「春も帰ってきてよー」
「暇があったらね」
真帆との話をそこそこに、まとめた荷物を抱えて玄関へ。
靴を履いていたら母が来た。
「行くのね」
「うん。……一つ、聞いてもいい?」
リビングの扉が閉まっているのを確認してから、質問。真帆に聞かせるのもどうかと思うので。
「いいけど、なによ。改まって」
「お母さんは、子どもを煩わしいと思わなかった?」
「……」
母は廊下の壁にもたれかかって、しばし思考。普段と同じ気怠そうな口調で言った。
「変なこと聞くのね。今でも煩わしいけど、子どもなんかそんなもんでしょ。他人なんだし。あの人がアンタ達のこと放置してんの、気にしてる?」
「そういう訳じゃないけど……、お母さんは嫌にならないのかなって」
「そりゃ嫌になるわよ。でも辞められないから、ムカついても世話するんじゃない」
「じゃあなんで産んで……」
「産めるなら産むって世の中だっただけ。何? アンタ妊娠でもした?」
ワタシのお腹に視線を動かして、とんでもないことを言う母。
慌てて否定。
「なっ……! してない! お母さんが愚痴ってたのが気になったの!」
「あっそう」
逸れた話を終わらせるため、立ち上がって扉に手をかける。
「駅まで送って行こうか?」
「いや、いい──」
駅までの距離は車を使うほどじゃないので断る。いつもはこのまま外へ出るけど、その日はなぜだか言葉が続いた。
「──外、寒いから。じゃ、行ってきます」
「行ってらっしゃい。風邪、ひかないよう気をつけて」
扉が閉まるまで、母は玄関に立っていた。閉まる瞬間まで見たことがなく、今まで知らなかった。もしかしたら、ずっとそうだったのかもしれない。外はしんしんと雪が降っていて、寒くて。だけど気分は良かった。
最寄り駅から電車に乗り、途中で特急に乗り換え、最後はバス。学校に到着したら、修道院を訪ねてSrジョアンナに挨拶。寄宿舎の自室に戻った時には夕方だった。
~~
灯をつける。たかだか数日空けた程度なので、何が変わっているということもない。鳴子と年末に大掃除したおかげでスッキリ小綺麗な、それでいて互いのベッド近くはボードに写真を貼るなどして楽しく飾った部屋。鳴子の方には、クリスマスを引きずった小さなツリーだったり、折り紙の飾りだったりが残っていて微笑ましい。
確か、帰ってくるのは明後日。早く会いたいな。
~~
コンコン、と扉がノックされる。と同時に元気な声。
「鳴子でーす、入ってもいいー?」
「どうぞー」
返事をしたら、勢い良く扉が開いた。オレンジ色ニットにミモレ丈の薄茶色スカートの女子らしい女子が、荷物もコートも抱えたまま、満面の笑顔を見せてくれる。
「ただいま! 櫂凪ちゃん!! 明けましておめでとう!!!」
「おかえり。明けましておめでとう。鳴子」
おおよそ聞いていた時間通りに、鳴子は寄宿舎に帰ってきた。慌ただしくハンガーにコートを吊るし、荷物をベッドの横に置いて扉へと向かう。まだ荷物が残っているとか、親御さんの見送りとかあるのかもしれない。
「櫂凪ちゃん? どうかした?」
「あ、いや、その……」
鳴子の腕を掴む自分がいた。慌てる気持ちと、落ち着くような気持ちの二つ。
手を放したら、鳴子はワタシを見つめて目の前に立った。
「もしかして、寂しかった?」
「そんなんじゃ──」
誤魔化す口が塞がれる。いつもの流れで腰に手が回って、ワタシもそうして。
「──じゃあ、なんだったの?」
唇が離れる。鳴子は首を傾げた。
「帰ってきて安心した、って、言おうと……」
「わたしも! ……そうだ! ママが玄関にいて、パパは駐車場で待ってるんだけど、会ってく?」
「そうする。新年の挨拶しなきゃ」
「やったー!」
「ちょ、鳴子っ、コートいいの?!」
「そっか! 駐車場はさすがに寒いね!!」
急いでコートを羽織り、鳴子に手を引かれるまま廊下を駆けた。……やっぱり落ち着く。それに、理解もできた。寄宿舎に戻る前、どうしてお母さんにあんな質問をしたのかを。
ワタシは気にしてた。父のことじゃない。同性の鳴子と好き合っている関係を気にしてた。だから、『だらしない男性の夫と仲が上手くいっていない』母に、『子どもは煩わしい存在』であるかを尋ねた。男性も子どもも、そんなに有難がるものじゃないんだって、無意識に思おうとして。でも答えはきっと、ワタシが満足するものじゃなかった。
母は、父のことがあっても男性が好きだし(父のことも嫌いという割に気にしてる)、子どものことも経緯を考えれば邪険にしていない。恋愛ドラマが好きで、玄関でワタシを見送る顔は、子どもを嫌と言うには優しかった。悪い事じゃないのだけど、それでワタシは自分の気持ちに自信が持てなくなって、鳴子の腕を掴んだ。
……なーんだ。鳴子の言ってたの、合ってたじゃん。寂しくて、不安になって、鳴子のおかげで──。
「──櫂凪ちゃん、わたしわかってるよ……!」
「えっ……?」
突然言われて焦る。もしかしてワタシ、考えを口に出して──。
「──会えなかった日の分、今日で取り戻すつもりだから……!」
……は?
「考えてること、多分違う……」
「えぇ?! わたしったら、てっきり──」
「──ストップストップ! こんな廊下で言っちゃダメ!」
「そうだった!!!」
忙しないやり取りなのに、安心できる。男性がどうとか、子どもがどうとか、気にする必要なんかなかった。
ワタシは鳴子のことが好きで、鳴子はワタシのことが好き。なので、一緒にいる。大事なのは、それだけ。
つまり、ワタシの帰る場所は、鳴子の隣だってこと。




