最終葉:いつまでも、そばに
メアさんのお見送りのため訪れた空港は、飲食店や土産物店だけじゃなく、電化製品や靴、洋服、その他諸々多種多様なお店があって、飛行場というより商業施設。お見送りだけどメアさんとは同行して来たので、時間の許す限り、三人で空港内のお店を回ったり、一緒に食事したりと楽しんだ。
付き添いの理事長に荷物を預けていたせいか、メアさんはものすごく身軽で。首に白百合のスカーフを合わせた暗色ワンピースに小ぶりなバックだけの軽装は、ただ遊びに来たかのように見えて、これから海外の学校に転校してしまうとはとても信じられなかった。
「~~そろそろ時間ね。お見送りはここまでで良いわ。付き合ってくれてありがとう。駐車場で爺やが待っているから、帰りも乗っていきなさいね」
広い通路の端。人混みからやや離れた壁際で立ち止まり、メアさんが言う。
戸惑っている間に、鳴子が先にお別れを言った。
「こちらこそ、ありがとうございますっ! たくさん一緒に過ごせて楽しかったです! 色んなことがあったけど……。わたし、メアお姉様と出会えて良かった。お戻りになる時は、ぜひ教えてください!」
「もちろん。その時は寄宿舎か、鳴子ちゃんの携帯電話に連絡するわ」
次はワタシ。ワタシが……。
「……」
「ありがとう。わたくしのお願いを叶えてくれて」
何も言えなくなってしまったものだから、ぎこちないのも構わないで口角を上げた。絶対に、良いお別れにしたくて。
「櫂凪ちゃんの素敵な笑顔が見られて、うれしいわ」
「っ……!」
詰まっていた言葉は、メアさんの『うれしい』で流れだした。
「そんなあっさり、こっちの気も知らないでっ! 呼び寄せた本人がいなくなっちゃったら、ワタシどうしたらいいんですか!」
「鳴子ちゃんと支え合って、心のままに。櫂凪ちゃんなら大丈夫よ」
「大丈夫じゃないです! 見ていてもらえないと、何も……!」
「できるわ。なんでも。できていたから、貴女はわたくしの目に留まったの。……こっちにいらっしゃい。ほら、鳴子ちゃんも」
メアさんは左にワタシを、右に鳴子を招き寄せ、一度に抱きしめる。
「二人はわたくし自慢の妹役で、大切なお友達。次に会う夏には、素敵な高等部生になっていることでしょうね。貴女達にも妹役ができるのだし」
入学してくるらしい特待生の妹役のことだって、構ってあげられる自信がない。メアさんのようにしてあげられることが、頭に思い浮かばないから。
「ワタシに姉役なんて無理ですっ……! メアお姉様みたいには、とても……」
「貴女達なりの方法で大切にすればいいの。大丈夫、大丈夫。きっとできるわ」
頭を撫でさすられた。ぐちゃぐちゃだった思考はちょっと落ち着いたけど、メアさんはゆっくり離れていってしまう。
「それじゃあ、また。夏に会いましょうね。……ごきげんよう、二人とも」
なんてことない調子の挨拶。この人は、決めたら必ず実行する。
なんとか鳴子と声を合わせて、別れの挨拶を言った。
「「ごきげんよう、メアお姉様!」……!」
微笑み一つして背中を向け、メアさんが遠ざかる。未練など感じさせない足取りで。
そうして。一度も振り返ることなくメアさんは去った。
~~
「~~あ。櫂凪ちゃん、メアお姉様からメールが来たよ」
寄宿舎まで送ってもらう車内。
隣に座る鳴子が携帯電話を出す。
「……どんな?」
「『元気でね』ってのと……、言い忘れたことがあるみたい」
「言い忘れって、メアさんらしいなぁ。なんなんだろ?」
「『高等部に上がったら、生徒会長によろしく言っておいて』……」
「生徒会長に? なんで??」
「えっと……。まとめるね。その人、メアお姉様が転校したことで副会長から生徒会長に繰り上がったんだけど、納得していないんだって。繰り上がったこと」
「ふーん。それでどうしてワタシ達が挨拶を?」
「なぜだかその人、転校の原因をわたし達だと思ってるそうだよ。プロムで目立っちゃったせいかな。メアお姉様は否定したらしいけど、本当のことは言えないから信じてもらえず終い、みたいな」
要するに、次期生徒会長から恨まれて(?)いるので気をつけろ的なこと。サラっと面倒ごとを伝えてくるところが、実にメアさんらしい。
「はぁ……。また面倒な。挨拶ったってねぇ……」
「『理事長の目があるから滅多なことは起こらないだろうけど、念のため』……。たしかに、理事長がいるから安心だね」
能天気に言う鳴子。
ワタシはやや不安。
「滅多じゃない、理事長が関われない程度の嫌なことはありそうじゃない?」
「それは……そうかも? あ、でもね、『いつも見守っているから、困ったら相談して。貴女達のお姉様より』だって!」
「そっか。……。……ううん──」
窓から遠くの空を眺めた。雲の少ない、澄んだ青色の空。瞳の青が思い出される。
離れ離れでも、メアさんなら見守るのも不可能じゃない、かも。
「──そうだね。メアお姉様が、そう言ってくれるなら」
──
航空機内のwi-fiに接続しているメアの携帯電話に、鳴子からメールの返信が届いた。『見守ってもらえて、とっても心強いです! ※櫂凪ちゃんに送信許可もらってます』と言う文面に、写真が一枚添付されている。
帰りの車内で、携帯電話のインカメラ機能を使って撮られた写真。片手で携帯を持っているらしい笑顔の鳴子と、車窓にもたれかかり穏やかな表情で眠る櫂凪が写っていた。
「安心してくれている、ってことかしら」
メアは写真を見て微笑み、仕切り扉を閉めて座席を倒した。手持ち無沙汰で体を伸ばしただけのつもりが、意外にも眠気がやってきて──。
☆☆☆☆☆
「ここは……」
──移り変わった景色に、メアは呟く。昼間の見慣れた執務個室。ソファの前に一人立っていた。私物は転校前に片付けているので、記憶が元になった夢なのだと理解する。
部屋を見て回り、なぜここにいるのか考えた。
「何の変哲も……あるわね」
壁の前でしゃがむ。足元に落ちている小物を拾うために。
「ヘアピン? どこかで見た気がするけど、誰の物でしょうね」
手に取ったのは緑色のヘアピン。メアの物ではない。見覚えはあったが、誰の物かは思い出せなかった。
「夢で拾ったって返せないわよ、落とし主さん?」
夢の中で落とし物を拾ったことを、メアは面白がった。どこに置くでもないヘアピンを掌に、プロムの日を思い出す。生霊のごとく現れた、鳴子のことを。
「オカルトなことでも、あの時みたいに思い通りにできたりして──」
☆☆☆☆☆
「──ん……」
目が覚めた。つけっぱなしのイヤホンから、小さくアラーム音。予定していた機内食の時間を知らせるもの。イヤホンを外すと、客室乗務員の足音が聞こえる。
「……変な夢だったわね」
倒した座席を戻す手に、当然さっきのヘアピンはない。それでいて、夢で拾った時の感触は、やたらと鮮明に残っていた。記憶に残る夢を見ること自体が稀で、メアにしても珍しい体験だった。
しかし所詮、夢は夢。その後、特に何か起こるわけでもなかったため、慌ただしい海外生活を送るうちにメアは、疑問を持たなくなった。ある時、同じヘアピンを夢の中で再発見するまでは。
──
─
メアが転校して数週間。内部進学も決まった頃。
「うー、寒い」
「櫂凪ちゃんもコレにすれば? わたしので良ければ貸そっか?」
「可愛すぎるから止めとく」
「見たかったのにー」
いつもの夜の自習を終え、寄宿舎自室へと戻った櫂凪と鳴子。櫂凪はサラサラ素材の青色パジャマに肉厚の紺色半纏。鳴子はふわふわ・モコモコ素材の白色パジャマ。二人は各々、両側壁際のベッド周りで就寝支度をした。
「準備できた!」
「こっちも良いよ」
後は寝るだけになり、二人は部屋の真ん中でどちらからということもなく、背中に腕を回して抱きしめ合い、僅かに体を離して唇を重ねる。
「……。ダメ、鳴子。一日一回。決めたでしょ?」
「そうだけど!」
「約束は約束、ね」
「えー……」
抱擁と口づけは、一日一回就寝前に。部屋の外では、過度なスキンシップをしない。ベッドはくっつけない、など。交際するにあたり二人は約束した。行き過ぎた行為まで進展しないように。
鳴子は制止され不満気だったが、櫂凪が左手を取り、爽やかな緑色のリボンを薬指に結んだことで機嫌を直した。
「櫂凪ちゃんも、約束守ってね」
「もちろん。……毎日聞かなくても守るよ? そんなに不安?」
尋ねられた鳴子は、櫂凪の同じ指に同じ色のリボンを結びながら溜息する。
「はぁ、櫂凪ちゃんって鈍感だよね。嬉しいから聞いてるの。……。自分で説明するの恥ずかしい……」
頬を染めて、鳴子が目を逸らす。頻繁に約束を確認するのは、告白時に櫂凪がした永遠の約束を、何度も味わうため。
櫂凪は嬉しさに緩みかける口角を抑え、鳴子の額に自身の額をくっつけた。
「また、夢の中でね。おやすみ、鳴子」
「うんっ。おやすみ、櫂凪ちゃん」
約束も挨拶も済み、ベッドに入り消灯。
さほど時間を要さず、二人とも静かに寝息を立てた。
☆☆☆☆☆
「おーい、櫂凪ちゃーん」
真っ白な空間に生えた一本笹の横で、制服姿の鳴子が手を振る。相手は、同じく制服を身に着けた櫂凪。二人とも服装だけでなく、薬指のリボンも緑色の指輪に変わっていた。
一人で漕いできた小舟から、慣れた様子で櫂凪が降りる。
「待った?」
「全然っ。すぐだったよ!」
「そっか。だいぶ安定してきたってことね」
小舟は真っ白な煙に包まれ、小さなヘアピンに変化。櫂凪は拾って横髪につけた。
ベッドを離して就寝した二人が夢で合流するようになって、しばらく経つ。最初は就寝の際、枕下にお互いの写真を入れたり、糸電話めいた長い紐を指に結んだりしていたが、最終的にリボンを薬指に結ぶ方式(+写真を枕下に入れる)に落ち着いた。
「櫂凪ちゃん、それ、まだやるの?」
鳴子が尋ねる。
櫂凪は一枚の笹の葉へと手を伸ばし、真ん中から畳んで折り目をつけながら答えた。
「知らぬ間に再生されたら困るから」
折った葉ではなく隣の葉をもいで笹舟にし、小舟として設置。同様に折られた葉はそこそこあり、隣接する左右の葉が無くなっている。櫂凪は意図して、葉の減少が把握できる方法を取っていた。
葉の総量からすると、減少量は些細なもの。しかし着実であると櫂凪は頷く。
「いいね。このまま無くなってけば、鳴子の夢に良い変化が起こるかも」
横で眺める鳴子は、ピンと来ていない表情。
「わたしはこのままでも良いけどなー。悪夢に魘されるのって辛いから、助けられるなら助けたい!」
「そりゃあワタシも、助けられるなら助けるのが望ましいと思うけど……。ワタシにとっては、鳴子の健康が一番だから。昼間寝ちゃうのだっておさまってないんだし、鳴子の眠りを良くすることだって大事」
「櫂凪ちゃんと一緒なら平気だよ?」
「ワタシがいなくても平気じゃなきゃダメ。そんなことじゃ、ミイラ取りがミイラに、助けに行く側に助けが必要になっちゃうよ」
櫂凪がこんな主張をするのは、『笹』と『悪夢解決にかける強い使命感』の関係を疑っているから。さらにそれらが鳴子の『浅い夜間睡眠体質』の原因ではないか、とも考えている。
幼少期の鳴子は昼間眠っていなかったらしいことや、笹が出現した経緯より推測。悪夢解決時に笹の葉が減っていることを発見し、悪夢を解決して笹を使い切ることが、何らかの改善に繋がると睨んだ。また、根拠が弱くともあえて『良い変化が起こる』と言うことで、『笹を使い切る=改善』と鳴子に暗示もかけている。
小舟に足をかけ、櫂凪は鳴子を誘った。
「さぁ、行こっ。継続は力なりってことで」
「うん!」
鳴子は後方で櫓の操作、櫂凪は前方で棹を使って舟を離岸。離れた位置に複数浮かぶ黒い渦の一つへと、二人で舟を進める。
ゆらゆら体を揺らして櫓を漕ぎ、鳴子が聞いた。
「ねぇ櫂凪ちゃん。人の意識に入っちゃうのって、どう思う?」
さっぱりした態度で、櫂凪は返した。
「他人事なら『珍しいな』ってくらい。自分がそうだったら、眠りが浅いデメリットが目について『厄介』って思いそう」
「でも、超能力ではあるよ?」
「そうだね。『心を覗ける超能力』って言えば聞こえは良いと思う。でも、嘘や思い違いのイメージを持った相手には多分騙されるし、追い返そうと思われたら追い出されるし。役立てられないこともないんだろうけど、信頼度がなぁ……。できるとしたらイヤらしい使い道か、試験中に頭を覗いてカンニングするくらいじゃない?」
「し、しないよ! そんなこと!」
「夢どうこうって言っても普通は誰も信じないし、変に信じられて明るみになったら、捕まって実験台にされそうなのも怖くて嫌寄り」
「たしかに……」
「……あ、ワタシが実験するのはアリか」
「櫂凪ちゃん?!」
「ウソウソ、しないしない」
櫂凪は鳴子の能力を珍しいとは思っているが、実用性はあまり評価していない。口には出さなかったが、心を覗く相手のイメージ次第で、精神的ショックを受ける危険性すらあると思っている(そもそも鳴子はそれで男性が苦手になったので)。
「そうだ鳴子。今日の悪夢から戻ったらやりたいことがあるんだけど」
「やりたいこと?」
「ワタシの夢に来てほしい。……じゃ、行くね」
櫂凪は聞き返されるのをわざと無視して、櫂を使って黒い渦へと舟を進めた。
「ちょ、ちょっと?!」
渦に吸い込まれた舟が、誰かの悪夢へと流れて行く。悪夢への船旅も一日一件まで。これも、二人の約束。
──
─
白い空間に黒い渦が出現。夢見を終えた鳴子と櫂凪が戻った。
鳴子は腕で、額の汗を拭う動き。
「はぁ、緊張したー」
「男子の夢って初めてだったね。小六とはいえ」
黒い渦の先は、二人で悪夢に入りだしてから初めての、男子の夢の中だった。夢の主は、駅付近に住んでいる小学六年生。内容は、『駅で初めて見かけた子に好意をもったが、以来二度と会えなくて悲しい』というもの。
今日のところは『いつ・どこで・どんな子に出会ったのか』を聞き込むまでとした。
「わたし達で見つけられるといいなぁ」
「どうだろうね。一期一会を覚悟した方が良いとワタシは思うな」
悪夢内での櫂凪の言動を思い出し、鳴子は少し笑う。
「櫂凪ちゃんったら、冷たい風なこと言って。詳しく日時とか特徴とか聞いてたよね?」
「べ、別に。調べられることは調べようってだけ。……この件の続きは起きてからだし、ワタシのお願い、聞いてよね」
「もちろんだよ! 櫂凪ちゃんの夢に行けばいいんだよね?」
「そうそう。……うーむむ。出でよ、ワタシの夢っ!」
櫂凪は眉間に皺を寄せて呟き、舟の目の前に白い渦を作り出す。
舟は再び渦の中へ進んだ。
~~
宇宙の景色に本棚が浮かぶ空間。
出現した白い渦から、舟に乗った櫂凪達が現れる。
「櫂凪ちゃんの夢の中! なんだか久しぶり!!」
「ワタシもそうかも。こうして見ると散らかってるなぁ……」
舟からぴょんと飛び出し、櫂凪は浮遊。本棚から本棚へ、宇宙を泳いだ。
鳴子が慌てて後を追う。
「待ってよ櫂凪ちゃーん──って、急に止まるの?!」
一番離れた本棚に着き、櫂凪は停止。鳴子が背中にぶつかった。
「ごめんごめん。広いとこに出たくて」
「本を見に来たんじゃないんだ」
「まぁね。……上手くできるかわからないけど、見てて」
「?」
櫂凪は一冊の本をぱらぱらと眺め、棚にしまう。鳴子から数歩分離れて、その場でスピン。冬の制服が一瞬で、黒と青のドレスへと変わる。
目を輝かせ、鳴子は飛び跳ねて喜んだ。
「あっ、プロムの!!!!」
「なるべく思い出したつもり。……どうかな?」
「すっっっっっっごく美人! 可愛い!! 綺麗!!! 最高!!!!」
「ありがとう。鳴子によろこんでもらえて、うれしい」
ドレスだけではなく、髪型のアレンジも、白の靴も、首元のスカーフも、夕霞プロムナードその日のもの。
申し訳なさそうに、櫂凪は頭を下げる。
「プロムの時、一緒に踊れなかったから。ごめんね」
「謝らないでいいよ。わたしだって別のことしてたんだから」
「でも、鳴子は真理華のために──」
「──顔、上げてほしいな」
言葉を遮られ、櫂凪は促されるまま顔を上げた。
「か……、かわいい……」
「そうでしょー? 動いたらもーっと素敵なんだよっ!」
スピンに合わせて翻る、眩しいオレンジ色のドレスがそこに。プロムの日の鳴子の姿だった。櫂凪の前まで進み、鳴子が手を取る。男役は鳴子、女役は櫂凪。何度も一緒に練習した、ワルツの構え。
櫂凪がハッとした。
「あっ、ごめ。本番緊張し過ぎて、曲とか会場とか覚えてない」
「いいよいいよ。なくっても。櫂凪ちゃんがいてくれれば」
鳴子は笑う。音楽や会場がなくとも構わなかった。高鳴る鼓動と弾む足取りがあれば、それで満たされる。
ゆらり、くるり。シャッセ、ターン、スピン、思い思いのステップ。
二人だけの舞台で、二人だけのために踊る。
「そっか。そうだったんだ」
目線を上に向け、呟く櫂凪。
尋ねる鳴子。
「そうって、何が?」
「鳴子と一緒が良い理由、また一つわかったの」
「聞いてもいい?」
「怒らないなら」
「怒るわけないよ!」
櫂凪が見つめる先にあったのは、小さくささやかな、けれど優しく温かな光。手元を照らすに適した、読書灯のような灯。
「読書灯みたいで安心するの。明るすぎず熱すぎず、ワタシもワタシのしたいこともぴったり見える、そんな灯りみたいで」
鳴子は一瞬考え、軽く茶化して返した。
「またわたしのこと、『ちょうどいい』って言ってるー。高嶺の花より、ほどほどが良いみたいな。櫂凪ちゃんったらひどいんだー」
「しまっ──そういう意味じゃなくて!!!」
さっき櫂凪が本棚にしまったのは、金の箔押しがされた白表紙の本。鳴子はそれが、雨夜メアとの思い出を収めた本だと直感的に理解していた。白百合のスカーフ込みの姿なのも含めて、今でも櫂凪がメアを特別に想っていることを察している。
そして、それで良いと鳴子は思っている。櫂凪は『一番特別』と言ってくれたし、言葉に嘘がないことは示してもらった。だから良い。メアへの気持ちも櫂凪を作る大事な要素なのだと受け入れている。
「知ってるよ。だけど、ちょっと納得いかないかな」
それだけ伝えて、鳴子は櫂凪の唇を唇で塞いだ。メアとの関係込みで好きでいても、嫉妬はする。ならば、行動もやむなし。
一日一回の約束は、あくまでも現実の話、なので。
☆☆☆☆☆
息を合わせる二人の漕ぎ手。互いへの信頼が厚いほど、夢見の舟は力強く進み、より遠く、より荒れた、混濁の河心まで辿り着く。
行きて助く一人と、その一人を助く一人。目的は違えども、願いは同じ。
魘される心が、凪ぎますように。




