第三十五葉:行く先は
進級希望にチェック、志望大学や興味のある分野が決まっていれば、それも記入……と。
「記入が済んだら、筆記用具をおいてちょうだいね。私が回収に回りますから」
教壇からSrジョアンナが、ワタシ達生徒に声をかける。朝礼と朝読書の時間を使って記入したのは、進路調査票。今日の最後一コマの授業時間に、これを使って簡単な面談をするらしい。親込みの三者面談前に、話しづらいことを確認する意味もあるそうだ。
クラスのほとんど全員が高等部進級以外に書くことがないので、回収は自然とワタシ待ちに。筆記用具を置いてすぐ、用紙は回収された。
「~~以上で朝礼を終わります。それでは皆さん、ごきげんよう」
「「「「ごきげんよう」」」
挨拶が終わって一限目の準備。
すると珍しく(?)前席の沙耶が振り返って話しかけてきた。
「熱心に記入してたけど、貴女、進級はするのよね?」
「そりゃあね。もちろん」
「じゃあ志望大学でも書いてたってこと?」
「そうだけど」
「さっすが、メアお姉様に見初められた秀才は違うわね。当然、最難関学部なんでしょ?」
こっちの机に身を乗り出す沙耶。
隠すことでもないので、過去問の問題集を出して普通に話す。
「いや、ここ」
「……え? そこも超難関だけど、なんで?」
ちょっと驚かれる。理由は……少し誤魔化した。
「研究したいことができて、その研究所があるから」
「そういうこと。そこまで決めてるなんて早いのねぇ……。何の分野?」
「あれ、万能細胞」
「あぁ、有名な。再生医療と全身サイボーグ、どっちがビジネスチャンスあるかしらねー」
思ったよりズレて話が着地したタイミングで、一限目の始まりを告げる本鈴が鳴った。ほぼ同時に教室の扉が開き、科目の先生が入室。授業が始まる。沙耶は聞いた以上の興味がなかったらしく、授業後や休み時間に話が膨らむことはなかった──。
──
─
──けど、Srジョアンナは違って。空き教室で始まった一対一の進路面談の割と早い段階で、理由の話になった。
「~~違ったらごめんなさい。『興味のある分野』に上げている万能細胞の研究というのは……。配偶子や、その先の受精卵の作製を考えてのことかしら。性別に関わらず、子を成すための」
一つ一つ確かめながらの質問。
答えは決めているのに、なかなか言葉が出なかった。
「……はい。子どもが欲しいとか、具体的なことまでは考えてませんが、できるのかどうか調べてみたくなりました」
「……」
長い沈黙。当然のこと。シスター達の教義では受精卵の時点で子どもであり、子どもとして尊重され、権利もある。だけどワタシが研究してみたいと思ったことは、その受精卵を作り、利用する寸前まで進んでいる。つまりSrジョアンナからすればワタシは、禁忌に進もうとする生徒。
沈黙を破って、Srジョアンナは険しい表情で話した。
「伊欲さんにはわかると思うけど、私には受け入れられない研究分野なの。人間を弄び、破壊する可能性があるのですから。まだ声も上げられない子どもをね」
「わかってます。弄ぶつもりはありません。もし作れるとして、法や倫理の議論を待たず、人の子で実行しようとも思ってません。ただ、知りたくなったんです」
鳴子と子どもうんぬんの話になったとか、自分の遺伝子を残せないことを気に病んだとかじゃない。ただ、同性を好きになり、その関係の中に感じた引っかかりの一つを、自分で調べてみたくなった。
もし同性で子どもを作れるとしたら、同性の恋人関係はどう見えるんだろう。あるいは難しいとしたら、どうだろう。調べられることを調べて、考えられることを考えたい。そのつもりで進路を検討してみた。
Srジョアンナはワタシを見つめて、一つ息。張り詰めた表情をわずかに緩める。
「一過性の気持ちではないようですね。受け入れられないとは言ったけど、それはあくまで、私の考えと立場での話。伊欲さんの進路決定はもちろん尊重するわ。今までの勉強と違って答えのない問いになっていくから、これから大変よ。試験勉強だって疎かにできませんからね?」
「はいっ、がんばります」
「良い返事です。では、私からお願いを一つ。どのような道を歩むのであれ、深く考え、視野は広く、多くに耳を傾けてね。……わかっているから話したのよね?」
激励であり、忠告。
しっかり頷く。
「そうです。周りの反応や社会の変化も、知りたいことに含みます。Srジョアンナの意見を聞けて良かったです」
「私こそありがとう。伊欲さんはやっぱり、良い試練を与えてくれる存在だわ。次の子がいるから今日はここまでにしておくけど、今度ゆっくり意見を交わしましょう」
普段の穏やかさでSrジョアンナは言った。けれどこっちは身が引き締まる気分。あっさり目的を察したり、多分、現状の研究状況を知っていたり。そのくらい信仰に関わる情報を集めているのだから、意見もしっかり持ってらっしゃるはず。
ワタシも深く考えなくちゃ──。
「──あぁ、ごめんなさい。一つ忘れていたわ」
思っているそばから、Srジョアンナが問いを飛ばしそうな雰囲気。
何を聞かれるのか、ドキドキして身構えてしまう。
「話したくなければ、答えなくて良いですからね。伊欲さんがさっきの話のようなことを調べたくなったのは、どうしてなのかしら?」
きっかけだけで言えば、同性の鳴子を好きになったから。でもSrジョアンナは、多くの事情を知った上で聞いている。いつぞやの説教も踏まえ、もっと深いところを答える。
「自然な行動だと思ったからです。鳴子を好きになったから興味がわいたこと──やってみたいと思ったことに取り組むのが、自然な行動だと。子どもどうこうは、そこまで重要じゃありません」
あくまでもワタシの話なので、自然というのは『生物としての自然さ』の意味。シスター達の『教義上の自然さ』の意味まではない。
「ワタシの納得の話になります。同性同士の関係を不自然に思う人は多くいて、ワタシもそうでした。でも自分がそうなって、そうあっても良いと思うようになったら、不自然だと思う感覚に自分なりの答えを持ちたくなったんです」
わざわざ言わずとも、説教の時にSrジョアンナは察していたのだけど。
同じ話は鳴子ともした。告白した翌日、『女子同士なのに、本当にいいの?』と不安そうに聞かれて。鳴子は『なるほど……?』とわかったようなそうでもないような反応だった。
「不自然だと思う理由は、色々あると思います。その中でワタシが気にしていたのは、生物は増えるために生きているのに、同性同士では増えられないことでした。生殖できないのに一緒にいるのは、不自然なのではないかと」
Srジョアンナは傾聴してくれた。教義と相容れない考えでも、静かに、真剣に。
だからスムーズに、怖がらずに話せた。
「だけど、不自然じゃないと考えました。浅い理屈かもしれませんが、一旦は。ワタシ、鳴子がいたから……好きになったから、色んな事が楽しくなって、興味がわいたんです。楽しかったり興味があったりすると、覚えが悪くてもがんばれました。覚えが良いことなら、もっと。このやる気は、鳴子を好きになって生まれたものです」
鳴子がいたから、できることが増えたし、やる気にもなった。たったそれだけだとしても、それで良いとワタシは思う。
「このやる気でワタシが社会を良くできれば、ワタシの遺伝子は増えなくても、人間の繁栄には繋がるんじゃないかって思います。個としては不自然でも、社会性を持つ生物種としては自然。そう思うことにしました。……もちろん、産むことが人間の全てなのか、とか、誰かは産む必要があることとか、考えなくちゃいけないことは、まだまだたくさんあるんですけど」
この場で話しきれないことは多いし、ワタシの考えには粗がある。人間を増やすとして、ワタシと鳴子で子ども二~四人分の価値を作らなきゃいけないことになるし、そもそも産んで増えるだけが人間の価値と考えるのは乱暴。種の繁栄に貢献~も殊勝過ぎるし、人の命や財産を奪わないで暮らせばそれで良いじゃん、という気も──。
「──質問に答えてくれてありがとう、伊欲さん。それじゃあ、今度こそ締めましょう。教室に戻ったら、次の人に声をかけてね」
「あっ、はい」
意見に対し特に言及なく、Srジョアンナは面談の終わりを告げた。
肩透かしになり、間の抜けた返事をした。
「何か気になることがあるのかしら?」
退出時、教室の扉を閉めようとして聞かれる。
顔色を伺っていたのが伝わったみたい。
「いえ……、反論とかあるかなーって思っていたので……」
「意見はあるけど、意見があるだけよ。それを話すことになっても、紹介するためであって、伊欲さんの考え方を変えるためじゃないわ。では、ごきげんよう」
「ご、ごきげんよう」
さっぱり挨拶されて済んだけど、『意見はあるけど』に二度目の身が引き締まる気分だった。Srジョアンナこそ、試練を与えてくれる存在のような。
~~
「ずいぶん長かったじゃない、櫂凪」
「志望大学書いてたから、ちょっとその話にね」
自習を良いことにお喋りで騒がしい教室。席に戻って早々、沙耶から話しかけられる。話したそうな前のめりで。
「ウチもその話で思いついたことがあるのよ。研究中だそうだけど、万能細胞って子どもを作ることも理論上可能らしいじゃない?」
思ってもない方向で話題が出た。
……とりあえず、話を沙耶に投げ返す。
「まぁ、そうだろうけど。技術的にも倫理的にも課題は多いって聞くよ。それがどうしたの?」
「アリだと思って。選択肢とチャンスが増えて」
「選択肢? なんの??」
「パートナーの。あと作れる子どもの数。一定年齢の男性に限定しなくて良いなら、単純にパートナー候補の数が増えるでしょ?」
人目もはばからず沙耶は言った。前に、『女性的な魅力を高めて優秀な旦那を捕まえる』的なことを言ってた気が……。
「独特の理屈ね……。沙耶って、男の人が好きなんじゃなかったっけ?」
目の前で、立てた人差し指が左右に振られる。
「違うわ。ウチはウチと、藤松家が好き。そこに役立つ存在かどうかが重要なの。同性その他に可能性が生じるなら、考慮するのは当然のこと」
「はぁ……?」
どこまで本気かわからず、つい、ため息みたいな声が漏れた。
沙耶は相変わらず自信満々な様子。
「そういう訳だから、そっちの進路に進んだらしっかり研究なさいね。あと、人工子宮も。お腹を痛めて産むのも良いことだけど、人数には限界があるし」
「何人作ろうとしてんのよ……。そんな片手間でできることじゃないから」
「可能性は多い方が良いの。何にせよね」
「他人事だと思って……」
「仕方ないでしょう? ウチは一人しかいないんだから」
そんな話しをしている間に、面談順が最後だったクラスメイトが、Srジョアンナと一緒に教室へ戻って来た。後は普段通り終礼があって、放課後に。
今日は『買い食い』の日だから、教室で鳴子と自習して時間調整の後、本館前広場のベンチに座って待った。
~~
新館玄関からこちらへ、高等部の先輩がしゃなりと歩いてくる。片方の手に鞄を持ち、もう片方の手は風に靡く長い金髪を抑えて。距離が多少あろうとも、その美貌と優雅な仕草は見間違えることがない。
雨夜メアお姉様はいつもと変わらぬ、全校生徒羨望のお嬢様っぷりで──と思っていたら、ワタシ達の姿を見つけるなり、肩に鞄を担いで駆けてきた。
「待たせてごめんね、二人ともっ」
息と言葉を弾ませる。いつもだったら絶対走らないし、『お待たせしてごめんなさいね』みたいな感じになるはず。
びっくりして固まるワタシの横で、鳴子が元気良く返事。
「さっき来たところです! ね? 櫂凪ちゃん!」
「え、あ、うん。……メアさ、お姉様、ずいぶん元気(?)ですね」
メアさんがニヤリ。だけどなんというかこう、いたずらと言うより、やんちゃな雰囲気がある。
「元気なのはそうだけど、今のわたくしは『ちょい悪』なの」
「ちょい悪ぅ?」
思わずオウム返し。
「そう。買い食いって悪でしょう?」
「うーん……、そうですかね……? 校則違反でもないし……」
判定に悩んでいたら、鳴子が鞄を肩かけにワタシとメアさんの間に立ち、腕を内側から取った。力強く立ち上がらせられて、横並び三人になる。
「時間がもったいないよ! お喋りは帰りながらしよっ!」
「良い案ね、鳴子ちゃん。行きましょうか」
メアさんと鳴子がノリノリで歩き始め、ワタシも続く(ほかない)。密着してると、寒い時期なのも忘れるくらい温かかった。鳴子は『帰りながら』と言ったけど、駐車場には行かないし、校門前の坂を下って横の寄宿舎も当たり前に通り過ぎる。
だって今日の帰り道は、メアさんの家までの道のりだから。
~~
駅近くの商店街を散歩して、お肉屋さんでコロッケを買い食いして(間食で揚げ物は、メアさん曰く悪らしい)。カフェでお茶をしたり、本屋さんに立ち寄ったりもした。時々、若い男の人(多分ナンパ目的)がメアさんに声をかけようとして、上品な服装のお爺さんやお姉さんから怖い警告を受けていた。
お爺さん達はずっと視界のどこかにいたので、メアさんの使用人なんだと思う。
帰りは駅前からメアさんの家の最寄りバス停まで、バス移動。一番後ろの列に三人並んで座り、揺られること十数分。閑静な住宅街に到着。
どの家も違うデザインをしていて、敷地は広く塀はなく、家の高さは抑えられているなど、見るからに高級住宅街のそれ。条例や協定で敷地の最低面積や建物高さが決められている影響。本物を見るのは初めてだった。
「~~ねぇ爺や。やっぱり夕食くらい一緒に──」
「──とご指示があれば、止めるように。メアお嬢様より、そう伺っておりますが」
「言ったけどぉー」
バス停から徒歩数分。雨夜邸車庫の電動シャッターを開けるお爺さんに、メアさんが窘められている。見覚えのある光景。
「週末のホームパーティにもお呼びしているのですから、我慢なさってください。お二人は寄宿舎の夕食だってキャンセルしてらっしゃいませんよ」
「……はーい」
頬を膨らませて返事をしたメアさんは、一度ワタシ達に背を向け、再び向き直った。キリリとした顔で。
「すぐに爺やが車を出すから、お待ちになってね。今日はありがとう。とっても楽しかったわ」
何事もなかった調子で解散の雰囲気。お爺さんは空気を読んで(?)、車庫内の勝手口から室内へと入っていった。
まずは鳴子が返事する。
「わたしも! とっても楽しかったです!! 色々ご馳走になりました! ありがとうございますっ!!!」
続いてワタシも。
「わ、ワタシも、楽しかったです。家に帰るのが楽しいって、知りませんでした」
実家に帰るのは憂鬱だし、寄宿舎は『戻る』感覚だから新鮮な体験。
反応を見て、メアさんはニッコリ笑う。
「嬉しい。週末も張り切っちゃうから、覚悟していてね」
「はいっ、メアお姉様! 楽しみだね、櫂凪ちゃん!」
「うん……」
楽し気な鳴子を見て、ふと気になった。鳴子とメアさんの仲って、どうなってるんだろう。
「そういえば、だけど……。鳴子とメアお姉様って、喧嘩とかにならなかったの?」
疑問を口にするワタシに、笑顔のままの二人の視線が集まる。
先に話したのはメアさんだった。
「なってないわ。恋敵だけど、姉妹なのは変わっていないもの。ね? 鳴子ちゃん?」
「そうですね、メアお姉様。仲は良いから安心して。恋敵だけど」
鳴子も言う。
良かった良かった。二人が仲違いしてなくて。
「仲良しのままなのだから、鳴子ちゃんもちょっとくらい譲ってくれれば良かったのに。櫂凪ちゃんのお隣」
「何の話ですか、メアお姉様。普通にそうなっただけですよ?」
「普通、ねぇ。それじゃあわたくしも、次は普通にしてみるわ」
「お言葉ですけど、恋人同士の間に入るの、遠慮するものじゃないですか? 普通」
……あれ?
顔を見合わせる二人。どちらも笑顔なのに、なんだか雲行きが怪しい。
「そうかしら。櫂凪ちゃんが嬉しいなら遠慮する必要はないでしょうよ。嫌なら櫂凪ちゃんにそうおっしゃったら? 『わたし以外を隣に立たせないで』って。わたくしだったら、そんな窮屈な束縛しないけど」
「わたしだったら、他人の恋人に手を出しません!」
「そう。でも、わたくし鳴子ちゃんじゃないし。勝手にさせてもらうわね」
「メアお姉様ぁー?!」
鳴子の大きなリアクションを見て、メアさんはお腹を抱えて面白がる。
「あはは、ごめんなさい。イジワルし過ぎちゃった。本当の喧嘩になる前に止めないとね。ちょうど爺やも戻ったみたいだから」
金属音が聞こえ、鳴子の悪夢的なものかとドキリ。としたけど、勝手口から戻ったお爺さんが手に持つ、車の鍵の音だった。鳴子はメアさんに抗議の視線。でも本気で怒ってはいなさそう。本当の喧嘩じゃなくて良かった。
「では二人とも、今日のところはごきげんよう。また明日ね」
「「ごきげんよう、メアお姉様」」
意図せずとも鳴子と声が揃って、別れのご挨拶。ワタシ達を乗せた車が車庫を出るまで、メアさんは手を振って見送ってくれた。
放課後や週末に、鳴子と一緒にメアさんとお出かけしたり遊んだりする日々。メアさんは学校を離れる二週間前に、他の生徒へ転校の件を明かすとしていて、それまではワタシ達の二人占めだった。
とてもとても幸せな時間。しかしその分、あっという間に過ぎ去ってしまって。
気づいたらワタシは、別れの日に居た。




