番外枝葉:顛末
櫂凪がメアと話をしていた頃。鳴子は理事長室に呼び出されていた。呼び出したのは理事長で、目的は、プロムの日に鳴子が尋ねた『真理華に関する問い』に答えること。
デスク前に立つ鳴子に理事長は背を向け、夕方の窓を眺めて話を切り出した。
「呼びつけてすまない。遅くなったが、プロムの日の問いに答えさせてほしい」
「プロムの……、真理華さんのことですか?」
鳴子が尋ねたのは、『真理華に指導したのか?』というもの。文脈的には、『簡単に男性を簡単に信用しないように、という指導を真理華に行ったのか?』という意味になる。このような質問になったのは、質問時点での鳴子は、『理事長が真理華と恋愛関係(肉体関係)になり、心に傷を負わせた』と思っていたためだ。
真理華の名前を出した鳴子に、理事長は一度頷いた。
「そうだ。プライバシーを守るため明かせないことは多いが……、話せることは全て話す。私が二年前、中等部一年生だった権真理華さんに行ってしまった、間違った対応について」
ほとんどの経緯を鳴子は知っているが、黙って聞いた。意識を覗いたことは話しようがなく、また、理事長がどのくらい正直に話すか気になった。
「二年前のプロムの時期、真理華さんと【ある人物】との間でトラブルが発生したと私は知った。悪意により発生したものではなく、両者の感情のすれ違いによるもので、第三者には解決できない内容だったが……。ある人物の行動には問題があり、真理華さんは被害者だった」
ある人物とはメアである。隠蔽ではなく、質問内容が事実とズレている点から、鳴子は詳細を把握していない(真理華が内容を伏せて鳴子に相談した)と理事長は予測。相手の情報は真理華のプライバシーに関わると判断した。
鳴子へと向き直り、理事長は悔いた様子で言う。
「知った私には取るべき対応があった。教育に携わる者として、解決はできずとも、両者が解決へと進めるよう導く責務が。私が行った間違った対応というのは端的に言うと、加害側に必要な措置をせず、被害側の真理華さんの口封じをしたことだ」
「……どうして、そんなことしたんですか」
理由は、メアを守るため。知らない体裁で鳴子は尋ねる。真理華のプライバシーに関わるとして、理事長はメアの名前を出さない。もしかしたら、それを利用して都合の悪いことを隠すのではないか、と疑った。
しかし、返ってきた言葉は疑いとは真逆のものだった。
「守りたかった。……私は私の立場を守ろうとした。トラブルが公になれば、社会的な地位を失うだろうと恐れた。指導などと偉そうなことを言っておきながら、私は傷ついた子どもをないがしろにして自己保身に走ったんだ。教育者として失格だよ」
「……ひどいです」
そう言っておきながら、鳴子の心中は複雑。真理華を守らず、口封じをして傷つけたことは、酷いと思っている。でも理事長がそう行動したのは我が子を守りたかったから。意識の中に自己保身の気持ちは僅かだった。
今の理事長の言葉に自己保身はなく、真理華に関する出来事に嘘もない。メアを守ろうとはしているが、真理華を傷つけずに話せることは隠さず話している。
酷いどころか誠実な対応だと感じつつ、鳴子は理事長に対し批難や失望の態度を演じた。
「失格ならどうして、まだこの部屋にいるんですかっ!」
「貴女の言う通り、私はこの席に相応しくない。今すぐにでも辞職すべきだ。だが──」
視線をデスク付きの椅子に向け、理事長は続ける。
「──私は残らねばならない。真理華さんと話し、そのように決めた。理由は本人及び他者のプライバシーに関わるため明かせない。同理由で本件に関して、関与していない生徒・保護者への情報開示・説明も行わない」
「真理華さんと……?」
真理華が許したのであれば、鳴子に言えることはない。いくら過去を悔いていようと、結局は真理華が傷ついて終わっただけ。鳴子は小さく落胆する。
理事長はそんな鳴子に、たどり着いた答えを伝えた。
「過去にすべきだった加害者への措置を行うこと、二度と生徒を傷つける対応をしないこと。この二つを真理華さんに申し出て、約束した。それらを遂行している様を見せるため、しばらくの間、理事長職を継続する。……以上が、回答できる全てだ」
そして話を終えると同時に、デスク横に立ち深々と頭を下げる。
「貴女の友人を傷つけ、教育者への信頼を損なったこと、深くお詫びする。本当に申し訳ない。悔い改め、同じ過ちをしないと誓う。信じてくれとは言わない。疑って監視していてほしい」
「……わかりました。真理華さんがそれを望むなら、今は何も言いません」
鳴子は素直に引き下がった。これ以上の追及は難しく、関わる正当な理由もないため、一旦は理事長が約束をどう守るか(どういう約束をしたのかも含め)様子見することにした。
「失礼します。ごきげんよう」
一礼して部屋を出る鳴子。
扉が閉まるまで、理事長は頭を下げ続けた。
~~
静かな部屋で一人。理事長は椅子に腰かけ、背もたれに体を預けて天井を眺める。鳴子から問われた日に感じた、不思議な感覚を思い出していた。メアの起こしたトラブルを知った鳴子や、当事者の真理華に対し、理事長が二度目の口封じを行わなかったのは、この不思議な感覚が関係している。
「主よ。今度こそ私は、間違えずにいられたのでしょうか」
呟きに返答はなく。されど、存在は確かに。プロムの夜、口封じを思考した理事長は、何者かの気配を部屋の中に感じ、その気配を、信仰する主であると認識した。気配の由来(部屋の寒暖や気流、意識から離脱する鳴子、もしくは本当に……など)は、重要ではない。信ずる者がそこに、主の存在を視るということに意味がある。主の存在と導きを感じた理事長は、夏の日に神父を通じて行った懺悔を意識した。
懺悔の際、神父が理事長に伝えた言葉は『主はすべて見ていらっしゃる』『どのように罪と向き合い、どのように行動するかを考えるように』の二つ。主の存在とこれらの言葉は悔い改める選択を示し、与えられた二度目の機会に、理事長は迷いを断ち切って選んだ。真理華への謝罪や自身の辞任、メアへの措置を(転校の提案含む指導)。
メアには、心身共に未成熟な相手に対し過剰に感情を乱す行為に及んだこと、心変わりしたからと気持ちの整理もできないような一方的な別れ方をしたこと、自分ばかり解決した気になっていたことなどが、いかに相手を大切にしていない自分勝手な行動であるか説明。自制の意義や、学生として適切な交際、気持ちを受け止めて返す必要を伝えた。
そしてその上で、全ての責任は間違った方法で守ろうとした、理事長にこそあるとした。
──
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『~~メアは自分勝手な行動をしていた。その点は反省しないといけない。だが、悪いのは私だ。聞き分けの良さに甘えてあらかじめの指導を怠り、重要な場面ですら見逃してしまったのだから。本当にすまなかった』
『お父様……』
『まずは二人で謝罪しよう。私が取れる責任は全て取るが、メアもけじめをつけなさい。真理華さんのことを別の生徒から聞かれた。その子を頼って相談したんだろう。傷ついた子が教師も親も頼れず、友人に相談したんだ。これ以上追い込めば最悪の事態もあり得る』
『友人に……、わかりました。わかりましたけど、お父様、一つお願いがあります。もし、真理華さんがお許しくだされば、ですが……』
『相談してみよう。お願いとはなんだ?』
『お父様までいなくなってしまうと、後ろ盾のない、わたくしの妹役達が心配です。来年入学の子も含めて、せめて彼女達が卒業するまで見守っていただきたく~~』
──
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メアはメアで、初めての失恋で真理華の気持ちを理解するところとなり、転校の提案も指導も素直に受け止め(転校はメアも同意見で)、謝罪等の対応をする流れとなった。まずは当事者間、次に理事長と真理華、最後に親同士。親同士の話について真理華は、『無駄だと思う』と乗り気ではなかった。
恋愛関係であったことは性的指向の暴露になるため伏せ、『メアに原因のあるトラブル』、『メアや理事長の評判を守るため口封じしたこと』、『口封じの対価として権家の事業を支援したこと』を伝え理事長は謝罪したが、真理華の両親はトラブルそのものにはそれほど興味を示さず(※)、事業への協力が続くかばかりを気にした。
事業への協力は急停止が難しいとして、継続する旨を理事長が提案すると、真理華の両親はトラブルなど忘れて上機嫌になり、後はビジネスの話だけが行われた。
(※両親は最初、被害者として慰謝料めいたものを交渉しようとしたが、真理華が『メアさんだけの責任じゃない』と協力しなかったため諦めた)
理事長の辞任や情報公開については、真理華側が不要としてなくなり、メアの転校だけは、真理華側は不要としながらもメアの強い希望で実行することとなった。
これらが、事の顛末。
謝罪の後日、真理華は理事長室を訪ね、あれこれと語った。
──
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『~~言ったでしょ? 話しても無駄だって。パパもママも、家業のことしか頭にないから。その割に上手くいかないって慌ててばかりで、ハンコ押すくらいしか仕事しないんです』
『正しいと思う対応をしたまでだ。経営能力については……、コメントを差し控える』
『差し控えないでくださいよ。アタシ、大学在学中を目標に実──小野里さんと事業立ち上げるつもりなんで。そん時は脅して、出資してもらおうかなー、なんて』
『今回の対応は別件には適用しない。内容は?』
『ちぇっ……って、内容? えーとねー~~』
『~~そうか。発想は良い。よく調べてもいる。しかしまだ詰められていない。家業の強みをよく分析し、合わせて経営も学んでおきなさい。出資を募るには必要であるし、騙されたり、会社を乗っ取られたりするリスクを避けるのに役立つ』
『えっ……』
『何か問題でもあったか?』
『いや、本気で返されると思ってなかったんで……。まぁいいや。オススメの学部とか修行の仕方、教えてくださいよ』
『わかった。資料を揃え、改めて連絡しよう。分野は違うが、参考になりそうな人物も人選しておく』
『……良いんですか、アタシにそんなことして。大切な娘を遠ざけたのに。メアさんがやってた仕事分、忙しくだってなるんでしょ?』
『守られるべきは貴女だ。それに私達にはむしろ、贖罪こそが救いになる。仕事のことだって何の問題もない。メアは優秀な子で代わりはいないが……、メアがやっていた仕事は代わりの者でも務まる』
『へぇー? 暇だったんだ、あの人』
『違う。業務量はあった。だが、メアでなければいけない理由はなかった。家業に関わらせないのもと思ってあてがったが……。それも、良くなかったのかもしれない』
『つまんないことを無理やりさせたんですか? あんな部屋に閉じ込めて』
『いや任意だ。強制していない。私はメアに、何も。夕霞の個室は、メアが人付き合いに疲れた時の休息目的を兼ねて用意した。仕事部屋であれば、人を遠ざける理由になる。愛想が良く人目を惹く割に、あの子はそこまで人好きじゃないものでね』
『……そうなんですね』
『人に囲まれるより山道を散歩している方が、楽しそうにしているよ。……あぁ、そうだ。メアにしかわからないことがあったな』
『あるんですか、結局』
『手の空いた時間は散歩ついでに、困っている生徒がいないか学校敷地内を探して回っていたらしい。メア曰く、落ち込んだ生徒の出没しがちな場所が点々とあるそうだ。まったく、注視していたつもりがまんまと逃げられていたとは』
『それであの人、ふらふら歩いて……』
『夕霞が好きなのもあるだろうがね。……さて、そろそろ良いか? 肘かけに上げている脚を下ろしてくれ。マナーが悪いし、来客用椅子が痛む』
『はぁーい。もっと早く怒ると思ったのに、結構気長なんですね~~』
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わだかまりがあったとは思えない、気楽な会話。その後も時々、真理華は理事長室に現われるようになったという。




