第三十四葉:朝が来て、夜は遠くへ
「~~と言うのが、ワタシが鳴子を選んだ理由です」
鳴子に告白してから数日後。メアさんから放課後に話しがあると、池のほとりのガゼボまで呼び出された。尋ねられたのは、鳴子を選んだ理由。夢に関するアレコレ以外は、ほぼ全てそのまま話した。話したかったのはワタシも同じだったから。
返ってきた反応は、眉尻を下げた苦笑い。
「口づけの回数まで聞くつもりはなかったのだけど……、教えてくれてありがとう。『ぴったりハマる』というのが櫂凪ちゃんには大事なのね。わたくしについては、欠点の無さが欠点、みたいな理解でいいのかしら?」
「概ねそうです。自分でも、自分の気持ちの全部をわかってないんですが……」
「いいのよ。気持ちの問題だもの」
ガゼボの手すりを背もたれに、メアさんは首を傾げる。
「そんなことより、良かったの? 仔細まで明かして。鳴子ちゃん嫌がらない?」
「許可はもらってます。メアさんは二人ともの姉役だから、隠したくないって言ってました」
「そう……。慕われているような、仕返しされているような、複雑な気分ね」
渋い顔。ワタシはもちろん、鳴子にも当てつけの気持ちは全くない(はずだ)けど、状況を考えると、そうとも取れる気がする。しまった。
「す、すいませんっ。メアお姉様に意地悪するつもりはなくて……」
「なーんて。そこまで傷ついていないわ。むしろイジワルということなら……。わたくしからも、一言いい?」
メアさんは表情を変えてニヤリ。
良くないことを企んでる。
「わたくしね、まだ櫂凪ちゃんのことを好きなの。フラれちゃったのに、まだね」
「ありがたいですけど、ワタシには鳴子が──」
「──いるわね。でも、果たしていつまで関係が続くかしら? 学生の恋愛なんて儚いものよ。付き合ってからこそ大変なのだし。わたくしが言うのもだけど」
「う……」
「だからわたくしは、まだまだ櫂凪ちゃんを想うことにするわ。不貞関係は良くないからお手つきはしないつもり。でいて、誘惑くらいしちゃうかも。手を出されちゃった時は、お応えしても仕方ないわよね」
「し、しませんよ、そんなこと! 不健全ですっ!」
「ふふ、可愛い。鳴子ちゃんを誘惑するのもいいわね。とっても素敵だから」
「もー! 怒りますよ!!」
あんまりイジワルを言うものだから、つい大きな声を出してしまった。メアさんは上機嫌に笑うばかりで、どこまで本気なのか汲み取れない。いじって遊んでるだけなのかな。
「で、話は終わりですか?」
いつものお戯れなら、この辺で話は終わりだろうと。その程度の心づもりで聞いたら、思ってもない言葉が告げられて。
「いいえ。ここからが本題。……あのね、櫂凪ちゃん。わたくし来月に転校するの。海外の姉妹校に。大学もあっちで探すから、なかなか会えなくなるわ」
「……え?」
「ごめんなさいね、急にこんな話。せっかくお姉様だって慕ってくれているのに、妹達を放り出すことになっちゃった」
「ちょ、ちょっと待ってください! どういうことなんですか?!」
なんで? どうして?? 急すぎる。そんな話、今まで一度も聞いたことがない。来期の高等部生徒会長だって聞いたこともあるし、どうしてそんな……。
ワタシに背を向け、メアさんは池を眺めて話した。
「プロムの日、真理華ちゃんの話をしたの覚えてる? 二年前にわたくしが、真理華ちゃんを傷つけたって話。あれ、本当でね」
「……」
「それを今さら反省して、せめてもの償いに夕霞を離れることにしたの」
「そんな……」
「ええ。本当は離れるくらいじゃ贖罪にもならないわ。だからこの前、然るべき処分を受ける覚悟で真理華ちゃんにお詫びしたの。そしたらね~~」
──
─
『~~本当にごめんなさい。貴女の心に深い傷を負わせたのに、わたくし全くわかってなかった。フラれることの辛さを……。どんな罰も受けるから、どうかおっしゃって』
『……今さら謝罪とか。じゃあアタシが無理やり襲われたって告発して罪に問われたら、お認めになるんです?』
『もちろん。それを貴女が望むなら』
『っ……! どれだけ馬鹿にするつもりですか! それをしてしまったらアタシは、簡単に騙されて体を許した、浅はかで迂闊な女になるでしょう?! あの時の好きになった気持ちも、通じ合った瞬間も、アタシにとっては本当! だから辛くて、だけど嬉しかったのに……、それすらも奪うんですか?!』
『……わたくしにとっても本当よ。ごめんなさい。貴女には嫌なことばかりしてしまうわね』
『……。……なんですか、その顔。頬を一発引っぱたいてやろうと思ってたのに。もういいですよ、どうでも。訴えようにも、立証困難ですし』
『でも……。それならせめて、頬を打っていただくとか……』
『自傷行為になるからしたくないです。昔の自分と同じ顔する貴女を打つなんて。急に謝罪したいとか言うから何の心境の変化かと思えば……、貴女を振ってしまえる人がいたんですね、この世に』
──
─
「~~大体こんな話だったかしらね。真理華ちゃんは罪を問わなかったけれど、わたくしの気が済まなくて転校を決めたの。お父様も薦めてくださったし。……それにしても、あんなに素敵な子を魅力に気づかずフッてしまっていたなんて、わたくし愚かだわ。今さらお手付きしようとしたら、『隣は埋まってんの!』って手の甲を打たれちゃったし」
メアさんは話した。
なんでもないことのように、軽やかに、明るく。
「……そこまでしなくても、いいじゃないですか。真理華だって、いいって言ってるんでしょ? だったら──」
「──それくらいはしたいの。わたくしが『する』と決めたんだもの」
この人はそうだ。そうだった。受け入れられなくて出たワタシの言葉を、メアさんはきっぱり突き返す。引き留めることは不可能なのだと理解させるように。
だからわかった。理性では。
「嫌……、です。メアさんと離れるの。会えなくなるの、寂しいです。もっと見ていてほしいです。だから、行かないで……」
わかっていても、感情を止められない。
「そう言ってもらえて嬉しい。ありがとう。わたくしも寂しくて嫌よ。……だけど、だからこそ罰になるの。悲しませて本当にごめんなさい。でも安心して、理事長は残れるように頼んだから、櫂凪ちゃん達の学校生活は保障されるわ」
振り返った青い目の周りは少し赤くて、同じ気持ちを感じた。
「そういう問題じゃ、ない、です……。メアさんがいないとワタシ、何にも……」
「あらあら。甘えたさんね。わたくしをフったカッコイイ女の子はどこに行ったのかしら?」
身を寄せたワタシの頭を、メアさんは優しく撫でた。
「会えなくなるまで、いっぱい一緒にいましょう? わたくしやってみたいことがたくさんあるの。買い食いとか、カラオケとか、テーマパークに行くのも良いわね」
抱きしめてもくれた。
それでも決して、考え直してはくれなかった。
「う……、う……」
「お願い櫂凪ちゃん。機嫌を直して。いつも仏頂面なのに、こんな時ばっかり未練になるのはズルいわ。笑った顔を見せてちょうだい」
「そんなの、無理、です……。ワタシ、悲しくて……」
「できるわ、悲しくても。ほら」
顔を上げるよう促されて、メアさんに視線を向ける。涙が頬を伝っても、口角には確かな微笑みがあった。
「ね? 櫂凪ちゃんも、ほら。大丈夫よ。長いお休みには帰ってくるし、電話だって繋がる場所。お母様の実家に住むから、遊びに来るのだって大歓迎」
「でもぉ……」
グズったことを言いかけて、ふと気づく。人差し指で涙を拭ったメアさんの右の目じりに、小さな泣き黒子が一つあった。記憶の範囲で見たことはなく、こんな状況なのにやたらと気になってしまって。
「ほくろ……、あったんですね」
「黒子? ……あっ、擦ってメイクが取れちゃったのね。実はここに一個だけあるの。バランスが悪いからいつもは隠しているのだけど」
恥ずかしがるメアさん。バランスが悪いなんてとんでもない。均整の取れた美しいお顔に、一つの可愛いチャームポイント。とっても似合っている。
「似合ってますっ。すごく可愛いです」
「気に入ってくれるのはいいけど……、これはわたくしの重大な秘密。知った責任を取ってもらわなくちゃね」
隠しているのがもったいなくて言ったら、わかりやすいおふざけ口調が返ってきた。ニヤケ顔もセットで。
「月に一回、寄宿舎に電話するから、必ずお相手して。さもなくば櫂凪ちゃんの秘密を一つ、誰かに言いふらすわ」
命令している風なのは言葉だけ。元気づける気持ちが伝わる。
「それは……、わかりました。でも、ワタシの秘密ってなんですか?」
「へ……? それは……、これから見つけるわ!」
「ハハ、なんですかそれ。会えなくなるのに……」
「会えなくたって、わたくしがちょっと誰かにお声がけすれば、貴女の行動を筒抜けにレポートしてもらうくらい造作も無くてよ?」
「ぐ……」
「寄宿舎の隣部屋の子に頼んでみようかしら。夜に《《怪しい声》》が聞こえないか、って」
「ーッ! 聞こえませんっ! まだ早いですし!! Srジョアンナにも釘さされてますから!!!」
いやらしいことを言うものだから、つい大声が出てしまう。
メアさんは面白がって笑った。
「うふふ、あはは……! 『夜に怪しい』としか言ってないのに。ずいぶん意識しているじゃない?」
「それは!」
「冗談よ。イジワルし過ぎちゃったわね。……今度は真面目な話。貴女、鳴子ちゃんへの気持ちをSrジョアンナに伝えたのね」
ひとしきり笑った後、メアさんが真剣な表情に変わる。
何を気にしたんだろう。
「はい。付き合うことになってもならなくても、相部屋じゃいられなくなると思ったので」
「そういうこと。Srジョアンナは何て?」
「協議の結果、当面の間は相部屋のままになったとおっしゃいました。色々話し合われたそうですが、『ワタシが取り下げた』ことと、『鳴子が同室を望んだ』こと、『寄宿舎規則に違反していない』ことでそうなったらしく~~」
鳴子への想いと別部屋を希望する旨を伝えたことで、Srジョアンナや寄宿舎の管理者、最終的には理事長も交えた話し合いになった。結果は現状維持。そうなった理由は三つある。
一つ目は、ワタシが別部屋希望を取り下げたこと。そもそも別部屋を希望したのは、鳴子を大事にしたかったから。その鳴子が同室維持を望んだ時点で、希望そのものが意味をなさなくなった(ので取り下げた)。ただしこの理由は、『恋人同士が同室』という別の問題に変わった。
二つ目は、鳴子が同室を望んだこと。こちらは恋人うんぬんではなく、『同室生徒とトラブルが起こってない』という意味になる。『同室生徒との関係が生活に悪影響を与えている場合』、部屋割り変更が認められることがあるけど、ワタシ達はそれに当てはまらない。
三つ目は、恋人関係自体は寄宿舎規則に違反しないこと。寄宿舎規則では『風紀を乱す行為』や『他の生徒の迷惑になる行為』は違反と定められ、罰則として『管理者による部屋割り変更』や『退去』など行われるとあるが、恋人関係そのものは、どれにもあたらない。よって管理者側で部屋割り変更することにもならなかった。
『希望がなく・トラブルがなく・違反がない』ため、部屋割りの変更の話は白紙に。しかし『恋人関係で同室となった生徒が風紀を乱した場合』及び『他の生徒がワタシ達の関係(厳密には性的指向)に気づいた場合』を想定して、更に色々と話し合われることになって。
「~~で、現状維持ながら『共同風呂の使用自粛』、『トラブル発生時には退寮を検討』という条件がつきました。そもSrジョアンナは『欲望のコントロールが難しくなる』と別部屋を、管理者の人は『トラブルのリスクが高く対処できない』として退去を意見していたそうですが、理事長が『規則に照らして対応』と言いつつ執り成して、このくらいで済んだみたいです」
「まぁ、収めた方でしょうけど……。櫂凪ちゃん達からすれば面倒が増えただけだし、打ち明けた割に合っているのかしらね」
話しを聞いて、メアさんは残念そうにした。
ワタシとしては、不満はゼロじゃないけど仕方ないと思ってる。
「とりあえず、これでいいと思うことにしてます。ワタシ達次第で破れる条件なのは、多少なり信頼されているってことでしょうし。それにワタシも、なるべく他の子が『変な目で見られてる』って誤解しないで済むようにはしたいです」
一緒に住んでいる限り難しいとしても、できる限り他の子に恐怖心や不快感を与えたくない。それは鳴子が男の人に感じていた気持ちと、同じものだろうから。
「それもそうね。と言うか、そもそも櫂凪ちゃんは同性が恋愛対象なの?」
尋ねられたことは何度も自問した。
まだ答えは出ていない。
「……わからないです。メアお姉様と鳴子のことは好きでも、他の子は想像できなくて。二人のことも、本当の本当に恋なのか──メアお姉様は『憧れ』で鳴子は『友情』じゃないのかって考えると、わからなくなる時があります」
「そう。櫂凪ちゃんは難儀ね」
自分の感覚に自信があるメアさんは不思議そう。
自信がないワタシは迷ってしまうけど、悩んではいない。
「だけどワタシ、そんなに気にしてません。条件が付く時、Srジョアンナが言ってたんです。『誘惑に負けず、段階を踏むお付き合いの良さを楽しんで』って。初めてのことだから……、まずはそうやって、ゆっくり知っていくのも良いかなって」
対応が決まった後、Srジョアンナは何も悪くないのに『誘惑の強い環境にしてしまった』と謝り、自制と応援の言葉をくれた。我慢だとか秘密だとかばかり考えて、肝心の楽しむ発想が抜けていたので、驚いたし気分も軽くなった。
「Srジョアンナらしいわ。わたくしはしたい時にしたいようにがモットーだけど。……そうだ。わたくしからも、応援と忠告を送りましょう」
真面目な調子でメアさんが言う。ワタシと鳴子を思いやる言葉を。
「デリケートで込み入った気持ちや、話すと不利になることは、秘密にするという選択肢があるわ。内心は自由だからね。詳細は明かせないけど、夕霞には貴女達以外にも、同性と交際してる子は数組いる。でも、その子達全員がカミングアウトしてるわけじゃないの」
「ワタシ達以外にも……」
「明かした方が暮らしやすい子は明かして、そうじゃない子は胸の内にしまってる。悪い欲望に利用しようと隠すのは良くなくても、恋心や興味を秘することは悪じゃない。明かして不利になる可能性があるうちは、なおさらね。気持ちだって固まっていないのだし」
「……ありがとうございます。Srジョアンナや理事長も『無理に明かさなくて良い』と言ってくれてました。自分の気持ちや鳴子としっかり向き合って決めることにします」
「あらら。わたくしったら同じ話をしちゃった? 恥ずかしいわ」
照れた顔で口元を掌で隠すメアさん。Srジョアンナ達の話は、どちらかと言えば『無理しなくて良い』というニュアンスだったので、『不利を避ける』意味合いのメアさんとは少し違う。
などと考えてるうちに、メアさんの表情は戻っていた。
「あと、夕霞って伝統的に同性カップルが見られるから、そういう話が耳に入る時があるかもしれないけど、注意なさい。その手の話のほとんどは、男性代わりにひと時楽しむ代償的な恋愛なの。将来が決まっていても、女同士なら体が汚れなくて都合が良いのよね」
「は、はい」
将来が決まっている中で期限付きの恋愛を楽しむ、というのも、それはそれで苦労がありそうな。こんな話をするってことは、メアさんの本気は本当の本気なのかもしれない。
「暗くなってきたし、話はこの辺にしておきましょうか。……駐車場まで一緒に歩くくらいは良いかしら?」
ガゼボのテーブルからスクールバッグを取って肩掛けに、ワタシの顔を覗くメアさん。良い、というのは?
「何で悪いんですか?」
「何でって……。恋人が別の人と親し気に歩いていたら、鳴子ちゃん嫉妬してしまうでしょう? ましてやわたくし、恋敵なのだし」
「あっ……」
「ま、そんなことをするのは今日で最後だから、鳴子ちゃんには嫉妬してもらうわ」
良心を痛めるワタシの腕を引いて、メアさんは帰路へ歩き出した。
今日で最後。鳴子の手前もうしない、とも取れるし、会えなくなるから、とも取れる。少し、寂しい。
~~
近づく冬を感じさせる、肌寒い空気、薄暗い空。三年目の見慣れた学校の景色。
雪が降る頃には、メアさんはいなくなってしまう。
「櫂凪ちゃんは、夕霞に来て良かった?」
ふと、尋ねられた。
メアさんには珍しい、伺う声色で。
「はい。とても。帰るまでじゃ話しきれないくらいに」
「そっか、嬉しい」
弾んだ声で、喜びを伝える。
次の問いは、興味津々と楽しそうだった。
「あとの心配は……、進路ね。どうしたいか見えてきた?」
「ええ。メアさんや鳴子のおかげで」
「わたくし達の……。聞きたいわ、教えて」
「ちゃんと調べられてはいないんですが~~」
夕霞で養った力で目指す先は、ついこの前に決めた。今やってみたいと思ったことでしかないけど、専念したいと気持ちが向いたのだから、きっとがんばれる。
「~~なるほどね。自分でなんとかしようってとこ、とっても櫂凪ちゃんらしいわ。もしその道に進んだら、わたくしも何かお手伝いしたいものね。……では、ごきげんよう」
「ごきげんよう、メアお姉様」
いつもの挨拶をして、メアさんを乗せた車のテールランプを見送った。寄宿舎までの一人の帰り道は、夜空に浮かぶ星がやけに遠くて、まだ一ヶ月あるのに滲んで見えた。




