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第三十二葉:雨と熱と


──


「オカルトなことすら、思い通りになってしまうものなのね」

 メアさんの声がする……? 後ろ……??

「……っ?! ワタシ、メアお姉様と……」

 唇から温もりが離れてしばらく。大げさながら蘇生する気分で、上の空を飛んでいた意識が戻ってくる。目の前にいたはずのメアさんは、なぜだかソファを離れてワタシの後ろに回っていた。

「口づけしたのよ。びっくりしたかしら?」

「びっくりなんてものじゃ──女同士なのに──それよりも! メアお姉様っ、特別な人って……?」

 頭が爆発しそうなくらい熱くて、考えがまとまらない。振り向こうとしたら、カチッと音がして背もたれがゆっくり倒れた。

「焦らないで。女同士でも互いの特別になれるってこと、わかるようにするから。それと、今のわたくしは姉役(おねえさま)ではないわ」

 戻ってきたメアさんは、水平になったワタシの体の上に被さり、天井を背景に顔を覗き込む。金色の長髪が頬の横に流れ落ち、碧眼にワタシだけが映った。唇が囁く言葉も、ワタシへの。

「……メア、さん。わかるって、どういう──」

「──わたくしのすべてを使って、すべてを味わってもらうの。特別な貴女だけに」

 滑らかな髪が、僅かな月光すら輝きにして返すことも。宝石のような目が、吸い込まれる透明さであることも。柔らかな唇が、触れると全身を熱くすることも。全て、ワタシだけが知っている。ワタシだけが味わえる。

 触れたい。どうやって。どこから。もどかしく戸惑うワタシの手を、メアさんは胸に押し当てた。

「伝わるかしら。わたくしの気持ちが」

 掌に感じるしん。早打ちする鼓動と膨らむ期待は、ワタシも同じ。気づかぬうちにドレス腰のファスナーは下にあって、まずは片側の肩と袖の布が途中まで下ろされる。

「待って、くださ──あっ」

 体が跳ねた。貼りつけたインナーの隙間に入る指の、たぶん親指でなぞられて。

「待てないわ。心臓が急かすの、わかっているでしょう?」

「心臓が弾けそうなのも、わかります、よね?」

 口答えする間に、両袖とも手首の位置。驚いてメアさんの体から手を離した隙に、ずるりと。下手に動けば破いてしまうし、両手を前で縛ったみたいになってる。ので、仕方なく袖を脱いだ。

 起き上がろうと頭を浮かせて気がつく。おヘソくらいまで素肌の自分に。インナーすらない。

「みっ、見ないでっ、くだ、さい。こんな体、見たってなにも……」

 骨と皮ばかりの体。最上級のメアさんに差し出すにはあまりにもみすぼらしい、最下級。

 だけどメアさんは、そんなワタシいとおしむ。

「櫂凪ちゃんの体も、ちゃんと好きよ」

「嘘ですっ、こんな貧相なのどこがっ!」

「そうかしら。無駄のない美しい体だと思うわ。ほら」

 腰からあばら骨を通って、頂点へ。上半身の凸凹を指先が撫ぜていくごとに、何度も体が跳ねる。どんなに抑えても、ハンマーで叩かれたピアノ線もしくは、擦られた弦の当然。漏れ出るこえが止められない。

「……んっ。……っあ」

「ね? こんなに可愛い反応を見られるくらい、深く触れられるんですもの」

「ま、待って、ください。ドレスが汚れ……、違っ、皺に……」

「いいのよ、シーツにして。職人さんには悪いけど。ソファの柄よりもずっと、特別な夜に相応しいわ」

 悦びで震える。これが、この人にあいされるということ。メアさんはワタシの首のスカーフを解いて、首筋に軽く口づけ。

「お願い櫂凪ちゃん。わたくしも愛して」

 甘える声で言われても、自分すら扱わない人間に他人の扱いがわかるはずない。

「どうすればいいか、わからないです」

「触れたい場所に、触れたいように。櫂凪ちゃんがしてくれることなら、何でもうれしいわ」

 迷いに迷い、メアさんの頬と耳に掌で触れた。くしで髪をくみたいに、金髪を指に通す。さらさらでひんやりした、心地良い質感。

「ふふ、くすぐったい。櫂凪ちゃんは結構焦らすタイプなのね」

「そんなつもりは……。ワタシ、なんにも知らなくて……」

「冗談よ。……ねぇ、櫂凪ちゃん。わたくしは気持ちを明かしたわ。だから聞かせて。貴女の気持ちを」

「ワタシの、気持ち……」

 問いかけられて迷う、じゃないけど。考える。メアさんの片手はワタシの太ももにあって、この先は……。女同士のことだって、メアさんは上手にできる。なんでもできる人だから不思議じゃない。

 でも、気になった。プロムの今日、ワタシだけにと特別の愛を貰ったから。

「その前に、教えてください」

「いいわ。なんでも聞いて」

 真っすぐ目を合わせて、メアさんは返してくれる。

 なら、質問も真っすぐに。

「ワタシは、メアさんにとって何人目ですか?」

「二人目よ。貴女以前に好意を持った子が一人いるわ。初めてじゃなくてごめんなさい。もう、終わった関係だから」

 隠し事は無いと素直に信じられる、真剣な眼差し。だけど人数を聞いたのは、ワタシが最初なのかを気にしたんじゃなくて。二度と忘れられないこの甘美を味わった人が、他にいるのか確認するため。輝く体験と秘密の愛を味わい、失った人が。

 もし他にいるならば、その子は、きっと──。

「──真理華、ですか?」

 メアさんは一度、大きく目を見開いた。

 しかし返答に迷いはなくて。

「そうね、二年前に。……よくわかったわね」

「どうして終わったんですか。真理華、メアさんのこと慕っていたのに」

「ときめかなくなったの。純粋で素敵な子だったけど、違ったみたい」

 ワタシに向けられた言葉じゃなくても、言われた側の気持ちの一かけは知っている。苦しく、悲痛で、切迫した気持ち。他人のワタシでも背筋が凍えるもの。であれば、中学一年生で受け止めることになった真理華はどれほど……。想像できないし、したくもない。

「……ワタシは違わないんですか?」

「違わない。……とは約束できないわ。わたくしはいつでも、思うままでいることにしているもの。でもね──」

 本当に、心から。

 この瞬間だけは、間違いなく。

「──今は、貴女のことを。櫂凪ちゃんを愛してる。性別も、身の上も、財も、全てわかった上で、隣にいてほしいと本気で思ってる」

 愛を伝える声で、表情で、メアさんは言った。

「……ズルいです」

 そうとしか返せない。いつか失ってしまうとしても、この人に愛されたいという思いが燃え上がる。ついさっき言われた通りわかった。女同士でも身分違いでも、ワタシはメアさんのことが好き。

 ……好き。……そっか。この気持ちは、そうだったんだ。

「質問は済んだかしら」

「はい」

「それじゃあ、改めて聞かせてくれる?」

 メアさんはワタシに上体を起こさせて、もう一度尋ねた。

 求められているのはワタシの気持ちと、それを示す行動。

「ワタシは……」

 目を瞑れば昨日のことのように思い出せる。メアさんと初めて出会った、オープンスクールの日。服も髪もボロボロで瘦せっぽちの、ちょっとの知識以外何も持っていなかったワタシに、メアさんは期待と希望をくれた。夕霞せきかにあるチャンスを勝ち取ってみせて、と。

 入学してからもずっと、見守ってくれた。雲の上の輝きなのに、隙間から時折顔を覗かせ照らしてくれて。そのおかげでワタシは……、今はまだ未熟だけど、いつか自分の脚で生きていくための力を、身に着けていけている。

 完璧で、憧れで、手を伸ばそうと思わないほど遠くて。いつも美しく眩しい、恒久の星。近づけば誰しもを惹きつけ惑わす、そんな。

 そばにいられるだけで、至上の幸福と悦びを与えてくれる星が今、目の前に。一緒にいれば燃え尽きてしまう輝きだとしても、ワタシは──。


「──メアさんのことが好きです。特別な人として。そばにいたいって思います」


 この気持ちは、本当。

 そして、この気持ちも。


「だけどワタシ、わかっちゃったんです。もう、繋いでたんだって」

 目を開ける。

 メアさんは仕方なさそうに笑ってた。

「……どなたなのか、教えてもらうくらいは良いわよね?」

 痛む胸に両手を添えたら、自分の背中から金属音が聞こえた。見なくても、緩やかにたわむ細い鎖がワタシを繋いでいるのがわかる。メアさんのおかげで存在を認識でき、メアさんのおかげで繋いでて良いとわかった、気持ちが形になったワタシの鎖。

 繋いだからと言って、結ばれるのかはわからない。拒絶されて、断ち切られるかもしれない。それでも、今のワタシの一番の特別は──。

「──鳴子です。ワタシ、鳴子のことが好き。好きだってわかりました。……ごめんなさい、メアさんのことが大好きなのは本当なんです。本当なのに……」

 前がよく見えなくて、声はかすれて。

 そんなワタシの頬を、メアさんは撫でた。

「ちゃんと伝わっているわ。……もう、泣きたいのはわたくしの方なのに」

 スカーフで涙も拭いてくれる。

「ありがとう、ございます」

「ふふ。貴女のスカーフだけどね。……わたくしの方こそ、ありがとう。気持ちを教えてくれて」

 そのままワタシは、メアさんの胸でしばらく泣いた。……のだと思う。


  ☆ ☆


「……ん」

 めをつむっていて、あけたら執務個室の天井。暗い部屋に電灯がついて、ドレスを着たままのワタシが見えた。フラットになったソファで眠ってたらしい。あれ、さっきまでのことは……?

 曖昧ながら記憶はあるのに、着衣に乱れがない。首にもスカーフが──。

「──起きたのね。寄宿舎の門限が近いから、急いで着替えた方が良いわ。わたくしも眠ってしまっていて起こせなかったの。せっかくのプロムなのに、ごめんなさい」

 カーテンの向こうから、メアさんの声。門限ということは、とっくにプロムは終わってる。……一緒に踊れなくて、鳴子には悪いことしちゃった。

「わ、わかりましたっ。すぐ着替えます! あの、ドレスは──」

「──広げてソファにでも置いていて。後でわたくしが片付けるから」

「はいっ、ありがとうございます」

 慌てて制服に着替え、ドレスをソファの上に広げる。荷物をまとめてカーテンを開けたら、同じく制服姿のメアさんが。黒革の椅子に腰かけ、壁の方向を向いていた。

「気をつけてお帰りになってね」

「あ、あの……」

「落ち着いたら、またお話ししましょう。ごきげんよう、櫂凪ちゃん」

「……ごきげんよう、メアさん」

 顔を見合わせることなく部屋を出た。暗い廊下を玄関の前まで進んで、一度振り返る。執務個室の灯りは消えていた。扉の音は聞こえていない。


 夜空の星を見上げる帰り道、スカーフをほどいて考える。メアさんの首のスカーフに、薄っすら肌色がついていた気がした。首にもフェースパウダーを使っていたのかもしれないけど、もしかしたらワタシの化粧だったかもしれなくて。

 手に取ったスカーフを嗅いでみても、ハッキリとはわからなかった。ワタシの匂いの奥に使ったことのないフローラルの香りがしたけど、メアさんが触れた時の、移り香の可能性だってある。

 どちらも良いな、と思った。

 ワタシにメアさんが残っていても、メアさんにワタシが残っていても。


──


 櫂凪が去った後、メアは執務個室の電灯を消した。月光のみが灯りの暗い視界の中、ドレスのストーンが放つ僅かな反射光を頼って進み、ソファへ座る。

「櫂凪ちゃん、わたくし本気だったの。本気で貴女のことを……」

 ドレスを抱きしめ、微かに残る温もりを感じた。叶わなかった気持ちと、叶わなくてわかった気持ち。二つが胸に突き刺さり、痛みがしとしとと流れる。人生で初めての、失敗と喪失の痛みだった。

 メアはずっと退屈していた。望む範囲のほとんどが手に入る環境と手に入れられる能力を持ち、それでいて御家のことは優秀な兄二人に任せられる自由もあった。幼少から望むままを許され、望むままで完璧な振舞いに至り、義務も渇望も未熟も切磋もなく、雲の上で輝く。思い通りの人生に、メアは熱を失った。

 故に、自分では生み出せない熱を他者に期待し、しばらくの思案を経て、その熱を得る方法として恋を選んだ。熱を持つことが重要なので、美的感覚にある程度敵えば、家柄どころか性別も問わなかった。

 最初の恋の相手は、利発で可愛く素直な少女だった。持っていた熱は、メアへの想い。メアのためなら困難な努力も厭わずこなし、結果を出す。そんな少女。例えるなら、期待通りに染まる無垢の白。しかし恋が実ってすぐ、メアは少女にときめかなくなった。

 同性なのに難なく恋人になれてしまったから? それとも、期待通りは期待を超えないと思ったから?

 理由を知るために、そして、熱を得るために。メアは即座に関係を終わらせ、次を探した。

 次の恋の相手は、飢えた少女になった。魅力や能力の兆しがありながら、環境に恵まれず未熟。出会った当初は興味こそあれど、恋の相手になるほどとは考えていなかった。だが少女は渇望を熱にして努力。自らを鍛え抜き、強き鉄へと成長した。

 そして、メアが少女を相応しい相手と考え始めた頃。恋敵となる存在が現れた。少女に近い庶民で、学年もクラスも、寄宿舎の部屋も同じ。いくらか観察するだけで、少女に好意を持っていることはわかった。先手を打つことは容易にできたが……、メアはあえて、恋敵にチャンスと時間を与えた。前回と違い確実に熱を得るため、恋をより難しくし、望むままをほんの少し我慢した。


 結果、少女は──櫂凪──は、メアの予想を超えて、メアではなく恋敵──鳴子──を選んだ。


「好きよ、櫂凪ちゃん。わたくしったら変なの。終わったのにまだ、貴女のことを……」

 雨が降りやんだ頃になって、メアは気づいた。じんじんと痛む胸から、ほのかな熱が広がっていくことに。

「……あの子を選んだ理由、聞いてみようかしら」

 誰にもない、誰も知らない、メアだけの熱が。

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