第三十一葉:鎖
櫂凪ちゃんとメアお姉様の関係は、学校でも当たり前に噂されてた。教室でも廊下でも、どこに行っても誰かが。直接尋ねる人はいなくても、聞こえるところで話す人はいて、その度に櫂凪ちゃんは複雑な表情でわたしを見た。
わたしが理由を聞くのを避けて、逃げ続けてるから。聞かなければ知らなくて済む。そう思っていたのに。
放課後、わたしは聞いてしまった。寄宿舎に帰るのが気まずくて、学校敷地内を歩いていた時、偶然。人気のない聖堂の裏手で、櫂凪ちゃんとSrジョアンナが話しているのを。
『~~Srジョアンナ。昨日お話した気持ちは変わりません。だから、部屋割りを変えていただけませんか? ワタシ、誰と一緒でも構いません』
『……そうなのね。話してくれてありがとう。管理の方と打ち合わせて、決まったら報告するわ』
『わかりました。ワガママを言ってすみません。よろしくお願いします』
部屋割りを、変える……? 一緒に居たい人が──違う、誰とでも良いって──わたしと離れたい──嫌だってこと──考えがバレて……。足音が聞こえて逃げた。走って。寄宿舎も学校も池も嫌で、森へ。
暗くなるまで歩き、時々眠って。自習時間ギリギリに寄宿舎へ帰った。自習室は私語厳禁、夕食の班は別、その後は避け続け……。消灯時間まで、櫂凪ちゃんとはほとんど会話しなかった。……わたし、何やってるんだろう。
~~
「……おやすみ、鳴子」
「……」
もう返事すらできない。櫂凪ちゃんは変わらず『おやすみ』を言ってくれたのに。……嫌われちゃう。……嫌われるべき。……嫌われてしまった方が。
☆☆☆☆☆
白い夢に今日も一人。悪夢に繋がる黒い渦は、プロムの日から見かけてない。本当にわたし、空っぽになっちゃった。笹の下で、子どもみたいに膝をかかえて座る。空っぽが埋まるはずないのに。
「……ごめんね、櫂凪ちゃん。いっぱい嫌なことしたのに、わたし謝れもしないの」
それから、謝罪と言い訳も。相手がいなきゃ意味がないのに。
「なんで鳴子が謝るの。ワタシ、嫌なことされた覚えないよ」
櫂凪ちゃんなら、怒らないでいてくれたりして。……ううん、さすがに都合が良過ぎる。
「おーい、鳴子っ。起きて──は、違うか。ここ夢の中だった」
聞き間違い……?
それとも──。
「──櫂凪、ちゃん……?」
「そうだよ。やっとお話ししてくれたね」
聞き間違いじゃない。手を伸ばしても届かない距離だけど、櫂凪ちゃんがいる。いつもの制服で、苦笑いの。
「櫂凪ちゃん、わたし……!」
飛び出そうとして、止めた。これは夢だ。この前と同じ、悪い夢。
「ごめん。わたし最低だね。許されたくて、許してくれる櫂凪ちゃんを妄想しちゃった」
「許す? 妄想?? 何を言ってるの???」
頭に疑問符が浮かんでそう。反応があんまりにも本物っぽくて、作り出した自分が気持ち悪く感じる。
「さっきも言った通りだよ。櫂凪ちゃんを避けたり、『おやすみ』を無視したり、嫌な態度を取ったり。他にも……。それなのに謝らなくて、でも謝りたいから──許されたいから、妄想の櫂凪ちゃんを作って、都合の良い反応させてる」
「……。あぁ、嫌なことって、そういう……」
わたしの言葉を聞いて考える顔。そして、思いついた顔。
「じゃあ、鳴子に質問ね。ワタシさっき『嫌なことされた覚えない』って言ったけど、どうしてそう言ったかわかる?」
「それは……」
妄想の存在に質問された。……あるのかな、そういうことも。
都合の良い理由を答える。
「櫂凪ちゃんは優しいから、傷つけないよう嘘をついた、とか」
「違うよ」
即答で否定された。
じゃあ、なんだろう……。
「鈍感だから気づかなかった、とか?」
「遠からず、かな。では、ワタシはなぜ鈍感なんでしょう?」
「えーと……。……勉強以外に興味がないから?」
「それは……。無くもないかも……。と、とにかくっ、違うからね!」
思いつく限りのことを言ったつもり。なのに、全部外れらしい。
「……わかんない。答えを教えて」
「いいよ。ワタシが鳴子の態度を気にしなかった理由はね」
櫂凪ちゃんは得意気に説明を始めた。わたしの知らない答えがあるなら、もしかしたらこの櫂凪ちゃんは、本当の……。
「ワタシの家族が、鳴子の非じゃないくらい態度が悪かったからだよ。母も姉も妹も……まぁ、ワタシも。実家だといつも揉めてて。避けるんじゃなくて打つし蹴飛ばすし、挨拶はそもそもしないし、無視も怒鳴りもどっちもするし──」
話しを聞いて、昔に入った櫂凪ちゃんの悪夢を思い出した。風邪を引いてるのにお姉さんに足蹴にされたり、理不尽な理由でお母さんに打たれたり。
その時の記憶から無意識に妄想した可能性もあるけど……、今は、目の前の櫂凪ちゃんを信じたい。
「──そんなのと比べると、鳴子のやったことなんて嫌なうちにも入らないよ。体調悪くて余裕ないのかなーって、それくらい。……どう? 思いつかない情報を出したんだから、本物だって信じてよね」
困った顔で言われる。もし本物なら……、本物じゃないとしても。
わたし、ちゃんとしなきゃ。
「……わかった、信じる。でも、『ごめんなさい』は言わせて。櫂凪ちゃんがどう思おうと、わたしは嫌なことを自覚してやってたから。……ごめんなさい」
言えなかった謝罪の言葉。顔は合わせられなくて、膝に埋めた。怒りでも軽蔑でも嫌悪でも。当然向けられるどの表情も見たくなかった。
「もー。謝らないでいいって言ったのに」
許してくれそうな声。
……まだだよ、櫂凪ちゃん。本当に謝らないといけないのはこの先なの。
「それだけじゃなくて! わたし、プロムの夜、櫂凪ちゃんの意識に入って覗いちゃったの。メアお姉様と櫂凪ちゃんのことを……。本当にごめんなさいっ。二人だけの時間を盗み見て、本当に……!!」
言えた。だけど言うべきことは、あと一つある。
櫂凪ちゃんの返事には、少し間があった。
「そっか、見たんだ。理由、聞いてもいい? どうしてそうしたのか」
「……うん。きっかけは、真理華さんの悪夢の原因を調べるため、理事長の意識に入ったこと。そこで、メアお姉様が関係してるのがわかって。根拠はないけど、メアお姉様が櫂凪ちゃんのことを【特別な人】として好きかもしれないと思ったの」
「メアさんが……」
「それでもし、メアお姉様が無理やり襲ったら助けようと……じゃ、なくてね。取られたくなくて覗いたんだ。メアお姉様に櫂凪ちゃんのこと、取られたくなくて」
「……」
長い沈黙。言わなきゃ。今日で資格を失うとしても、友達として伝えるべきことを。
「無理やりじゃないのはわかってる。見たから。二人が……、キスしているところ。メアお姉様が櫂凪ちゃんのことを好きで、櫂凪ちゃんもメアお姉様のことが好き。だからわたしがすべきことは……、ことは……」
……言えない。『ごめんなさい』は言えても、『おめでとう』は。友達として祝福しなきゃいけないのに、関係を認めたくない。どうせ嫌われて友達じゃなくなるんなら、わたしだって気持ちを伝えたい。
迷って──迷わなくて。わたしは二人への言葉じゃなく、自分のための言葉を選んだ。
「……イヤだよ櫂凪ちゃん。メアお姉様のものにならないで」
言っちゃった。もう、止められない。気持ちが、言葉が、溢れる、零れる。
「わたしだって、櫂凪ちゃんのことが好き。友達じゃない、特別な人として。だから!!!」
突然、どこからともなく。自分の声が聞こえなくなるくらいの金属音。
「離れないで! いなくならないで!! わたしのそばにいてよ!!!」
叫んだ。櫂凪ちゃんに向かって。ぶ厚い輪と太い鎖が、櫂凪ちゃんの手足を拘束する。鎖は四ヵ所の黒い渦から出ていて、わたしから生まれたものだって感覚的にわかった。腕の鎖で無理やり吊り上げ、項垂れたままの櫂凪ちゃんを膝立ちで立たせる。……メアお姉様よりわたしの方が、よっぽど乱暴だ。
気持ちを明かした晴れやかさと、『ごめんなさい』を言ったそばから、謝ることを増やした可笑しさ。相応しくないのに、なんだか笑えてきてしまう。
こんなことしたんだから、櫂凪ちゃんはわたしを嫌いに──。
「──笑って、る……?」
櫂凪ちゃんは笑ってた。何かを抑えるじわじわした感じで。
どうして? 伝わってないの??
「わたしの気持ち、わかったでしょ?! 櫂凪ちゃんを自分のものにしたいって気持ちが! なのに、なんで!!!」
もう一度、ハッキリ叫ぶ。鎖がギリギリと腕を左右に引いたのに、櫂凪ちゃんは困った顔をするだけ。
「鳴子の気持ちは、わかってる、よ。まぁその、痛い、くらいに……」
僅かに腕を動かして、櫂凪ちゃんが鎖の音を鳴らした。言いたいことはわかっても、自分じゃどうにもできない。
「痛い思いさせてごめん。もう自分がわからなくて、できなくて……」
「そっか。ワタシこそ、ごめんね。さっきは笑っちゃって」
謝ることないのに頭を下げて、櫂凪ちゃんはゆっくり話し始めた。
「あのね、鳴子。笑っちゃったのは嬉しかったからなんだ。鳴子から『好き』って言われたのが」
「でも……」
「うん。ワタシがメアお姉様から口付けされたのは本当のことだし、ワタシがメアお姉様のことを……、好きなのも本当」
ちょっと照れて、櫂凪ちゃんが言う。恋をしてるのがわかる、可愛い表情で。
「だから……。わたしじゃ、ないんでしょ」
好きの気持ちを喜んでくれているとしても、恋の相手はわたしじゃない。目を背けたくなるほど辛かった、のに。
「ううん。鳴子だよ。わたしにとって、特別な人は」
一番聞きたかった言葉は、あっさりと伝えられて。
「……なんでそんな嘘つくの」
「嘘なんかつかないよ。ワタシの一番は鳴子、貴女なの」
嘘じゃないって繰り返された。
「……わかった。やっぱり夢だ。あんなに慕い合ってたのに、わたしが一番なんてありえない! 悪い夢を見せるのは止めて!! わたしが悪いのはもうわかったから!!!」
叫んで駆け寄って、肩を掴む。
目の前の櫂凪ちゃんは消えなかった。
「落ち着いて。悪夢じゃないよ。……そうだ。ワタシのおでこに鳴子のをくっつけて、目を瞑ってほしい」
「そんなことして、何が──」
「──その方が伝わるよ。ほら」
言われるまま、櫂凪ちゃんにおでこをつけて目を閉じる。
「意識に入ったのなら、全部見たんだと思ってた。でも違うみたいだから、ちゃんと説明するね。メアさんの口づけを受けた、その後のことを~~」
わたしが安心するように、ゆっくりと。櫂凪ちゃんは心を明かしてくれた。真っ黒の視界が、青い月明かりに照らされた執務個室へと変わる。
ソファの上でキスをする、メアお姉様と櫂凪ちゃん。わたしの意識が切り離される、直前の二人。




