第二十五葉:夕霞プロムナード(3)
櫂凪ちゃんが着替えに行った。一ヶ月以上も前から準備していた、夕霞プロムの日だから。わたしも参加するし、二時間もしないうちに体育館でまた会える。ドレス姿の櫂凪ちゃん、綺麗なんだろうなー! 早く見たい! 一緒に踊りたい! 楽しみ!! 楽しみなことだらけ!!!
……なのに。
「どうして、モヤモヤするんだろ」
なぜだか気持ちが落ち着かない。気分もすっきりしない。たぶん、真理華さんの悪夢の真相を調べようと……、ペアダンスの時間を使って、理事長に接近しようとしてるからだと思うけど。
うん、そうだよね。理事長が怖いだけだよね。
「あっ、もうこんな時間!」
チェスト上の時計を見て慌てる。中学三年生の更衣室使用時間になってた。ドレスもシューズもアクセサリも更衣室に預けてあるから、持っていくのはストッキングみたいな小物だけ。
昨日のうちに要るものをまとめたトートバッグを持って、寄宿舎を出る。校則違反だけど、廊下もどこもダッシュしちゃった。今日くらい、いいよね。
~~
「おーい、鳴子さん。こっちこっち」
更衣室に入ってすぐ、涼香ちゃんが手を振って呼んでくれた。背が高いし良く通る声だから、とってもわかりやすい。人混みの中、奥の壁のそばにいるのに一瞬で見つけられた。
駆け寄ってみたら、もう着替えが済んでいるみたいで。黒のタキシードと整えたショートカットがスタイルと顔立ちの良さを引き立てて、舞台の男役の人みたいでカッコいい! さすが、一年生の頃から毎年誰かに誘われて、ダンスフロアに立ってるらしいだけある!!
「涼香ちゃんごめんね、遅くなっちゃった! タキシード、ばっちり似合ってて素敵!!」
「ありがとう。私も似合ってる自負があるよ。しかし遅れるのは良くないね。危うく母子で喧嘩するところだったから」
「喧嘩?」
「お母様ったら、男役でタキシードなのに、可愛いメイクをしようとしてくるんだ。娘を女性らしくしたい気持ちはわかるけど、衣装とのバランスを考えてほしいね」
『やれやれ』顔をする涼香ちゃん。
隣で聞いていた涼香ちゃんのお母様は困った調子。
「それは涼香さんが男役ばかりだからでしょう? 雨夜お嬢さんを見習って交互にでもしてくれれば、私だって女役の時にしか言わないのに」
涼香ちゃんのお母様は顔立ちこそ涼香ちゃん似だけど、黒のセミロング髪に、メイクで眉の輪郭をぼかしたりアイラインを下げたりしていて、カッコいいと言うより柔らかい印象。コーディネートも、ブラウンニットに暗色ロング丈のフレアスカートとクール系のようでいて、棚に置いた小さなバッグは薄っすらピンク。
大人っぽく(カッコよく)も女性らしさや可愛らしさも意識した見た目に、なんとなく涼香ちゃんにしてほしい格好の方向性を感じるなぁ。
お母様の言うことに、涼香ちゃんは両掌を上に首を振った。
「私の夕霞プロムなんだから、私の好きな格好をするものでしょ。一緒に踊る子が喜んでくれるからこれがいいの」
「たまには親を喜ばせようと思わないの?」
「親は子どもが健やかに育つだけで十分なものだよ」
「それは親のセリフよ。まったくこの子ったら。……あぁ、いけない。鳴子さんの支度をしなきゃあね」
親子らしい息の合った話を止めて、涼香ちゃんのお母様は壁面の棚からわたしのドレスを取り出してくれた。オレンジ色のみずみずしいドレスを。完成してから何度も見ているけど、いつ見ても新鮮な色合いが眩しくて、びっくりするくらい素敵!!!
「まずはメイクを整えましょうか。鏡の前に座ってちょうだい」
言われた通りに、隣の棚にどーんと置かれた鏡の前で丸椅子に着席。涼香ちゃんのお母様は慣れた手際で、わたしの前髪をクリップ留め。鏡の前にコスメを並べた。クリップもコスメも、淡いピンク色!
プロムのお手伝いボランティアさんとは言え、庶民でお家の繋がりもないわたしの世話してくれるのは、本当にありがたいこと。しっかりお礼を言わなくちゃ!
「ありがとうございます! 本日はよろしくお願いします!!」
「いいのいいの、頭を上げて。涼香さんのお友達なのだから、お安い御用よ」
「騙されちゃダメだよ鳴子さん。お母様は鳴子さんに、私でできないことをしようとしているだけだから」
涼香ちゃんのお母様は即座に言い返した。
「そうかもね。涼香さんと違ってこんなにも、素直で女の子らしくて可愛いんですもの。とっても飾りがいがあるわ」
売り言葉に買い言葉の冗談だと思って聞いていたけど、そうでもなくて。そこから時間いっぱいかけて、ヘアやメイクを入念に仕上げてもらうことになった。嬉しかったけど、ちょっと疲れたような?
「~~やっぱりここをもう少し──」
「──お母様もう時間だから! 鳴子さんも困ってる!」
「私ったらつい夢中に……。ごめんなさいね鳴子さん。こんな感じで良いかしら?」
「はいっ、ありがとうございます! すごく可愛くしてもらえて、とっても嬉しいです!」
涼香ちゃんがお母様を止めて、着替えも含めたおめかしタイムが終了。鏡の前に立って、全身くまなく、じっくり見てみる。
わたし至上、一番可愛い!!!
クセ髪は、外側を外巻き・内側を内巻きに少し強調して、バームとスプレーで艶出し・保持、巻き髪に。アクセサリは、シルバー・ガラス色で控えめサイズの、小枝にクリスタルと小さなリーフチャームが連なった髪飾りを一つ。
アクセサリが控えめなのは、ドレスの胸や胴にストーンがついていることと、ダンスで《《転んだ時》》のため。
オレンジ色のホルターネックドレスは、脇の下と首の後ろも繋がっているから、同色のロンググローブと合わせて、パッと見の露出はちょっと抑え目。背中は大胆に開いてる。裾は前が膝下丈で後ろ(のフリル先端)がくるぶし丈のフィッシュテール型。速いダンスでも足を動かしやすいし、シルエットが可愛い!!!
シューズはドレスと同じオレンジ色で、ヒール高さは低めの5センチ。ドレスもそうだけど、サイズが本当にぴったりだと、こんなに快適で心地良いんだ!
普通できない格好ができて、普通できない体験が待ってる。
楽しみなことだらけ! だから!
……早く、始まらないかな。
「あら、鳴子じゃない。どうしたのそんな顔して。せっかくの明るいドレスが台無しよ」
「……えっ? あ、沙耶ちゃん!」
声をかけられてハッとする。ボーッとしてた。話しかけてくれた沙耶ちゃんは、銀のシューズに、手首にひらひらのフロートがついた、濃いパープル色のドレス。暗色シースルーになったデコルテが色っぽい!
「パープルのドレス、とっても似合ってるね! 優雅で綺麗だし、セクシー!」
「まぁね。ウチの魅力のおかげで良い顔に戻れたこと、感謝なさい」
「はぁい」
「それはそうと、櫂凪は一緒じゃないの?」
辺りを見回して、沙耶ちゃんに聞かれた。櫂凪ちゃん、誰にも言ってないもんね。
「事情があって別々だよ」
「!? 事情ってもしかして──」
一言で沙耶ちゃんは察して、わたしに耳打ち。
「──櫂凪とメアお姉様がペアだって話、本当だったの?」
わたしも耳打ちでお返事。
「そうだよ。わたし達へのサプライズで、櫂凪ちゃんは執務個室で着替えてくるの」
「まさかあの子がそんな……。ま、別に悔しくないけどぉ!」
耳打ちには大きな声で言って、沙耶ちゃんは体育館──ダンスフロア──へと歩いて行った。
「沙耶ちゃん! あとで一緒に踊ろうね!」
「いいわよ。ウチが女役なら。折を見て声をおかけになって」
追いかけて会場に行こうとして、後ろから肩をちょんちょんと触れられる。
涼香ちゃんだ。
「私とも忘れずに踊ってね。鳴子さん」
「もちろん! クイックステップ、自信ないけどがんばるね! 練習とか着付けとか、何から何まで協力してくれて、ありがとう!!」
「どういたしまして。御礼のダンス、楽しみにしているよ。今までは本気で踊れる相手がいなくて、不完全燃焼だったから」
練習では踊れたけど……、本気だと上手くお相手できるかドキドキ。
「では、また後で。理事長とのダンスも楽しんで!」
そう言って涼香ちゃんは、パチリとウインク。颯爽と更衣室を出て行った。沙耶ちゃんも涼香ちゃんも堂々としていて、高等部の人に負けないくらい輝いてる。性格も見た目も本当にカッコいいし、とっても良いお友達! ……でも。
友達と話せば話すほど、違うんだってわからされる。一緒に居ないことが気になるのは、寂しいのは、苦しくすら感じてしまうのは、たった一人しかいない。
櫂凪ちゃんに、会いたいな。
──
あれこれと考えていた鳴子だが、会場に足を踏み入れた瞬間だけは、その全てを忘れた。見知った体育館が、同じ場所とは思えないほど変貌していたからだ。
ステージ上で視覚と聴覚を惹きつける、大型シャンデリアと楽器隊。眩い光と優雅な音楽が、鳴子の世界を煌めきで染め、心をときめかせた。
それ以外にも、天井中心から四方八方の壁へ帯状の白い布飾りがいくつも伸び、観覧席になっている二階の通路には一定間隔で電灯が配置。会場の床は赤色マットとダンス用板パネルが敷かれ、四方の壁際に残されたマット部分には休憩用の丸テーブルと椅子が並ぶ。当然、暖房など空調管理も万全。
文化祭の売上含む多額の寄付金が注がれた、豪華絢爛のパーティ会場。ダンスフロアに入場できるのは、夕霞女子学院の中等部・高等部生徒と、一部教師・シスターのみ。外部公開なし、会場内写真撮影は許可制。
そんな夕霞プロムナードが、閉じた会ながら伝統となるまでに続いているのは、名家の御令嬢の人生にあってもそれだけ強く輝く、青春の思い出であるからに他ならない。
今宵、うら若き乙女達の戯れ、秘密の花園は開かれた。
夕霞女子学院に千紫万紅の華が咲く。




