第二十三葉:プロムのために(2)
「あ、あの、メアさ……お姉様。これってレンタルじゃないんじゃ……」
予想外の状況。視線がつい、壁一面に並ぶ色鮮やかで煌びやかなドレスへと泳ぐ。丸テーブルを挟んで対面に座る白髪の老齢紳士は、スケッチブック片手に苦笑い。
テーブルの隣に立つメアさんは、微笑んだまま言った。
「そんなことないわ。お店から借りるのも、購入者であるわたくしから借りるのも、貴女達にとっては同じレンタルでしょう? さ、遠慮なく意見をお伝えになって」
「大違いだと思いますけど……」
意見と言うのは、着たいドレスの色や形状の希望のこと。ワタシは今、夕霞プロムのためにオーダーメイドドレスを仕立てられようとしている。鳴子も同じで、あちらは店内のドレスを見学しながら、若い女性スタッフとあれこれ相談中。ワタシと違って、早々に無駄な抵抗を止めている。
夕霞プロムのお誘いを受けて最初の週末。ワタシと鳴子はメアさん家の車に乗せられて、馴染みらしいドレス専門店を訪れた。一時間半ほどかけて到着した店舗は、玄関に『終日貸切』の札がかかっており、その時点でただならぬ予感はしていた。所狭しとドレスが飾られる店内。『選ぶだけで貸切とは恐ろしい気前の良さ』とか呑気なことを考えていたら、更に上をいく恐ろしさ【完全オーダーメイド】を伝えられて。
ワタシも鳴子も、夕霞女子学院で一番のお嬢様【雨夜メア】様のお嬢様ヂカラを見誤っていたのだ。
「その……、質問してもいいですか?」
見た目を気にする必要があれば、休日でも制服を着るくらいファッションに疎いワタシ(今日は鳴子もメアさんも制服だけど)。意見をと言われても何も思い浮かばない。せめて会話をしなければと、質問の体で無理やり声を出した。
苦しく話すワタシに、紳士は目じりに優し気な皺を作って返してくれる。
「もちろんです。なんでもおっしゃってください」
「変なことですけど……。オーダーメイドって、今からで間に合うんですか?」
夕霞プロムまでおよそ一ヶ月半。ドレスの制作工程を知らない素人目にも、納期が厳しく感じた。
「通常納期は最低二ヵ月以上ですので、普通は間に合いません」
「えぇ?!」
「ですが、メアお嬢様は特別なお客様ですので。必ず間に合わせますよ」
「へぇ??!!」
当たり前に言って、メアさんにアイコンタクトする紳士。メアさんの返事は、変わらぬにこやかな笑顔。深い信頼が感じられる。それはそれとして、お店に無理なお願いをしていることは確か。
「すみません。ワタシ達のせいで無理させてしまって……」
「ははは、脅かしてしまいましたかな。できる自信があるからお受けしておりますよ。お客様はどうか、完成が待ちきれなくなるデザインを作り上げることだけ、お考えください」
「……は、はいっ」
そこまで言われてしまっては、覚悟を決めて作ってもらう他ない。今度は逃げではなくアイデアのヒントを探すため、周りへ目を向けた。
そんなワタシの肩に、メアさんが指をトントンと当てる。
「わたくし、鳴子ちゃんのところに行ってくるわね」
返事する間もなく鳴子の方へ行ってしまい、一人取り残された。色々な意味で困っていると、紳士が話を振ってくれる。
「あれほど楽しそうなメアお嬢様は初めてです。お二人のことを、心から気に入っていらっしゃるのでしょうね」
「そうなんですか?」
「どんなドレスをお仕立てした時より、喜んでいらっしゃいます。ご予約の際も、お二人がいかに素敵な後輩……、妹なのか語ってらしたほどで」
ワタシ達はなぜだか、メアさんから気に入られている。何が琴線に触れたのかは、未だによくわからない。
「素敵だなんて……。ワタシも鳴子も庶民で、教養だってないのに」
「そうは思いませんし、些細な懸念に思いますよ。お二人には補って余りある魅力がございますから。私にも少しわかってきたので、こちらで表現してみました──」
紳士はスケッチブックをテーブルに置き、ドレスの色付きラフイラストを見せてくれた。いつの間に考えていたんだろう。
「──伊欲様は、思慮深くハッキリとした性格だとお見受けしましたので、生地の色はそちらを反映し~~形状は高身長と相性が良いものを~~」
デザインの意図を説明してもらって理解できてくる。たたき台があるとワタシでも意見が出てくるもので、失礼を承知で伝えてみた。
「ありがとうございます。とても素敵なデザインで~~は恥ずかしいのでできれば~~」
一度話しが転がってからは意外に早く、数回意見を交わすうちに方向性が決まった。
「~~ご評価、ご意見いただき誠にありがとうございます。それでは一度、ドレスを見て回りましょうか。お手に触れると、質感のイメージも膨らむことでしょう。ご試着もできますので、扱いやすさや形状ごとのドレスの動きなども、ぜひご確認ください」
すぐさま別の女性スタッフが来て白手袋を手渡し。店内のドレスを見て回ることに。ちょうど鳴子がテーブルまで戻ってきたタイミングだった。
鳴子はご機嫌なのが一目でわかるニコニコ笑顔。
「櫂凪ちゃんはどんな衣装にするか決まった? わたしはね──」
「──お待ちになって、鳴子ちゃん」
「むぐぅ」
メアさんが唇に人差し指を当て、話を遮る。
「せっかくだから本番までお互い秘密にしてみない? その方がワクワクできると思うの」
提案に鳴子は目を輝かせた。
「っ! そうします!! 櫂凪ちゃん、言わないでね!!!」
「わかったわかった。言わないよ」
聞いてきたのは鳴子なんだけど、と思いつつ。メアさんの言う通り、知らない方が面白い気がするので同意。以降、終日かけて、衣装・ヒールを使った動きの体験、ドレス用インナーの購入なども済ませた。
普段着ない服装はかなり動きづらく、特に苦戦したヒールは、一番低い3センチのものに。もう普通の靴とほとんど違わない。ヒールを下げたことは、ペアで踊るメアさんには都合が良かったらしく、『シューズ高さを抑えられるからありがたいわ』と言っていた。
衣装選び以外にも、授業で学んだテーブルマナーのテストという口実で昼食をごちそうになるなど、何から何までお世話され尽くした一日。諸々の値段は確認できなかったけど、かなりの金額がかかったことは想像に難くない。費用はメアさん曰く、『お手伝いで貰ったお駄賃の範囲』だそうで。
高額なお駄賃に驚くべきなのか、お嬢様ながら自費であることに驚くべきなのか。どちらにせよ、メアさんはただのお嬢様ではないし、ワタシ達のことを気に入り過ぎである。
~~
帰りの車。窓から見える景色が見知った日暮れの街に変わった頃。助手席に座るメアさんに尋ねた。
「あの、メアお姉様。今日は本当にありがとうございました。でもどうして、ワタシ達にそこまでしてくださるんですか?」
メアさんは後部座席のワタシ達を振り返り、ちょっと考えてから話す。
「わたくし弟妹がいないから、動機のほとんどは、可愛い妹達を可愛がりたい庇護欲だと思うけど……。邪な感情もゼロではないと思うわ」
「邪な感情?」
「かっこつけたいって自己顕示欲や承認欲、思い通りにしたい支配欲とか。わたくしを拒否しづらい立場の貴女達にこんなことをするのは、悪い悪い言い方をすれば、『奴隷を買って愛でている』と言えなくもないもの」
申し訳なさそうにして、言葉は続いた。
「ごめんなさい、二人をわたくしの欲望のはけ口にして。嫌だったらおっしゃって──というのも、嫌じゃないと言わせるみたいね。だから、ええと……。拒絶されても報復しないから、心のままに振る舞って。で、いいのかしら」
あれこれ表現を探すところに、力を持つ者なりの苦労が伝わってくる。まぁでも、メアさんがその気になればワタシ達は簡単に社会から消し飛ぶので、怖がらせないようにするなら、そうもなるのかもしれない。
ワタシ達に気を揉む時点でかなり優しいので、悪く言い過ぎているところを正しておこう。
「相手がメアさんでもワタシ達、嫌なことは嫌だって言えますよ。それに、自分の意志で受験した学校でやりたい勉強をしているんだから、奴隷でもないですし。ね、鳴子?」
「うん! 嫌どころか、今日はとっても楽しかったです! ドレスを選んだこともですけど、三人でお出かけできて!!」
マイナスをゼロにするくらいがワタシの言葉なら、鳴子はプラスにする言葉。車内でできる限界まで身振り大きく、喜びを全身で伝えている。
メアさんは困った様子で口元を手で隠した。
「もう、二人とも。わたくしが嬉しくなることを言ってはダメよ。もっと可愛がりたいと調子に乗ってしまうから。ねぇ爺や、やっぱりこのままディナーに──」
「──いけませんよ、メアお嬢様。伊欲様も舟渡様も、寄宿舎の夕食がございますから」
運転手のお爺さんは発言を予想していたらしく、慣れた軽さであしらった。
子どもみたいに、メアさんが頬を膨らませる。
「うー。爺やのわからずやー」
「メアお嬢様の言いつけを守っているだけですよ。お迎えに上がる時におっしゃいましたよね? 『予定以上に二人を構おうとしたら止めて』と」
「言ったけどー」
「良いのですかな。ついさっき格好つけたいとおっしゃった、妹達の目の前で」
「それは──良くないわ。今日はかっこいいお姉様なのを見せる日だもの」
たしなめられ、膨れっ面はキリリとした顔つきに変わった。ついさっきまで文句をぶつけていたので、雰囲気が締まらなくて微笑ましい。
「ごめんね、二人とも。そう言うことだから解散にしましょう。わたくし、とても楽しかったわ」
だけどタイミングはバッチリで、車はちょうど学校駐車場に到着。ワタシと鳴子も改めて今日の感謝を伝える。
「ワタシも、楽しかったです。その、三人で出かけられて」
「わたしもです! とっても良い思い出になりました!」
お爺さんが後部座席に回り扉を開けてくれて、鳴子と共に降車。別れの挨拶のため助手席側に回る。
メアさんは車の窓を開けて言った。
「ドレスの経過は鳴子さんに連絡するわね。あと、次の月曜日の昼休み、食後で良いからわたくしの【執務個室】を訪ねて。お伝えしたいことがあるの」
「あ、はい。わかりました」
返事をするワタシの横で、鳴子は頭にクエスチョンマークが浮かんでそうな顔。あとで説明してあげよう。
「それでは、また学校でね。ごきげんよう、二人とも」
「「ごきげんよう、メアお姉様」!」
頭を下げてお見送り。離れていく車の尾灯に楽しい一日の終わりを感じて、寂しい気分がしないでもない。車が見えなくなって、鳴子に聞かれた。
「ねぇ櫂凪ちゃん、メアお姉様がおっしゃった執務個室ってなに? どこにあるの??」
「本館一階にある、メアさん専用の仕事部屋だよ。部屋の名前はそうなってないけど」
「へぇー! 個室があるなんてすごい!!」
「夕霞女子学院の実質的な経営業務をしてるとか、一族所有の別企業の仕事をしてるとか噂があるくらいだから、個室じゃないと機密的にまずいんだろうね」
「そんな部屋にお呼ばれってドキドキするね!」
きゃぴきゃぴと喜ぶ鳴子。大げさだなぁ、と思いながら。ワタシも週明けを楽しみに、足取り軽く寄宿舎へ帰った。
──
─
約束の月曜日。いつもより早く昼食を済ませ、鳴子と一緒にメアさんの執務個室を訪ねる。本館一階に降りた途端、鳴子が周りを気にした。
「そんなきょろきょろして、どうしたの?」
「へ?! いや、なんでもないよ! あんまり通らないから、気になって」
「ふーん」
職員室は通り過ぎたし、医務室は逆側の通路。突き当りは外に通じているだけなので、普段の生活では通らない場所ではある。理事長室を越えて少し進み、乳白色の厚い扉の前で立ち止まった。
「ついたよ」
「楽器、練習室……?」
「昔、グランドピアノとかコントラバスとか置いて、軽い練習するのに使ってたんだって。生徒が減って音楽室と準備室で十分になったから、事務室にしたらしいよ」
簡単に説明し、扉をノック。
ほどなくして鍵の解錠音がして扉が開いた。
「ごきげんよう。ようこそ二人とも。さぁ、入って」
メアさんが出てきて、ワタシ達を招き入れる。今日も制服は汚れなく綺麗で、ブラウスが真っ白に輝いていた。
「「ごきげんよう。失礼します」!」
執務個室の存在を知っていても、入るのは初めてなので少し緊張。床は地味な灰色絨毯、壁は吸音板仕様で、広さはピアノ一台と弦楽器数人分、だと思う。部屋の右半分寄りに医務室みたいな天井吊りのカーテンがされていて、正確にはわからない。正面左の壁に寄せ、L字型デスクと黒い革張り椅子が一つ。奥の壁の高い位置に横長窓(ブラインド付き)、低い位置に事務室でよく見るスチール製キャビネット。
必要な機能がコンパクトに収まる、普通の事務室。カーテンの奥は──。
「──あぁ、ごめんなさいね。今開けるから」
ワタシの視線に気づいて、メアさんがカーテンを開けた。その先にあったのは、黒色で肘掛けのない横長ソファ。どの壁からも若干離れた位置に置かれていた。奥の壁には、天井高さ近いクローゼットもある。
「ソファにかけてどうぞ。応接用じゃなくてわたくしの休憩用だから、ちょっと恥ずかしいけど」
促されるままソファに腰かけ。仮眠用と言うだけあって、ワタシと鳴子が座っても十分に余裕がある。座り心地はどちらかと言えば、ふわふわよりはしっかり目。ソファも部屋も隅々までよく掃除されていて、ホコリ一つ見当たらない。
「えっと、今日はどういったご用事なんでしょうか?」
わざわざ改めて呼び出されるなんて、きっと厄介事に違いない。そう思って聞いたら、メアさんは黒い椅子に腰かけコチラ向きに回転。神妙な面持ちになった。
「呼び出したのは他でもないわ。夕霞プロムの作戦会議をしたいと思うの」
「作戦会議? 運営委員会でも生徒会でもないワタシ達がですか??」
「ええ。だってわたくし達のことですもの。わたくし達が当日どのように動いて、どのように皆さんを驚かせるか、のね」
「……は?」
何を言い出すかと思えば……。多分、大した話じゃない。隣の鳴子も、ポカンとしている。
「あの、普通でいいんじゃないですか? 普通に参加で」
ワタシが言うと、メアさんは不満気に唇を尖らせた。
「イヤよ。わたくし自慢の妹達の晴れ舞台なんだもの。最大限目立たせて知らしめたいじゃない!」
「それこそ嫌ですよ、目立ちたくないですし。話が終わったなら帰りますよ」
「ええー! ちょっとお待ちになって! せめて作戦だけでも!!」
「はぁ……、なんですか。作戦って」
あんまり一生懸命に言われるので、話を聞く。
メアさんはウキウキして言った。
「わたくしが手伝うから、櫂凪ちゃんはこの部屋で着替えて、プロムが始まってから体育館に来るの。きっとみんな驚くわ」
「なんですかそれ。わざわざここで着替えなくていいですよ」
「ギリギリまで秘密にしたいじゃない! それに櫂凪ちゃん、本当にいいの?」
「いいって、何がです?」
「みんなが居る場所で着替えるの、平気?」
「それは……」
言われてみれば、他人と一緒に着替えるのは嫌かもしれない。寄宿舎住みや家が遠い人の着替えは、体育館の更衣室で行う。でも、学年ごと時間分けしていても人でごった返すらしい。ドレスみたいな浮ついた格好、しかもインナーまでそれ用のものをそんな場所で着替えるのは、やや気が引ける。
「ここで着替えれば人目に付かないし、会場までドレスを秘密にできる……。着替えるところから見ちゃっているより、飾られた会場で初めてドレス姿を見る方が、お互いずっと素敵に見えるんじゃないかしら」
メアさんはそう言って、鳴子に視線をチラリ。
鳴子は楽し気に頷いた。
「ぜったい素敵です、それ! 櫂凪ちゃん、ここで着替えたら?」
「まぁ……、うん。鳴子がいいならいいよ、それでも」
と、そんな感じであっさり、プロム当日の流れが決まった。
話は本当にこれだけだったらしく、メアさんが椅子から立ち上がる。
「作戦会議終了ね。せっかく来てくれたのだからお茶にしましょう。二人は座っていて」
そそくさと部屋を出て行き、数分後。扉が開き、メアさんは戻ってきた。廊下に陶器のカップやティーポットが載った、木製アンティークのワゴンが見える。すぐさま鳴子がソファを立って、扉を押さえるなど手伝い。ワタシは出遅れた。
「わぁ、素敵なティーセットですね! 細かい花柄がとっても可愛いです!」
興味津々の鳴子。
嬉しそうに返すメアさん。
「うふふ。そうでしょう? 一人だと面倒で水筒に入れてきたものを飲むのだけど、今日は二人がいるから淹れちゃった。ちょうどリラックス効果の高い銘柄をいただいて~~」
「~~すっごく良い香り! メアお姉様とのお茶、皆羨ましがるだろうなー」
楽し気にお茶の準備をする二人。メアさんと話すだけで学校中から羨ましがられるので、執務個室に呼ばれたとか、お茶をいただいたとか伝わったら、どんな反応になるのか想像できない。
振る舞われたのはハーブティーで、香りは甘いような苦いような。リラックス以外にも色々と効果があるとのことで、飲んでからしばらくして体が温かくなった。その影響か午後眠たくて、ワタシにしては珍しく授業中ウトウト。鳴子も多分体質の方じゃない普通の居眠りをしていた。
日々の美容やダンス練習、ドレスの準備に当日の計画。夕霞プロムのためのたくさんの用意は着々と進み、あっという間にその日は訪れた。




