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第二十葉:舟渡鳴子(3)

 くる日の終礼。担任のSr(シスター)ジョアンナが突然、ワタシ達生徒に頭を下げた。

「皆さんに謝罪しなければならないことがあります。私は担任の立場でありながら校則違反を黙認し、イジメ行為への注意を先延ばしにしていました。大変申し訳なく思います。本当にごめんなさい」

 教室が騒めく。クラスメイトの全員がなんとなく話を察した。このクラスで明確に校則違反やイジメ行為と関係しているのは真理華しかいない。

 Srジョアンナが説明を続ける。

「見逃していた校則違反は、授業に不必要な物品、化粧品の持込です。我が校では派手過ぎなければ化粧そのものは禁止されていませんが、大量の化粧品持込は校則違反。新学期開始時点より違反は確認されており、本来であればその時点で指導を行わねばなりませんでした」

 元をたどれば、中一の後半から真理華は校則に違反している。だから全てがSrジョアンナの責任ではない。しかしあくまでも自分の責任として、Srジョアンナは話した。

「黙認を判断したことには教育的理由が存在しますが、生徒の皆さんに規則を平等に適用しなかったことは事実です。また、イジメ行為についてはプライバシーの問題で詳細をお話しできませんが、こちらも教育的理由から注意をしておらず、生徒の皆さんには不信感を抱かせたことと思います。意見、抗議は受け付けますので、遠慮なく私に──」

「──待ってください、Srジョアンナ。アタシからみんなに話します」

 真理華が席を立って話を遮る。

 Srジョアンナは心配した。

「任せてくれていいのよ?」

「話させてください。全部、アタシがやったことなので」

「……わかりました。真理華さん、こっちにいらっしゃい」

 手招きされ、真理華は教卓横へ。Srジョアンナが見守る中、真剣な顔で口を開いた。

「アタシが言っても説得力ないけど……。悪いのはアタシだから、Srジョアンナや誰かを責めないでほしい。中一の後半からアタシ、精神的におかしくなってて。化粧品のことも、いじめのことも、厳しく注意されてたら多分、立ち直れなかった。だから、Srジョアンナはアタシが落ち着くまで待ってくれてたんだ」

 そう言って真理華は、背筋の伸びた綺麗な姿勢で、ワタシ達に深々と頭を下げる。

「だけど、おかしくなっていたとしても、アタシはみんなに不快なことをした。本当にごめんなさい」

 強い反省が伝わる態度。事情を知っているワタシ的には、ほとんど許して良い感覚。だけどクラスメイトは微妙な反応で。実害を受けてないから無関心だったり、贔屓した対応は良くないと怒ってそうだったり、不公平を感じてそうだったり。許しのきっかけを得られず、沈黙が続く。

 そんな静寂を破ったのは、小野里さんだった。

「あの! イジメられたのは私だけど! 私が頼んで注意しないでもらってたの! それにもう許して、仲直りしてる!! 怒っている人がいたら、大丈夫だから」

 Srジョアンナも補足する。

「校則違反についての訓告や指導は確実に行います。意見、抗議があれば私が受け付けるので、遠慮なく言ってちょうだい」

 二人の話に納得したのか、クラスメイトの溜飲は下がり空気が和らいだ。そのままの流れでSrジョアンナがまとめる。

「話を聞いてくれてありがとう。今日の終礼はここまでにしましょう。真理華さんは放課後、校長室を訪ねて。では皆さん、ごきげんよう」

「「「ごきげんよう」」」

 挨拶を交わして終礼は終わり、Srジョアンナが教室を出る。真理華が続いた。

 追いかけて、ワタシも教室を出た。

「あの、真理華! ちょっといい?」

「伊欲?」

 意外そうに真理華が振り返り、足を止める。

「話したいことがあって。すぐに済むから」

「……いいよ。アンタにも迷惑かけたし」

 どこか落ち着かない様子で、目を合わせたり逸らしたり。それでも話を聞いてくれるだけ、かなりの変化。

「この学校に入ってから、勉強でワタシと競ってくれたのは真理華だけだった。だから真理華はすごく、努力してたんだと思う。今さらだけど」

 夢で言っただけで終わらないよう、現実でも伝える。

 真理華は溜息をついた。

「はぁ、恨み言でも言われるかと思えば。今さら過ぎるって。もうアンタの背中も見えないし。……話は終わり? 気は済んだ??」

「もう一つ。いつか暇な時でいいから、ワタシに~~教えてほしい」

「教える? 何を?? アタシが教えられることなんてある???」

 首を傾げられる。教えてほしいのは、夢に入る前に調べたこと。口に出すのがなんだか恥ずかしい。

「ある。その、……を」

「は? なに??」

「化粧。お化粧を教えてほしい。社会に出たらけられないだろうから、今のうちに勉強しておきたくて。座学自習したけど、人にどう見えるかが大事だし」

 面白がって笑われた。

「アハハ。メイクまで『先取り勉強』なんて、ホント変わってる。こんな変人と一瞬でも良い勝負した自分を褒めたくなってきたわ」

「褒めていいと思うけど」

「いい性格してんね、アンタ。いいよ。未来のお客様かもだし、詫びも含めて教えたげる。近いうちにしばらく学校休むから、さわりだけになっちゃうけど。……じゃあ、また明日」

 手を軽く上げ、廊下を歩いて行く真理華。階段のところでSrジョアンナが微笑んで見ていた。


「真理華さんとは話しできた?」

 後から廊下に出てきた鳴子に聞かれる。

「それなりに。競ってさえなければ案外話しやすかったのかも」

「良かった。今度はわたしもお話したいな。……っと。なにはともあれ、これにて一件落着だね! わたしだけじゃ絶対上手くいかなかったよ! ありがとう櫂凪ちゃん!」

 そう、これにて一件落着。……ではなく。まだやらなきゃいけないことがある。なんならワタシにとっては、こっちの方が重要。

「いや、まだだよ」

「え?」

「まだワタシ、鳴子の事情聞けてない。イジメ絡みの夢に、どうしてあそこまで入れ込んでたのか」

 真理華の悪夢から弾かれた時のこと。一度弾かれた悪夢に鳴子は、危険を冒してまで飛び込もうとしていた。どうしてそこまでしたのか、まだ理由を聞いていない。

「……話すって約束したもんね。いいよ。夢の中で話そ」

 鳴子の表情は陰っていて、返事に張りがなかった。尋ねたことに後悔はなくとも、心の奥に踏み込むプレッシャーを感じる。

「ありがとう。じゃあ、帰ろっか」

「うん」

 悪夢解決に安堵するいとまもなく、ワタシは落ち着かない気持ちで夜を迎えた。


──


 暗めのウッドカラーに統一されたオフィス什器じゅうき、汚れ一つない絨毯、微細な模様の入った厚手のカーテン。長年にわたり適切にメンテナンスされた高級品で構成された室内は、建物も含めて文化財の域にある。

 そんな夕霞女子学院本館一階の理事長室で、Srジョアンナは雨夜理事長に、権真理華への指導内容の報告を行っていた。

「~~以上です。実さんの説得を待つことに不安はありましたが、勇気を出してくれました。真理華さんも自らクラスメイトに謝罪し、精神的な落ち着きや成長が見られます。極力介入を控えるという理事長のご指示がなければ、この結果はなかったでしょう」

 理事長はL字型の机の向こうで、黒の革張り椅子に腰掛けたまま返した。

「Srジョアンナには無理を言いました。しかし良かったのですか。校則違反の黙認やイジメ行為の静観について、私の指示であることを強調せず、泥をかぶるような言い方をされて。思うところがおありだったでしょう」

「構いません。指示に従い実行したのは私ですから」

 平静に答えるSrジョアンナに、理事長は視線を逸らす。

「教義をたてに実行させたんですよ、私が」

「ずいぶん辛そうにおっしゃいますね。真理華さんが憔悴しょうすいしていて、実さんの気持ちは固まっていなかったのだから、必要な措置だったと強調されても良いでしょうに」

「黙認も静観も、教育者として行動を起こせなかったということに他なりません」

「そこまでわかっていて、どうして──」

 尋ねる途中で、理事長室の扉がノックされた。

『──ごきげんよう、お父様。少しお時間いただきたく』

 声の主は雨夜メア。

 Srジョアンナは生徒の時間を優先し、話しを止めて理事長に一礼。

「メアさんとのお時間も、大切にしてくださいね。では、ごきげんよう」

 声をかけながら、扉を開いた。

「ごめんなさいね、メアさん。今終わりましたから」

「Srジョアンナがお話中でしたのね。こちらこそごめんなさい」

「いいのよ。気にしないで」

「ありがとうございます」

 メアは入れ替わって室内に入り、丁寧に扉を閉める。

 突然現れたメアに、理事長は尋ねた。

「メア。この時間はSrジョアンナと話すと予定に書いていただろう」

「あら。そうでしたか。でも、どうしてもお願いしたいことがあったものですから」

 両手を背に回して組み、メアはニヤリと笑った。


──


☆☆☆☆☆


 いつものように消灯時間まで勉強して、いつものように鳴子の隣で眠り、いつものように夢の中へ。真っ白世界に生えた一本の笹の隣に、鳴子は三角座りで待っていた。小走りで駆け寄り、ワタシも隣に座る。

「お待たせ。話だけなら、起きてる時でも良かったのに」

「櫂凪ちゃんの勉強の邪魔したくないし、こっちの方がよく思い出せるから」

 座ったまま、鳴子は笹を見上げた。

「子どもの頃のわたしが、パパの夢に入ってびっくりしちゃった話、覚えてる?」

「覚えてるよ。鳴子のお父さんの、学生時代の記憶が元になった夢だったよね」

 『びっくりした話』と軽い表現をしているが、そんなことはない。鳴子は幼い頃に入った父親の夢の中で、信頼する父が女性に暴力を振るう場面を目撃。強いショックを受けた。未だ男性全般に恐怖心を感じるほど影響があったのだから、実際はトラウマに近い。

「あれからちょっと経ってわたし、パパが見てたのは悪い夢だと思うようになったんだ。パパ、あの日からやつれて、どんどん痩せちゃったから」

 鳴子の父は、現実では一切暴力をふるっていない。穏やかな人で、暴力と遠い性格をしている(かえってそれが、鳴子のショックを大きくした)。

 なので、夢の内容はあくまでも、『もしそうしていたら』というイメージ。潜在的な願望はあったかもしれないけど、『現実ではそうしなかった』『二度と会えなかった(会わなかった)』などの後悔や、『暴力的な面を鳴子に見せてしまう』ことへの恐れが合わさってできた、悪夢だったのかもしれない。

「それでわたし、悪い夢なら助けたいって思って。夢の中でパパに、『パパのこと怖くないよ』って伝えたの。そしたら痩せてたのが、ちょっと太るくらいに解決できて。それからわたしの白い夢の中に、黒い渦がでてくるようになったんだ」

 なるほど。この出来事が、鳴子が他人の悪夢に入る(入れる?)ようになったきっかけ。鳴子の父が『悪夢に入るのをやめさせたい』と言っていたのも頷ける。

「そうだったんだ。悪夢に入るようになったのは、それから?」

「うん。渦に入ってみたら悪い夢だったから、パパの時みたいに助けなきゃって。子どもだから大したことはできなかったけど、ほとんどが歳の近い子の、『オバケが怖い』とか『友達とケンカしちゃった』とか可愛い悪夢で。夢の中で仲良く遊んでるだけで解決できたんだ。それで……」

 言葉が詰まる。

 ここからが本題。

「わたし、なんでも解決できるって勘違いしちゃった。だからいつものように入った悪夢で、いつものように仲良くして……。最悪の結果になっちゃった」

 鳴子は立ち上がって笹の葉を取り、両端を折るなどして笹舟を作成。足元に離した。船底が触れた場所が川みたいになって、笹舟はどこか遠くへと流れて行く。静かに見送る様に、灯篭とうろう流しに近い感覚がした。

「最悪の結果って、もしかして……」

「……悪夢に入ったら知らない木造校舎の学校にいて、目の前の教室で歳の近そうな女の子が泣いてたの。痛んだ黒髪おかっぱで、ボロボロの吊りスカートを履いた女の子。どうして泣いてるんだろうって思って近づいたら、その子がイジメられてるのがわかって~~」

 小学生の鳴子が悪夢で出会った、知らない学校でイジメを受ける女の子。イジメの内容は、悪口や仲間外れ、物を汚されたり隠されたり。悪口は容姿や体臭(衛生状態)、学力等を馬鹿にしたものだったとか。

「~~机に悪口を彫られてたり、クラスのほとんどの子から馬鹿にされたりしてて。取り囲んで酷いこと言われてたから、わたし、止めに入って追い返した。教室だと嫌なこと言われるから校庭に出て、追いかけっこしたり、花を摘んだり、笹の葉を折ったり、いつものように楽しく遊んで……」

 鳴子は手癖で、笹の葉を色んな形にした。三角形に折ってクジみたいにしたり、折り紙の要領で人やトンボの形にしたり、風車にしたり。一度見たくらいでは難しいので、何度も作ったんだと想像できる。

 今のところ、過去の鳴子の行動に悪い点があるとは思えない。

「お互い楽しんで過ごしたのに、何でそれが悪い結果になるの?」

「……」

 沈黙。

 笹の葉遊びする鳴子の手が止まった。

「……わたしが見ていたのは、嫌な思い出の一つでしかなかったから」

「思い出の一つ……。もしかして──」

 一つの考えが頭をよぎった。木造校舎、古い髪型、古い服装、古い遊び。当時でもそういう学校が残っていた可能性もなくはないけど、もしかしたら女の子の見ていた夢は、鳴子が小学生だった時よりも過去の出来事なのでは。

「──その女の子は子どもじゃなかった、とか」

 ワタシの言葉に、鳴子は苦し気に笑う。

「今の話でわかっちゃうんだ。櫂凪ちゃんだったら、違う結果だったのかなぁ……」

「そんなこと……」

「十日くらい毎日、その子と遊んだの。手先が器用で色んなことを教えてくれて、とっても楽しかった。だからその日も『今日は何して遊ぼう』ってくらいしか考えてなくて」

 後悔が滲む、聞いていて辛くなる声色が続く。

「だけど、夢に入ったら小学校じゃなかった。夜の真っ暗な山の中で、ママより年上の白い服を着た髪の長い女性が、赤い橋の欄干に座ってた。『だれ?』って聞いたら『ありがとう。忘れていいよ』って。そう言われた時、聞いてたはずの女の子の名前、忘れちゃった」

 夜の山中に女性一人。白い服なのも目的を想像させる。

「その人、終える気だったんだね」

「嫌な予感がして駆け寄ろうとしたら、黒い稲妻がバチッと出て押し返されたの。お尻が地面につくまでがスローモーションになって、病室で眠るお婆さんとか、工場の作業とか、見覚えのない中学校とかが見えて、気がついたら自分の白い夢に戻ってた」

「女の人の記憶、だったのかな」

「そう思う。ずーっと心が重い、嫌な感覚だったから。その日以来同じ夢に入れなくなって、何日か後に、近くの川で女性の遺体が発見されたってニュースが。いてもたってもいられなくて、パパやお爺ちゃんに調べてもらったら~~」

 鳴子の父や祖父はかなり悩んで、川の上流に橋や学校があるかを調べてくれたそう。学校は解体されていたけど橋は実在しており、女性が身投げしたとして下流に漂着する可能性は否定できなかったらしい。

「~~パパ達は、どこかで見た景色と記憶が混ざって、変な夢を見たんだって言ったけど、わたしはそう思えなかった。泣いてるあの子も、笹遊びも、本当に感じたから。……わたし、何もできなかった。もっと賢くて、大人のあの人に気づけていたら、命を絶つのを止められたかもしれないのに……!!!」

 悲しみ、悔しさ、無力感、罪悪感……。泣きそうな顔で拳を握り、鳴子は下を向く。

 そんな鳴子を見て、ワタシは──。

「──鳴子が責任を感じることない!! 絶対!!!」

 自分でも驚くほど大きな声が出た。悲しみよりも、強い憤りを感じて。女性に非はないし悪いのはイジメた人達だけど、鳴子に辛い思いをさせたことは納得できない。

 鳴子は大声にびっくりして、反応に困っている。

「え、と。櫂凪ちゃん……?」

「非は無いし不憫な人だったと思う! だけど助けようとした鳴子が、どうして他人の人生の責任まで負わなきゃいけないの?!」

「で、でも、わたしがもっとちゃんとしてれば……」

「関係ないよ! だってその時、その人の夢の中に入れた人は他にいなくて、鳴子はできる限りやったんだから!! それで『もっと』なんか考えようないでしょ?!」

「だけど、櫂凪ちゃんだったら──」

「──それもない! 小学生の時のワタシは自分のことしか考えてなくて、人助けなんか絶対しなかった!!」

「うぅ……」

「あっ……」

 しまった。声を荒げに荒げて我に返る。責任を感じてほしくなくて、どうにか元気づけたくて、つい意見した。鳴子の気持ちを無視して。辛い気持ちに寄り添えていない。

「……ごめん、熱くなった。せっかく話してくれたのに。ホントごめん」

 ほぼ土下座の姿勢で下げた頭は、両肩を掴まれ即座に上げられる。

 視線を合わせて座る鳴子は、ちょっとだけ笑ってくれていた。

「ううん、ありがとう。櫂凪ちゃんの気持ちは伝わったよ」

「気持ちは……。ってことは、鳴子の気持ちは変わらない?」

「責任は感じちゃう。どうしても」

「そっか。でも、これだけは言わせて」

「?」

 意見を伝えた上で鳴子の後悔が消えないのなら、これ以上は無用なお節介。だけど、もう一言だけ。

「その人の心はもう、壊れてたんだと思う。壊れた心を繋ぎ止めるのはとても難しくて、心の距離が遠い人にはできないんじゃないかって。ワタシ達が真理華の悪夢を直接解決できなかったみたいに」

「……そうかもね」

 これで、伝えたいことは伝えた。……伝えた。……うん。

「それじゃあ、責任を感じる派の鳴子と、感じなくていい派のワタシで五分ね」

「……え?」

「今までは十割責任感じてたと思うけど、これからはこっちの意見も思い出して」

「……」

 一言で済まなかった。ポカンと口を開けて、鳴子が固まる。

 返事は間を置いてからだった。

「櫂凪ちゃんって、時々強引だよね。いつも冷静なのに」

 それから、普段に近い明るさの笑顔。

「本当にありがとう。気持ち、軽くなったよ」

「もしかして、言わせたみたいになってる?」

「そんなことないよ! 自然自然!」

 そう言って鳴子は大きく伸び。そのまま寝転んだ。

「はー。気持ちを話すってスッキリするんだね」

「話したことなかったの?」

「パパやママには、昔に。でも、色々わかるようになって話したのは、櫂凪ちゃんが初めて。普通はしない話、もう全部櫂凪ちゃんに話しちゃった」

 ワタシを見上げる鳴子。

 そんな言い方をされると、照れくさい。

「それってつまり……結構友達ってこと?」

「うん! 結構どころじゃなく!! わたし、櫂凪ちゃんのこと大s……」

 言葉の途中で、鳴子は転がって顔を背けた。空気が抜ける音が聞こえた気がする。

「【す】って言った?」

「えっと、いや、その、【し】!」

「し?」

「親友! 櫂凪ちゃんのこと、大親友だと思ってるよ! って」

「あはは。そういうこと。ありがとう、すっごく嬉しい。ワタシにとっても、鳴子は初めての大親友だよ」

 鳴子ですら照れるのに、素直に言えた自分にびっくり。気分が良くなってワタシも横に寝転がった。

 結局この日は黒い渦は出てこなくて、二人で平穏無事に、ぼんやり一晩を過ごした。なぜだか鳴子は、ずっと目を逸らしがちだったけど。


──


 小学生の舟渡鳴子が悪夢で出会った女性は、鳴子と同じ町に住んでいた。女性は元々故郷を離れて暮らしていたが、母親が介護を要する状態となったため帰郷。山あいの実家を引き払って母と二人、病院等に近い町中の公営住宅に移り住み暮らしていた。

 四十代後半だった女性の人生は、苦しいものだった。父親は早世そうせい、母子二人暮らしは常に貧しく、友達やパートナーにも恵まれなかった。身繕いする余裕がないことで、学校では『不潔』『みすぼらしい』と鼻つまみにされ、容姿を侮辱されることも多々あった。社会人になってからも『嫁の貰い手がない』『学もない』『育ちが悪い』など、頻繁に陰口を言われた。

 女性が人生を投げ出さずにいられたのは、幸薄くとも、母親の確かな愛があったから。女手一つ育ててくれた母親は、どれほど生活に困っても娘を優先し、孫の顔が拝めずとも責めることはなかった。

 そんな最愛の母親が病でこの世を去った時、女性は『もう、いいか』と思った。


 母の葬送が終わり、僅かな財産の処分・寄付について遺書をしたためた時点で、女性は命を絶つつもりだった。しかし決行前日の夜、奇妙な夢を見たことで先延ばしにする。夢そのものは、頻繁に見る小学生の時代の悪夢だったのだが、そこに当時はいない、見ず知らずの女の子が現れたのだ。

 女の子は現代的な服装をしていて、明らかに違和感があった。だけどとても優しい子でイジメに立ち向かってくれたし、夢の中では自身も子どもだったから、女性は妄想だと思いつつも受け入れ、数日だけ一緒に過ごすことにした。当時できなかった追いかけっこやお喋り、笹遊びを無邪気に楽しむ、人生最後の数日間。女の子が笹の細工をいくつか覚えた頃に、女性はどうしてこの夢を見たのか分かった。

 最後の瞬間。橋の欄干に腰かけ目をつむった時も、女性は女の子の姿を見た。幻覚・妄想にしては、やけに本物のようだとも感じた。

 だから、女の子が気に病まないように。

『だれ?』と聞かれ。

『ありがとう。忘れていいよ』と返事した。

 後ろに倒した体が風を受けて、これまでの人生がフラッシュバック。その時々の気持ちや思いを再生する。母を看取った日の悲しみを、社会で感じた孤独を、学生時代の苦しみを。そして──。


 ──いつかの七夕。短冊に込めた『やさしいお友だちがほしい』という、ささやかな願いを。

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