第十九葉:ずっと見ていてくれた人
波風なく一日は過ぎ、放課後に。終礼が終わった瞬間、鳴子と一緒に教室を出て、前の扉の横で立ち止まる。夢の中で話した作戦を実行するために。真理華と小野里さんがお互いを意識しているかだけが懸念点だったけど、杞憂で済んだ。授業中も休み時間も二人の視線は何度も重なり、都度、気まずそうに逸らされていた。
「はぁ……、本当に上手くいくんかな……」
作戦に自信がなく、つい溜息。
小声と笑顔が鳴子から返ってくる。
「大丈夫だよ! ……うん、二人ともそこにいるみたい。よし、やろう!」
作戦開始の合図に親指が上がり、わざとらしく大きな声で鳴子が話し始めた。
「……『ベランダでお喋りしようよー! あそこなら誰もこないし、今日は天気が良いから気持ち良いよ!!』」
ワタシもわざとらしく声を張る。
「『最上階端の空き教室の? 今日は止めとく、勉強したいし』」
「『たまには二人っきりでお喋りしたいのにー』」
「『説得しようったって無駄だからね。帰りも部屋も一緒でしょ。さ、帰るよ』」
「『そんなー。景色の良いとこで話したかったのにー』」
などと、棒読み演技し作戦終了。二人っきりになれそうな場所について、真理華達に聞こえるよう話し、誘導する……。我が案ながら、あまりに稚拙。廊下を歩く同級生にジロジロ見られて、とてつもなく恥ずかしい。
「櫂凪ちゃん、行こう!」
「わかってる!」
しかし、恥ずかしがっている暇はない。まだまだやらなきゃいけないことがある。空き教室近くにさっさと移動し、真理華達が来るかのチェック&他の生徒の通せんぼ。
「……ねぇ鳴子、全然来なくない?」
幸いにも、空き教室が並ぶ最上階には誰も上がってこない。残念ながらそれはそのまま、真理華達も来ていないということにもなるのだが。
「ちょっと待ってね……。あ、実ちゃん、今教室出たって!」
携帯電話片手に鳴子がはしゃぐ。クラスメイトの友達に連絡を頼んでいたらしい。考えなしに見えて意外と準備が良い。
「でも、こっちに来る保障は──」
「──静かにっ、足音がする!」
立てた人差し指を口に当てられ、話を遮られた。足音なんてしな──する。鳴子と階段最上部の屋上前空きスペースの陰に隠れて、息を潜めた。
「……行った?」
「うん。……! 真理華さんも一人で教室出たらしいよ!」
一つ目の足音が空き教室へと入っていき、そう時間が経たないうちに、もう一つ足音が聞こえた。
「わたし確認するから、櫂凪ちゃんは先に下へ」
「了解」
物音がしなくなってから、ワタシだけこっそり下の階へ移動。
一分も経たず、鳴子は降りてきた。
「どうだった?」
笑顔で上げられる親指。作戦成功の意。
「バッチリ作戦通り! 実ちゃん達だったよ!!」
「まさか本当に上手くいくとは……」
「さすが櫂凪ちゃん考案の作戦だね!」
「名前出さないで……、褒められても逆に恥ずかしいから……」
階段前でガードマンのごとく立って、真理華達に邪魔が入らないよう見張る。前に涼香が言っていた通り、三十分ほど居ても上階に行こうという人はいなかった。
だけど。あの時と同じように、思ってもみなかった人が現れた。
「あら、ちょうどいいところに。櫂凪ちゃん、鳴子ちゃん、ごきげんよう」
「メアさ、お姉様?! ご、ごきげんよう」
手入れされた金髪を靡かせ、下の階からメアさんが上がってくる。優雅な声色でにこやかに挨拶し、美しい青い目でワタシと鳴子を交互に見た。
「二人してこんなところに立って、どうしたの?」
他の生徒だったら『上階は~~で侵入禁止らしい』とかテキトーな嘘をつけるけど、学校の全てを把握しているであろうメアさんには通用しない。まさか出会うと思っておらず、専用の言い訳も用意していないので、苦しい誤魔化しが精一杯。
「べ、別に大したことは……」
「うーん、怪しい……。ちょっと待ってね、思い出せそうだから」
思い出す、とは。
メアさんは両手を合わせて、パッと笑顔になった。
「そうだわ! 逢引!!」
「は?」
「人気がなくて景色の良いベランダで、鳴子ちゃんと逢引しようとしてるんでしょ?」
何を言い出すかと思えば、涼香の時の繰り返し。いたずら顔も含めて、前に言っていた時の雰囲気そのまま。絶対狙ってやっている。
「前も言いましたけど、違いますって」
「あぁ、そうだわ。前は上の階で会ったものね。なら、ここに立ってるのは……」
顎に手を当てる仕草で、メアさんは考える。
今度は自信に溢れた表情になった。
「わかった! 逢引の、順番待ちね!」
「はぁ?」
「ベランダに先客がいて、話が終わるのを待ってるの! そうでしょ?」
ある意味、中らずと雖も遠からず。先客ではないがベランダには真理華達がおり、話が終わるまで邪魔が入らないよう待っている。まぁ、そもそも間違っていることがあるので否定するけど。
「それも違います。そもそもワタシ達、逢引って関係じゃないですから。ね? 鳴子」
「えっ、あっ、うん。そうだよ」
鳴子の返事は遅かった。急に聞いたせい……じゃない。メアさんがいるということは、もしかすると──。
「──メア。用事は済んだのか?」
渋い声がして、理事長が階段を上がってくる。スーツの上からでもわかる、厚みのある体。目を合わせるとワタシでも首が痛くなる高身長。黙っていても威圧感がある。
メアさんがハッとした。
「あっ、わたくしったらうっかり。今日は櫂凪ちゃん達に用事があって来たのに」
「用事? しかもわざわざメアお姉様がいらっしゃって??」
珍しいどころじゃない。用があるなら、呼び出せば済む立場。意図がわからず困惑するワタシの手をメアさんは取った。きめ細かな肌がひんやり、触れていて気持ち良い。
「ええ。直接伝えたかったから。次の金曜日の放課後、いつものガゼボにいらして」
「ガゼボに? わかりましたけど……」
いつもの、と言うほど頻繁に使ってない場所なのは置いておく。
「鳴子ちゃんも、よろしくね?」
「は、はい!」
敬礼でもしそうな雰囲気で背筋を伸ばし、鳴子は答えた。
メアさんはやっと手を離し、ワタシ達をそれぞれ見て嬉しそうに微笑む。
「では二人とも、ごきげんよう。……お待たせしてすみません、お父様」
踵を返し階段を下っていくメアさん。理事長も同様。上階に行く展開にならず、ホッと胸を撫で下ろした。
「びっくりした……。……鳴子、大丈夫?」
二人の足音が遠ざかってから、鳴子に話しかける。
胸に手を当て、深呼吸していた。
「だ、大丈夫、もう落ち着いたから。ただ、その、一つ聞いていい……?」
真面目な顔をする鳴子。改まって聞くようなことあったっけ?
「いいよ」
「えっと……、ガゼボって、何……?」
「……ふふ。なんだ、そんなこと」
質問を聞いて拍子抜け。思わず笑いが漏れた。
「西洋の東屋のこと。だと、わからないよね。池の周りとか公園にある、壁のない柱と屋根だけの小さな建物のことだよ。うちの学校にもあるでしょ?」
ポン、と鳴子は手を打った。
「あぁ、アレ! なーんだ、秘密の施設だと思ってドキドキしちゃった。でも、山とか池に点々と、三つくらいなかった?」
「あるね。だけど、『いつもの』は一ヵ所だから」
「へぇー。みんなの定番(?)の場所なんだ」
「みんなのっていうか……、メアさんとワタシで使ったことがある場所、って感じ?」
複数あるガゼボの中でメアさんと過ごしたことがあるのは、池にある一ヵ所だけ。それが、『いつもの』ガゼボ。
「ふーん、二人で……。あっ、櫂凪ちゃん、足音!」
「隠れよう!」
話もそこそこに、上階でしたらしい足音に鳴子が気づいた。慌てて近くの教室に隠れて耳を澄ませると、二つの足音が階段を降りてくる音が聞こえてくる。
「鳴子、どうする?」
「後をつけるのも悪いし、ベランダから見てみない?」
「了解」
降りていった二人とは逆に、ワタシ達は階段を上り空き教室のベランダへ。玄関を見おろす。
「櫂凪ちゃん! アレ!!」
鳴子がぴょんぴょん跳ねて喜んだ。気持ちはよく理解できる。
ワタシも素直に言葉が出た。
「……良かったね、真理華」
真理華と小野里さん、二人がここで何を話したのかはわからない。だけど悪くない結果だったことは、話を聞かずとも伝わった。
帰路につく真理華と小野里さんの、横並びで歩く後ろ姿だけで。十分に。
──
小野里実は不思議な気分で目が覚めた。眠った時間もベッドも枕もいつもと同じなのに、頭を覆っていたモヤモヤのない、スッキリとした目覚めだった。
一限目の授業が始まる前に、その気分が朝だけで終わっていないことに気がついた。いつも以上に真理華の話がよく聞き取れたし、何を話しても窮屈な感覚がしなかった。こんなに体と心が軽いのは久しぶりだった。
今日なら言える気がする。聞いてもらうチャンスさえあれば。実は一日中、いつ話しかけるか考えて過ごした。
「はー、やっと終わった。真理華ぁー、今日はどこ遊び行くー?」
放課後、スクールバッグを肩かけにしたクラスメイトが、真理華に話しかける。
「今日は……」
真理華はチラと実を見た。いつもだったら答える前に教室を出ているが、なぜだか実のことが気になった。実は真剣な顔で、携帯電話を操作している。何をしているか尋ねようとした時、廊下から大きな話し声がして、真理華は気を取られた。
『~~ベランダでお喋りしようよー! あそこなら誰もこないし~~』
『~~今日は止めとく、勉強~~』
話し声が止んだ頃にちょうど、実は操作を終えた。わずかな後、真理華の携帯電話がメッセージを受信する。
──
『放課後、話したいことがあるの』
──
メッセージは実から。真理華は携帯電話を伏せて、さっき話しかけてきたクラスメイトに返事する。
「今日は止めとく。教師に呼び出されてさ」
「無視すればいいじゃん」
「進級の話らしいから」
「あー、そういう。じゃ、わたしら帰るわ」
クラスメイトはあっさり引いて、別の子と帰った。
「「……」」
どんどん人数が減り、静かになっていく教室。互いに無言の時間。
真理華の携帯電話に、再びメッセージ。
──
『空き教室のベランダに来て。待ってるね』
──
実は何も言わず教室を出た。
ちょっとだけ時間を空けて、真理華もそうした。
涼やかな風が吹き抜けるベランダ。実は両手を後ろに組んで、澄んだ秋空を見上げる。これから伝えることに比べて、あまりにも軽やかな気分だった。まるでどこかで、練習でもしたかのよう。
「来てくれてありがとう。真理華ちゃん」
「……」
「あのね。私、真理華ちゃんから強い言葉を言われたり、誰かに意地悪しろって命令されたりしたの、嫌だった」
反発することもなく、真理華は視線を下げる。何も言い返せることがないとわかっていた。今さら取り返しはつかないのに、謝罪の言葉が口をつく。
「……ごめん」
「でもね。真理華ちゃんと一緒にいるのは嫌じゃなかったんだ。恨んでもいないよ」
「実……?」
思わぬ言葉。気になって顔を上げる。
それを待たず、実はあっさり伝えた。
「だって私、真理華ちゃんのことが好きだから。友達としても、特別な人としても」
「それって──」
「──言わないで。今伝えたいのはそのことじゃないの」
秘めた気持ちを伝えても軽やかな気分なのは、告白の結果よりも大切なことがあるから。
間を空けず、実は続ける。
「人を好きになるのって、辛いことがたくさんあるよね。振られちゃったり、振り向いてもらえなかったり、他にも色々」
「うん……」
「だけど、それでも私は、辛いだけだったとは思わない。真理華ちゃんがくれた思い出が、いつも胸の中で輝いてるから。真理華ちゃんの顔を見るだけで思い出して、心が明るくなるの。辛くたってちゃんと幸せはあった。これだけは私、自信を持って言えるよ!」
眩しい笑顔だった。輝く思い出を精一杯表現したような、そんな笑顔。
「……ありがとう。アタシにとっても、そうだよ」
真理華は実の手を取った。しばらく握って、すっかり忘れていた温もりを感じた。夢中になるくらい身を焦がした恋と、ずっと寄り添ってくれていた大切な存在。二つの輝きが光を放って、心を明るくする。
「あのさ、実。その……、一緒に、帰らない?」
自信なく伝える言葉。
返答は、そんな不安を一蹴した。
「もちろん! 一緒に帰ろっ! 真理華ちゃん!!」




