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第十八葉:私を見て!(3)

「真理華ちゃん! わかるっ? 実だよっ!! 夢を渡ってきたの!」

 教室に入り一番に、小野里さんが叫ぶ。

 真理華は声に反応せず、虚ろな瞳で黒板の形をした巨大な鏡を見つめた。

「私じゃ見てもらえない……。だから、アタシは……」

 ふらふらとおぼつかない足取りで、鏡へと近づいていく真理華。

 小野里さんは正面から抱き着いて止めた。

「もう忘れよう! 合わなかっただけで、真理華ちゃんはとっても素敵な──」

「──私がダメだったんだ!!」

「きゃっ」

 押しのけられ尻もちをついた小野里さんに、鳴子が駆け寄る。 

「実ちゃん! 大丈夫?!」

「わ、私は大丈夫……。でも……」

 真理華は鏡を見つめたまま歩みを止めない。……あれ?

「鏡じゃない??」

 巨大な鏡は、ワタシ達や教室を映している。だから鏡だと思っていた。しかし真理華の姿は鏡映しではなく、一つ下の階で見た中一の頃の黒髪姿が映っている。悪夢なので、現実と異なる現象が起こってもおかしくはない。だけど悪夢だから、この違いにはきっと意味がある。

「鳴子っ、黒板見て! ただの鏡じゃない!」

「!」

 鏡を見て鳴子も驚き、注意深く観察。そうしている間に真理華は、黒板の粉受けからチョークを……違う、銀色の細長い容器を取って、中の鮮やかな紅色を鏡に映る昔の自分の顔へ近づけた。

「もっと綺麗になれば、きっとお側に……!」

 鏡の内側の真理華は身動きせず、起伏のない表情で口紅を受け入れる。上唇はM型の二ヵ所の頂点(ヤマ)に、下唇は底辺に色が置かれ、それぞれ中心から左右の口角方向に紅は引かれた。唇合わせで色が馴染み、最後に指で輪郭をぼやけさせる仕上げがなされ完成。柔らかく可愛らしい印象の唇が出来上がる。

 鏡の前の真理華が声を大きく荒げた。

「ダメ! ダメ!! こんな、こんな私じゃ!!!」

 口紅を強く鏡に押し付け、昔の自分が見えなくなるまでぐちゃぐちゃに塗り潰す。直後、残っている鏡の面に、口紅を塗る前の真理華が再び映し出された。

「もっと大人っぽく……!」

 今度は口紅を直接当てず、いつの間にか手にしていた細い筆の角ばった先に紅を取って塗り始める。頂点や底辺に角をつけることで輪郭がくっきりし、先ほどとは違う堅く華麗な印象になった。

 それでも、真理華が満足することはない。

「足りない、元が悪いから……! 元の私が……!!!」

 先ほどと同じように、鏡の中の自身を塗り潰す。そして先ほどと同じように、鏡の別の場所に化粧前の真理華が現れ、同じように化粧を……。鏡が紅色で染まるまで、それは繰り返された。

「ダメ、ダメ、ダメ、ダメ!!!!」

 頭を抱え、怖いくらい錯乱する真理華。とてもじゃないが近寄れない。小野里さんも怖がって、座ったまま震えている。鳴子は──。

「──真理華さんの素敵なところ、わたし、わかってきたよ」

 そう言って、黒板の端で長方形の物体を手に取り、塗り潰された鏡の前に立った。

「素敵なところなんてない! 酷いことを言って、友達だって傷つけて!」

 真理華は荒い言葉と共に、持っていた口紅を鳴子へ投げつけ。肩に当たる。痛そうな音がしたが、鳴子は優しい表情のまま落ちた口紅を拾い、鏡に向かって話を続けた。

「わたしね、ここに来るまで真理華さんのこと苦手だったの。実ちゃんをイジメて、櫂凪ちゃんに意地悪してたから。だけど今は、そうじゃないんだ」

 手に取っていたのは黒板消し。それを、最初に塗り潰された場所に当てる。恐らく、消すイメージの応用。滲むことなく、二、三回と拭かれた鏡から紅色が消え、黒髪の真理華の顔が見えた。

 鏡の中の自分と目を逸らそうと、真理華はうずくまって膝で顔を隠す。

「見たくない!! 私は魅力がなくて、意地悪で、友達を突き飛ばしちゃうような、ダメな人間だから!!」

「ううん。ダメなことはしたかもしれないけど、ダメな人じゃないよ。だって真理華さんは、相手の人を悪く言ってないんだもん」

 ハッとした。鳴子が言わんとすることを理解して。元来自己評価が高かった真理華がお化粧に傾倒してまで、よく見られたい相手。そんな誰かに対し、真理華は一言も恨み言を言っていない。

「真理華さんはこんなに傷ついても、相手のことを悪く言わないで、自分に原因があるって考えてる。自分を見つめようと思うのって、凄いことだよ」

 そこまで話して鳴子は振り返り、ワタシへアイコンタクト。

 アイコンタクト???

「それに真理華さんは、ちゃんと周りも見てた。実ちゃんのこともそうだし、櫂凪ちゃんのことも。ね、櫂凪ちゃん?」

 二度目のハッとする感覚。中一、中二の教室で見た光景が脳裏に浮かぶ。……そうか。真理華はそうだ。鳴子や沙耶のように友好的なコミュニケーションじゃなかったけど、真理華はワタシに関わっていた。大半のクラスメイトの無関心とは違う、勉強というフィールドでの、戦う相手としてのコミュニケーション。敵対のやり取りばかりでも、それは同じ物差しの上にワタシの存在を置いたからで。ある意味、平等な目線と言えなくもない。

 真理華が好意を寄せる誰かじゃないから、悪夢を解決することはできないかもしれない。ならせめて、悪夢に耐えられるように心を支えるのはどうか。そう考えれば、ワタシにも伝えられることはある。

「そうだね、鳴子。真理華はワタシを見てた。嫌なところは多々あるけど、ほとんどのクラスメイトが無視したワタシを、ワタシ唯一の取り得の勉強を通して、見てくれてた」

「……」

 真理華はうずくまったまま、何も言わない。妨害されないんだったら言いたい放題できる。

「昔はわからなかったけど、今はその意味と価値が少しわかるよ。戦ってくれる相手がいない、今なら。もっと早くに気づいていたら、喧嘩せず話すくらいはできてたのかも」

 膝を抱える真理華の指が、ぴくり。

 返事をしてくれた。

「別に見ようとしたんじゃない! 私の場所だと思ってた勉強に、伊欲が突然現れただけ! 無視したかったのに、追いつかれて無視できなくなっただけ!! ……有利な環境なのに追い越されて、惨めで言い返せなかっただけ」

 ……鳴子の言う通りだ。真理華には素敵なところがある。勝って当然、負ければプライドが傷つく勝負を真っ向から戦って、言い訳せず、相手の不正を疑わず。本人に自覚はないかもしれないけど、ワタシの力を認めてくれている。

「それが素敵なんだよ。ワタシを悪く言わないで、自分を見つめられることが」

「そんなこと……、アンタ達に言われたって、なんの慰めにも……」

 言葉は最後まで続かない。

 鳴子は真理華の横で膝をつき、肩に手を触れた。

「ごめんね。わたしも、たぶん櫂凪ちゃんも、真理華さんみたいな恋をしたことがないから、辛さがわかるとは言えなくて。だけど。慰めることはできなくても、話を聞くことくらいはできるよ。……真理華さんは、好きになってほしかっただけなんだよね?」

 さっき拾った口紅を、鳴子が差し出す。これは恋の話だったのか。

 差し出された手は、腕ではねのけられた。音を立てて口紅が転がっていく。

「私じゃダメだった! お話したかったのに、『関わらないでほしい』って言われた! パパの会社に協力するから、特別だったことも何があったのかも『誰にも話さないで』って! だけど諦めきれなくて、いつか私を見てくれることを期待してっ!! なのに!!!」

 悲痛な叫び。この夢に入る際に聞こえた、『私を見て』の声と同じ。鏡の内と外で、真理華の頬に涙が伝う。

「……あの日の特別は、瞳のどこにもなかった。私に向けられる視線は他の皆と同じで、もう特別じゃないってわかった。……特別は、私じゃなかったの」

 今にも消えてしまいそうな声。……正直なところ、お手上げに思える。鳴子が言ったように、恋を知らないワタシ達には、これ以上かける言葉がない。ワタシは見ているだけ、鳴子も聞くことしかできないでいた。小野里さんも──。

「──好きな人に見てもらえないのは、辛いよね」

 小野里さんの声。転がっている口紅を拾い、真理華の前で使う。鏡も見ていないし先は潰れているしで、真理華と違って綺麗には塗れていない。それを見た鳴子はワタシのそばに来て、扉の前まで連れた。なぜ。

 真理華は小野里さんの声で顔を上げ、瞬きを数回。

「実……? それって──」

「──見てもらえなくても、幸せなんだよ。……なんて言おうと思ったんだけど、私もちょっとおかしくなってて。あれだけ真理華ちゃんがお化粧のこと教えてくれたのに、覚えてなかったり、間違っちゃったり。ちゃんとお話し聞けてなかったみたい。Sr(シスター)ジョアンナに心配されてた通りになっちゃった」

 不器用に笑う小野里さん。この前の昼休み、Srジョアンナと話していたことを言っている? 先生の名前が出たからか、内容がショックだったのか。真理華は返す言葉を見つけられないでいた。

「おかしく……? 心配……??」

「真理華ちゃんとお話できて幸せなのに、ボーッとしちゃう時があって。『心を守るため、無意識に思考を止めてるかもしれない』って、Srジョアンナが。自分で説得するからって頼んで、今まで見逃してもらってたんだけど……。この前、『これ以上は見過ごせない』って言われちゃった」

 小野里さんが、真理華の手に口紅を握らせる。

「ごめんね真理華ちゃん。私、力になれなくて。助けてもらったのに、助けたいのに、なんの役にも立てないの。……本当にごめん」

 嫌なことをされた方なのに、小野里さんは目に涙を浮かべて謝った。

 真理華もまた、ぽろぽろと大粒の涙をこぼしている。

「どうして実が謝るのっ。悪いのはアタシなのに……! ごめん、実。アタシ、実の気持ちも知らないで、二年間も──」

「──真理華ちゃん、一つお願いしていい?」

 口紅を握らせた手を取って、小野里さんは真理華を見つめた。

「これ、真理華ちゃんに塗ってほしい。……それだけで私、幸せだから」

「……じゃあ、まずは落とさないとね」

 袖で涙を拭き、真理華は笑った。自然で優しい笑顔だった。心なしか、空気の重さや刺々しさがなくなった気がする。

「櫂凪ちゃん、わたし達は帰ろっか」

「え?」

 鳴子はワタシの手を引き、教室の外に連れ出した。真理華が小野里さんの口紅を落として、改めて小筆に紅を取って塗ろうとしているくらいで。

「いいの? 小野里さん置いて。解決だってしたのかどうか……」

「記憶に残る事はないと思うし、解決は……、きっと大丈夫だよ」

 扉から見える真理華達に視線を向け、鳴子は静かに言う。

「そっとしとこう。今あの二人には、二人だけの時間が必要だから」

 よくわからないけど、鳴子が言うなら文句はない。手はぐいぐい引かれて、気づけば本館前広場。舟を出して同乗。漕ぎ出してすぐ周囲が白んで、学校の景色は真っ白な空間に変わる。鳴子の夢へと移る、その瞬間。

──

『ありがとう、真理華ちゃん。……その、どうかな?』

『似合ってる。すごく。……ありがとう、実。アタシを、見ていてくれて』

──

 声が聞こえた。小野里さんと真理華の声。

 確証はないけれど、鳴子の言う通り、あの二人はもう大丈夫だと感じられた。


~~


「ねぇ鳴子。どうして最後は二人にしたの?」

 揺れる小舟で尋ねる。

 ちょっと間を置いて鳴子は答えた。

「……二人っきりの方が仲直りできるかなって。深い理由はないよ」

 ほんの少しだけ、歯切れの悪い感じがして再思考。真理華の悪夢は恋に由来するもので、ワタシと鳴子じゃ解決できず、最後は小野里さんが……、あっ。

「もしかして小野里さん──」

「──言わないで、櫂凪ちゃん。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。だけどそれは、他人が勝手に話しちゃいけないと思うから」

 言葉は鳴子に止められた。……反省。そうじゃないかもしれないが、もしそうだったら、ワタシが口に出せば『アウティング』になってしまう。それ以前に、他人の色恋を好き勝手に噂するのは褒められた行為じゃない。

「ごめん。軽率だった」

「謝ることないよ。わたしは何も聞いてないし。それより、まだやらなきゃいけない大事なことがあるよね?」

「大事なこと?」

 失言に落ちこむワタシを見かねてか、鳴子は話の軌道を修正する。

「現実の真理華さん達のフォローだよ! 夢のことは忘れちゃうから、このままだとただ気分転換になるだけ! 実ちゃんはSrジョアンナから説得するよう忠告されてるし、せめて二人きりの時間を作るくらいはしないと……!」

 確かに。このままでは一時的なストレス解消(?)に過ぎない。真の解決のため最低でも、小野里さんが真理華を説得するチャンスくらいは作っておきたい。あの子ものすごく迷うし。

「でもどうしよう。ワタシ達が『二人で話せ!』って言うのも変でしょ?」

 鳴子にも答えはなく、腕を組んで唸った。

「うーん……。そこなんだよね……。夢のことで話したい気分くらいはあると思うから、きっかけさえあれば動いてくれると思うんだけど……」

「きっかけって、例えば?」

「『二人っきり』や『説得』みたいな、夢の出来事に関連する言葉や、そういうことをするイメージが湧くような話を聞かせる、とかかなぁ」

「なるほど……。……。……あ。……ないない。……さすがに稚拙。……くっ」

「……櫂凪ちゃん、何か思いついたんだよね?」

 二人っきりをイメージさせ言葉も使う案が一つ出て、回避しようとするも他は浮かばず。唸っている間に尋ねられた。

「まぁ、うん……。ものすっごく無理やりな案だけど、笑わないでよ?」

「笑わないよ! 聞かせて!!」

「ボツにしてくれていいからね? 考えたのは、真理華達の近くで~~」

 説明を聞いて、鳴子は即了承。ワタシの手を取って喜んだ。

「すっごく良い! 場所も最高!! 二人で力を合わせて成功させようね!!!」

 あの時はとっさだったので気にしなかったが、この反応を見て確信。鳴子は船頭コスプレの発想が出て来るだけはある、変わったセンスをしていると。


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