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第四話「ないしょの手紙」23

「ちょっと!」

 あかりの唾がとんでくるが、いつものことなので、もう気にもならないヒカリだ。

 あかりは、ゆうべヒカリが大原と交わした話を聞かされて、頭に血がのぼってしまっている。

「その男、瑠璃さんの相手のしゅうくんかもしれないじゃない!」

 それはヒカリも、大原から悩みを受けた当初から可能性を感じていた。

「遠からず、逮捕されるでしょうから、私から何かするまでもないわよ。澄花さんのお父さまのご親友の息子さんだもの。親子で庇い倒れ、庇われ倒れしないようにしてあげたいのよ」

 誰にでも心を寄り添う、気の優しいヒカリが、あかりにはじれったい。

「そりゃ、ヒカリの思いもわかるけど、こんな女の子の敵に情けをかけるなんて、こっちは気持ちがおさまらないわよ」

 ヒカリだって女の子のはしくれでしょ、とプンプン怒っている。


「そのへんで気分直しなさいよ、ほら」

 あかりのために買ってきたブルガリのクリスタルガラス製灰皿をテーブルに出して、コーヒー淹れてあげるから待ってなさい、とキッチンに向かうヒカリだ。

 先月、ヒカリが殺されたふりをして姿を隠すことになったとき、あかりはしばらくヒカリの部屋で寝起きしていたことがあった。喫煙者のあかりだから、当然たばこと灰皿を持ち込んだのだが、百円ショップで買った陶器灰皿は七日目であっさり割れたのである。

 一件解決後にそれを聞いたヒカリは、インテリアショップでブランド灰皿を求めてきたのだ。

「ヒカリもけっこうブランド趣味よねえ。灰皿に何万円もかける人なんて、そうはいないわよ。百円の灰皿で十分、壊れたら次を買う、その繰り返しが庶民感覚よ」

「そうかしら? ライターもカルティエとかデュポンとかあるじゃない。高いものはやっぱりいいんでしょ?」

「そんなの、銀座あたりの高級クラブのホステス御用達よ。ヒカリはたばこ吸わないから、バッグやお財布と同じ感覚なのね。ライターなんて火が点きゃ何でも同じよ」

 水商売をいくつも経験して、ホステス向きスーツもあつらえていたあかりから、そんな台詞を聞くとは、ヒカリは少し意外に思う。高価な灰皿を買ってきたのは、あかりにこの私室にきてもらう機会を増やしたいためだったのだ。

 圭吾を喪ってというもの、心の内が孤独だったヒカリが、あかりと再会したことをきっかけに、数か月で何人もの大切な友だちと仲間を得られた。今、ヒカリは誰かと一緒にいることが喜びとなっている。

 なにより旧知のあかりは、ヒカリにとって特別な友だちだ。ブランド灰皿はもてなしの気持ちだったが、あかりには伝わらなかったようだ。

 これもあかりらしいと思うとともに、もてなしが独りよがりだったことを反省するヒカリなのである。


 あかりは、そんでもブルガリが目の前にあるとリッチな気分になるわねぇと、ふとサイドボードに目をやると、写真立てが三面に増えている。

「あら、この写真は?」

 少年が赤ちゃんを抱っこしている微笑ましい一枚が目新しい。

 キッチンのヒカリが、市川のお義母さんからもらってきたのよ、と後ろ向きのまま教える。

「かわいい赤ちゃんでしょ?」

 ヒカリはコーヒーと手製のレモンパイをトレイにのせてきて、いたずらっぽく笑うのだ。

「赤ちゃんを抱っこしている、この男の子は圭吾さん?」

 隣のヒカリとふたりで肩を寄せ合う写真と見比べているあかりだ。ヒカリはこの写真を彩子にあげたあと、新たにプリントして写真立てに戻していたのである。

 なんとなく面影が似ているわ、としげしげと見入るあかりに、この子はね、と赤ちゃんの正体を告げると、

「ええっ?」

 と相好を崩して間近にもってくる。

「へえ……。この男の子と赤ちゃんの十六年後が、こっちのイチャイチャのふたりなのね。こんな小さなときから結ばれていた縁なんて……」

 珍しくロマンティストの目をして、二枚の写真を交互に見やるあかりなのだ。


「それはそうと、縁と言っていいのかわからない事実婚の美歌さんだけどね」

 警視庁の元公安部長、神林の家族構成を、押野勇気に調べてもらったヒカリは、美歌が神林の長女であることを突きとめたのである。

 美歌には二歳下の妹と六歳下の弟がおり、弟は独身で警察庁に勤務しているという。妹はとっくに嫁にいき、三人の子持ちで、静岡市に住まいしている。

 今、家は神林元部長夫妻と美歌の三人暮らしだそうだ。

「美歌さんのような結婚観は、きっとお堅い家風に育った反動ね。縁談も山ほどきたでしょうに、人生捧げる相手は自分でみつける信念を通してたのよ」

 美歌に共感するあかりはいつものわかった風のことを口にし、あたしんちはお堅くなかったけどね、と笑う。

 そういえば、あかりの家と育ちの話は何も聞いたことがないと気づくヒカリだ。

 中学生の時分から繁華街に顔を利かせていたあかりは、どういう家庭で生まれ、どう育ったのだろうか。

 いずれ聞いてみようと思いながら、美歌のことに話を戻す。

「どこかで偶然会ったふりをして、美歌さんに近づきたいわね。」

「それよりも、美歌さんを出汁にして、ずばり神林さんに飛び込んでみるって手もあるわよ」

「ええ? どうやるのよ。神林さんは工藤さんを使っているくらいだから、お母さんとお父さんの事件に関わっている可能性が高いし、私が行くと余計に警戒させてしまうわ」

 あかりは、まかせなさいとばかりに、自分を指さすのだ。

「あたしがやってみるわよ。あっちだって父親よ。娘の結婚を鑑定する占術士には、話を聞いてみたいんじゃない?」



 神林美歌が心惹かれた男は、富岡雅紀という中堅の実業家である。

 歳は美歌より五歳上の四十三歳。一昔前には男盛りといわれた年頃だが、その言葉が今でも通じるかのように、仕事に全力、家庭にも心くばりを忘れない。

 雅紀の妻は依子といい、美歌と同じ三十八歳だが、結婚十五年を過ぎても子どもには恵まれていない。

 依子は雅紀の仕事を手伝って二人三脚ということはせず、週に三日間、書店で五時間程度のパートに出て、あとは家で家事に勤しんでいるという。

 雅紀いわく、依子のパートの仕事は遊びにいっているようなもの、なのだそうだ。

 実際、本屋での仕事は販促で、おもしろそうな本を選んで短い紹介文を書き、ポップを作って平置きし、来店客の興味を惹かせるのだという。自分が勧めたい本を選べるのだから、本好きの依子は仕事が楽しくて仕方がないようだ。

 そんな依子は、雅紀の帰宅時間には必ず家にいて、家事はおおかた済ませて、すぐに食事を出せるようにしているという。

 先日、雅紀と依子とで一緒に食事をしたとき、雅紀は仕事で疲れていることが多く、ここ五年ほどは自分がどれだけ尽くしても、心を支えきれていないのがわかってきている、と依子はいうのである。

 一緒に暮らして雅紀を支えてくれないか、とまるでクラブ活動に誘うがごとく美歌を口説くのである。

 雅紀も、君のことも愛しているから家にこないか、と熱く伝える。

 妻のまえで、他の女性に愛していると伝えられ、その妻も夫からの愛情を分けあえる仲間として心を近くしてくる。

 依子は、男は同時に複数の女性を愛せる、という本質を受け入れているのだ。

 美歌もそれはわかる。結婚しても他の女性に心惹かれて、浮気やら不倫やらで形だけのはりぼて夫婦に変わってしまうくらいなら、たとえ二号でも夫婦ともどもから求められるほうがよほど心が安定する。

 夫の愛情をひとり占めしたいがために背負う苦労や未練のせいで、結婚が破綻した友人を悪例と見てきた美歌である。


 家にきて暮らしぶりをみてほしい、とふたりに誘われ訪れた美歌は、広目の戸建てを目にして、経済的にはやはりゆとりがあるのだな、と感じる。

 自分の家も父親が警視庁のキャリア組で、収入には恵まれていたほうだったが、雅紀はそれ以上の稼ぎがあるようだ。

 出迎えたのは依子で、中に通されると、雅紀はまだ仕事から戻らないという。美歌もあらかじめ、取り引きの打ち合わせが伸びるかもしれないと聞かされている。

 キッチンに案内されると、エプロンをつけた女性が、野菜を刻んでざるに入れているところだ。

「百恵ちゃん。お話の美歌さんよ」

 依子が声をかけると、ひと洗いした手をタオルで拭いて、

「お会いできて嬉しいわ。百恵です」

 お辞儀ではなく、両手を握ってくるのに、美歌は驚いてしまう。

「私たちと雅紀さんを守りましょうね」

 百恵の言葉に、美歌は口を半開きに唖然となる。

 依子とともに雅紀を支える女性は、美歌だけではなかったのである。

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