第一話「運命の力」9
圭吾の存在によって明るさを取り戻したのも束の間、再び感情を圧するようになったヒカリの姿に、麗華の胸中は重くなるばかりである。
そして、声を落として、懺悔のごとく言葉を絞り出すのだ。
「私が圭吾さんと結婚させたせいで、また大切な人を喪う思いをさせてしまったのよ……」
ヒカリは首を振って、麗華を慮るように、
「先生はボディーガードとして圭吾くんを縁づけてくれたんです。私が圭吾くんを好きになって、大事な人にしたんですから」
口元に微笑を作ると、涙をハンカチでぬぐって、今日はその話で来たのではないので、と、もう落ち着いた口調に戻っている。
悲しみから強制的に離れる強い心をそなえてしまったヒカリの様子に、麗華はなおのこと、悲壮さを見ずにはいられない。
「そうね。警察のことは、遺族のあなたに話がないのなら、たいしたことではないのかもしれませんね」
「はい」
そう答えたものの、何のために、自分ではなく麗華の元を訪れたのか。しかも、担当課違いと思われる人物らしい。
しばらく待ってみて、自分への聞き取りがなければ、捜査課に行ってみよう。
ヒカリはそう心積もりをして、
「今日ご相談したいことをお話しします」
両手を膝に置いて、まっすぐに麗華の顔を見据えた。
「難しい被験者さんがこられまして、相の変遷の推移が速い上に、見え方が弱いのです。伝えるのに、どこまで先読みすれば良いのやら、迷ってしまって……」
助言を求めるその顔は、麗華にはまったく迷っている風には見えず、
「あなたでも、そんなことがあるのね」
と、意外そうに肩をそびやかす麗華である。
ヒカリは、ホナミの鑑定の経過を話してみた。
「はじめに死相は見えました。でも、消えそうだったんです。おそらくは一、二週間のうちに。次に現れるのは好事転換と見たんですが、これも不安定で、出ても弱いものですぐ消えるのではないかと──」
「今さらあなたには釈迦に説法でしょうが、相が弱いにも、ふた通りあります。ひとつは、運気そのものの弱さ。ふたつは、運気の持続の短さ。その被験者の弱さはいずれ?」
「持続の短さです」
ヒカリは即答した。
ホナミの場合、ひとつの運気が長続きしないのは、運気そのものが他人の言動に大きく左右されるからなのが明らかだった。なおかつ、他人に合わせようとするから、流されるままなのだ。
そのような環境に身を置き、私生活も仕事の不安定さに支配されているのだろうと推測すると、ホナミの仕事は水商売か風俗、と読んでいたヒカリである。どちらであっても感情労働ゆえに、精神面で仕事と私生活との切り替えができない、あるいは隔てすらできないのだろうと。
あの日に目の当たりにした窃盗はおそらく、稼ぎの柱ではない、と見ている。これが本業であれば、不可避な業相が明瞭に表れているはずだ。
「その後も運気の入れ替わりはありそうですが、相を変えるほどでないにしても、悪い運気が連続するように読みました。その次に明確に変わる相こそ最終で、被験者さんの運命を支配すると見ているのですが──」
「はじめの薄い死相まで見えるとは、さすが碧泉院流の皆伝者ね。最終はなんと見たのかしら」
「最後は死相だろうと思います。まだ自信はないのですが」
わずか数回の死相抽出経験のみで、ごく弱い死相を見抜いたヒカリには、麗華でさえ舌を巻かざるをえない成長の速さを見るのである。さらに、最終が死相の回帰というヒカリの見立ては、被験者の運気の流れを、ヒカリなりに組み立てたものとわかるのだ。
「あなたがそう見えたのなら、そうでしょう」
麗華はそう言うと、もうその域に達したかと感嘆する。
「ヒカリさん。被験者には、今のところ、どう伝えてますか?」
「具体的に伝えているのは、次の好事転換までです。希死念慮が強いかもしれないので、実際に死相が表れていることを悟られないようにはしています」
「基本に忠実、といえばそれまでですが、あなたの判断で正解ですよ」
被験者に死相を告知することはない。例え避けようのない結末だとしても、告知することで死を過剰に意識したり、あるいは絶望するなど、その死を早める結果につながるものと考えられているからだ。
今度は麗華が居ずまいを正して、ヒカリを見据える。
「例外もあるのです。死相を伝えることで、被験者に内在する死に対する反発力を高める場合です。反発力とは、すなわち生への執着のこと。その被験者に期待できる場合のみにおいて、死相の告知は効をもたらすという考え方です」
ヒカリはわずかに顔を上げた。その教授は、はじめて受けるものだった。麗華の方も、これまでどの弟子にも伝えたことがなかった見解だ。長く死相を抽出できるだけの弟子が育たず、手塩にかけたヒカリでさえも、死相の鑑定は片手で数えられるほどでしか経験がない。死相の告知は、死相鑑定の経験値を踏まなければ、その可否さえ判断がつかないものなのだ。
麗華はヒカリの真っ直ぐに自分を見つめ、教えを自らの能力にすぐさま取り込んだとわかる視線の強さを受けて、この子は占術士として高みをどこまで上げていくのだろうと、畏怖すら覚えるのだ。
「その被験者は、自らの意思に従って後悔、人の言葉に従って後悔、流されるままでも後悔、歓びごとがあってもほんの一時の慰めとして消えてゆく。虚しさと恨みがない交ぜの、しがない年月を過ごしてきたのでしょう」
「私もそう思います」
観たわけでもない被験者のことを的確に具象化する麗華に、さすが先生だとヒカリは改めて思う。
「その被験者には、直近の相を伝えるにとどめましょう。この次の好事転換相の支配力が高まっても、最終が変わるほどの影響はもたらさないでしょうから」
私のこれからの人生ってどんなですか、と開口一番に求めた、ホナミの陰鬱な眼差しを思い返した。その瞳に映したいと願っていたのは、人生そのものでなく、間近の幸せだったのではないだろうか。
そうなら、麗華の言う、死への反発力も、ホナミには期待してはいけないと考えるべきだ。
「私は被験者さんが人生の総括を知りたがっていたことに、こだわりすぎたのかもしれません」
ヒカリは『光の路』に戻ってから、私服のまま鑑定者席に座り、テーブルに突っ伏すと、目を閉じて、ホナミの初見からを振り返ってみた。
最初に見た、色のない陰鬱な目。自分の思いを言葉にできない、さらに、自分の気持ちをまとめられない、もどかしい姿。好事来ることを聞かされた時の生気。
──昼間の財布抜き取りだわ。
あれを見てしまっていたから、余計な予断を持って、鑑定に臨んでしまったのだ。
もしあの場に立ち会っていなかったら、自分はどう鑑定しただろう?
どこまで伝えるかと悩まずに、直近の相に専念して観たのではないだろうか?
あれを目にしてしまったから、深い事情ありと鑑定要素に加えてしまい、ホナミの総括を知りたがる言葉に呼応してしまったのではないか?
そう思い至り、あのあと最後に麗華からかけられた言葉が思い返された。
「多くの占術師が直近のことしか伝えないのは、直近しか見えないからです。中には直近を、さも最終のように偽って伝える嘆かわしい者もいます。他の人と違って、あなたはひとつもふたつも先が見える。最終も見える。これはあなたならではの悩みなのよ」
ここまでお読みいただきまして、ありがとうございます。
この作品が読みやすくなるような空行の使い方を、アドバイスいただけますと嬉しいです。