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第一話「運命の力」8

 数日後、ヒカリが訪れたのは、碧泉院流親占教会──皆伝を与えられるまで修行した総本山である。

 ヒカリを幼少から指導した教会長、葛原麗華師は愛弟子の久々の来訪に相好を崩している。

 麗華も女性占術士として長く世に認められてきた著名人である。若い頃は美貌の持ち主であり、政界財界の有力者に愛でられ、マスメディアから時の人と扱われたこともある。

 その麗華が還暦を迎えた今年、師範として免許皆伝を与えた初めての弟子が、ヒカリである。


 今、ヒカリが目にしている、由緒を感じさせる調度品、壁に掛けられた絵画。いずれも名のある内外の芸術家による制作である。これらを贈呈した人物もまた、世の中を動かす影響力を持ち得た者たちだ。

 この、教会の財力と人脈を示す豪奢な応接室には、単に弟子筋というだけでは入室が許されていない。日々の掃除すら、麗華が信頼を置く弟子のみに限っているほどである。

 入室を許されているわずかな弟子のうちの一人が、ヒカリである。

 ここに来ると、ヒカリはいつも、麗華を庇護する有力者たちが近しい距離にいることを感じずにはいられない。数人には、ヒカリも引き合わされている。

 中には、ヒカリを欲しい、と臆面もなく求める者もいた。ヒカリの観相術と未来を見通す数々の占術力を、自らの成功のために用いたいのだ。

 両親、そして夫が命を失ったことに、これら有力者たちの利権や私欲が絡んでいるかもしれない、と何度も思ったが、根拠に乏しく、警察もこれまでは、有力者の関与は捜査していない。


「あなたに連絡しようと思っていたところなのよ」

 ヒカリにだけは、娘に対するような口の聞き方をするのは昔から変わらない麗華だが、今のその口調は怪訝さを帯びていた。

「警察の人が来ましたの。今までとは別の人。なにか、近頃見ない、むさ苦しい感じの刑事さんよ」

 麗華のその言葉だけで、先日関わった浜田巡査部長に思い当たるヒカリである。

「あの人かしら? 少年課と言っていた気がしますけど……」

 逃げる刺青男を見送ったあと、浜田巡査部長から身分を示されたと思うが、刺青男の水難と重なるもう一つの相が気になり、上の空で聞いていたヒカリである。

「ご両親の事件のこと、聞いていったわ。前の人と同じことを話しただけなんだけど」

 未解決とはいえ、今になって父母の事件をはじめから洗い直すのだろうか?と、これにはヒカリも不審に思う。警察は、もう何度も初手に帰っては行き詰まっているのだ。

「警察に何か新しい情報が入ったなら、主人の件の方だと思います」

 麗華も頷きながら、

「あなたから、主人という言葉を聞くと、私も本当に胸が苦しくなるわ」

 低い声で憂いた。

 ヒカリの結婚は、麗華の思惑によるものだったのである。



 昨年の十一月、ヒカリの十六歳の誕生日のことである。

 一通の手紙が総本山に届いた。

 差出人が記されていない封筒。開けてみて、一筆箋を読む麗華の手が激しく震えていた。


『四年。親娘再会の時節』


 ヒカリの両親が何者かに殺されたのが四年前。今度はヒカリだという、殺害予告である。

 ヒカリの両親の時も、殺害事件の前日に予告状が届いていた。いたずらなのか、本気なのか、一日様子を見ているうちに犯行は行われてしまったのである。


 ヒカリまで喪いたくない。

 その日のうちに、ヒカリにボディーガードをつけることを、麗華は思いついた。四六時中、ヒカリと共にいてくれる男性に、圭吾という二十六歳の青年を選んだ。碧泉院流とはまったく関わりがない、しかし麗華に恩を持つ人物である。

 だが、翌日に二通目の予告が届いた。


『青き家 神帰月(かみかえりづき) 光無く』


 青き家とは碧泉院流総本山。

 神帰月(かみかえりづき)は、十一月。

 光無くは、ヒカリが居ない、つまり死ぬと読めた。

 重ねての殺害予告を示す句であった。


 麗華の心は千々に乱れた。

 だが、行動は早かった。

 ヒカリを外国籍の夫婦の養女にしたのち、圭吾と結婚させた。

 いったん日本の戸籍を抹消し、結婚で再び日本国籍と、圭吾の姓に変えた戸籍を得て、元の戸籍を追っても居場所が分からないようにし、生活では居所を誰にも知られないように計らい、圭吾の二十四時間警護によりヒカリの身を守る算段だった。

 これらの一連の手続きを、警察と行政の特例の協力を得て、わずか三日でやってのけた麗華である。


 ヒカリの身には何事も起こらず、平穏にひと月ふた月と過ぎていった。打つ手が迅速だったのが良かったと、麗華も安堵しはじめる。

 ヒカリを総本山に来させないようにした麗華だが、年明けの一月の末にヒカリに会うために、夫婦の住まいを訪問した。やはり、どうしても気になったのである。

 後で思えば、策が決まって、殺害の予告が実行されずに月日がたったことで、麗華も気が緩んでしまっていた。


 ヒカリと圭吾に対面し、麗華は唖然とした。

 恋愛を楽しむことなく、知らないもの同士が急に結婚させられて、と済まながって訪れてみたら、二人は互いに愛し合っている様子だったのである。

「圭吾さんを充てがった私の方が驚いたわよ。結婚してから──若い子はラブラブって言い方するの? 仲睦まじくなってるんだから」

 若妻として甲斐がいしく動くヒカリに、目を細めた麗華である。

「圭吾くーん」

 麗華の目を憚らず、甘えた声で夫を呼ぶ声。

 ふた親を失くして以来、封印させられてきた家族への甘えを取り戻しているヒカリの姿に、麗華の目に涙がたまるのであった。


 二月に入り、ヒカリに始終つき添っていた圭吾も、休職していた仕事に復帰した。

 総本山から生活費の支給は継続されたが、ヒカリも圭吾も、通常の生活を送りたい気持ちに傾いていた。

「バレンタインデーに、新婚旅行をおねだりしてみよう」

 朝食の食器を洗いながら、そんなことを思い立ち、心が浮つくのだ。

 ヒカリも、身の危険の意識が薄くなり、すっかり幸せな新婚生活に浸りきっていたのである。

 その夜に、計画通り提案してみると、圭吾は、

「バレンタインデーにか。いいねぇ、いいねぇ」

 と大いに乗り気で、旅先をどこにしようか、お互いにプランを出し合うことになった。

 物心ついた頃から修行ばかりで、生まれてこのかた、旅行を経験したことがないヒカリは、楽しみでしょうがない気持ちを抑えられなかった。


 翌朝、圭吾とともに朝食のトーストやスクランブルエッグを口にしながら、ヒカリは本命を切り出してみた。

「国内なら沖縄がいいな。うん、絶対に沖縄」

 圭吾も応じる。

「沖縄、いいねぇ。水着になるからな、ムダ毛なんとかしろよ」

「もうっ」

 圭吾の軽口にむくれるのも、また楽しく幸せを感じるヒカリである。


 出勤する圭吾を玄関まで見送り、

「圭吾くん、いってらっしゃい」

 早く帰ってきてくれますように。そう気持ちを込めて、軽く手を振る。

「いってくるよ」

 振り向いた圭吾の顔に、ヒカリは初めて観る相を見出し、しばし呆然とした。

 圭吾はヒカリの様子に気づかず、早足で行ってしまった。

 ──これって……死相?

 まさかと思った。これまで死相が観えたことのないヒカリである。そこまでの鑑定能力は持ち合わせていないのだ。だが、これまで学んだ観相術から、不安が湧いてくる。

 最高度の相の抽出能力に加えて、生まれ持っての才も、死相を観るのに必要と聞く。碧泉院流でも、死相の鑑定ができるのは、師の麗華ただ一人である。

 観たことがないから、死相かどうか判断できない。いや、死相のわけがない。あって欲しくない。

 ──自分でなく、圭吾くんがなんて。

 見間違いに決まってる。自分はまだ死相が観られないのだ。ヒカリは自分に何度も言い聞かせて、納得する。それを一日中繰り返した。


 圭吾はその晩、帰ってこなかった。

 ヒカリは一晩中、必死に携帯電話をかけつづけたが、圭吾につながることはなかった。


 夜が白々と明けて、警察からの着信が、ヒカリへ届いた。



 総本山応接室のソファに、背筋をピンと伸ばして座るヒカリの表情は平然としている。だが、その双眸からはとめどない涙が滴り落ちていた。

 あの日の、警察からの電話の声と、その後の圭吾との無言の対面が、記憶から呼び起こさたのだ。

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