第一話「運命の力」7
近々運気の転換点がくる、と告げられても、いつ、どんな風に来るのかが分からないと、どれだけもがいても脱せない日常に、イライラが募るばかりのホナミである。
ホナミはデリバリーヘルス、一般にはデリヘルと略されて言われるが、そのキャストの仕事で生計を賄っている。
『光の路』で観てもらってから数日が経つ。いまだ何も変化はない。
今日は、気ばかりが立って、これからデリバリーというのに、剣があるのが自分でも分かるのだ。
これではいけないと、いつもより厚めに化粧を塗り、つけ睫毛も心もち長めに変えてみた。
デリヘルは非店舗形態ゆえ、キャストたちは、指名がなければ待機場所となっている車の中で、長い時間を過ごさなければならない。
人気のキャストは、店に予約の申し込みが事前にあり、客の自宅へ送られる時間に合わせて出勤するが、ホナミのように指名されない者は、飛び込みの客に選んでもらえるまで、ずっと車中の人だ。
歩合制の報酬ゆえ、仕事がない日は収入もない。これでは生活はカツカツにならざるを得ない。
かといって、犯罪の組織的収益の仕事の一員となって、手駒として働くのも嫌だ。なにより、誰かがしくじったら芋づる式に、自分にも後ろに手が回る可能性だって高い。
個人で組める仕事はそう多くはないが、うまいことに、SNSで知り合った男と、抜き取りを組めた。男にしつこくナンパされて嫌がる演技をし、止めに入ってきた人物にすがると見せかけて懐を狙う手口である。
もう何度も実演し、いずれもうまくいったのだが、刹那に左右されるやり口だから、いつもそうとは限らない。
ついこの前は、中に入った人がヤクザ風の刺青男で、相方の男をいきなり殴り倒してしまった。
警察までやってきて、自分も逃げるので精一杯。そのあと男から連絡が送られてきたが、見捨てて逃げた負い目で、返事ができていない。
互いに居所は教え合っていないので、抜き取れた財布と中の現金は自分の手元にある。刺青男の財布には十万円を超える現金が入っていたのだ。
身入りは折半と決めて組んでいたのだが、こんな綱渡り稼業はもう終わりにしたい。このまま相方の男とは不通にし、最後の仕事の成果は全部自分のものとしよう。
そんな不義理なことを考えるホナミだったのである。
住宅街の一角の貸駐車場に停めてある、一台の白いワゴン車。店の待機車である。
ホナミが乗り込むと、既に二列目に、麗しげな化粧を施し終えた女性がいる。
ゆーりん、と名乗る、アイドルがそのまま成熟したような容姿を持つ、この店一番の稼ぎ頭だ。
指名客を十人は抱えているというが、インターバルの長いのも含めるともっといると、ホナミは本人から聞いた。
かたや自分はというと、固定の指名客は得られず、たまに指名を受けても、行ってみれば、他のキャストに飽きたから、が理由と明白に感じるような客ばかりである。
社長に言わせれば、表情が暗い、おとなしい、積極的でない、そして何より、会話が楽しくない、というのが指名客がつかない理由らしい。
「社長もこの世界を十何年も渡っているんだから、それはその通りだと思う」
社長のホナミ評に理解を示すゆーりんは、二十四、五歳くらいと思うが、実年齢は他のキャストたちにも伏せているので、もしかしたらもっと年増なのかもしれない。そう思わせる落ち着きをホナミは感じる。
「自分はね、芸能の仕事に憧れてレッスンしてたことがあったの。自分に嘘をついて、誰にでも好かれるようにすること、そんなに抵抗ないの」
自らのことを自分というゆーりんは、心が重くなりそうなことをケロッとして話す。
「ホナミは自分に嘘がつけないから、思ってもないことが喋れないし、相手に合わせきれないし、嫌なことは嫌なんでしょ?」
「ゆーりんさんも、自分に嘘をつきながら、仕事してるんですか?」
「この仕事を素でできる人なんていないもん」
そう言って、ホナミの表情を観察しているゆーりんは、少し間を空けて、
「お客さんに喜んでもらえると嬉しいから、自分で自分を騙せるのよ。もちろん自分だって人間だから、お客さんに言われたり、されたりで、嫌な気分になることあるよ。そんな時は、自分の機嫌を自分でとるのよ。自分のことを一番わかってるのは自分だから、それが一番」
達観したように、キャスト業の秘訣を語るのである。
運転席に座っている電話受付け兼運転手の男に声をかけて、
「飲み物買ってきてくれるかしら。たばこもね。自分とホナミのと、あなたの分も買ってきていいわよ」
にこやかに千円札を三枚握らせた。
男が片手拝みをして車から降り、コンビニエンスストアへ歩き出すのを確かめると、ゆーりんは声をひそめて聞いてきた。
「本番は、どうしてる?」
聞かれるおそれはないのに、つい声をひそめる。建前上は性行為を禁じられているからだ。
法律に触れることだからだけではない。暗黙に容認されているも同然とはいえ、規定の料金以外の追加ギャラを内緒でもらい、自分のものにするのだから、ホナミは答えにくい。
「ゆーりんさんは?」
「顧客をつかむためなら、自分はあり。でも、人を見極めてだね」
性行為もあり、と明言するゆーりんに、ホナミは安堵した。もしかしたら自分だけが性行為の要求を受けて、店には内緒のギャラを得ているのでは、と不安をいだいていたのである。
「本番がなしでも、気に入ってずっと指名してくれるお客さんならいいけど、そんなの多くないから。本番したならしたで、ずっと指名を続けてくれる人も少ないじゃない。一回やれたら満足して次は他のキャストに行っちゃうのが多いからね、やれるまで何回も指名してくれるお客さんかを見極めて、できる限りじらすのもテクニックだよ」
そう聞いて、ホナミはハッと気づくのである。
自分は要求があれば、無条件に受け入れていた。目の前の追加ギャラが欲しいからだ。
だが、一回性行為を受けてしまうと、相手は目的達成となり、次のキャストを探すのだという。自分に固定の顧客がつかないのは、これが大きな理由なのではないか。
社長が指摘する、自分の性格やコミュニケーション力不足も認めるけど、性的魅力に欠けているとまでは思わない。
だが、ホナミがそう思い至ったのを見透かしたように、ゆーりんは提案を出してきた。
「そうだ。今度、社長に三人プレイを掛け合ってみようよ。自分のお客さんに、自分と組んで接客してみる。学べることがあるんじゃないかな」
まるで、自分が思い上がったのを瞬時に察知されたかのようだ。ゆーりんは、勉強しろと自分に言っている。
やっぱり、自分はデリヘル嬢として不足しているものがあるんだ。途端に気持ちのしぼむホナミである。
考えてもみれば、指名時間に合わせて出勤するのが大半のキャストの中で、ゆーりんは早くにやってきて、車中で入念に化粧を整えるのをルーティンとしている。自分とはプロ意識が違うのだ。
「自分たちの業界って、他の子がどう接客してるかって、直に見ることがないから。うん、これって、画期的だよ!」
ゆーりんがはしゃいだ声を出すと、そこへ買い物に出した男が戻ってきた。
「楽しそうですね」
ゆーりんに奢ってもらい、男も機嫌が良い。
キャスト同士の内緒話があるから自分を外に出したとわかっているから、何の話だったのかとは聞いてこない。
ゆーりんは渡されたジャスミンティーを開け、一口含んでから、ホナミの耳元で小声で言う。
「仮にそのお客さんがホナミを気に入って自分から移ったとしても、一人くらいなんてことないよ」
指名客を奪い合う性風俗の世界で、成功者の余裕なのか、人間の器の大きさなのか。どちらにしても自分には届かない域の人だ。こんなデリヘル嬢になれたらいいな、とホナミはゆーりんの艶めかしい化粧顔を仰ぎ見るのである。