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第三話「すでに日は暮れて」19

 ヒカリは、男の子から直接話を聞くのに、どこで会えば誰にも知られずに済むのか、考えつかなかった。いや、不可能だと判断したのだ。

 補導されたことで、男の子への見張りは相当に厳しくなっているはずだ。

 電話をかけてきた百合には、七海を連れて店を出るように伝え、男の子はそのまま残っているように指示した。

 男の子は、自分の配っている薬が覚醒剤入りと百合から知らされ、怖さで震えが止まらなかったが、ヒカリというとても頼りになる女の子が来てくれるという。七海も百合も、ヒカリがきっと助けてくれると、信じきっているのだから、自分もその子にすがるしかないと祈る気持ちで待ちつづける。

 はたして現れたのは女の子ではなく、ズボンのポケットに手を突っ込んで、学生帽を目深にし、学生服と首に白いスカーフをまとった少年だったのである。

 どのようにしても、組織の誰かの目に留まってしまうなら、むしろ隠れずに、謎の少年として姿を見せたほうが相手を混乱させることができると、思いきった開き直りをしたヒカリなのである。



 男の子は、補導から戻されて、また薬の配布を行っている。

 補導のとき、性行為による青少年保護条令であることを、浜田巡査部長はわざとらしく大きな声で叫んだ。ヒカリの指示である。

 男の子を見張っていた組織の人間もそれを聞いていたはずだ。これで警察が薬の配布と疑ったかどうかがわからなくなる。ならば、組織は見張りをさらに厳重にして、男の子に配布を継続させるだろう。ヒカリの目的はそれなのだ。

 現に、今も笑顔で、お試しください、と男の子が若者を選んで配っている。

 組織が彼を継続させる理由はひとつしかない。リピーターとなった使用者が、再び公園にきたとき、すぐに薬をくれた人とわかるようにするためだ。すなわち、薬の依存者が出始めたのだ。

 その者が依存者と判断されれば、もうただで薬はもらえない。男の子から、以前に配った人だと知らされたら、組織の人間から売人を紹介され、金銭で薬を買うことになる。依存が完全になれば、安価な値段を急に高額に吊り上げるのだ。それでも依存者は、薬を買うためにお金を工面する。それが組織の資金となる。

 システムは読めているが、ヒカリは迷っている。

 男の子は高校生を中心として新宿の若者に、覚醒剤入りの粉糖を配らされている。

 配ればなくなるから、新たな薬を渡される。渡すのは麻薬密売組織の人間だが、おそらく中心人物ではないだろう。ここで押さえても、尻尾が切られるだけだ。尻尾はまた生えてくる。

 その上の人物、少なくとも覚醒剤を粉糖に混ぜて、小分けを作っている者までたどり着かなければ、組織に打撃は与えられない。だが、上の人間をあぶり出す策が思いつかないのだ。

 勇気を襲って薬を奪い返そうとした者、ヒカリを絞殺しようとしたプロの殺し屋とみられる者、いずれも組織の中では上のポジションにいるのだろうとヒカリは考える。その連中は、簡単に表にはでてこないだろう。もう一度襲われてみて、そこを捕まえる手もあるが、そんな策にひっかかるとも思えない。

 勇気とは新宿以来会えていないが、あちらはあちらで捜査をしているのだから、互いの邪魔になるような行動はとりたくない。

 勇気はヒカリが襲われて死んだことになっているのを知っているのだろうか。

 何をするにも、慎重に時間をかけて、焦らず進めなければならない。そして、まずは七海をこの件から遠ざけるのだ。


 今できることは、覚醒剤入りの粉糖を、粉糖のみのものとすり替えることである。新たな依存者を生まないために。

 これは男の子の協力なしでは為しえない。このために男の子が配布の継続をさせられる展開に持っていったのだから。

 ヒカリは喫茶店で男の子と話したとき、この組織は日本人だけで構成されていると推量をたてた。

 ダイレクト医薬品の効用情報と副作用情報を、広く一般の人に使用してもらって集めることはありえない。だが、その他の男の子の説明は法律どおりである。虚偽を混ぜてもそれらしく聞こえ、専門の知識がない者を騙せる筋書きを描けるのは、日本人の感覚を備えているからだ。日本人の言葉と思考がわかっていてこそできうるのだ。海外のカルテルやシンジゲートの傘下なら、その感覚がないから、すべてを法律や内規に沿った上で犯罪を組み立てる。

 ヒカリは吉川巡査部長に連絡をとり、純粋な粉糖とすり替えるために練り上げた策を実行できる準備を整えてくれるよう依頼した。

 夜になり、屋上に上がると、星を見ながら、

「ねえ、圭吾くん」

 ヒカリは、圭吾が空にいるかのように、話しかける。

「圭吾くんのお母さんと、会おうと思うんだ。いいよね?」

 返事はいらない。これは報告なのだ。

「でもさ、この件、難しい」

 弱気になったら、優しく、包んでくれた圭吾だ。今も包まれている気分になっている。

「私が圭吾くんとお母さんとお父さんを殺した犯人にたどり着く前に死んだら、どうお迎えしてくれるかな?」

 問うた本人のヒカリが考え込む。

「しょうがない? よく頑張った? それとも──」


「ヒカリのうちって快適ねえ。ずっと住みたいくらいよ」

 圭吾との秘めやかな会話を台無しにする、あかりからの電話である。

 電話の向こうで、あかりは冷蔵庫を閉める音を響かせている。ヒカリがストックしていた生鮮食品とスイーツは、すべてあかりのお腹に入ったという。

 そして次の音は、ヒカリのベッドに寝転がったものだ。自分の部屋のようにくつろいでいるのが、目に見えるようにわかる。

「何を使ってくれてもいいけど、男を連れ込むのだけは勘弁だからね」

 勇気への想いが尻すぼみに絶たれたあかりが、癒しのために一夜限りの恋に走っても咎めはしないつもりだが、

「それで現場検証なんだけどね」

 と、話を逸らされてしまう。連れ込みに釘を刺されても何もいわないとは、もしやその気だったのではと疑う。

 だが今は問い詰めるのはよそう。

「どう? 私は殺されたことになってる? 報道されないから、せめて噂にならないと、あっちも私が生き延びたと判断するわ」

「それがね、ヒカリは死ななかったっていう噂になっているのよ」

「なんですって?」

 思わずヒカリは大きな声を出してしまう。これはまさかの展開だ。

「私が救急車で運ばれてから、現場検証まで時間が空きすぎたには違いないけど、その場で死亡だったらそこまで不自然ではないはずよ」

「住人の誰かが怪しいってなったでしょ。吉川さんたちが住人に目撃や物音を聞いてないかの聞き込みを表向きにして、住人の素性やらを調べたのよ。そしたら、いつの間にか、住人たちの間では、ヒカリは死ななかったことになってるの」

 ヒカリはため息をつく。報道がされないから、向こうも、殺害に失敗したかと半ば疑っていたところに、警察の聞き込みのしかたで疑念を強めたのだろう。

 噂は住人の誰かが流したに違いない。その住人が、組織と何らかのつながりがあることは、これで明白だ。

 では、その目的は何なのであろう。

「見えないところに潜り込んだ私を、見えるところに引きずり出そうって腹なのよ」

 勇気と一緒に話していた様子を、密談と見たに違いない。ヒカリのことを、勇気と同じ組織の一員と判断したのか、占術士が絡んでくるのは厄介だと感じたのか、とにかくヒカリという女は危険だから葬っておこうとして、絞殺を仕掛けたのだ。

「向こうがその気なら、こっちはその上をいくだけよ」

 ヒカリはここで腹をくくる。あかりに思いついたばかりの策を伝えると、あかりは、

「それ面白いじゃない!」

 とはしゃぎ声だ。そして、ヒカリも負けん気を持ってるのね、と妙に感心するのだ。

「動くのは少しあとよ。でも、薬のすり替えがばれないうちに、手筈を整えておかなきゃね」

 ──負けないわよ。

 そうつぶやいた自分に、あっ、と気づく。あかりのいう通り、今まで、そんなもの、と切り捨て必要にしてこなかった負けん気が、胸の奥から熱く沸きあがってきているのだ。

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