第三話「すでに日は暮れて」17
まもなく日暮れになろうという時刻に、飲食店街をまわり、みかじめを集めてる男たちが、繁華街の裏のほうでなにやら集まっている。
一件どうしてもみかじめの拠出を断っている店への対応を話し合っているのだ。
「脅してとれば、警察にいい口実を与えるようなものだし、とりあぐねれば他の店も出さなくなる。どうしたもんか」
こんな当たり前のことに頭を抱えているのである。
男たちは、以前にみかじめの徴収に手腕を発揮した男を、相談役に呼んだ。
この男は、今は現場作業でまともに働いているが、かつては暴力団の傘下でみかじめを担当し、双龍と異名までついたが、この世界ではまだ三十歳ほどの若手である。
両の肩から腕にかけて、龍の刺青が彫られているゆえの異名だが、近頃はその刺青を隠し、今も夏というのに長袖を着ている。
「今までの考え方でみかじめをとること自体が難しいってことだ。むしろ、他の店が応じていることが奇跡みたいなもんだ」
双龍は、なあ少年、と連れてきた少年を見る。双龍は、舎弟になったばかりだと周囲に引き合わせ、すげえ頭のいい奴だと紹介する。
「少年ならどうする」
見た通りの、少年と呼ばれる少年は、中学生か高校生か、十五歳前後くらいに見える。この季節なのに夏制服ではなく詰め襟の学生服を着て、首には白い薄絹のスカーフを巻き、学生帽を目深にかぶり、腕を組んで座っている。
「兄貴、対価だな」
少年は一言で結論をいう。
「そもそも、みかじめは保険の役割をもっていた。問題が起きたときに、当人に代わって解決してくれるという保険だ。それが時代が変わって、ただのショバ代となった。自分たちの土地建物なのに、縄張りの使用料の意味合いになった」
「そうなった理由はふたつ。ひとつは、問題そのものが起きなくなった。もうひとつは、問題が起こっても、こっちに解決能力がなくなった」
「いくら双龍の舎弟でも、そりゃ言いすぎだぞ」
男たちは色めき立つが、
「そうでもない。問題が起こらなくなれば、解決能力がなくなっていくのは当たり前だ。人間、必要のなくなった能力は退化する。能力を回復させて、保険という対価があった頃のみかじめの原点に回帰するんだ」
少年にそう言われると、ぐうの音も出ない。
双龍は、少年のいうことはもっともだという。
「どんな対価が出せるのか、話し合うんだ」
双龍の言葉に、俺たちになにができるっていうんだ、と不満が持ち上がる。
すると少年は、すぐさま答えを出す。
「商店街の連中が嫌がる奴らの相手を引き受けてやるのさ。税務署、労働基準監督署、あいつらも公的ヤクザのように無理をする。揚げ足のとりどころはたくさんある」
「といわれてもなあ」
男たちは弱腰だ。
「少年、すまんが具体策を考えてくれるか」
双龍の頼みに少年は、ああ、と一言いうと、立ち上がる。
「帰るのか」
双龍が聞くと、
「百合姉さんの手伝いをするさ」
兄貴、またあとで、と後ろを向いたまま右手を上げて、立ち去っていく。
双龍が男たちとさらなる話し合いを重ねて、住まいのマンションに帰ると、いい匂いが中に立ち込めている。
ひと嗅ぎしただけで、食欲がかきたてられる、今夜の夕飯である。
「こりゃすげえ」
「でしょ、びっくりの腕前よ」
見ると、少年がエプロン姿で料理の真っ最中だ。テーブルにはすでに出来上がった品目が並ぶ。
双龍の妻、百合は、手を出すとかえって邪魔になると、付き人のように調理器具と食器を用意するだけだ。
「手伝ってくれるどころか、一人で全部よ。こんなに料理が上手なんて、見てるだけで感激なのよ」
「ご厄介になるんですから、これくらいしませんとね」
少年はニコリとする。
「もうさらしははずしたら? きついでしょ」
「いえ、夜に出かけなければならなくなったら、また巻くのが大変ですから。お風呂をいただくまでは巻いておきます」
さきほど男たちと交わした言葉のような低い声ではない。そして明るい。
「ヒカリさん、おっぱいの形がいいんだから、さらしで崩したらもったいないわよ」
少年を装っているヒカリは、気をつけますよ、と笑う。
夕食を囲みながら、ヒカリが以前に刺青男と呼んだ双龍、旧姓野村といった百合の二人は、突然訪ねてきたヒカリに驚かされた朝のことを話し出す。
「殺されかけたときいて、ほっとけるわけがないものね。一回しか会ったことがないのに、よく尋ねてきてくれたわ」
百合は、デリバリーヘルスの看板キャストだったときに、客に刺されて重症を負った。その病室を訪れて、キャストの後輩で何かと世話を焼いたホナミの自死を知らせたのが、ヒカリだったのである。
そのときだけだった縁のはずだが、今こうして笑顔で食事をともにしている。
双龍も、街で暴行をしたとき、偶然居合わせたヒカリに、金難と水難を当てられた。だが、それが百合との出会いの縁でもあり、もう一度会えることができたら、と思っていたというのだ。
「その首の絞め跡が痛々しくて。消えるまでどのくらいかかるかしらね」
「十日はかかるでしょうね。それまでは、このスカーフを借りておきます」
ヒカリは朝方に百合の住まいを訪ねて、しばらく匿ってほしいと言ってきた。交流のある親しい者のところへ逃げ込めば、殺された振りをしたことが早々にばれてしまう。
一度だけの面識のほうが、安全度が高いのだ。碧泉院流親占教会もヒカリを完全に匿うだけの力があるが、圭吾が両親殺害の件で調べていたとなれば、圭吾の母から話を聞かないことには、この件とは関係なくとも距離のとりかたがある。
ヒカリは双龍に男子学生服一式の調達を頼み、百合には散髪を願った。
男の子のような短い髪型になったヒカリは、双龍に付いて歩き、舎弟として紹介してもらう。この姿で、勇気の追う組織の目から逃れつつ、七海を助けようというのだ。
あかりや吉川巡査部長からの連絡も、時間を指定してあるので、今後の打ち合わせをしておかなければならない。
ヒカリは食器も洗うと、一番風呂をいただき、夜の十時に屋上に行ってきますと、出ていく。女の姿に戻ったヒカリは、充電を済ませたスマートホンを持ち、屋上の貯水室の壁際に腰をかけて、まず吉川巡査部長に電話をかける。
「ヒカリさん、大変なことに巻き込まれましたな。相手の組織は、麻薬の密売に間違いありません。薬も手に入れてくれたそうで、感謝します」
「コンビニ内で投函したので、普通郵便になりました。なので、そちらに配達されるのは明日です」
「着きましたら、早速成分を調べます」
「郵便にも書きましたが、七海ちゃんは半分を私にくれましたので、三日分しか持っていません。明日で薬はなくなりますから、明日か、明後日の早い時間に、また男の子に会うはずです」
「七海という子を張りますので、麻薬成分が検出されたなら、そこを押さえます」
「押さえないでください。手紙に男の子を補導する手順を書いていますので、浜田さんに協力してもらって、その通りにしてください」
「事実上の別件逮捕というわけですな」
「勇気さんとは別に動くのですから、こちらの糸は男の子しかいません。男の子を動かさないことには先に進めません」
「だから補導なんですね。逮捕ではすぐに男の子を外に出すことができなくなる」
吉川巡査部長もヒカリの意図がわかってくる。手紙には詳しいことが書いてあるのだろう。
「七海という子はどうしますか」
「なにもしないでください。七海ちゃんが使っているのは痩せる薬です。そう思い込んでいるのは確かですから。私が薬を分けてもらえたのが、その証拠になりますから」
次はあかりである。
ヒカリが首を絞められて倒れたあと、ヒカリの股間に尿が漏れ拡がったのを見た男は、あかりの部屋のドアが開きかけるのを察知して、音もなく消えていった。
相手はプロの殺し屋も使うと勇気がいっていたから、もしそのプロであるなら、死後失禁と見るだろう。プロゆえに騙せたのだ。
あかりが倒れているヒカリの顔の近くで、ヒカリっと叫んだとき、小声で、救急車を呼びなさい、あんたもいっしょに乗りなさい、と指示をしたのである。
ヒカリが演技だとすぐわかったあかりは、消防を呼び、なんで死んじゃったのぉ!と本当に涙を流してむせび泣いたのである。
救急車の中でぱっちり目を開けたヒカリは、救急車内でも携帯電話が使えることを確認して、所轄の捜査一課に電話をかけた。
宿直の刑事に手短に事情を話し、刑事から救急隊員に、ヒカリの指示に従うようにと伝えてもらう。
その後ヒカリは、搬送された病院で一夜を明かしたあと、朝方にタクシーで百合のマンションに向かったのである。
そんな一部始終をともにしていたのだから、あかりは、だいじょうぶ?などと聞いてはこない。
「ヒカリのいうとおり、ヒカリの部屋で寝泊まりしてるけど、さっそく来たわよ、あっちの偵察」
「やっぱり?」
「宅配便が、お荷物です、て来たから、出てやったわよ。ご本人さまですか、なんて聞いてくるから、本人はゆうべ死んだので、身寄りがない人だったから私が遺品の整理にきている、って言ってやったわ。荷物なんてくるわけないのに」
あかりは電話の向こうで笑っている。
「遺品の整理は早すぎるでしょ。でもまあ、いいわ」
「どうやって首締めでも死ななかったのよ。最初はほんとに死体だと思ったわよ」
「簡単なことよ。首の前に指を一本、ずっと立ててただけ。ロープをかけられたとき、指もいっしょにかけられたから、力いっばい喉との隙間を作って、気道はとれていたのよ。後ろからだと、ロープをはずそうとして手がそこにあるようにしか見えないでしょ」
「おしっこまで漏らして、ヒカリも女優ね」
「これもあるかと思って、おしっこはずっと我慢してたのよ。着替えを持っていなかったから、そのあと朝まで気持ち悪かったけど」
「着替え、なんとかして渡そうか?」
「危ないことはしないで。百合さんのを借りられるから、着替えはいいわ。それよりも、明日から、あんたのアパート、現場検証が入るから」
「現場検証?」
「そうよ。ヒカリ殺人事件の現場検証よ。それは表向きで、あんたのアパートの住人の捜査。勇気さんと私、二人が同じ場所で襲われたのよ。あの場所である理由があるんだわ。理由を持っているのはやっぱり住人でしょ。協力しなさいよね」
あかりとの電話を切ると、ヒカリはニュースサイトをチェックする。当たり前だが自分の事件は報道されていない。それを向こうに不審に思われないか、そこが気がかりだ。
しばらく屋上で時間を潰し、百合の部屋に戻ると、リビングに布団が敷かれ、奥の寝室では、もう二人は寝てしまっているようだ。
ヒカリは奥の部屋に向かって微笑んで布団に入る。
翌朝になると、ヒカリは朝食の支度を整えて、二人が起きてくるのを待った。
「ヒカリちゃん、早起きねえ」
デリバリーヘルスを辞めてから、百合も昼夜は一般に戻ったが、早起きまではできていない。
朝食はヒカリの得意なスクランブルエッグに、牛脂を使ってジューシーに加熱した厚切りハムとウインナー、サラダ、オレンジジュースにトマトをシェイクさせた特製ジュースを作ってみた。
遅れて起きてきた双龍がきたころに、トーストが焼きあがる。
「ヒカリちゃんて、本当に美味しいものばかり作れて、誰かに教えてもらったの?」
「独学ですよ。大事な人のためなら、いくらでも頑張れるクチなので」
それを聞いた双龍は、
「聞いたか、おい、聞いてるか? いくらでも頑張れるってよ。見習え」
声を大きくするが、かえってヒカリと百合を笑わせてしまう。
「ヒカリちゃん、ゆうべは遅く帰ってきたんじゃない? ずっと屋上にいたの?」
いつのまにか、ヒカリさんからヒカリちゃんに呼び方が変わっている百合である。
「はい。二時間くらいいました。夫婦生活の途中で戻ってきたら悪いので」
今後の打ち合わせは、二人がいないところのほうが良いと思ったのもあるが、自分がいれば夫婦の営みの邪魔になる配慮もしたヒカリなのだ。
「だけど二時間も空けなくていいのよ。この人なんか、すぐ終わっちゃうんだから」
双龍が、おい、と困った顔をするが、二人とも見ていない。
「それはいけませんね。ちゃんと女性に愛情をかけてもらい、悦ばせてもらえるようにさせなきゃ。百合さん、今夜からは二回目をしましょう。二回目は時間がかかりますから、彼の愛情の本当のところがわかります」
「そうよねえ。一度出して終わりは一人と変わらないわよねえ」
デリバリーヘルスで働いていたときは、かえってありがたいことだったが、夫婦になるとやっぱり物足りないのだ。
「ヒカリちゃんは、いつも二回目あったの?」
「もちろん。二回目が大事ですもの。彼に体力が残っていれば三回目も」
こんな女同士の会話をしているのだから、双龍はもう無視されていたようなものだ。
「ヒカリちゃんは導き様ね」
百合はやっと双龍の方を向き、
「わたしたちの歳の半分ちょっとくらいの子にお説教されてるのよ。わかる?」
背中をパシンと叩いて、ヒカリと顔を合わせながらアハハと笑いあうのである。




