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第三話「すでに日は暮れて」4

 ヒカリとあかりは、一緒の登下校を避け、校内でも極力会わないようにすることを打ち合わせた。

 調査が目的である。校内で親しくしていれば、どちらかが生徒を調べていると疑われたとき、もう一人も調査がしづらくなる。

 ヒカリは昨日考えた通り、栞の交遊関係から顔を広げていくつもりだ。それだけでなく、早めに登校し、クラスの面々とも話を交わすようにして、他方向からアプローチの可能性を構築しようとしている。

「おはよう」

 栞が教室に入ってきたので、挨拶をかけたが、返してくれた返事が暗い。

「昨日の用事、うまくいかなかったのね」

 小声で伺うと、栞は涙目になっている。これは背水の状況だとわかるが、用事の中身を聞いていないので、今は慰めようもない。

 ヒカリは無言で栞に寄り添ってみることにする。

 二限目、古典の授業を上の空で聴いている栞は、担当教諭に現代語訳をあてられた。

 教科書のページすら見当違いのところを開いていたのだから、どこを訳すのか栞はわからない。授業を聴いていないのだから、これでは怒られてしまう。

 そう覚悟したとき、隣のヒカリがスッと立ち上がって、質問箇所の訳を答えたのである。

「先生は佐藤に尋ねたのだが」

「わかってます」

 ヒカリはニコニコして古典教諭に答える。

「友だちなので、代わりに答えました」

「なんだと?」

 古典教諭は意味をわかりかねている。

「友だちが困っていたら、助けます。友だちがわからないところだったら、あとから教えます。私はそう教育されてきました」

 古典教諭は戸惑った顔をしたが、ヒカリは転校生だったな、前の学校の教えか、と手前勝手に納得して、もういい、と授業に戻る。

 それからヒカリは、何ごともなかったように、三限目、四限目と授業を受けた。栞も気持ちを持ち直して、授業を聴く。

 昼休み、栞はヒカリの前に立って、

「ありがとう、ヒカリ」

 とはじめて礼を伝えた。

「それよりも、昨日の用事、まだ挽回の目はあるの?」

「一緒にお弁当食べない? そのことで、友だちに話を聞いてもらおうと思ってるんだ。ヒカリも良かったら」

 これを待っていたヒカリである。友だちは一年生のときに同組だったC組の子だという。C組に渡りをつける機会が作れる。

 そのためには、栞のよろしくないであろう事情の助けをしてあげなければならない。占術を使わずに。



 栞の友だちは七海(ななみ)という。苗字は栞と同じ佐藤だが、血縁はないそうだ。

 名前のイメージと同じくスケールのある体格をしており、中学まではデブとブタを合わせて、デブタという渾名をつけられ、いじめられもしていたという話だが、卑屈にならず、世話焼きな性格が高校では愛されている。

 栞の一番仲が良い七海が、栞の用事とやらを話してくれた。

 栞は中学二年生のときから芸能事務所に所属して、女優としての活動を目指しているのだ。

 スカウトされたものの、いまだ脇役ひとつものにできない。オーディションに出させてもらう機会はあったが、制作側の目に留まらないのだ。

「キャスティングは事務所の力がものをいうし、本人の努力が報われる割合いなんて微々たるものでしょ」

「ヒカリ、どうしてわかるの?」

 それには答えず、ヒカリは、

「用事っていうのは、オーディションのことなのね。もしかして、事務所の中で選抜があるんじゃない?」

 と聞く。

 制作側がオーディションを組むとき、主な芸能事務所に、そちらの事務所から一名をオーディションに出すように、という告知を出す。だからその一名を選ぶために、事務所は所属するタレントから選抜をするのだ。

 栞が落ち込んでいるのは、選抜に通りそうにないからだろう。

 ヒカリは芸能事務所や、俳優、歌手ら個人も鑑定の顧客として抱えており、それら彼らはヒカリを信頼し敬い、政財界の要人と同様に、太い被験者として占術士ヒカリを支えている。

 そんなつながりがあるから、芸能社会の仕組みをヒカリは良く知っている。

「栞の事務所ってどこなの?」

「キャビンプロモーションって知ってる?」

 俳優の所属が主だが、アイドルグループの一員とも個人としてのエージェントを結び、俳優としての活動も提供する、中堅の事務所だ。ヒカリは事務所のみならず、看板女優からも鑑定を依頼される関係だ。

 この事務所は実力者が多い。選抜が行われれば、出演経験が皆無のタレントが抜擢されることはまずないだろう。

 経験値を持たない者が、制作側のオーディションを勝ち抜ける可能性などないからだ。

 キャビンプロモーションなら自分の事務所のタレントを使ってもらうよう、プロデューサーにプッシュできる力はある。

「キャビンなら聞いたことあるよ。実力派俳優さんが多いところよね。栞は本格的な女優を目指してるんだ。すごいなあ」

 ヒカリのお世辞の半分は本当だ。箸にも棒にもかからないような石の玉は、そもそも所属するまでいかない。レッスンの途中で振り落とされるのだ。

 栞はチャンスさえあれば、可能性を試せる素材なのだろう。

「ねえ、どんな作品のオーディションなの」

 栞は企画書を開いて、ヒカリと七海に見せる。栞からいつも話を聞かされていた七海も、企画書を見るのははじめてだという。

 作品はシネマ制作で、分類はラブロマンスとコメディにラベルがつけられている。

 作品名は『兄哥(あにい)よ銃をとれ』。アメリカの有名なミュージカルのパロディを意識していそうだが、前半部のあらすじを読むと、兄哥の文字をあてているように日本が舞台の任侠路線のようだ。パロディはどうやらタイトルだけらしい。

 それにこの企画書、後半の筋はなく、脚本はまだ完成していないのだろう。

 スポンサーの記載もなく、まだ企業の応募がないとみるべきだ。

 オーディションの役は、ヒロインの妹。出番は多くなさそうだが、脇役としては重要な位置だろう。

「これ、絶対ものにすべきよ」

 ヒカリは栞の目を見つめて言いきる。

 作品としてこれだけあやふやなら、事務所は大事に育てている最中のタレントは出さないだろう。まだデビューできていない栞には大チャンスなのだ。

「ヒカリ、そう思ってくれる?」

 栞はヒカリに負けないほどの強い目で、見つめ返してくる。ヒカリはそこに、なにか切羽詰まった思いがあるように感じるのだ。

「栞、今日事務所に行って、この役を絶対やりたい、自分をオーディションに出させて欲しいって、直訴してみるのよ。きっと想いは通じるわ」

「うん! そうする。ヒカリ、ありがとう!」

 栞はヒカリの手を握り、ぐぐっと力をいれてくる。心から感謝しているのが、ひしひしと伝わってくる。

「なんか、ヒカリって、すごく頼れるよね。ヒカリがいうと、どんなことでも本当になりそう」

 七海が感じ入るように言うと、栞もうんとうなずく。

「ありがとうね。私、二人とお近づきにお茶をしたいんだけど、栞は事務所に行くもんね。七海ちゃん、放課後、私に付きあわない?」

 ヒカリはこうして、七海とも友だちになった。

 これでC組に出入りしても、不自然なことはない。七海を訪ねて、死相をもつ生徒がいないか、ヒカリの目で確かめることができる。

 こんな話をしながら、女の子三人は弁当を食べきっている。ヒカリは、これが高校生活ってものなのね、と短い間であろうこの体験を大切にしたいと思うのだ。

 そして、このあとヒカリは、あかりがリストアップした三学年の確認すべき生徒を、どのようにすれば不審を持たれずに相を見ることができるか、考えを練るのである。

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