第二話「死と変容」16
翌日、ヒカリは吉川巡査部長に『光の路』に来てもらえるよう連絡を入れた。来訪を受けて招き入れると、浜田巡査部長も一緒である。
「実は車輌窃盗団の有力な情報を得まして、話の途中で出なければならないかもしれんのです。もし私がいなくなっても、浜田がつづきをお話ししますので、ご了解くださいませんか」
「出動ということは、取り引きの現場を押さえられるかもしれないということですね」
「相変わらず読みが良いですなあ」
苦笑いを隠さず、吉川巡査部長は頬を指で掻く。
「では、お互いに情報の交換といきましょうね」
ヒカリは澄花の両親から聞き出したことを、すべて伝える。
坪井美智子と坪井春佳が姉妹同然であったこと。春佳と事故死とされる翔馬もまた、姉弟のような近さであったこと。所轄にある春佳事故死の調書の改竄は、澄花の父が依頼し、同情した警察官僚の指示で行われたこと。
聞き進めるほどに、吉川巡査部長は驚きの顔にかわっていく。
「これは……、当時の捜査では浮かんでこなかったことばかりで。分家が絡んでいたとは……」
「翔馬さんの死と、春佳さんの事故死は、四日違いだそうです。お聞きしたいのですが、翔馬さんが亡くなったのは日曜日ではないですか?」
「そうです。日曜日です。事故当日、坪井美智子は翔馬と朝からずっと二人で家にいたことになっています。これは美智子本人の供述です。しかし、実際には坪井春佳がきていたとしたら」
「春佳さんが本家を訪れていたとしたら、それは美智子さんが外出するためです。美智子さんは事故当時、家にはいなかった。そう考えられませんか?」
「ヒカリさん、面目ないです。現場の状況、当日は翔馬と二人で家にいたという美智子の供述、周囲の人間の証言をあわせて、当日に第三者が家にいた可能性は考えていませんでした。美智子が外出していたとも考えられませんでした」
「これは翔馬さんが殺害されたのではなく、事故で亡くなったという前提ですが、留守を預かった春佳さんがなんらかの不注意で翔馬さんを死なせてしまい、帰宅した美智子さんが春佳さんが本家に来なかったことにするため、お友達と会っていたと言うよう、因果を含めて帰したのではないかしら」
「息子を死なせた相手を逃がして、自分の過失にしたと?」
「二人の結びつきなら、十分あり得ると思いますよ」
吉川巡査部長は、浜田巡査部長と目を合わせて、考え込む。可能性としては、ないともいえない。
「では、こちらの情報もお話ししましょう」
吉川巡査部長は、手帳を広げて、捜査報告のごとく、説明をはじめる。
「坪井翔馬は当日の午後五時ころ、美智子の一一九番通報により、消防が自宅で死亡を確認しました。死因は溺死。浴室の浴槽内で死亡しているのを美智子が発見したことになっています」
「お風呂場が現場なのですか。溺死ということは、当然浴槽には水が張られていたわけですよね」
「そうです。風呂水のなかで、翔馬は着衣の状態で死亡していました」
「衣服を着たまま、水を張った浴槽に入った──警察が事件性を疑ったのは、それが理由ですね」
「第一はそれですが、動機として、美智子は育児への不安を周囲に漏らしていて、ノイローゼ気味だったのです」
「不安、ですか。具体的にどんなことに悩んでいたんでしょう」
「翔馬は発達が遅れ気味だったようなのです。発達障害の診断は受けていませんでしたが、それはそもそも受診していなかったからでした」
発達遅滞の子どもの将来を悲観して、親が殺害に及ぶ事例は全国にいくつもある。それだけの材料があれば、殺人を疑うのは捜査として自然な流れだ。
むしろ、なぜ事故死に落ち着いたのかと思う。
「それは浴槽の水の深さと、風呂ふたでした。鑑識が検証し、殺人の可能性は極めて低いとなったのです。事故死が立証されたわけではないのですよ。私が納得いかなかったのはそこなのです」
もし殺人であれば、その殺害方法を立証する必要がある。
死因が溺死と判明している以上、頭を押さえつけて水中に浸らせるか、水を張った浴槽内に閉じ込めて風呂ふたをかぶせ上から重しをすることになる。
遺体の頭部や頸部には押さえつけた痕跡はなく、借りに跡が残らないような押さえ方であれば、十歳の力なら十分抗うことができる。
浴槽内に閉じ込めたとしても、浴槽は満水まで二十センチメートルのところまで水が汲まれていた。翔馬が入ることで水深は上がるが、それでも上を向けば呼吸はできる。それに、苦しくなれば風呂ふたを持ち上げるだろう。ふたを上げられないほどの重量物は近くになく、重いものをふたに乗せて閉じ込めたとは考えにくい。
さらに、それほどの重量があるものを乗せれば、ふたが壊れてしまう。
あり得るとしたら、大人がふたの上に座った場合だが、成人女性の臀部面積は広くなく、美智子がふたの上に腰を下ろしたとしても、翔馬の力で下からふたをずらすことは十分可能。これは翔馬と同じ十歳の子どもに試してもらい、実証されたという。
「仮に美智子が翔馬の死亡時に外出していた可能性があるなら、美智子による殺害の線は引っ込めます。坪井春佳には動機がありませんから」
さすがに吉川巡査部長は潔い。
「動機の有無より、実行が可能かどうかを基準にするのは、鑑識なら当たり前ですから、事故とする判断は妥当ですよね。でも、なんでこんな事故が起こったのか、経緯がわかりませんと、モヤモヤしますね」
ヒカリはその経緯こそ、美智子のムカサリへのこだわりの核心だろうと考える。
そして経緯が明らかになれば、あの日に翔馬と過ごしていたのは、美智子なのか春佳なのかもはっきりするだろう。
明日の昼、美智子が冥婚の絵の鑑定を受けるために、『光の路』を訪れる──。
浜田巡査部長の出番はなかったが、ひとつよろしいですか、とヒカリに尋ねてくる。
ヒカリがクラスでいじめられて泣いているところに現れて、知恵を授けて去っていった警察官がいたという話を聞いて、関心を持ったと話す。
「そんなヒーローみたいな警察官は誰かと思いましてね。いや、ネタ話のようなものですよ」
笑いながらの質問の体だが、ヒカリの素性を知る一片として知っておきたい浜田巡査部長である。
ヒカリは考えていたが、その返事は意外なものだった。
「さあ? そんなことあったかしら」
浜田巡査部長が呆気にとられていると、吉川巡査部長の携帯電話に着信がきた。捜査一課からである。
本来は捜査関係者ではない者がいれば席を外して電話を受ける。だが、吉川巡査部長はヒカリを避けるどころか、通話をスピーカーに切り替えて、丸聞こえにする。
今朝方に、内偵していたアジト近くで別件逮捕したメンバーが、ようやく口を割ったという。
そのメンバーは見張り程度の役しか与えられない下っ端だが、今日の取り引きの内容の一部を小耳にはさんでいたのだ。
「取り引き場所はチカチュウだと、リーダー格が指示を出していたそうだ」
電話の向こうも、息巻いた声である。
「地下駐車場か。ううむ、駅やホテル以外にも、地下駐車場をもっている施設はいくつもあるからな。限定できないのか」
吉川巡査部長は話しながら、視線はヒカリの方に向かっている。
ヒカリは区内地図に線を引きながら、吉川巡査部長にアイコンタクトを送るのだ。
「取り引き場所の絞り込みをするから、折り返しかける」
電話を切ると、どこですか、と急いてくる。取り引き場所がわかれば、いよいよ検挙が実現しそうなのだ。
「今の電話だと、窃盗団のアジトってここですよね。私の方位占術では、アジトを頂点に、ここからここまで、角度にして三十度の中に、取り引き場所がありますよ」
「ありがたいです。この範囲なら二か所に絞れます」
地図を拝むように手にした吉川巡査部長は、飛ぶように走っていく。
その後ろ姿を見送ったヒカリは、
「ねえ、浜田さん」
ともう一枚の地図を見せる。吉川巡査部長に渡したものと同じ図を作っていたのだ。
そして、取り引き場所と見た範囲を指して、あることを伝える。
「ええ?」
浜田巡査部長は驚いた声を出したが、
「あり得るかもしれません。まかせてください」
胸をたたくと、くたびれた背広を翻して飛び出していくのだった。
車輌窃盗団はこれで壊滅の道へ進むことだろう。ヒカリの心は、もう別のことにとらわれている。
浜田巡査部長が探りをいれてきた、小学生だったヒカリが出会った警察官。
「あの話を知っているのは、圭吾くんしかいないはずよね……」
それを、誰からどう伝ったのか、警察の人間が知っている。
警察に話したのは、おそらく麗華であろう。では、麗華に教えたのは何者だろうか。生前の圭吾ではない確信がヒカリにはある。
──誰かが警察を利用しようとしているのかしら?
何かが動き出しているのかもしれない。小さく、静かに、ヒカリに見えないところで──。




