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第二話「死と変容」6

 吉川巡査部長と浜田巡査部長は、急ぎ『光の路』へ向かっている。

 ヒカリに報告をするためだ。吉川巡査部長の手は、高級洋菓子店のケーキの箱を提げている。

「ヒカリさん、本当にありがとうございます」

 深々と頭を下げ、いつまでも直らない吉川巡査部長に、まあお掛けくださいな、と笑いかけるヒカリである。

「おい、もういいだろう」

 浜田巡査部長も笑いながら、天井を向けつづけている吉川巡査部長の背中をポンと叩いた。

 ヒカリの読み通り、強盗現場宅の近くの修理工場は、盗まれた覆面パトカーと同じ車種の整備履歴があった。

 その車と同じ車種、色、ナンバーの車をNシステムにかけると、ヒカリが方位占術で示した方角に入る青梅市へ向かって走行中であり、また港区でも同時間にその車が駐車場に入庫していることが確認された。

 所轄の警官が走行中の車を職務質問にかけると、車検証は警察車輌そのものであり、その場であっさり逮捕となった。窃盗犯は車検証の偽造までは手を回していなかったのだ。

 修理工場の代表者も任意同行されており、今後は車輌窃盗がグループなのかどうか、反社会的勢力とのつながりを捜査することになる。


 車輌は不法な改造がないか確認中だが、ほどなく署に返還されるだろう。

 大事と思われたが、発生当日でのスピード解決となり、吉川巡査部長の懲戒は訓告だけで済みそうだということである。強盗事件の捜査は、別隊が行うという。

 一個千円を超えるケーキを四つも奮発した吉川巡査部長に向かい、私を太らせるおつもりですね、といたずらっぽく笑うヒカリを見て、感情表現を取り戻しつつあるのだな、と微笑ましい目を向ける浜田巡査部長である。

「ところで、その後、坪井美智子から連絡はありましたか?」

 公務に復帰できるとわかり、早速刑事の目つきに戻っている吉川巡査部長だ。

「まだありませんよ。あの人がお帰りになって、まだ、五時間くらいですよ」

 ヒカリが苦笑いを交えて伝えてから、少し間を置いて、こうつづける。

「事実がどうあれ、お子さんを失った人であることを忘れないでくださいね。くれぐれも」



 すでに鑑定所を開ける時間を過ぎており、吉川巡査部長と浜田巡査部長は、改めて深々とお辞儀をして帰っていった。

 入れ代わるように扉から入ってきたのは、二十代前半と見える、快活そうな女性だ。

 一見何の悩みも持ち合わせていなさそうな、愛くるしい顔立ちで、太ってはいないが中学高校の部活動で鍛えたような、筋肉質のガッチリとした体格だ。鑑定席に座るや否や、よろしくお願いしますっ、とハキハキと挨拶をする。

「こちらこそ。鑑定はご結婚ですね」

 ヒカリは早くも読み取っている。

「えっ。なんでわかるんですか!」

 目の色は悩みごとではなく、相には寄り添う相手の存在が見える。性の欲求が満たされているのも、顔色と肌の張りでわかる。そうなると、おのずと希望の集約先がわかろうというものだ。

「プロポーズしてもらったんです。ゆうべ」

 答えるなり、はにかんだ口許が初々しい。顔も少し赤らんでいる。

「それはおめでとうございます」

 ヒカリも、祝福の言葉を返して、

「観相からだと、障害もまったくありません。あなたのおうちも、お相手のご家族も、お二人のご結婚を望んでおられるように見えますよ」

 その通り、目の前の被験者は幸せのさなかにいる。では、何を占ってもらいにきているのだろうか。

 ヒカリはとりあえず、見えることを話し出す。

「生理が不順でしょう?」

 体が鍛練されるほど、排卵も月経も周期がぶれるものだ。子宝の心配をしているのかもしれない、と見たのだ。

「そうなんです。わたし、中学からずっとサッカーをやってて、今もクラブチームにいるんですけど、激しいトレーニングをすると、周期が早かったり、三ヶ月くらいこなかったりで」

「競技に打ち込んでこられたのは、一目でわかりますよ」

「サッカーばかりで、恋愛とか、してこれなかったんです」

「恋をする暇もなし、だったのでしょう? でも、お相手に巡り逢えたじゃないですか」

 すると女性はヒカリにまっすぐ目を向けて、

「わたしの出たゲームを観にきてくれてた人で、試合は負けたんですけど、慰労会のスタッフを手伝いにきてたんです。話してて、すごく楽しくて、アプリ交換して。デートコースも──」

 馴れ初めから話し出すと、止まらない。聞いているヒカリも、ニコニコと、ずっと嬉しそうな顔で頷いている。女性もそんなヒカリに、みんな話したくて仕方がないようだ。

「付き合ってほしいって言われて、わたしも初めての彼氏ができて、もう嬉しくて、嬉しくて」

「では、最初のお付き合いでのご結婚ですね。それも良いのではないですか?」

 そんな話に持っていくところをみると、子どもを授かれるかの相談ではないらしい。年齢としても、月経不順だからといって不妊を心配するには早いだろう。

 ここは素直に、本人から聞いた方が良さそうだ。

「では、ご相談内容を承りますよ。何を占って差し上げましょう」

「わたし、この結婚で二人分幸せになれるでしょうか?」

「二人分、ですか」

 誰を含めて二人分なのだろうか。占術士に鑑定を受けにきているのだ。やはり事情があるのだろう。内容如何では気まずい空気になるかもしれない。話しやすい雰囲気を作っておくのが良さそうだ。

 ヒカリは、ちょっと待っててね、と奥の冷蔵庫へ向かい、吉川巡査部長からのいただき物のケーキを皿にとり、二人分、紅茶に添えて運んでくる。

「わあ、クィーン・マーサじゃないですか!」

 さすがに若い女性だけあり、イギリスからきた有名洋菓子店を知っている。

「このモンブラン・オブ・テムズ、千四百円するんですよ! ごちそうになっていいんですか?」

 女性は驚きで目を丸くしている。価格を知らなかったヒカリも、吉川巡査部長の身の丈を超えたであろう金額に驚きだ。それも四個である。

「あなたは運がいいわねぇ。今さっきいただいたばかりなのよ。一緒に食べましょ」

 女性はフォークを口に運ぶと、うーん、美味しい!と幸せそうに目を細めている。

「お名前とお歳を聞かせてくれるかしら」

「あ、すみません、言い遅れて。坪井澄花っていいます。二十四歳です」

 ヒカリはハッとして、エレガントな姿形のケーキから、澄花へ視線を上げる。ここで、坪井姓を聞くとは、思いもよらない。偶然なのだろうか。

 ともあれ、心の動きを気づかれぬよう、にこやかな表情を変えないでいるヒカリだ。

「上にご兄弟がいらっしゃるでしょう」

「すごい! なんでわかるんですか」

「澄の字は十五画。第二子以降に付けるとされてます。親御さんが画数を気にされていればのことですけどね」

 ヒカリの言葉に、それまでの嬉々とした表情を解いて、

「わたし、八歳上のお姉ちゃんがいたんです」

 そう語りだす。それでもフォークを置かずに、滅多に口にできないケーキを味わいきろうとしている様子に、今から話すことはすべて偽りなしだろうと感じるヒカリだ。


 澄花は姉との二人姉妹で、歳が離れているため、もう一人の母親のように世話を焼いてもらえ、いつも姉にくっついて歩くほどだった。

 毎朝、姉は自分の登校ルートを外れても澄花を幼稚園まで送り、小学校に入学すれば、登校の門まで一緒に歩いてくれた。

 帰宅すれば、毎日一緒に遊んでくれ、風呂もともに湯船に入る。寝る前には絵本を読んでくれたり、漫画を一緒に読んだり、そして寝付かせてくれた。

 澄花は姉が大好きだった。母親以上に心のよりどころだったのだ。

 その姉が、澄花を小学校まで送った朝、車にはねられた。

 意識不明で病院に運ばれた姉は、知らせに駆けつけた両親と澄花を待っていたように意識を取り戻した。

「お姉ちゃん、死んじゃやだっ!」

 澄花の叫びに反応して、姉は最後の言葉を絞り出すのだった。

「お姉ちゃんの分も、幸せになるのよ」

 そして息を引き取った。二十歳だった。

 澄花が小学六年生の七月のことである。


「わたしは、姉の分も幸せにならなきゃいけないんです。だから、絶対に二人分、幸せになる結婚をしたいんです」

 固い気持ちを目の色に映えさせ、澄花はきっぱりと言う。

 だが、その瞳の奥に、怒りに似た感情を秘めているのを、ヒカリは見逃さない。

 ──澄花さんの話には嘘はないけど、ここで話していない何かがありそうだわ。

 それを話してもらえるほどには、距離の近さが足りないということだろう。

 占術士と被験者は一期一会、その基本を守るのをやめたヒカリだ。

 また話を聞く機会を作るつもりでいる。それに、坪井姓も気になる。

 ヒカリは澄花に、こう問いかけてみるのだ。

「そうねぇ、二人分幸せになれるかなら、占術士二人から大吉運と言われてみたらどうかしら?」



 夜遅く、『光の路』を閉めて、ヒカリは自分の居室にしているこのビルの三階の部屋で、サイドボードに立てかけている二枚の写真にケーキを供える。

 右の写真は、両親と、まだあどけない歳のヒカリ。

 左の写真には、ヒカリと圭吾が肩を寄せている。

 両親には二個並べ、圭吾には、澄花とともに食べたとき半分残した皿を置く。

「ねえ、圭吾くん。わたしと半分こなら文句ないでしょ」

 麗華の計らいで一緒に暮らしはじめた頃、圭吾の買ってきたケーキを、どれも半分に分けあって食べたのを懐かしく思い出すヒカリだ。

 人となりの分からない圭吾と、心を通わせたきっかけ。写真の圭吾の笑顔に、ヒカリは目を細めて微笑みかけつづけている。

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