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第二話「死と変容」5

 吉川巡査部長が帰署すると、入り口のロビーで、浜田巡査部長に後ろから肩を叩かれた。

 覆面パトカーを盗まれた案件は公表されていないが、浜田巡査部長もわかっている。もしものときは、処分軽減の嘆願をするつもりだが、それまでは極力いつも通りに接するつもりの浜田巡査部長である。

「実は例の教会に行こうと思っている。一緒にどうだ?」

「今からか?」

 浜田巡査部長は、ヒカリの母親について、葛原麗華に聴取するつもりだという。

 捜査の展開が見えないヒカリの両親と夫、二つの殺害事件。ヒカリの母親に関わる何かが、霧に包まれた事件の背景を陽にあてる鍵と、浜田巡査部長は直感している。できれば、ヒカリの素性の謎のところも、聞き出せればと考えているのだ。

 ただ、麗華を相手にするのはどうも苦手な感じがして、吉川巡査部長を誘っているのである。

「どうせすべての担当を外されているんだろう?」

「お前までそんなことを」

 ヒカリさんにも同じことを言われた、と顔をしかめたが、ヒカリによって車輌捜索が進みそうだといきさつを話すと、浜田巡査部長は頷きながら、俺も見つかると思うよ、ともう一度肩を叩いて励ます。

「今日もな、ヒカリさんが何者かを知りたいと思ったよ。免許も持ってないのに、車の修理の概要をわかっている。多くの工場が塗装を外注に出すことも知っていた。塗装後に乾燥の時間が必用なことも」

「ふむ。パトは色を変えられていると見たのか。まあ、それは後で聞こう」

 覆面パトカー盗難も一大事だが、それ以上にヒカリのことを聞きたい浜田巡査部長だ。

「それだけじゃない。警察車輌のGPSのこと。Nシステムまで知っているようにも思う。言うことも的確だ。課長に指示されたかと思うくらいだ」

「そうなのか。そりゃすごい」

「亡くなった旦那さんが車好きとしても、普通の車好きは車種やエンジンやブレーキ、バンドリングとかの機構的なものや、装備、エクステリア、インテリアとかの、製品としてだろう。そうじゃなく、ヒカリさんは、社会的なものとして詳しいのだからな」

 車のことはほんの一例で、この年齢では知らないであろうことを、いろいろと知っている。

 知識の得処だけではない。

 先般のデリバリーヘルス従業員刺傷事件で協力を依頼したときも、まるで警察内部の人間のような思考を見せたヒカリに、驚きを通り越し、不審すら抱かせたことを思い出す二人である。

「俺もな、少なくとも警察知識や組織のことを、どこかで教えられていると思う。生来頭が良いから、その知識を自分のものにできているんだろう」

 浜田巡査部長はそう言って、改めて誘ってみる。

「そのあたりも葛原麗華から聞けたら良いな。よし、行ってみるか」

 吉川巡査部長は捜査一課に戻らず、浜田巡査部長と肩を並べて、再び外へと出向くのだった。



 碧泉院流親占教会に赴いた二人は、やはりミーティングルームで一時間待たされた挙げ句、付き人を伴った麗華には、業務が忙しいので手短に、とあしらわれた。

 だが、ヒカリの占術と頭脳のお陰で二つの事件が解決しそうだと話すと、麗華は打ってかわって機嫌がよくなり、ヒカリのことを、今までになく多くを語ってくれたのである。

 二人は帰署すると、検討できる箇所がないか、今日麗華から聞けた話をまとめてみた。


 ヒカリは平成十四年十一月四日に、父・信太郎、母・睦美の第一子として生まれた。

 ヒカリの両親は共に占術士だったが、鑑定技術は母親の睦美の方が明らかに格上で、方位占術の上級鑑定占術士として、碧泉院流を支える一人として名を高めていた。

 睦美はヒカリを出産する直前に、生まれてくる子が加護を受ける方角だと言い、陣痛をものともせず東南東に産道を向けたという。


 幼少から生来の資質を見出されていたヒカリは、両親ではなく、麗華の占術の教えを受け、占術師として育てられることになる。これは麗華による下命であった。

 小学校から下校すると、総本山で修行し、夜に両親のもとに帰る毎日を過ごしていた。麗華は占術師の息子娘を幾人も教えたが、ヒカリは群を抜いて天賦の才能が豊かだった。麗華は碧泉院流の真髄である観相を継げるのはヒカリしかいないと確信し、持てる知識と観相術を伝授することにした。

 睦美はヒカリが帰宅してから、自らの方位占術を手ほどきしていたらしい。学校以外では修行に明け暮れたことになる。


 そんなヒカリが一度だけ、占術をやめたいと泣きながら麗華に訴えたことがあった。

 学校で友だちと遊ぶゲームに、必ず勝ってしまうのである。友だちみんなから、ヒカリはインチキだと悪口を浴びせられ、泣かされる日々が続いたのだ。

 麗華は友だちが悪いと決めつけ、そんな友だちとは遊ばないようにするよう言いつけた。だが修行三昧のヒカリは友だちを失いたくなく、ゲームの中に交ざりつづけていた。

 ある日、下校途中に道端で泣いていると、巡回中の警官が声をかけてきた。

 ヒカリは泣きじゃくりながら、わけを話した。すると、警官はあることをヒカリに耳打ちしたそうだ。

 次の日から、ヒカリはわざとゲームに負けるようになった。数日も続けると、接戦を演じるが勝ち切れない流れを作ったり、逆転負けになる演出を身につけ、上手に負けることが難なくできるようになったという。負けたあと適度に悔しがること、時おり勝ちも挟むことも忘れなかった。

 相手の言動や心理を読めて、人付き合いもうまいヒカリは、もともとクラスでも人気があり、いじめから脱したあとは、リーダーシップを発揮して、クラス委員にも選ばれたという。


 小学校を卒業した頃には、総本山でもあらゆる占術項目で秀でた成績を積み、観相を除いたすべての碧泉院流免許を許された。

 授与の夜、ヒカリは免許状を並べて、両親と料亭でお祝いをしたという。ヒカリにとって、生まれてから一番嬉しかった日となったのだが──。

 その翌日に、両親への殺害予告、間髪を容れずの悲劇だったのである。

 快活で泣き笑いの多い、おしゃべり好きだったヒカリは、両親を突然喪ったその日から、滅多に感情を見せない子となった。


 麗華はヒカリを手元で預かることにし、総本山に住まわせた。

 中学校へも総本山から通わせたが、進学予定だった学校とは学区が異なり、小学校時代の友だちとは離ればなれとなった。

 中学校では淡々と授業を受け、特に親しい友だちも作らず、放課になればまっすぐ総本山に帰ってくる日々を送った。

 占術士としては、ヒカリは師範代に昇格し、麗華の代わりに大事な支援者を鑑定するようになった。彼らを成功と幸運に導き、ヒカリの名は師匠と並んで政財界に知れわたった。

 ヒカリが孤児であることを知った有力者たちは、こぞって養女にと望んだが、もちろん麗華はことごとく拒みつづけた。


 独身を貫き、私生児も設けなかった麗華は、ヒカリを実の娘のように接し、愛した。

 だがヒカリは、麗華のことを尊敬する師として受け入れ、それ以上の愛情を示してはこなかったようだ。

 実の母親の死という出来事が、ヒカリに母親同然の存在を認めさせないのだと麗華は考え、ヒカリを養女にとる希望も口には出さないでいた。

 せめてくちさがない話ができる友だちのような相手をと、ヒカリに内弟子をつけたこともあったが、長くは続かなかった。


 そうして中学校も卒業して、もはや一級の占術士となったヒカリは進学をせず、師範代のみならず麗華の名代まで務めるまでになる。

 その年の十一月、ヒカリへの殺害予告が総本山に届いたのである。


 その後のことは吉川巡査部長も、ヒカリの夫の殺害事件を担当したので、おおよそはわかっている。

 麗華が計ったヒカリの結婚の経緯はここで初めて知らされたが、聞いてみればなるほどと唸らざるを得ない。

 浜田巡査部長は、ヒカリの半生を聞きながら暗い顔をしつづけていたが、私は腑に落ちないのですよ、とたまらず口を開く。

「どうして独立を許可されたんです? 光の路を開いて、正体もわからない殺人者に居場所を教えるようなものでしょう」

 麗華は涙ぐんでいた。そして、こう答えるのだった。

「ヒカリさんの強い希望だったのですよ。逃げも隠れもしない、私はここにいる、くるならこい。ヒカリさんなりの、犯人への挑戦なのでしょう」



 署の少年課で缶コーヒーを開けながら、浜田巡査部長は考え込みながら言う。

「母親のことを聞く時間がとれなかったな。それに、ヒカリさんと警察との関連が出てこなかった」

 吉川巡査部長も、母親のことは別の機会を作ろう、と言い、

「強いてあげれば、道で泣いている小学生だったヒカリさんに、声をかけた警官だが──」

 わずかな思い当たりを口にする。

 クラスでいじめられていたヒカリに、秘策を与えたとみられる警官。その後のヒカリに関与していたのだろうか?

 それだけの関わりだったかもしれないが、その警官を捜し出してみよう、と二人は頷きあうのだった。

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