第二話「死と変容」4
『光の路』を掃除をあらかた終わらせた午後二時に、再び吉川巡査部長がヒカリを訪ねてきた。
誰から見ても思い詰めた目の色で、ヒカリさん、いかんです、と声まで追い詰められた落ち込みようだ。
「奪われた車、見つからんのです……」
このままだと明日にも謹慎、後の懲戒処分が待っている。すべからず依願退職となろう。
「ヒカリさんには、私の明日の運命が見えてるんでしょうな」
「見えますよ。いつもと変わりないのが」
ヒカリは平然と言い切る。
「気休めはよしてください。私は車輌の捜索からはずされたのですよ」
頭を抱えて、吉川巡査部長は嘆くのだ。
ヒカリはそれを見ても落ち着き払っている。
「私、考えたのですけど、盗まれたのは警察車輌でしょう。犯人がそれと分かって盗んだかはともかく、車には警察ならではの装備があるでしょう? それを生かすなら、海外には出しませんよね。無線にしろ何にしろ、日本国内で使うからこそ意味があります」
「確かに……」
「そういう車が欲しい人というのは……?」
「暴力団、いわゆる反社の系統ですかね」
「そうだとすれば、窃盗犯からの受け渡しが、どこかであるじゃないですか」
ヒカリは地図を広げて、放射線を描いていく。吉川巡査部長は、その地図が全国図ではなく東京都内のものであることに、すぐに気づく。
「ヒカリさんは、まだ車が都内にあると?」
「私の方位占術では都内です。都内で受け渡しでしょう」
「しかし、見つける方法が……」
「吉川さん。盗まれた車の色を塗り変えられた場所は、真っ先にGPSを取り外す作業が必要なことからも、近所の修理工場しか考えられません。その工場から出た車が警察のシステムにもかからず、怪しまれずに公道を走れる。その理由ですよ」
「と言われましても……」
「理由は、その車種、色、ナンバー、いずれも符合する車が別に存在するからです」
「なんですって?」
吉川巡査部長は思わず腰を浮かせる。
「しかし、どうやって偽装できる車の存在を知れたのです?」
ヒカリはここで、はじめて、フフ、と笑いを見せた。
「修理工場だからですよ。この工場の修理受け付けの記録を押収してみなさいな。盗まれた車と同じ車種で、塗り変えた色と同じ色の車を修理しているはずです。そして、その車のナンバーも記録されてますよ」
「偽造ナンバー!」
吉川巡査部長も筋道が読めてきた。
第三者が所有する車と、ナンバーまでまったく同じ車に偽装したのだから、どのシステムからも抽出されない。公道を走っていてもまったく不思議ではないのだから。
吉川巡査部長はすぐに署に連絡をとる。
ヒカリは都内の地図をペン先でさして、方位は西北西です、と示すと、吉川巡査部長も、杉並から武蔵野の方面を指示する。
「あとは吉報を待ちましょう」
ヒカリはそう言うと、お茶でも入れましょうね、どうせすべての担当から外されてるのでしょう? ともうくつろぎの様子である。
「ところでヒカリさん。今日こちらに四十過ぎの女性がきたでしょう」
ヒカリのいれてくれた煎茶を一口すすってから、吉川巡査部長は尋ねる。
「いらしてましたよ。被験者さんです」
「あの女性、坪井美智子といいませんでしたか?」
入り口前ですれ違ったあと、何者かを思い出していた吉川巡査部長である。
「お名前までは聞いていませんが、どういう方ですか」
「十三、四年くらい前でしたか、当時十歳の男の子が自宅で事故死した出来事がありましてね。結論は事故でしたが、当初は殺人事件を疑って捜査したのですよ」
「疑わしい事実があったということですね」
「そうです。殺人の容疑者と見込んだのが、母親の坪井美智子だったのです」
「まあ……」
「私が担当したので、母親のことも覚えています。午前に、私と入れ違いでここに入っていくのを見まして」
ヒカリには件の女性が、複雑な感情を抱いているようには見えなかった。ただ、この世にいない息子の婚礼に、強い意志を持っているのはわかる。
その息子が死んだ出来事の背景に、ムカサリを行う理由がありそうだ。
「だいぶ年月が経ってしまってますが、吉川さんはまだその件を事故ではないと考えているのですか?」
事故と判断されても、吉川巡査部長は殺人事件の線を捨てていなかった、とみてのヒカリの問いかけである。
「ヒカリさんには隠せませんな」
「当時、過失致死でなく殺人で捜査されたのは根拠があってのことですよね。でも私は出来事の経緯は聞きませんよ」
近いうちに坪井美智子がまた訪れてくるはずである。鑑定前に、予断を生むような情報は得たくない。聞くなら本人からだ。
もしかすれば、鑑定後は、息子の話を聞くことになるかもしれない、とヒカリは予想する。強い意志をもって臨もうとするムカサリの可否が、母親の今後の運命にかかわる可能性もあるからだ。鑑定後に、もし母親の相に悪い機運が見えるなら、回避の力になるつもりだ。それが母親本人が望まないこととしても。
デリバリーヘルスのキャスト、ホナミの死は、ヒカリに大きな傷を残し、占術士としての在りようを変えると決心させたのである。
「坪井美智子は、どんな内容を占ってもらいにきたのですか」
やはり、吉川巡査部長はそこを聞いてくる。
事故で処理され、残り火もない件のはずだが、担当だった刑事の胸には見えない火種が燻りはじめている。
坪井美智子の鑑定依頼内容が、息子のことだと伝えるのは時期尚早。教えてしまえば、燻りは目に見える煙を立ち昇らせそうだ。そうヒカリは考える。
「それはお話できませんよ。お分かりでしょ?」
そろそろ鑑定所を開けますから、とまだ片付けていなかったハタキを、吉川巡査部長に向けて振ってみせ、ニコリとしてみせるヒカリである。




