第一話「運命の力」2
雑踏の喧騒を引き裂くような、若い女性の悲鳴が響いた。
数人の人だかりが左右に割れると、間から若い男性が転がり倒れてきた。顔の半分は赤く染まっている。殴られて鼻血がとまらないようだ。
「やめて──っ」
先ほどの悲鳴はこの女性からのものだ。
拳にものをいわせた男は、袖のない上衣をつけ、肩口あたりから二の腕にかけて、龍なのか蛇なのか判らないような刺青を覗かせて、取り巻く物見の人たちへ、攻撃的な睨みを送っている。
女性は怖れに負けず、細身の体をすがりつけ、あらん限りの力で刺青男を押しとどめようと懸命だ。
遠巻きに事態を見つめている人々を後ろからかきわけ、浜田巡査部長が息を切らしながら、状況を目の当たりにした。
一目で浜田巡査部長を警察官と察した刺青男は、舌打ちとともに反対方向に走り出す。
物見の面持ちで囲っていた人々も、みな一様に反射的に体を引き、道を開ける──いや、そこに、動くことなく立ったままの少女が一人残っていた。
行く手をふさがれた男は、少女を突き倒そうとして、瞬間、ウッと唸った。
少女の強い眼差しに、まるで太い矢を射かけられるような錯覚にとらわれた気がしたのである。
浜田巡査部長でさえ、少女の目力に気圧され、男を追いかける体の動きが止まってしまった。
年の頃は十六、七歳か。天然に軽くうねった黒髪を肩まで伸ばし、中肉の体つきとあどけなさを残しつつも大人びた相貌。とりわけ、一直線に突き刺すかのような視線の厳しさが印象的な少女である。
それでいて、表情に柔和さを備え、総身にはどこかもの悲しい雰囲気もまとう。数多くの少年少女と接してきた浜田巡査部長さえも、かつて会ったことのない佇まいだ。
対峙するように少女は腕っ節自慢であろう刺青男の前に立ち、その顔を強い眼差しでじっと見つめ始めた。ひとつ頷いてから、容姿とは裏腹の穏やかな口調でこう言い放った。
「あなたは今日これから、大きな金難と水難に見舞われるわよ」
「なにっ?」
思いがけない突飛な予言に、人一人を叩き伏して昂った勢いが一度に引いた。
「特に水難が大きいわね。命にかかわるかもよ。気をつけなさいな」
なにをおかしなことを、と言いかけて、刺青男は口を歪ませた。
ズボンの後ろポケットに差し込んでいた財布がないのである。ベルト通しに鎖と金具でつなげていたはずだ。
鎖を引き出してみると、金具から先が外されている。
「ちくしょう、あの女……!」
刺青男の想像通りのようである。女性はスリで、接触し油断させて、隙を見て財布を抜き取る手口が常套なのだろう。殴られた男をかばうためと見せかけて、刺青男に必死の体で抱きつきながら、ナスカン金具を外して財布を抜いたのだろう。
気がつけば、殴り倒した男も姿を消している。
浜田巡査部長は展開の意外さに呆気にとられながら、今目の前で起こっていることを整理しはじめる。
状況を見れば、女性と殴られた男性はグル。二人で何らかの揉めごとを起こし、仲裁に入った人間の懐を狙う、劇場型窃盗であろう、と。