第四話「ないしょの手紙」46
大原義隆の第一回公判はすぐに終わった。
検察は罪は重大だが初犯であることを考慮し、懲役五年を求刑、弁護側は事実関係は争わないとし、減刑嘆願の請求を受け入れて欲しいと嘆願書を裁判官に渡した。
ヒカリは迷った末に、嘆願者を作って、弁護士に郵送していた。他に、家族からの嘆願もあるはずだ。もう一冊があったことに、遠目からでは気づかない──。
十月に入るとすぐ、美歌の母が制作させたビデオが、瑠璃の学校の各教室で流された。
ヒカリは浜田巡査部長とともに、職員室でそのビデオを観る。
これは、いじめにあうことの苦しみとつらさを、一人称形式でつづるドキュメンタリー形式だ。
瑠璃のできごとに連想できるよう、いじめのきっかけを体のことに設定してある。
いじめられる主人公に感情移入できるような、うまい作りだ。
美歌の母がいじめ案件に手腕を発揮した実績に納得がいく。
午後からは講堂に生徒を集め、浜田巡査部長から、いじめ事案から犯罪として警察の捜査を受けるものはなにかを解説してもらう。
そして人道上よろしくない行為も示してもらうのだ。
家への貼り紙を取り上げていたので、瑠璃のことを念頭に置いていることが、誰にも伝わるだろう。
これは、今回は犯人捜しをしないという、西成家の意思表示でもある。
当初、浜田巡査部長は、法に反するのだから、少なくともみっちり油を絞るべきだと、警察官の立場で主張した。
しかし、すぐさま、実行犯ひとりをつかまえたとすると、それはつるし上げに等しいと、ヒカリが意見したのだ。
つるし上げを作ると、他の人が持つ瑠璃に対しての良からぬ感情が、憎悪に変わる危険をはらむと、ヒカリはきつい目で浜田巡査部長を見る。
瑠璃の父も、母の菜奈も、ヒカリの考えに従うのだった。
次の日。十月二日、土曜日の夜である。
菜奈の家には、ヒカリとあかりがきている。打ち合わせである。
瑠璃の父は夜勤のため、ここには気の知れた四人と、瑠璃の弟と妹がいる。
「意外に、って言ったら悪いかもしれないけど、どっちもそれなりに効果があったように感じたわ」
「へえ。美歌さんのお母さんはわかるけど、だめおやじもやるときはやるのね」
「でもこれらは下地よ。照準はXデー。六日の水曜日。瑠璃さんは四日の月曜日から登校してもらうわ」
「正直、学校の全員が何事もなかったように接してくれるとは思えません。でも、月曜日と火曜日の二日間は、なにがあっても放課までいてください。水曜日、お昼にはこっちの策が発動します」
計画を着々と進行させているヒカリを、瑠璃も菜奈も頼もしく見ている。
そんな母と姉を見て、感じるものがあるのだろう。
幼い瑠璃の弟と妹は、ヒカリの膝の上にちょこんと乗り、ニッコリしている。
「そろそろテレビをつけましょう」
今夜からはじまる週末夜の情報番組、スポーツのコーナーに澄花が登場する。
J1リーグ、J2リーグともに首位争いが佳境という時期での新番組であり、新コーナーである。
こちらもシーズン終盤であるプロ野球とメジャーリーグのコーナーのあとにコマーシャルがはさまり、MCの女性とともに、澄花が画面に映っている。
「あら、ずいぶん映りがいいじゃないの」
あかりがテレビ映えしている澄花の姿に笑顔で驚いている。
注目のマッチゲームをダイジェストで流したあと、
「それでは桜井澄花さんのポイント解説です」
決勝ゴールが決まる前のパス回し、パスコースの開けかたを、ふたりの選手の動きを追いかけて解説する。
そしてその動きが生まれる元となった数分前のプレイを見せる。
「この動きが頭に入っていたからこそのキラーパスなんですね」
澄花の解説は理路整然として頭に入りやすい。見逃されがちなプレイにも目が行き届いている。
「澄花さん、旧姓でなくて現姓で出てるんですね」
菜奈は著名人の女性は結婚後も旧姓を名乗るものだと思っていたらしい。
「選手時代は無名でしたから、旧姓を使う意味がないのでしょう。これから指導者も目指すのですので、現姓で活動しますしね」
澄花はユミカのいる事務所とはエージェント契約を結ばなかったのだ。
将来ライセンスを取得し、指導者の道を歩むために、フリーとして解説者の仕事を引き受けたのである。
もとより、ユミカのスキャンダル解決のために尽力した礼としての出演である。子どもを授かった場合も含めて、澄花の希望はみな通っているのである。
今日は初回完走の打ち上げがあるだろうから、ヒカリたちとの時間はとれまい。
「あとでお祝いのメールを送っておきましょう」
現役に別れを告げた澄花の、第二の人生のはじまりに、みな胸がいっぱいになっている。
月曜日、瑠璃は夏休み明けはじめての登校をする。
「おはよう」
そのあいさつは交わせるが、そのあとがつづかない。
みんなよそよそしい。何をどう話すか、わからないのだ。
予想できていたとはいえ、さみしい思いの瑠璃だ。
瑠璃のほうも、自分から話しかけて引かれたらつらい。なにも話せないで一日が終わる。
「水曜日のお昼までは、我慢よ」
ヒカリの言葉がなければ、耐えられなかっただろう。
その水曜日。ヒカリのいう、十月六日のXデー。
瑠璃が登校すると、すぐにクラスメイトのひとりが声をかけてくるのだ。
「瑠璃、テレビに出るの?」
今日の番組情報サイトに、プロデューサーの撮影裏話があり、急な生徒役俳優の差し替えのコラムが掲載されていたのだ。
代打の代打が粘りのクリーンヒット、と題されて、リテイクを繰り返した末のオーケーテイクを得た過程が書かれている。
「出番はちょっとなんだけど、見てね」
瑠璃ははじめて、クラスメイトと会話ができたのだ。
月曜日から登校させるのは、瑠璃がそこにいる状況への慣れを生むためだ、とヒカリは言っていた。
今話しかけられたのは、その状況があってこそかもしれない、と瑠璃は感じるのだ。
そして昼休み。担任に呼ばれた瑠璃は、職員室で今日発売のPANDAーY誌を見せられる。
「話は聞いていたが、本当に西成か?」
開いて見ると、読者モデルのトップの扱いで掲載されている。ミドルティーンがトップに持ってこられるのは珍しい。
撮影現場でプレビューを見せてもらっていたが、誌面になるといっそう映えて見える。自分ではないくらい、モデル然としているのだ。担任も驚くはずだ。
最後に撮った水着の掲載はなかった。別のモデルの着用写真に変わっている。
そのモデルが明らかに高校生以上の年齢なのをみると、瑠璃の年齢と発達途中の体型を鑑みて、水着は見送ったのだと思われる。
PANDAーY誌は昼休み中にクラスに回覧された。浜田巡査部長によることだが、実のところはヒカリの指示なのだ。
「瑠璃さんのことで、もっと大きな話題を作るのよ。裸の画像のことなんか消し飛ぶくらいのね」
読者モデルとドラマ出演をさせた意味はこれだったのである。
ヒカリは、ユミカと事務所の社長に協力を願い、瑠璃を助けたい気持ちでいっぱいのユミカは、私が主導してやります、と息巻く。
折しも少し前に、懇意のプロデューサーから代役探しの話を聞き、ヒカリの親友である佐藤栞を抜擢することを持ちかけたが、栞はキャビンプロモーションを退所していた。
その穴に、瑠璃を持ってこられるとは、なんとタイミングのいいことか。
ドラマのオンエアと同日の発売になるファッション誌はPANDAーY誌しかなかったが、ヒカリが瑠璃をモデルに使える企画はないかと尋ねたところ、読者と等身大のミドルティーンモデルの提案を受けたのである。
美人でも可愛いともいえない、普通の顔立ちで、体型も標準。
顔もスタイルも良いモデルに憧れを持って、あの人と同じ服を着てみたいと思わせるのがファッション誌だ。
だが瑠璃は、多くの読者が自分に近い容姿の存在として、それを引き立てるコーディネートをまとう。
瑠璃がモデルとなったアイテムは、どれも想定を大きく上回る売れゆきを記録した。
思いがけない反響に、提供メーカーは瑠璃の再起用を要望してくる。
「憧れられるモデルさんと違って、自分を移入できるモデルさんは、出すぎると飽きられるというリスクもあるのよ。本当にときどきのモデル業にしておくのが正解よ」
ヒカリの忠告を守って、瑠璃はワンシーズンに一回の読者モデルを務めることになる。
しかし、一度メディアに載ってしまうと、ファンがつくのもこの世界だ。
一週間もせずに、瑠璃の普通すぎる雰囲気に、男女問わずの固定ファンが生まれるのだった。
そのうちに、瑠璃がインターネットに流された性的な写真への言及も散見されてくる。
編集部はリベンジポルノからの顛末を聞かされているので、ヒカリに対応を依頼する。
ヒカリは、最後の後始末と言って、編集部がつくった瑠璃のモデル用アカウントに、こう書き込んだ。
「訳あっての画像です。瑠璃のお願いです。消してくださいとはいいません。お持ちのかたは、大事に持ちつづけてください。瑠璃とあなただけの秘密です!」
個人が保存していたものを消させることは、土台無理なのである。それなら、個人所有にとどめさせるしかない。
瑠璃が十八歳未満ゆえに拡散が法に触れることを書かなかったのは、所有者が瑠璃とのふたりだけの秘密を共有している感覚を強めるためだ。法の罰を受けるからではない、所有者がすすんで拡散をしない気持ちにさせる手法をとったのである。
「これは効いたわね」
ヒカリの策は当たった。
もはやクラスメイトは、瑠璃と仲良くすることがステイタスになっていた。
画像のことを知っている生徒は、誰かとエッチしたの?と、ないしょに聞いてくるのだが、
「残念ながらまだ。将来にとっておくわ」
と瑠璃は笑って受け流す。
画像のことを隠すことなく、瑠璃は元の生活を取り戻し、さらに人気者になっていった。
瑠璃の性的な画像がはじめてネットに出てから、ひと月半。期間以上に長い戦いだった気がする。
ヒカリは私室でひとり、圭吾と自分の写真を前に、静かに感慨にふけるのだ。
『光の路』に吉川巡査部長がきたのは翌日だった。
「ヒカリさん。署までご足労願えませんですか」
硬くこわばった顔で、覆面パトカーに乗るよう促される。
「ちょっと! どういうこと?」
あかりが吉川巡査部長の顔に唾を飛ばして、つかみかかっている。
瑠璃の被難が終結し、ヒカリとあかりは、百合のところへ遊びにいく支度をしていたのだ。
「海外の警察から、人物照会がきました」
「なんですって……」
あかりは呆然となるほかない。
海外のサイトは被害を届け出ないだろうと思われたが、読みが甘かったらしい。
「わかりました」
ヒカリは、自ら覆面パトカーに乗りこむのだ。心の中では覚悟をしていたに違いない。
「そんな……、嘘でしょ……」
あかりは手にしていた宿泊荷物をバサリと落としてしまう。
「あかり……」
どんな別れの言葉をいえばいいのか、ヒカリはわからない。
「あかり……、じゃあね」
その一言だけを残して、ヒカリは連れられて行く。
「ヒカリ! ヒカリっ!」
あかりの叫び声が、車が見えなくなってもなお、こだましつづけている。
次回の47が、第四話の最終回です。




