事件
本作品は歴史物語ですが、度々横文字が使われています。物語の内容自体も歴史にそぐわないものではありますが、語感やストーリーを優先させてそのようにしました。予めご了承ください。
注意:今回は特に残虐なシーンが含まれています。苦手な方はお控えください。
最初に事を察したのは薫子の悲鳴からだった。早朝である。長谷川勇介は爆睡していたが、薫子の悲鳴で目を覚ました。盗賊たる者、寝ている間も油断してはならないからすぐ目が覚めたのだ――と言えばカッコつけられるが、なにせ薫子の悲鳴は女子特有の突き刺さるようなものだったから、目を覚ましただけのことである。
ここで、何故早朝から薫子がいるのかということを説明しておこう。犯人探しをすると決まった際、商人のおっさんはその見返りとして、衣食住を保証した(なにしろ、俺たち全員碌な場所に住んでいなかった)。その衣食住の住に現在、犯人探しをする勇介を含めた六人が暮らしているのである。場所は朝香村の、笹身山に少々食い込んだところだ。もう少し朝香村の中心に近いところがよかったというのが本音だが、今更わがままを言ってられない。中は広々としていて居心地がいい。洋風で、建物を囲って柵なんかもついている。なかなかに豪華なものだ。おっさんがどうしてこんなことをしてまで犯人探しをさせるのかはわからないが、今のところ怪しいことは何も起こっていない。
話を戻して、目が覚めてから何が起こったか分からずぼんやりしていると、西田照が転げ込むようにやってきた。
「ひ、人が死んでる……!」
それは、建物の扉を開けて目の前に、皮肉にも見せつけるように置いてあった。
両手両足は丁度大の字になる形で二本の木に釘で刺されおり、身体が見事に引き裂かれていた。八つ裂きという言葉がぴったりだろう。血と脂肪が滴り異臭を放っている。外気に触れたばかりの大量の血液の臭いだ。皮は破け、ぶらぶらと揺れており、肉塊が丸出しだ。口からは無数の蛆が蠢いて、開かれた眼窩からは白濁した眼球が今にも溢れそうである。
まるで、野獣にでも引き裂かれたようだ。身体の奥底から生理的な嫌悪感が立ち上がってくる。臭いをまともに嗅いだせいで、嘔吐感が腹の底から込み上げてきたが、ぐっと堪えた。
血と脂肪が辺りに飛び散っていないことからここで殺された訳ではなさそうだ。血が乾いていて水気が無いことから死後時間が経っていることがわかる。しかも周りに血などの跡が残ってない事を見ると、袋にでも入れたか、籠にでも入れたか、何らかのものに入れて運ばれただのだ。しかし、人を一人持ち上げて手足に釘を刺すなど、一人では到底無理である。そして、血も相当につくはずだ。
不幸中の幸いは腐敗がそれほど進行していなことである。風通しがよく、乾燥した時期であったのがよかった。死体は体格から男のしかも老人であることがわかる。頭からも血が流れており、鈍器で殴打されたのだろう。
勇介が一番に感じたのは、殺した犯人の人間に対する尊厳のなさである。即物的でモノのような扱い。死体を道具としか思っていないようだった。さらには、死体を捨てたり隠したりするどころか、まるで勇介たちに見てくださいと言わんばかりである。その行動は理性の埒外にあり、掛け値なしに異常者の仕業としか言いようがない。
勇介はまたある事に気づいた。
首に傷跡がある。しかし、これは様子からして殺されるもっとずっと前に作られたものだ。その証拠に血は流れておらず、傷口は塞がっている。勇介は死体の顔を覗き込んだ。運よく顔は原型をとどめている。
これは――
心臓がどくどくと嫌な風に動き始めた。
これ、小道具屋の爺さんじゃないか。
その瞬間肩を叩かれた。振り返ると桜がいた。鼻を塞いでいる。不味そうな顔をしていて顔色も悪いが両足で立っているだけでもマシといったところか。照といったら青い顔で腰を抜かして呆然としている。使い物になりそうではない。薫子の姿は何故か見えないが、どこからか盛大に吐く音が聞こえた。
「今、佐吉が人呼んでる」
そう言うなり、何かを勇介に押し付けてきた。小さい紙である。見るとさらに心臓が鳴った。
――余計なことはするな――
例の犯人は勇介たちがうろちょろと動き回っていることも、勇介たちの素性も知っているわけだ。犯人を捕まえようとした作戦がかえって仇討ちになったのだ。
戦慄。
静寂な空気が辺り一遍を支配していた。
* * *
「どうするんだよ」
この状況でこの言葉以外発しようがない。
西田照の脳裏にはあの光景が焼き付けられた。まさに八つ裂きを体現した死体。あの殺し方には情のかけらもなかった。あの死体がどうなったかは知らない。佐吉が連れてきた可哀想な役人が片付けるのだろう。もとより、照は建物に引っ込んでしまったのでわからない。どうするんだよと言ったのは勇介である。明らかに不満そうだが、本当に不満なのか、気持ち悪さを隠しているのかは定かではない。
「あんまり目立つ事はしない方がいいな」
そう言ったのは佐吉である。
「そもそも犯人の目的が何かも定まってない」
「野坂家への宣戦布告みたいなものじゃないんですか?」
桜が聞く。
「確定してそうとは言えない。 犯人の被害者に対する怨恨の場合は最も手っ取り早いけど、その線はなくなってる。 こんな風に死体を目立たせる必要がないから。 犯人の殺害方法と処理の仕方から、問題は二つに分岐する。 まず、犯人の動機が快楽殺人である場合。 そして、もう一つは、さっき桜が言った当てつけ。 そして、世間の混乱を招くこと。 殺害のパターンは色々考えられるけど、憂うべきは本質だ。 どのパターンでも卑劣極まりないけど、更に厄介な事になる可能性がある。 性質上二つの分類に分けられるんだ。 一つは被害者に何らかの関係がある場合。 共通点といってもいい。 法則性があれば、どういう人が狙われるのかを把握できる。 最悪なのは、無作為に被害者が選ばれている場合だ。 いつ誰が狙われるか分からないと、村民の混乱を招きかねない。 それだけで終わればいいけど、恐怖の民意が増大した場合は村の機能さえも麻痺しかねないんだ」
「じゃあ、まず殺された人たちについて調べればいいって事?」
薫子が聞く。
「そう。 だけど、こそこそ嗅ぎ回ってたらそれこそ怪しい。 行動できる範囲が狭まる。 だから、僕が役所に交渉しよう」
「はあ?」
勇介が呆れたように唸った。
「何言ってんだお前」
「その言葉の通りだね。 征侑士として役所に正式に頼み込む」
「それ、職権濫用って言うんだぞ」
「それも特権だ」
つまり、征侑士の権力を使って正式な捜査を交渉するというわけである。征侑士は役所の中でもかなりハイスペックだから、権力は強い。
「アホか。 お前、一応辰巳さんを殺す任務中だろ。 他の征侑士にバレたらどうするんだよ」
「越中と伊豆は遠い。 そう簡単に情報は出回らない。 仮にバレたとしてもタイムラグがある。 その間に全て片付ければいい」
「そりゃ出来なくないだろうけどリスクが高すぎだろ。 相手から手を出すなって言われたばっかりだぞ。 そんなことしたら俺らが殺られるかもしれねえ。 動くのは早すぎる。 賭けと同じだ」
意外と勇介は無鉄砲に見えて慎重である。逆に佐吉は冷静に見えて賭けに出るタイプだ。
「リスクのない賭けなんてない」
佐吉は勇介を睨む。
「大体、君はちょっと手伝うだけだって念を押したらしいじゃない。 それなら、あまり口出ししないでいただきたいね」
ちょっと、というところをやけに強調した。
勇介は白目を剥いた。
「うるさい!」
まるで幼稚園児だ。
「俺は忠告してるんだ!」
「じゃあありがたく受け取っておくよ。 でも、僕はやる」
しばらく二人は睨み合った。どうやらこの二人は馬が合わないらしい。睨み合いに負けたのは勇介だった。
「俺だって乗りかかった船だからな」
野獣のように舌舐めずりした。
「やってやんよ」
* * *
昆虫。
彼女の言った事は妙に説得力があるように思えた。
知性のない者は皆、昆虫。興味もないし、積極的に関わろうとも思わない。中には昆虫を恐れる者もいるが、それは単に話が通じないから怖いというだけだ。
しかし、ふと突っついてみたくなる時がある。ひっくり返したらどうなるかな。つまんでみたらどうだろう。
そしてまた――彼女にとって、これもある種の観察なのだろう。
瀬名は死体を乗せた台車をごろごろと引いた。
* * *
新たな死体が発見された。
異臭騒ぎが原因だった。朝香村の最南端に位置する地域だ。不審に思った住人が異臭の原因を調べたら、死体を発見したのだ。
そして園田桜はその死体をこれから生で見に行く。
何故なのか。
ことの次第は少し前に遡る。佐吉は宣言したとおり、征侑士の権力を行使し、正式なる調査を交渉しに行った。ちなみにだが、これには商人のおっさんも一枚噛んだらしい。曰く、六人もの人間を口車に乗せて犯人探しという酔狂なことをさせる口は持っていく他ない、というわけだ。なにをどう口説いたかは知らないが、事実、結果がものを語っている。
そして、新たな死体が発見された時も、佐吉はそれを見せるよう役所に詰めかけた。なんとか了承を得たのだが、さすがに佐吉一人で行くわけにはいかない。そして、佐吉以外で死体をまともに見られる人間は桜しかいなかった。というもの、勇介が全く行こうとしなかったのだ。勇介は佐吉と馬が合わず、ちょっと拗ねている。子供か。他の三人は既に対象外だ。
死体は未だ放置されっぱなしらしい。誰が死体を片付けるのかを押し付けあっているのだろうか。
人がかたまっていたので場所はすぐにわかった。近づいた途端に、いきなり飛び込んできた異臭に鼻が曲がるかと思った。嘔吐する寸前、喉元で抑え込む。
死体は木を背にして縄でぐるぐるに縛り付けられていた。とにかく至るところをメッタ刺しにされている。おびただしい数のハエがたかっているのは、そこが傷口だからだろう。二の腕や腹が見事に膨満していた。顔は垂れ下がっていて見えない。口には猿ぐつわがされている。
佐吉は躊躇なく死体を覗き込んだ。桜は佐吉に好意を持ってはいるが、これに関しては受け入れかねる。佐吉は感覚が麻痺しているのではないか。
しかし、ついて来たからには桜もどうしても見なくてはならない。仕方なくしゃがむと、必然的に死体の顔が見えた。
その瞬間、桜は頭ががくんと揺れた。膝から崩れ落ちた。
死体は桜の父親だった。
本作品はフィクションであり、登場人物や作中で起こる出来事は全て創作です。