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更に出会い

本作品は歴史物語ですが、度々横文字が使われています。物語の内容も歴史にそぐわないものではありますが、語感やストーリーを優先させてそのようにしました。ご理解よろしくお願い致します。


「着いたー!」


 朝香村に到着した。

 朝香村というのは笹身山の麓にある、自然豊かな土地である。田舎である一方、大変栄えている。景色が美しく、他の土地から旅人が多く訪れるのだ。おかげで中心部は商店が多く並び、大変な賑わいである。が、中心部から少し外れると田んぼが広がり、静かで平穏な雰囲気が流れる。この二面性が朝香村に人口を集中させるのだ。だが、そんな朝香村だからこそ闇も深い。朝香村が抱える闇――その原因と言ってもいいかもしれない――が野坂道残のざかどうざんの存在である。彼が朝香村の城主なのだが、この男、元来朝香村含めたこの国、越中を所有していた野坂氏門という大名の息子である。そんな彼が何故朝香村という田舎で城主を務めているのかというと、それは彼自身に問題があった。怠け者なのである。昔から学問も武術も真剣に学んだことがない。役立たずなのだ。その上暴君としても名高く、それに関する伝説は数知れない。初めて朝香村に来た天間佐吉でさえも、知っているエピソードは山ほどある。が、あまりに多くキリがないので今回は割愛しよう。要は良いところなしなのである。そのような人間に国を継がせるわけにはいかず、氏門は泣く泣く重臣に国を預け、道残にはせめても朝香村を与えたのだ。ここはそういう土地なのである。

 佐吉は辺りを見回した。

 人が多く、混み合っていて、道沿いには商店が沢山並んでいる。

 とりあえず歩くかという流れになった。このような知らない土地の場合、歩く他ない。

 佐吉は自分が美しいことを自覚している。これは確かに、生まれながらの仏様からの贈り物である。が、ここ最近は鬱陶しいというか、うんざりしてきていた。この美しさも、いざという時には大して役に立たないことを痛感したのである。そして、美しさはある意味障害となり得る。この障害というのは人によって異なるだろうが、佐吉の場合は美しさが努力を隠してしまった。つまり先天的なものがあまりに強烈ゆえ、後天的なものを飲み込んでしまったのである。

 昔から佐吉は秀才だった。勉学はよくできたし、武術も人より抜きん出た実力を持っていた。そのおかげで、天才だのなんだの言われて、羨ましがられた。妬むことさえさせないほど、なんでもできた。褒められたところでもはや嬉しい気すらしない。それでも天才だとか才能があるだとか言われることは非常に多く、その度に佐吉は心の奥底で、それは違うと否定しているのだが、誰も知る由はない。

 とはいえ、自分の容姿や能力を利用してどうこうしようとは思わない。ましてや女をはべらかそうなど——これもよく言われることだ——思わない。生まれてから今までそんなこと考える余裕などなかった。そんなヒマなどなかった。これまで人生の全てを苦労というものに投げ捨ててしまった気がする。

 そんな益体もないことを考えながら歩いていると、特に人が賑わっている場所があった。女が芸をしているのだ。綱の上で様々な技を披露していた。大道芸である。


「すごいねえ」


 勇介が感心したように言う。

 確かに、女が技を披露する度に拍手喝采されていた。

 その後、三人で話し合った結果、しばらくは小さな安い宿に泊まり暮らしすることになった。宿の名前は「おもの宿」だ。いかにも胡散臭い名前である。しかも一人一泊三十文ときた。怪しくてしょうがないが、部屋に入ると合点した。何もかもが古いのである。まず梁が歪んでいる。入り口の襖は普通に開けただけで全開になる程緩んでいるし、部屋を仕切る方の襖は相当な力を入れないとびくともしない。これほどの安価では襖の紙さえ張り替えられないのか、見事に破れている。なるほど、三十文の宿なわけである。

 三人で泊まり暮らしするというのはつまり、勇介も照も一文なしなのだ。ここまで旅を共にした手前、ここで見捨てるのはさすがの佐吉も気が引けた。

 とはいえ、彼らが何者なのかという問題は解決していない。勇介はまだしも、照はまだ何も分からずじまいである。彼女は自分のことを家出娘だと言ったが、あれは嘘だ。佐吉が照の身の上を聞いた時、彼女は一瞬息を詰まらせた。その後、冷や汗が垂れているのを確かに見た。だが、あの断固とした目からそう簡単には正体を明かさないと判断したのだ。ただ、照が勇介を朝香村まで連れて行こうとしたのは予想外だった。彼女はあの時拳を握って熱弁を奮っていたが、あれは感情論でしかない。だが、それがなんとなく良いように働いた。佐吉が見るに勇介は押しに弱く、人情に熱い男である。鹿も逃げれば躊躇なく撃てるが、寄ってくれば撃てないというものだ。いずれにしても、彼らは敵ではなさそうである。

 その日の夜である。

 荷物整理していた時のことだ。宿の部屋から照が一旦出て行った隙に、こそこそと勇介が近寄ってきた。


「なあ、お前、カノジョいたことある?」


 佐吉は勇介の顔を見た。


「なんで」


 勇介は口を尖らせた。


「なんでも何もただのおしゃべりじゃんか」


 佐吉は荷物整理に戻った。


「君はどうなの」

「そんな教えてくれないのに言うわけないじゃん。 教えてくれたら別だけど?」


 妙にくねくねしながら言う。

 勇介はさらに身を乗り出してまだ続けた。


「どんな娘が好きなの?」

「別にないけど」


 ええ〜つまんないのと勇介はだらける。


「やっぱり俺は可愛い感じの娘がいいなあ」


 一人でときめいている。


「守りたくなっちゃうような? 肌が白くて小柄でほっそりしたカンジがいいよなぁ。 優しくてさあ、大人しい感じでさ。 間違っても照みたいな女じゃねえよなあ」

「ねえ」


 最後の声は佐吉のでも勇介のでもなかった。驚いて振り返ると、勇介の真後ろで照が屈んで覗き込んでいた。顔だけ勇介の肩からひょっこり出ている。結構不気味な眺めである。

 勇介はあまりの驚きに、振り返った勢い余って尻もちをついていた。


「い、いつからいたんだ?」

「最初から聞いてたけど」


 勇介は絶句している。


「だってさっき部屋から出てたじゃんか」

「あれは鍵閉めに行っただけよ」


 この部屋は手前と奥の間に襖が一つある。だから、出て行ったと勘違いしたのである。


「そしたら何か変な話が聞こえたから」

「いるなら言えよ、お前忍者か」


 すると、照の表情が一瞬固まった。ぎょっとしていた。ほんの一瞬である。だが、佐吉は見逃さなかった。確かにそれを見た。


「そんなわけないじゃない」


 それで、と続けた。


「これから皆んなどうするつもり?」


 もう日が沈みかけている。今日はゆっくり休んだ方が良い。

 照は勇介を見た。


「あんたは? 遊郭にでもお出掛け?」


 勇介は佐吉と照の顔を見比べた。

 

 * * *


 結局昨日、勇介は遊郭には行かなかった。今日は他の二人が何をしているかは知らない。佐吉には佐吉のやる事があるだろうし、勇介と照はもとより、目的があってここに来たわけではない。

 照は何の目的もなくただ歩いていた。

 さて、これからどうしようか。

 ずっとあの二人にくっついているわけにはいかない。だが、仕事がなければお金も稼げない。

 ああもう、全く頭が働かない。自分に何ができるというのだろう。今までずっと、忍者道場という場で厳しいながらも護られてきたのだ。それを急に外へ出たところで、何をすべきか、何が出来るかなんて分かりっこない。今、初めて自分が道場でどれだけ護られていたのかを実感している。

 すると、道端にまた人だかりができていた。見てみると、昨日と同じ女が大道芸を披露していた。

 昨日は通りすがりに少し見ただけだったが、やはり凄い。思わず目を奪われた。

 芸は終盤だったらしい。すぐに終わってしまった。

 客がお金を投げる。女は恭しく礼をした。

 女は黒色の長く美しい髪を下ろしていて、礼をした拍子に肩から髪がさらりと落ちた。華やかな衣装を身につけていて、笑顔が眩しい。美しいというよりは可愛い系だ。大きな目はキラキラと輝いている。顔の部分、配置、体型ともに全てのバランスが良い。決して美女ではないが、それに勝る魅力がある。

 照は女に近づいた。あまりに凄かったから声を掛けようと思ったのだ。照は暇人なのである。後にも何も用事はないし、見知らぬ人に声をかけるくらいの出会いがあっても良いではないか。女はすぐに照に気づいた。


「昨日、通りすがった人でしょう!」


 声が高くて、とても親しみやすそうな気がする。

 それにしても、照たちが芸を観たのはほんの短い時間だった。それなのに覚えているのだろうか?


「昨日すごくかっこいい人といたから覚えてるわよ!」


 そういうことか。


「あの、ホントに凄いですね」

「本当? ありがとう!」


 この人の笑顔はまるで太陽のようだなあ。

 明るくて眩しいのだ。


「あの、お金持ってなくて、あげられないんですけど、本当に感動しました」


 すると、女の人は慌てて手を振った。


「そんな、お金なんて。 観てくれて感動したって言ってくれるだけで嬉しいのよ」


 女はにっこり笑った。


「私、千葉薫子ちばかおるこって言います。 よろしくね」

「わ、私は西田照です」


 そう言って握手をした。


「あの、ずっとここで芸をしているんですか」


 薫子は首を横に振った。


「ううん。 日本全国旅をしながら回ってるの。 しばらくはここで芸をしてお金を貯める予定だけどね」


 すると、突然薫子は目をぱっと輝かせて言った。


「お金がないって言うならさ、私と一緒にご飯食べに行かない?」


 そう言って連れて来られたのが、狭くて客もほとんどいないうどん屋である。


「ここ、私はまだ食べたことないんだけどね。 人があんまりにいないから気になっちゃって。 きっと美味しいわよ」


 うどん屋はいわゆるテーブル席で、照と薫子は向かい合って座った。薫子が奥側である。

 ぱっと見は何の変哲もないうどん屋だ。特別な欠点は見当たらない。しかし、あまりに人が少なすぎる。一番奥に、加齢臭が漂って来そうなまるまるとしたおっさんが一人いるだけだ。他の店と比べても、この人の少なさは異常である。照は不安になった。

 本当に安全な店だろうか?

 数字は全てを物語るものである。

 うどんを待っていると、どこからかひどく(くさ)いというか、変な(にお)いがしてきた。

 なんだこの(にお)いは?

 辺りを見回して判明した。正体は、照たちよりも店の奥に座っていたおっさんのうどんだった。遠くから一目見ただけで分かる。絶対にあれだ。

 真っ赤なのである。激辛うどんである。

 そうだ、これ(から)い臭いだ。

 見ただけで(から)そうなのに、(にお)いが相当きつい。激辛どころの騒ぎではないのではないか。

 また、そのおっさんがおっさんで、何の躊躇もなくうどんをすすり上げ、平気な顔をしているのである。

 薫子が鼻をつまみながら顔を寄せた。


「どういうこと?」


 照に分かるわけがない。

 すると、おっさんがくるりと振り返った。ざっとおっさんまでは三メートルほどか、


「今、どういうことって言っただろ」


 聞こえてたらしい。


「いっぺん食べてみるか?」


 おっさんは自分のうどんのお椀を差し出した。

 仮にどれだけ美味しそうな食べ物でも、おっさんの食べかけを食べようとは思わない。照や薫子だって堅気の女子なのだ。堅気という意味がちと微妙だけれど。


「まだ俺の食べた箸つけてねえから大丈夫だよ」


 と半ば強制的におっさんは箸の反対側を使って、既に置いてある取り皿にうどんを分けた。


「ほら、食べてみろ」


 照は薫子と目を合わせて、おそらくそれぞれ同じ気持ちであることを確認した。

 こんなに(くさ)くて(から)い食べ物は絶対に食べたくない。仮にも、おっさんの食べかけのうどんだ。箸を手に取るにも勇気がいるではないか。しかし、おっさんが見ている。初対面の年上だ。言い換えれば人生の先輩である。いくらなんでも、おっさんの食べかけの激辛うどんを、女子二人に食べさせるなとは、言えない。

 さあ、どちらが先に手をつける。


「お前ら今食べたくないって思ってるだろ」


 何だこのおっさん。


「早く食べろよ」


 照は意を決した。あの苦しかった忍者道場よりマシだ。息を吸って、一本だけ箸でとって口に入れた。

 激辛だった。

 むせて、まるまる一本うどんを吐き出しかけたが、根性で留めた。涙が出てきた。

 一本だけでこれか?

 おっさんはというと、照を見てにやにやしてる。

 こうなると薫子も食べないわけにはいかなくなったのだろう。深呼吸して一本口に入れた。当然の如くむせた。目の淵が赤くなっている。


「おじさんはこれを食べるんですね」


 本当は、(くさ)いし激辛の——言えばとてつもなく不味いうどんをよく食べられますねという意味だろうが、あえては言わない。


「お前らはこれが(から)いだろう。 俺がよく食べられると思っているはずだ」


 おっさんは、さっきよりもさらににやにやしながら言った。


「だがな、この(から)さは特別なんだ。(から)くて不味くてもこれは絶対に必要なんだ。お前らが感じてる(から)さはお前らだけのものだからな」


 謎発言だ。


「ま、若いお前らには分からんか」


 おっさんはしっしっと手を振ると、さっさと器を持って元の位置に戻ってしまった。


 * * *


 夜、いつになっても勇介が帰って来ない。佐吉も居場所を知らないらしい。

 照は心配になった。何者かに襲われているのではあるまいか。勇介は命を狙われている身なのだ。


「まあ、明日まで待ってみようよ」


 一抹の不安を抱えたまま、照は就寝した。

 しかし、次の日に目覚める前に勇介は帰って来たのである。

 真夜中だった。寝静まっていて、日本中の誰も起きていないような時間帯だ。がたごとと騒がしい音がして照は起きた。見れば、佐吉はとっくに覚醒していた。

 何かを引きずっているような音がする。誰かの話し声もだ。そして何か奇妙な音が聞こえた。佐吉と照は思わずという感じで顔を見合わせた。

 何これ?

 部屋の戸が叩かれた。何回も何回も叩かれている。照が明かりをつけて、佐吉ががらりと戸を開けた。

 そこには知らない女と、勇介がいた。

 綺麗な女だった。美人系だ。身なりは随分と派手で、豪華な髪飾りに濃い化粧、華やかで目立つ服を着ていた。勇介はその女にだらんと寄りかかっているのである。つまりは泥酔していたのだ。一人で立てないくらい酔っ払っているのだろう。この姿を見れば何となくどういうことか想像がつく。

 呆れたものだ。

 佐吉は呆れるどころか無表情でこの状態を見ている。

 さっきの引きずっている音は女が勇介を支えて歩く音、話し声は女が勇介に声をかけているもの、奇妙な音は勇介が酔っ払って発した声だったのだ。


「どうなされたのですか」


 佐吉が聞いた。事情を聞かなくても大体分かる気がするが、建前だ。

 一方で女は目を大きく見開き、顎を引いて佐吉に見惚れてた。佐吉を初めて見る人は皆んなそうなるのである。

 佐吉に声をかけられてはっとしたらしい。


「夕方に、勇介さんに声をかけられて一緒に食事をしたのですが……」


 食事、ねえ。


「この人ったらすっかり酔っ払ってしまって、一人で帰れなさそうだったので連れてきたんですけど……、ここで大丈夫ですか」

「はい……」


 苦々しい顔をしながら佐吉が勇介を受け取る。

 照は聞いた。


「あの、こんな真夜中に今から帰るの大丈夫ですか。 何かあるかもしれないし、危険じゃないですか。 もし良かったら泊まっていっては……」


 佐吉が明らかなる嫌悪を表した。その途端、己の軽率さを悟った。一時的とはいえ、現在照たちの大黒柱を担っている佐吉になんの断りもなしに、要らぬお節介を焼いてしまった。何にしろ権限を持っているのは全て佐吉なのだ。大して何も考えていない発言だったが、尚更後悔の念が押し寄せる。が、佐吉も相手が目の前にいるからか、何も言えない。

 女はその一部始終を見ていた。


「確かにそうですね。 でも、迷惑なのでは……」


 お節介というのは最後まで突き通すか、相手が断りきる他しないとただの偽善者になってしまう。この場合前者が当てはまる。

 照は開き直った。


「そんなそんな! 迷惑かけてるのむしろこいつだから!」


 照は勇介の胸ぐらを掴んで引き上げた。勇介はぐうと唸った。


「お詫びだと思ってください。 私も女の子といる方が楽しいのよ」


 佐吉は黙っている。照の判断が間違っていなければ、渋々ながら承諾したということだろう。後で怒られるかもしれないが、今更構わない。佐吉は冷酷に見えて、こういうところでは優しいのである。それが短いながら一緒に旅をした照の鑑定だ。

 女は佐吉の様子を伺いながら、遠慮がちに笑った。


「じゃあ、そうしようかしら」


 そして言った。


「私の名前、園田桜そのたさくらです」


 佐吉が勇介の面倒をみている間に、照はせっせと桜の世話を焼いた。

 桜は化粧を落としても美人だった。ただ、化粧を落としても派手な顔つきをしていた。気が強そうな眉に、芯の強そうな目。つんと上向きに沿っている鼻と頑固そうな口元。しかし、話し方も落ち着いていたし、礼儀正しかったから感じが良かった。が、人をそう簡単に判断してはいけない。

 照が着替えるための服を持って来ると、桜は顔を洗っていた。近くに服を置こうとした時、いきなり腕を引っ張られた。がっちり掴まれて動けない。凄い力だ。桜は声を潜めて、低い声で言った。


「あんた佐吉さんのカノジョ?」

「へ?」


 桜は照にぐっと顔を寄せた。この眉間の深さは若い女のものとは思えない。


「あんたあの人とどういう関係?」


 照は焦っていた。頭が追いつかない。冷や汗が垂れた。


「友達っていうか、ただの通りすがりの人っていうか、なんか成り行きで一緒にいますけど別に何も無いです!」


 桜は彫刻で刻んだような皺を眉間に拵えたまま照を睨んだ。


「じゃあ、あんたたち何の関係も無いのね?」


 照は赤べこのように首を縦に振った。

 すると桜は急に力を抜いて、突き放すように照を押し戻した。そして、考え込むように呟いた。


「じゃあ狙い所ね」


 鏡なんて高価な物はここには無い。しかし、もし照の顔を映したならば、きっと目をシロクロさせていることだろう。


「ね、狙い所?」


 桜は大きな目で照を睨んだ。


「当たり前でしょ。 あんなハンサムな男この世に一人しかいないわよ。 大体ね、あたしはいつも汚くて気持ち悪いおじさんの相手してんの。 癒しが必要なのよ。 あんな素敵な男、絶対に逃がさない。 絶対にあたしのものにするのよ!」


 脇からじっとりと汗が滲み出た。

 何この女。怖い、怖すぎる。


「あの、勇介はどうなるんですか」


 すると桜は、逆に何言ってんだみたいな顔をして照を凝視した。


「あたしがあいつをまともに相手するわけないでしょ!」


 勇介、可哀想に。


「そもそもあんな男があたしみたいな美少女を手に入れられるわけないじゃない。 お門違いもいいところよ。 ああいう男はあんたみたいな女を相手にしてればいいの。あたしみたいに、美人で優しい女は佐吉さんみたいな男とくっつくのよ」


 あんなのやらお門違いやら言われている勇介と同時に私もけなされなかったか?

 人を第一印象で決めつけてはいけない。

 次の日の朝である。


「本当にありがとうございました」


 昨日とは打って変わって清楚な雰囲気の桜である。勇介は自分がボロクソに言われていたことなどつゆ知らず、顔がとろけている。デレデレ空気が溢れ出しているのだ。

 一方で、照はそんなに素直になれない。昨日の変貌ぶりと言ったら、尋常じゃなかった。昨日の姿は夢だったのではないかとすら思えてくる。あの時は恐ろしくてしょうがなかったが、今では怒りすら感じる。

 何なのよ、あの態度?


「気をつけてねえ」


桜が会釈して部屋の入り口の戸を開けた。

 その瞬間、照は息を飲んだ。

 知らない男が立っていたのだ。危険を察知したが、照らが何かする前に男は押し入ってきた。男が右手を振りかぶったその瞬間、手に握っている刃物がぎらりと光った。しかし、それが振り下ろされる直前、桜はさっと横に避けたのだ。男は勢いで前によろけた。

 いい歳しているであろう髭の濃いおじさんである。真っ青な顔をしていて、挙動不審だ。これだけでなんとなく察せる事態である。

 照が見るに、この男、体幹がなっていない(照が言えたものではないが)。普段遊び散らかしているのもそうだろうが、酒に酔っているのだ。

 臭いがきつい。

 ただ驚いたのは桜が刃物を避けたことだった。よっぽど俊敏でなければ今の攻撃は避けられなかった。

 佐吉も驚いたように桜を見ている。

 よろめいた男は桜を振り返った。他の人のことなど目に入っていないようだ。


「お前、遊郭で俺のことを出禁にしてどういうつもりだ! こっちはどれだけ金を使ったと思ってる。 お前のことを殺してやる!」


 もう一度刃物を振り上げて桜に向かった。

 しかし、誰かが助ける前に桜が男の腕を掴んで捻り上げた。

 がっ、とおじさんがヘンな声をあげた。

 捻って男の体が捩れた瞬間、桜は腕を男の首に巻いて締め上げた。

 一瞬の出来事だった。

 これは武道である。今のは瞬間的に決める技で、二の腕で直接相手の頸部を圧迫するものだ。美人のくせにこんな特技まで持っていたとは。

 男は顔を真っ赤にして苦しんでいる。よっぽと強い力で締めているのだろう。

 しかし桜は全く力を緩めない。

 こいつ、死ぬんじゃないか。

 自然と残された三人は薄目になる。


「あんたみたいに働きもしないで自分勝手にやりたいだけやって、自己チューだから見定めもなく勘違いするのよ。 相手も仕事だってことよく覚えとけ。 今度あたしの前に現れたらこの腕、折ってやる!」


 不覚にも、照は笑ってしまった。心当たりのある奴が隣にいるではないか。

 佐吉が横目で勇介を見る。


「だってさ」


 勇介は口をへの字にして腕を組んだ。明らかに不機嫌になったが、何も言わなかった。

 桜は男から手を離してこちらを見た。男はずるりと床に崩れ落ちた。その瞬間はっとしたらしい。


「いや、あの、これはあまりに必死だったもので、わざとじゃないんですけど……」

「いえ、それでよかったです」


 佐吉が言った。


「正しかったと思う」


 そんなことを言うと更に桜が惚れてしまう。


「そ、そうですかね……」


 桜は可愛らしく頬を桃色に染め、照れたようにしている。

 あざとい。いや、腹黒いと言ったほうが正しいか。

 女子というのはこういうことに敏感なものだ。そんな照の気持ちを知ってか知らずか、勇介が横目でこちらを伺っているのがわかった。


「あの、これから度々佐吉さんに会いに来てもいいですか?」


 佐吉は戸惑っている。


「え?」

「今回助けてくれたお礼もしたいですし」


 こういうのを肉食系女子という。こういうタイプは敵も多い。おそらく照も凶悪な目つきをしていることだろう。


「え、ええ、いいですけど」


 勇介は少し拗ねていて、口を尖らせながら、


「緊張してやんの」


 と呟いた。屈辱を味わったせめてもの捨て台詞と思ったのだろう。すると佐吉が凄まじい目つきで勇介を睨み、口を開きかけた。が、その前に桜が


「じゃあこの後一緒にご飯食べに行きませんか」


 と言った。佐吉はまだ勇介を睨みながら、ご飯はまた今度、でも危ないからお送りしますよと二人で出て行った。

 

 * * *


「で、振られちゃったんだ〜」


 照と薫子と勇介の立ち話である。薫子と勇介は初対面だが、二人とも気さくな性格のおかげかすぐに仲良くなった。

 桜に振られた後、照が慰めに外に連れ出していたのだ。そこで薫子と出会い、興味津々だったので事情を説明したのである。


「そうなんだよ。 まったく顔が良いヤツはお得だよなー」


 わかるわかると薫子は頷く。すっかり意気投合しているではないか。


「そういう人達はきっと私達とは違う世界線に住んでるのよね」


 すると薫子は急に真剣な顔をしてしばらく考え込んだ。どうもしようがないので待っていると、薫子は突然ぱっと顔を明るくして言った。


「そんな失恋なんてすぐに忘れられるところ、思いついた!」


 そうして連れて行ったのがあの激辛うどん屋である。そして今、勇介はそのうどんを前にしている。

 連れてきた時は怪しげに辺りを見回していたが、うどんが運ばれた時、勇介は目を剥いた。怪しむどころではなくなったのだろう。言葉も出なかったらしい。それくらい衝撃的なのだ。


「これさえ食べれば失恋なんて忘れちゃうよ〜」


 最初の一口目は文句一つ言わず(言葉が見つからなかっただけだろうが)意を決したようにして、勇介は勇敢にもうどんを一口食べた、途端に吐いた。咳き込み、なみなみ注いであった水を一気に飲み干した。

 すると、


「おう、お前らまた会ったなあ」


 聞いたことのある声である。嫌な予感と共に振り返った。案の定あのおっさんだった。背中に籠を背負っている。商人だったか。

 が、前とは違う。後ろに若い男がついてきている。この男は、年齢的に言えば成人であろうが、ひ弱でおとなしそうな感じがして、草食動物っぽい。男の子と言った方がしっくりくる。中性的で可愛らしい顔をしている。


「おっさんっすか、これ食べたの」


 勇介が涙目になりながら聞く。

 おっさんは眉をひそめる。


「初対面でおっさんとはご挨拶だな」


 すると、照たちと同じ机の椅子を音を立てて引いて座った。途端に汗と加齢臭が混ざった臭いが漂ってきた。

 薫子がこっそりと手を鼻に押し付けた。

 男の子は立ったままである。

 照たちを見渡すと、おっさんはケラケラ笑った。


「こんなのも食べられないなんてお前らまだ子供だなあ」


 大人でもこれは食べられないと思います。


「ところでそのお兄さんは?」


 遠慮したように、薫子がにこにこ笑顔で聞く。鼻を抑えているせいで濁声になっているのだが、おっさんは気にする風もない。

 おっさんは男の子の背中をばんばん叩く。


「こいつ、赤井川虎丸あかいがわとらまるってんだ」


 一風変わった名前ではないか。

 おっさんはまたにやにやする。


「ちょうどいいな。 虎丸も一人じゃ心細いだろうし、お前らもヒマだろう」


 またもや、嫌な予感がした。なんの話だろうか。照と薫子と勇介で顔を見合わせる。勇介が眉を顰めた。


「この間、この村で事件が起こったろ」


 知らない。何のことだろうか。忍者道場を逃げ出した後に起こったのだとしたら知りようもない。


「あー! 知ってる知ってる! あの死体が送られたやつでしょ」


 薫子がぱんと手を叩いた。


「そうそう、それそれ。 俺は虎丸に一回説明したからお前がこいつらに説明してくれ」


 まとめるとこんな感じだった。

 極楽平和に寝ていた真夜中の朝香村の城の門の前に一つの籠が送られた。ちなみに、真夜中で門番が寝ていて仕事放棄したため、誰が籠を置いたのかは分からなかった。その門番が後でどんな罰を喰らったかは知る由もない。

 話は戻って、朝になって籠に気付いて中身を開けてみたら、そこには死体が入っていた。しかもその死体、ただの死体ではなかった。目玉がくり抜かれ、舌が引っこ抜かれていたのである。それだけでも胸糞が悪いが、調査したところ生きたまま目玉と舌が抜かれたという。なんでも、血の量が非常に多かったからだそうな。決定的な致命傷となったのは、首の骨を折られたことらしい。籠の中には二人の町人の男が入っていた。二人が籠の中に入るわけだから、当然ぎゅうぎゅうになる。その時に折られたのだ。実際、本当にぎゅうぎゅう詰めにされていて、全身の骨が複雑骨折していたらしい。それが朝香村の象徴である城に送られたのだ。いわば宣戦布告のようなものである。由々しき問題だ。なので村中大騒ぎになった。村人はもちろん不安にかられる。昨今、朝香村は治安が悪化して、荒れている。


「それで何なわけ?」


 勇介が頬杖を突いて聞く。


「お前ら犯人を捕まえてくれないか」


 はあ?

 案の定おっさんと虎丸以外は目をテンにしている。虎丸は前もって聞いていたのか。虎丸は小動物みたいに首を縮めて、黙って見守っている。

 呆れるとか驚くとか以前の話だ。

 何言ってんだこのおっさん。


「それを虎丸に頼んだんだけどさ、渋るんだよ」


 当たり前だ。


「だからお前らにも協力して欲しいと……」

「無理に決まってんだろおっさん」


 勇介は唇を尖らせる。相手にする様子もない。


「冗談よせよ。 なんで俺らなわけ? おっさん一人でやれよ」


 おっさんは顔をしかめる。


「馬鹿にしてるだろ」

「当たり前だろ。 おっさん寝ぼけてんじゃねえか? 一回自分のことつねってみ」


 おっさんはしかめっ面のまま後ろを振り返った。


「お前は結局どうなんだよ?」


 虎丸は急に視線が自分に向いてきてへどもどする。


「だから、やりたいやりたくない以前に僕はそんなこと出来ないです……」


 今にも泣きそうになっている。助けてくれと言わんばかりにこっちを見てくる。目が既に真っ赤だ。

 そんなうるうるした目でこっちを見ないでくれ!


「こいつはすごいんだ。 弓と拳銃の腕が天才なんだ」


 おっさんはうどん屋の外のずっと向こうを指さした。


「例えばあの向こうの落ちてる葉っぱを百発百中で当てられる」


 全員が自然と目を向けた先で、葉っぱが一枚舞い落ちた。

 へえー、と薫子が言った。

 会話が途切れた。

 トドメのように勇介が言う。


「とりあえず、おっさん疲れてんならしっかり寝とけよ」


本作品はフィクションであり、登場人物や作中で起こる出来事は全て創作です。

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