覚醒
本作品は歴史物語ですが、度々横文字が使われています。予めご了承ください。
西田照は、朝香村にある商店街の路地裏の影に潜んでいた。立ったまま壁に寄りかかり、自分の爪先を見る。そろそろ草履も替え時かしら、とか、知らぬ間に爪が随分伸びたな、とか益体もないことを考えていた。頭に布を深く被り、あまり顔が見られないようにしている。少なくとも、長谷川勇介、千葉薫子、天間佐吉、園田桜には見つけられたくない。見つかるべきではない。今はまだ。
だが、現実は照の思い通りにはいかなかった。ふと顔を上げた拍子に、薫子と桜の姿を見つけてしまったのだ。彼女たちはまだ照に気づいていない。どうやら、誰かを探しているようだ。照を探しているのだろうか。それとも、全く違う人を探しているのだろうか。
出来るだけ顔を隠そうと俯くが、どうしても二人の様子をうかがってしまい、思わず顔が上がってしまう。
どうか気づかないでくれ。このまま、私を見つけることなく去ってくれ。お願いだから、振り向いて私の方を見ないでくれ。
桜が照のいる路地裏を振り返った。
間違えようもなく、確かに照は桜と目が合った。
桜はゆっくりと足を進め、照の前で足を止めた。素早く息を吸い込むと、一歩前に進み出て、右手を大きく振り上げた。次の瞬間――照は桜の渾身の力を込めたビンタを食らっていた。鮮やかな音がした。目の裏に火花が散った。照はバランスを崩し、足をもつれさせた挙句、無様に地面に尻餅をついた。
桜は憎らし気に照を睨みながら言った。
「虎丸が死んだよ」
言葉を失った。聴覚が急激な勢いで遠のいていくなか、残酷なほど明瞭に桜の声が届いた。
「籠が投げ込まれて、開けてみたら虎丸がバラされてた」
目を開いたまま、照は自分の内側に入り込み、周囲から切り離されていった。目の焦点が合わず、心も散漫になるばかりだ。
「私、見たのよ。 虎丸の切り離された腕や脚を。 虎丸は目を開いたままこっちを見てた。 目玉に血管が浮き出てさ、虎丸の顔じゃないみたいだった」
桜は自分の目を充血させながら、なおも言い募った。
「あんたのせいだ。 あんたが逃げたせいだ。あんたが逃げなければこんなことにはならなかったのに。 あんたさえ逃げなければ! 返せ。 虎丸を返して、返してよ!」
わななく手をあげて、照は口を覆った。
虎丸が死んだ。私のせいで、私が逃げたせいで。死んだ、死んだ、死んだ。
大きな壁に直面したように視界は閉ざされ、闇に満ちている。 闇の中を記憶がよぎった。とりどりの場面と音声の記憶の断片。
惨めだった。図抜けた阿保ぶりに唾を吐いても吐き足りない。自らの無為に、歯噛みするほどの無念の気持ちに襲われる。何たる無様。何たる蒙昧。
後悔先に立たず。
――本気で戦おうという覚悟も勇気もなかったくせに。
寄る辺を失った今、照ははっきりと理解できる。照は単に臆病で、負け犬根性が染みついた人間でしかなかった。忍者道場を抜け出したあの日から、照の勇気は全く成長していなかったのだ。
桜が照の襟首を掴み、立ち上がらせようとするのを誰かが止めた。他に誰がいるわけもない。薫子だった。
桜は拳をぎゅっと握りしめて、乱暴に薫子の手をふりほどくと、早足で去って行った。
「ごめん」
ぎくしゃくと角ばった口調で薫子は言った。
「わかってる。 照は悪くない。 悪いのは絶対に栄だよ。 殺した奴が悪いに決まってる。 照が悪いなんて、そんな馬鹿な話があるわけない。 桜だってそんなこと重々承知だけど、だからこそやり切れないんだと思う。 だからあんなこと言うんだ」
だが、話している間中、薫子は一度も照の顔を見なかった。
照は震える声で言った。
「ごめんなさい――私何をしてたんだろう。 自分は殺されるんじゃないかって思って。 栄だけじゃなくて、瀬名や乙女は強いから勝てないんじゃないかって」
「――強いとかそんなこと、関係ないでしょう」
思いがけず、強い言葉が返ってきた。
「強いから負けてもいいの。 あいつらを捕まえたくないの」
照は言葉に詰まった。
薫子の瞳は異様な光を湛えていた。
「諦めるの」
俯きながら薫子が言った。
「私たちは誰も諦めなかった。 今だって諦めてない。 虎丸を殺した栄を必ずとっ捕まえてやるって思ってる。 なのに、照は諦めるの」
薫子の言葉は、鋭い刃となって照の心を突き刺した。照は項垂れて、自分の足元を見つめた。
「帰るね」
見捨てたかのような口ぶりとともに、薫子は背を向けた。
照はとことん自分の愚かさに打ちひしがれ、茫然とその場に座りこんでいた。
他の五人があれほど強い気持ちを持っているのは何故か。それは、自分の力を信じているからだ。そして、仲間の力を信じているからだ。自分は弱いとか、何もできないとか、そんなつまらない自己憐憫は存在しない。
だが、照はどうだ?自分の力をこれっぽっちも信じていない。照のそばにいてくれた人たちのことにも、何も気づいていない。照だけが仲間たちを信じていなかった。
恥ずかしかった。このまま溶けて消えてしまいたかった。
照は自分のことしか考えていない。忍者道場のこと然り、犯人探しのこと然り。修行が辛いという感情的な理由で忍者道場を抜け出し、ただの自己保身に五人を利用した。口だけは絆を示し、仲間と言いながら、その実、まるで彼らの力を信用していなかったのだ。
もう一度――そう思った。
もちろん、照が黒田栄を捕えるきっかけは、商人のおっさんの脅しがあったからだ。しかし、忍者道場の弟子であったことがバラされた今となっては、そんな脅しは無意味である。だが、そんなことはどうでもよかった。それよりも、もっと大切なもののために戦いたかった。残された四人のために、なにより赤井川虎丸のために戦いたい――奮える気持ちでそう思った。
* * *
虎丸の遺体を火の中に入れ、燃やしていた。その様子を、長谷川勇介と天間佐吉はただただ無言で眺めていた。
「なあ、俺たちは栄たちを捕まえられると思う?」
「分からない。 でも捕まえるしかない」
勇介はその顔に静かな闘志を湛えてうなずいた。
「そうだよな。 勝つしかないよな」
* * *
照は戸を前に立っていた。
薫子たちに会って、自分の怠慢を謝ろう。謝って許してもらえないのなら、土下座でもしよう。そして、もう一度栄たちを捕まえるチャンスをもらうのだ。
――いや、許してはくれないだろう。それこそ傲慢というものだ。照のせいで、一人のかけがえのない仲間を失ったのだ。照が許しを請うこと自体、図々しいのである。
だが、ここで止めれば?照と薫子たちと繋がる糸は完全に切れる。そうしたら、照は二度と栄たちを捕まえることは出来ないだろう。虎丸の死を、後悔や罪悪感で塞がるよりも、はるかに有意義な方法で活かすことが出来なくなる。
だから――
照は戸を叩いた。
出てきたのは、天間佐吉だった。
表情は穏やかだが、まばたき一つしない。眼差しも少し冷たい気がした。だが、佐吉が戸を開けてくれたことに、照はどれだけ安堵したことだろう。
「出てくれてありがとう」
照は佐吉に頭を下げた。
佐吉は無言のまま、じっと照の顔を眺めていたが、しばらくして言った。
「入りなよ」
敷居を跨ぐ前に何か一言伝えたかったが、上手な言葉が見つからなかった。照の無様な沈黙の前で、佐吉は決して照と視線を合わせぬよう、照を奥の部屋へと招き入れた。
照が部屋に入ると、既に勇介、薫子、桜が揃っていた。おそらく、全員で四角形になるように座っていたのだろう。
腰を下ろすことも出来ずに突っ立っていると、佐吉が座るよう促した。照は薫子と桜の間に座った。ちょうど、勇介と佐吉が目の前に座る形になった。
照の顔を見た途端、勇介の瞳に何か尖ったものがちらりと閃いた。
照は口を開いた。
「ごめんなさい」
そして、頭を下げた。床の畳に額が届きそうなほど深く。
「私のせいで、私が臆病なせいで、こんなことになってしまった。 悔やんでも悔やみきれない。 他に言葉が見つからない。 だから―」
「なあ」
勇介が遮った。鋭くはないが、有無を言わさない強さがあった。
「俺たちがいくらお前を責めたって、いくらお前が謝ったって、何も状況は変わらないんだわ」
照は頭を上げた。
勇介の目は強く底光りしていた。
「虎丸はもう生き返らないし、栄たちはまだ野放し状態だ。 栄たちを捕まえない限りは何もならない。 だからお前に出来ることはないんだよ。 もうどこかに帰れ」
照はしがみつくような気持ちで言った。
「私は、自分の出来る精一杯のやり方で、自分がやってしまったことを清算したい。 たとえそれが間違っていたとしても、まだ間に合うのなら、間に合ううちに」
「本当に清算できる?」
桜が目つきを険しくして問い返す。
「臆病ってそんな簡単に克服できないよ。 今は殊勝なことを言ってても、いざとなったらまた逃げだすんじゃない? いい機会だから、ここで外れるべきよ」
照は溢れ出しそうになる感情を懸命に抑えた。
「もう一度だけでいいの。 栄を捕まえられるかは分からない。 だけど、そのために出来ることは何でもしたい」
「お前はまた逃げ出すかもしれない。 逃げ出さなくても、失敗するかもしれない。 それを分かるためにもう一度お前を頼れって言うのかよ? それでまた誰か殺されるのか?」
勇介が擦ったような声で言った。
「後悔してるって」
佐吉が言った。けっこう大きな声だったので、皆んな黙った。
「照は後悔してるって言うけど、大切な人が死んでから周りの人間が何をしたって、意味ないよ。そう思わない?」
試されている、そう思った。佐吉は照を試している。照がこの問いにどう答えるかを。
「私は栄たちを捕まえたい」
照は真っ直ぐに佐吉を見た。
「私は、自分のせいで虎丸を失った。 私がここにいるのは、皆んなに許してもらって楽になりたいからじゃない。 栄たちを捕まえたい、ただそれだけなの。 でも、私一人じゃ出来ない。 だから、協力してほしいの。 そのために来たの」
お願いしますと、もう一度深く頭を下げた。
長い沈黙だった。
「僕はもう一度信じてみてもいいと思う」
佐吉が言った。
咎めるように勇介が佐吉を見て、何か言いかけた。だが、その前に佐吉が言った。
「これが最後だ。 次に逃げ出したら、もう後はないと思った方がいい」
「私も賛成」
薫子は大きく頷くと、照の目の奥に語りかけた。
「せっかく味方してあげたんだから、必ず栄を捕まえるのよ」
刹那、身体の芯を雷が走った。
闘おう。
* * *
照は山奥で木々が生い茂る中、突如に現れる平地で仁王立ちしていた。
栄が来るのを待っているのである。
虎丸の死体が入っていた籠の中に、とある場所が書かれた紙が入っていたと、薫子が教えてくれた。つまり、その紙に書いてある場所に来いということだ。それが、今照が立っている場所である。何を隠そう、かつての栄たちの潜伏場所だ。だが、建物は既に消えており、更地になっている。確実に近くに勇介、佐吉が潜んでいるのだが、全く気配はしないし、どこにいるのかさっぱり分からない。
照は先ほどから、背中に寒気を覚えるばかりだった。いつ栄が襲ってくるかわからない。今この瞬間も、栄が自分を狙っているかもしれない。そんな状況で、冷静でいられるわけがなかった。気づけば、脚も手も震えている。恐怖を掻き消そうと必死だった。
照は今とても怖い。だけどきっと、虎丸はもっともっと怖かった筈だ。今の照よりも、死が近くにあり、絶望していた筈だ。それなのに、ここで照が怖気づいてどうするのだ。
その時、鋭い殺気が照を襲った。
武術経験が皆無に等しい照でさえも分かるほどの殺気だった。
その後、大きな音が鳴った。刃と刃が擦り切れる音だ。振り向くと、佐吉が刀を抜いて、照を庇うように立ち塞がっていた。その先には、栄が刀を持ったままよろめいている。
佐吉が助けてくれたのだ。
照は走り出した。
断じてこれは逃げたのではない。むしろ、計画通りである。
大した距離も走らなかった。三十メートルほどで後ろを振り返った。
栄との距離は十分に稼げている。後は照が栄に忍術をかけるだけだ。
照は地面に胡座をかいて座った。これからかける忍術は、その体力の消耗と集中力からして立っていられそうにない。
照は栄の注意をこちらに向けるために、あらん限りの声を上げて言った。
「あなたは自分の過去を見たいです」
栄は一瞬、無表情という表情さえ消し飛んだ。
困惑している。照が何をしようとしているのかが分からず、動揺しているのだ。栄の困惑が警戒心に変わる前に、照は言った。
「あなたは自分の過去を思い出したい。 あなたはそれを望みます。 あなたは過去を思い出します」
照は目を瞑って、自分の指先に意識を向けた。気配と音で、栄が照の目の前まで来て刀を振り下ろそうとしているのがわかった。でも、目を開けるわけにはいかなかった。
本当は縮み上がるほど怖かった。けれど、照は決めたのだ。もう決して逃げないと。彼らを信じると。
集中しろ。集中しろ。
次第に気配や音は消え、照の周りは虚無に包まれた。
集中しろ。集中ーー
照は虚無の中をひたすら走った。それは暗闇でも空白でもなく、ただ恐ろしいものだった。その恐ろしさに照は気が狂うのではないかと思ったほどだ。照は目を強く閉じ、歯を食いしばって必死に走り続けた。そして、手を伸ばした。腕が千切れそうになるほど、伸ばした。しばらくした後、指の先に、何かがさらりと触れた。
今だ。
照は力の限りそれを引っ張った。
* * *
栄は刀を振り下ろそうとした瞬間、目の前がふと暗くなった。
何だ。何だ、何だ。
次には、走馬灯のような記憶の数々が栄の目に映った。
今でもリアルに血の通っている回想。栄に刻み込まれた記憶。
芙蓉を殺した。葦名寧々を唆した。盗賊どもに長谷川勇介の居場所を告げ口した。田中乙女と出会って仲良くなった。園田桜に武術を教えた。芙蓉の元から家出した。他の女房たちに馬鹿にされても仕事を頑張った。芙蓉に拾われた。姉と乳母が殺された。逃げていた。両親と遊んでいた。両親が栄に笑いかけてくれた——
両親は言った。
「人に迷惑をかけないで、幸せに生きてね」
* * *
「うわああああああ!」
栄は膝から崩れ落ちて、倒れた。目からは次々と涙が溢れる。今にも彼女の身体が爆発しそうなほど感情が溢れていた。嗚咽と同時に口から黒い煙がもくもくと出た。煙は上へと上がっていき、嵐のような断末魔の叫びが響いた。煙は、栄の絶叫と共に消えた。
* * *
栄は捕えられた。同時に乙女も捕まった。だが、唯一瀬名はまだ見つかっていない。おそらく永遠に見つからないだろうと照は思う。その方が彼らしいとも思えた。
刑罰は死刑だ。執行は三日後である。重罪人として、執行が早く設定されたのだった。
* * *
照たち五人は栄と乙女の死刑場まで来ていた。柵が設けられており、それ以上近づけないようになっている。それでも朝香村を騒がせた犯人の死に際を見ようと、多くの村民が押し寄せていた。
先に照たちの前を通ったのは乙女だった。深く項垂れたままの彼女を、男が引きずるようにして歩いている。
次に栄が通った。幽霊みたいだった。絶望していた。自分の悪意で周りを傷つけ、自分も傷ついていた。それは、何もかも取返しのつかなくなった人間の顔だった。
照にはそれが分かる。
仲間を裏切り、その信頼を踏みにじった照だからこそ、分かるのだ。
俯いてふらつている栄を、男が引っ張っていく。その途中、栄はもがくように振り返って、照たちを見た。
――あんたたちは、私みたいになるんじゃないよ。
栄はそう言いたかったのだ、と照は思った。
照は瞳を見返した。
――ええ、そうよ。私はあなたみたいにならない。私は碌なもんじゃないし、大した人間にもならないだろうけど、あなたみたいな抜け殻にはならない。幽霊もどきには絶対にならないから。
それだけだった。
栄は引っ張られて行く。死ぬために引っ張られていく。
人を呪わば穴二つ、という言葉がある。
真実だ、と照は思った。
栄の姿が消えた。
* * *
野坂清菜は商人のおっさんと向き合っていた。
「今回はありがとうございました」
いいえとおっさんは言う。
「どんな方法であったにしろ、あなたがいなければ栄たちは捕まえられませんでした。 本当に良かった」
野坂道残は島流しになった。今までの悪行を見て見ぬふりをしていた周りの大名も、今回の朝香村の混乱っぷりには目を瞑ることが出来なかったようだ。
正しい判断だと思った。今まで単に運が良く、あるいは周りの人々の忖度で逃げ延びていたのだ。罰を与えるにはいい機会だろう。
道残は清菜に嫌らしく、腥い視線を送る男だった。隙あらば、清菜の身体を手に入れ支配する機会を伺っているのが、ありありと分かる態度だった。そういう意味でも、道残が朝香村から去ることを清菜はどこかほっとしている。
道残の跡を継ぎ、清菜は日本では数少ない女城主となった。今のところ、女である清菜が城主となることを良く思っていない家臣は沢山いる。明らかに見下した態度をとる人間もいれば、清菜を軽蔑している人間もいる。事件は終わっても、清菜にとって本当に大変なのは、これからなのだ。
道残のように、恐怖で村民を支配するつもりは毛頭ない。そんなことはせずとも、村民の信頼を得ることは可能であり、罪ある者を罰することはできるはずだ。たとえそれが綺麗事と言われようと、清菜はそう信じたかった。そのために清菜は、道残のように一線を越えることは決してしないと、心に誓っていた。
「あなたは不思議な人ですね。 何故彼らを集め、栄を捕まえさせたのですか」
おっさんはへらへら笑った。不遜な態度ともとれる笑い方だったが、不思議と悪い気持ちはしなかった。おっさんのふと見せる顔に、愛嬌があるからだろうと清菜は考えた。
「わたしゃ、懸賞金が欲しかっただけですよ。 欲に身を任せただけです」
その後、清菜は事務的な話をおっさんにして、早いうちに下がらせた。
清菜は一人になった。
何とも不可解なおっさんだった。いくら懸賞金目当てとはいえ、どうしても解せない。金狂いには見えたことはないし、それほど無鉄砲な人物だとも思えなかった。金以外の何か目的があるのではないか、と懐疑的になったこともあったが、結局は何もなかったし、何も起こらなかった。
穏やかな静かさの中で、唐突にイザナギとイザナミを頭に思い浮かべた。
彼らは、国や神を産んだと言われている。神世七代のうちの二柱である。
その神世七代の第一代はクニノトコタチノカミという。国土が永久に立ち続け、国の確立や世界を形作る展開に道をつける神だそうだ。
清菜は唐突にそれを悟った。
ああ、おっさんこそがクニノトコタチノカミだったのだ、と。
* * *
照は外に出た。もうこの家から旅立つ時である。
既に、照以外の人たちはここにはいない。真っ先に出て行ったのは薫子だった。大道芸を教えてくれた人たちに会いに行くのだという。
次に出て行ったのは佐吉だった。彼はこれから仕事を探さなければならない。しかし、彼ことだからどんな仕事でもやっていける気がする。
その次は桜だった。彼女も仕事を探しに行くらしい。水商売はもうやめたのだ。
そして、勇介が出て行った。彼が今後どうするのかは皆目見当もつかない。勇介自身もどうやって生きていくのか、決めかねているようだった。しかし、彼は良くも悪くも器用貧乏なのでなんとかするだろうと思う。
皆んなばらばらになっていく。元の彼らの人生に戻っていく。多くの傷を負い、そこから立ち直る作業を始めなくてはならない。
少し切なくなった。もう、一人ぼっちなんだ。
首を振った。
これでいいんだ。
しばらくの間とてもいい景色を見せてもらった。その場で憩っていた。だから私たちは次に進まなければならない。この先も、ずっとずっと進んで、次の景色に辿り着くまで。
木々の間から差し込む眩しい日差しに目をやった。
皆んな走り出した。私も走り出すんだ。
だって、道はまだ続いていくのだから。
本作品はフィクションであり、作中で起こる出来事や登場人物は全て創作です。
これにて「道は続く」は完結となります。拙い文章でしたが、お読みいただきありがとうございました。感想・評価していただけると、大変励みになります。是非、よろしくお願いします。
また、近いうちにスピンオフも執筆予定ですので、お気に留めていただけると幸いです。