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もう一つの再会

本作品は歴史物語ですが、度々横文字が使われています。予めご了承ください。

 六人のもとに訪問者が現れた。

 千葉薫子は戸を叩く音が聞こえたので、開けるとお爺さんが立っていた。白髪で大柄、なかなかたくましい体つきだ。


「こちらは、最近朝香村で起こっている事件の犯人を捜索しているというお宅ですね」

「――はあ」

「突然訪問して申し訳ありません。 私は池谷芙蓉と申します」

「あの、あの、どういうご用件でしょう」

「事件のことで、あなた方に話したいことがあるのです。 少しお時間をいただけますか」

「見ず知らずの方といきなりお話する事柄ではないと思いますが」

「まあ、少し聞いていただけませんか。 老人のおしゃべりに付き合うとでも思ってください」


 渋々話を聞くうちに、薫子は理解した。

 ああ、この人は情報提供者なんだ。

 

 * * *



「信じられない」


 薫子は芙蓉に向き合っている。

 全く暑くはないが、背中に汗が伝う。心臓の鼓動が止まらない。どんなに深呼吸しても、拳を握っても駄目だった。

 そうだ。彼女にだって私たちが知らない過去があるのだ。――この老人の話が真実ならば。


「信じられません。 本当なんですか?」

「ええ。 信用してもらえないのなら、徹底的に私のことを調べていただいて結構です。 嘘だったら私を殺してくれてもかまいません」


 芙蓉はきっぱりと言い切り、お願いしますと頭を下げた。


「――それで、私たちは何をすればいいんですか。 彼女に会えるかどうかはわからないですよ」

「いえ、きっと彼女なら現れてくれます」


 芙蓉は強く薫子を見返した。


「私がここにいると知れば、彼女は必ず会いに来るでしょう」


 薫子は困惑しながら、頷いた。


 * * *


 それは早朝だった。とんとん、と戸を叩く音が聞こえた。

 なんだ朝っぱらからうるさいな、と思って寝返りを打った瞬間、西田照は飛び起きた。

 まさかな――あいつはここに乗り込んでくるほど馬鹿じゃない。仮にそんなことがあったとしても、こんな控えめな戸の叩き方はしないはずだ。

 だけど、あいつしかいないとも思った。

 やめてくれ。お願いだから、あいつだけは戸の向こうにいないでくれ。そう願いながら戸をうっすらと開けると、いきなりガッとつかまれ、無理矢理こじ開けられた。

 そこにいたのは、あいつ――黒田栄だった。

 堂々と敵地に乗り込んでくるのは、絶対に捕まらないという自信があるからなのか。随分、潔のよいことだ。

 脊髄反射的に扉を閉めようとしたが、その前に抑えられた。

 しかし、よく見てみると栄の様子がいつもと違う。

 怒ってる。限りなく凶暴な顔を引っ提げて、確実に怒ってる。

 少なくとも、照は初めて見る表情だった。


「早くあいつを出せ」


 挨拶を交わす間もなく、栄の手が照の襟首を締め上げた。


「な、何のことだかさっぱり……」

 

 とぼけても無駄だった。


「ふざけるな。 いるんだろう、この中に」

「私のことか?」


 声の主は芙蓉だった。

 ちなみに、芙蓉がここに訪れたのは一昨日だ。そして、六人全員が芙蓉の話を聞いたうえで、彼を留まらせるか否か意見が割れた。だが、結局は芙蓉を家に泊まらせることになった。というのも、天間佐吉と長谷川勇介が賛成派だったのだ。これは、ソリの合わない二人の意見が初めて一致した瞬間であり、なるほど、元征侑士と元盗賊の頭領がそう言うなら説得力がある。

 最初、芙蓉から聞いた話には仰天した。しかし、それと同時に栄が悪行を繰り返す理由も合点した。

 栄は竹田家の娘であり、野坂家に家族を殺された復讐として、朝香村を混乱させ滅ぼそうとしているのだ。

 芙蓉は、身寄りがない栄を引き取って育てた商人なのだという。大層なお偉いさんだそうだから、豪商というのが正しいか。

 芙蓉は、栄が朝香村のお尋ね者となった噂を聞きつけ、彼女の復讐を止めようとしている。

 芙蓉を見た栄は、みるみる顔色を失っていった。以前、忍者道場で修行していたとき、仲間の一人が酔っ払った拍子に師匠の草履に吐いたことがあったが、それでもここまで白くならなかったはずだ。

 どうしていいか分からずもじもじしていると、奥で薫子が唐紙を十センチばかり開けて、こそこそと手招きしている。

 照が動いても栄は見向きもしなかった。目にも入ってないらしい。


「どうするのよこれ?」


 すると、薫子が不安そうに言った。


「わからない、 わからないけど、栄もどうするつもりなんだろう? わざわざ乗り込んで来てさ」


 確かに、三人も無情な殺し方をした人間の行動とは思えない。短慮にもほどがある。

 栄が、僅かに恫喝的な雰囲気を交えて言った。


「何であなたがここにいるのです?」

「お前は野坂家に復讐をしているのか」


 栄は口元に薄く笑みを浮かべた。汗が栄のこめかみを伝う。決して暑いからではないだろう。


「何か勘違いしているようなので言っておきますが、私は単に自分の気持ちのためにこんなことをしているのではありません。 野坂に苦しめられた、そしてこれから苦しめられる人を救うために……」

「無駄だ」


 芙蓉は言い捨てた。


「自分の為だろうが人の為だろうが、そんなことは関係ない。 何があろうと人は殺しちゃいかん。 どんなに恨んでていても、悪人であってもだ」


 あとで考えたら驚異的なことだが、栄は黙って聞いている。


「人を殺した瞬間にそいつの人生は終わる。 実際、お前は追いかけられ、逃げる羽目になっている。 このまま一生逃げ続けるか、捕まって死刑にされるのがオチだ」


 栄は一瞬白目を剥いた。怒りで頭が爆発しそうになっているのだろう。


「復讐しているつもりが、自分を自分で地獄に陥れている。 今お前は何が楽しくて生きているんだ?」

「黙れ!」


 栄は腰に刺さっている刀に手をかけた。


「あんたには感謝しているが、あんたの言うとおりにするつもりはない。 あんたに分かるわけないんだから。 あたし《・・・》の気持ちなんか、分かるわけないのに……」


 いつの間にか栄の目は赤くなっていた。涙がにじんでいる。

 いつ刀を抜くのかとヒヤヒヤしながら見守っていると、とうとう栄は身を翻して去って行った。

 

 * * * 



「お見苦しいところをお見せして申し訳ない」


 薫子と照は恐縮する。


「あのう、これからどうするつもりですか?」


 うまく声が出なかったらしく、掠れている。さすがの薫子も緊張しているのだ。


「何がですかな?」

「黒田栄のことです。 今日は帰っちゃったけど……。 まだ引き留めるんですか」


 芙蓉は穏やかに問い返す。


「あなたは、三人も人を殺した人間に更生の余地はないとお思いですかな?」

「いえ、そんなことはないですけど……」


 薫子はへどもどと狼狽する。その様子を見て、芙蓉は思わずという風に微笑した。


「確かに、彼女に何を言っても意味はないかもしれない。 けれども、私は彼女が復讐をやめて反省する可能性が少しでもあるならば、言い続けたいと思います」


 芙蓉はまっこうから薫子と照の目を見た。


「彼女にだって人の心はあるのですから。 けれど、とうとう私は彼女の心を動かせなかった。 結果、こんなに悲惨な事件を生んでしまった。 ですが、私も出来る限りのことはしたい。 それをあなた方にもお願いしたいのです。 それが正しい道筋かはともかく、皆さんが彼女を変えてくれることを信じています」


 照は薫子と顔を見合わせた。

 彼女にだって人の心はある――本当にそうだろうか?今はまだその心に触れていないだけなのか、照たちには見えていないだけなのか。

 もしかしたら、照たちも何かが見えなくなっているのではないか?復讐に駆られる栄と同じように。本質的には照たちも栄も同じなのかもしれない。その証拠に今日分かったことがある。

 彼女――栄にも過去があった。純粋な頃があって、たくさんの人に愛されていた。そして、家族を殺された。でも確かに、彼女にも愛されていた子供時代があったのだ。そんな栄に照は言いたい。

 馬鹿野郎。

 こんなにもあなたのことを心配して、信じている人がいるのに。

 

 * * *


 家の外が騒がしい。栄が押しかけてから数日後のことである。芙蓉が外出した直後だ。

 戸を開いてみると、薫子が蒼白になって塀から外を覗いている。

 照も隣に並んで見てみると、芙蓉と栄が向き合っていた。

 しかし、栄側は今回は一人ではない。山埜瀬名と田中乙女が遠く後ろから控えている。勢揃いといったところか。瀬名は無表情、乙女は出来るなら何かしてやりたいと思っているが、うっかり手を出せない――という表情をしている。


「まだ人を殺そうとしているんだな。 意固地になっているのか、それとももう後には引けないのか?」

「そういうことじゃありません。 いい加減に、早くどこかに行って、私の目の前から消えてください」

「何故だ?」


 芙蓉は問い返す。


「だったら、お前は何で私の前に現れた? 私の事なんか放っておけばいい。 私の存在などないことにすればいい」


 栄は頬を強張らせた。


「あなたを巻き込みたくないからですよ」


 栄は低く潰れたような声を出した。口元は隠しようもなく震えている。


「私はあなたに感謝している。 ですから、できればあなたを傷つけたくない。 だけど、あなたがこれ以上譲らないというのなら、私はあなたを殺さなければなりません」

「殺したければ殺せ」


 栄が怯み、身を引いた。


「私は死んでも譲る気はない」


 栄は顔を歪めると、刀を抜いて芙蓉に突きつけた。だが、栄は石のように固まってしまっている。


「殺さないのか。 そりゃそうだ。 お前が私を殺したら野坂と同じになる」


 小さな囁き声が聞こえた。よく聞けば、栄が「黙れ」と言っている。


「お前が私を殺す理由なんてないからだ。 なのに、殺そうとするのはお前が気づき始めているからだ。 本当は自分自身が苦しいということを知っているからだ」


 栄の目玉がうろうろと泳ぎだした。おののくように身を震わせている。痛かった。自分のことのように痛かった。自分が一番驚いているんだ。かつての恩人に刀を向けていることが信じられないんだ。


「だけど、それを認めないために殺そうとする。 悪人でいようとする。 何故なら、自分の苦しみに気づくことが最も苦しいからだ。 自分が今まで何をしでかしたかがよく分かるからだ。 お前は道残と同じだ。 だってお前、関係ない人まで殺してるじゃないか!」

「うるさい!」


 そう栄は叫ぶと、刀を芙蓉の心臓に突き刺した。

 ざくりという音とともに、芙蓉の胸からぬらぬらとした血液が流れ出す。

 本当にやりやがった。

 芙蓉はずるずると地面に座りこむように崩れ落ちた。血溜りは見る間に広がっていく。

 勢いよく刀を抜くと同時に、溢れ出た血の塊が空中に浮かぶ。一瞬遅れて、血飛沫が栄の顔に撥ねた。

 その目は鬼の目だった。涙さえ流していない。

 そのまま栄は早足で去って行った。乙女もそれを追いかける。瀬名は照らを一瞥すると、何もせずに栄の後に続いた。

 

 * * *


 その夜、瀬名は栄を尾行していた。夜中に栄が黙ってどこかに行くので、不審に思い追いかけたのだ。

 なにせ、今日は命の恩人とやらをを殺した日なのだから。

 栄は奴ら――例の六人の家へと向かっていた。あのお爺さんの亡骸と一緒に自殺でもする気だろうか。 

 瀬名には理解が及ばなかった。栄は、野坂を滅ぼすために心を鬼にすると決めた。自分の手が血塗られる覚悟でここまできた。

 なのに、何を今更怖気付くのだろう?

 だが、瀬名には関係ない。瀬名は依頼を受け、金を貰うだけ。依頼者が傷つこうが死のうが、瀬名はただ任務をこなすのみ。瀬名からすれば、栄だって数ある依頼者の中の一人に過ぎないのだから。

 だが、今は死なれては困る。まだ十分な報酬をもらってない。依頼金の半分は受け取っているが、依頼を遂行してから、残りの半分を受け取る契約なのだ。

 栄はちょうど芙蓉を殺した場所の周辺に来ると、道を逸れて森の中に入った。

 暗いうえに落ち葉の音で気づかれるとまずいので、より慎重に歩かなければならない。

 突然栄は歩みを止めた。栄の目の前には真新しく土が盛られている。

 栄は膝から崩れ落ちると、土を掘り返し始めた。

 そこにあったのは、芙蓉の死体だった。

 声がした。それは栄から発せられていた。泣いているのだ。

 とうとう栄は芙蓉の死体に抱きつき、嗚咽を漏らし、むせび泣いた。


「ごめんなさい、ごめんなさい……」


 栄は泣き続ける。


「私はあなたのことを殺したくなんかなかった。 私はあなたのこと尊敬していた。 あなたを信頼していました。 一緒に暮らしたかったのに、幸せに過ごしたかったのに。なのに、なのに……あなたはもういない!」


 栄の切れっ端の演技性もない泣き声が朝香村の夜に響いた。

 


本作品はフィクションであり、登場人物や作中で起こる出来事は全て創作です。

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