赤井川虎丸の話
本作品は歴史物語ですが、度々横文字が使われています。予めご了承ください。
赤井川虎丸は丹後の出身であった。両親共に虎丸が十八の時まで健在だった。先に母親が亡くなってから、後を追うように父親も亡くなった。いずれも老衰である。父親が猟師だったので、虎丸も弓矢と銃を習った。幸いなことに虎丸はそれらが嫌いではなかったし、才能もあった。むしろ、弓矢は虎丸を救ってくれたと言っても過言ではない。
昔から、虎丸は気が弱く、大人しい性分だった。そのため、子供の頃は散々虐められた記憶がある。ゲンコツで殴られたこともあったし、足蹴りにされたこともあった。でも、弓矢だけはずっと虎丸の味方だった。弓を引き、的に狙いを定める瞬間。全ての苦しみや、喜びがその場から消え去る。そこには、虎丸と弓矢と的だけの世界。そして、弓が矢を弾くとき、矢が的のど真ん中を射るとき、虎丸はそれらと一体化する。その感覚がたまらないのだ。外でどれだけ揶揄われても、矢を射るときだけは全てを忘れられた。
そのうち、銃も扱うようになった。弓矢と違い、慣れるのにかなり苦労した。弓矢をやりこんでいたので腕力は強かったのだが、体感が全くなく、的に狙いが定まらないのだ。それから、虎丸は筋肉を鍛え始めた。身体を真っ直線に、板のように保つ訓練もした。それを、十五分間できたら銃を撃てるようになる、と父親に言われたので、本当に挑戦した。最初は三十秒もできなかったのだが、毎日毎日練習して、十一か月後にやっとできるようになった。そういう意味では、銃は虎丸を成長させてくれた代物と言っても過言ではない。
そして、自分の弓矢と銃の腕を発揮すべく猟師になり、細々と生活を送っていた。そんなある日、朝香村で起こっている事件の犯人探しという名目で、五人の人間と出会った。全員、訳ありな過去を持っているらしい。根掘り葉掘り聞いたことがないので、詳しくは分からないが、皆んな壮絶な過去を抱えていそうなのである。だが、ただ一人、虎丸はどこにでもいる平々凡々な人間だ。確かに弓矢や銃はかなり上手いと自負しているが——まだそれを披露出来ていない気もするが——そんな人は全国のどこにでもいる。いわば、普通の人。平凡な人。だから、少し彼らのように特別な人には憧れがある。そう思う僕は不謹慎だ、と自分で思うのだけれど。――人は劇的な人生を望む。それがどれだけ悲劇的であろうと、平凡な人生よりは良い。自分は断じてそこらの誰かではないと思いたい。そこらの誰かでいることに甘んじるより、悲劇が欲しい。
そう考える度に、虎丸は自分が嫌になる。人の不幸に憧れるなんて、ただの自己中心的な自惚れ屋じゃないか。
そして、これもまた虎丸の性格である。消極的なのだ。自分では消極的な自覚はないのだが、そうらしい。ただ、虎丸は消極的なのではなくて、自信がないだけだと思っている。
そんな虎丸に自信をつけてくれたのは、商人のおっさんだ。それが犯人探しのきっかけでもあった。
虎丸がいつも通りに猟をしていた時である。矢で鹿を射止め、鹿の亡骸を回収していると、遠くから兄ちゃん兄ちゃんと呼ぶ声が聞こえた。見ると、顔が脂でテカっているおっさんが手を振り、どしどしと駆け寄って来ている。
「兄ちゃん、仕留めるの上手いな」
急に何を言い出すんだ、おっさん。
おっさんは虎丸をしげしげと観察し、満足そうに頷いた。
「その腕を買ったよ。 ちょっと協力して欲しいことがあるんだ」
それが犯人探しだったのである。
「他に協力者もいるし、探している間は衣食住も保障してやる。 兄ちゃんがどうしても必要なんだ」
すぐには何も言えない虎丸を見て、おっさんは言った。
「ま、まだいい。 協力者に会わせてやるからそれで考えろ」
そういって連れてこられたのが例のうどん屋である。
そこにいたのは西田照と千葉薫子と長谷川勇介の三人だった。だが、聞いてみると彼らも犯人探しなど今知ったみたいな反応だった。
協力者というのはおっさんの口から出まかせだったらしい。
しかし、虎丸は犯人探しをやる方向性に傾きつつあった。
何故かというと、自分の腕を認められた気がして、虎丸は嬉しかったのだ。そんなことは一度もなかったから。今まで、全て自分の心の中に隠していたから。そして、やる気の無さそうだった薫子と照に何故か急にゴリ押しされたこともあり、虎丸は犯人探しをすることとなった。
しかし、ここ最近、ずっと燻っていた疑問が徐々に膨らみ始めた。
おっさんは何故、虎丸を犯人探しに採用したのか。目立たない、大人しい、取り柄がない、友達もいない、そんな虎丸を何故誘ったんだ。
以前の虎丸だったら、絶対にこんなことはしなかった。いわば、賭けだ。不確定で、もしかしたら失敗するかもしれないことに、虎丸は絶対に手を出さなかった。
全く虎丸らしくない。
しかし、それを変えてくれたのは天間佐吉だ。
佐吉が寧々に追いかけられてきたその後、彼が縁側に座っているのを見た。
正直ほとんど話したこともないし、近寄り難い雰囲気さえ感じていた。
しかし、その時は少しだけ話そうという気になったのだ。佐吉も弱い部分があるということがわかったからかもしれない。
虎丸が声をかけると、佐吉は驚いたようにこちらを見た。そりゃそうだろう。地味で眼中にもなかった男がいきなり話しかけて来たのだから。
急にバツが悪くなった。やっぱり話しかけたのは迷惑だったかもしれない。
なんとか佐吉を励まそうと辿々しく話していたが、途中から自信が無くなってきた。
僕、馬鹿みたいなこと言ってるんじゃないかな。
こっそり顔色を伺うと、佐吉の目元が光っている。夕日に光る美しい涙だったけど、虎丸はどっきりしてしまった。
僕、変なこと言ったっけ?
どうすることも出来ずに俯いていると、先に佐吉が話し始めた。
「おっさんが虎丸に犯人探しさせた理由が分かった」
思いがけない内容だったので、へ?と間抜けな声を出してしまった。
佐吉はというと、笑いながら一人で頷いている。
「今の虎丸はカッコいいよ。 それが本来の姿だったんだね。 ずっと隠していたんでしょう?」
佐吉は顔を上げ、虎丸の目を真っ直ぐに見た。
「正直、虎丸のことはもっと弱虫だと思ってた。 ごめんよ。 こんなに勇敢な人だったんだね」
虎丸は俯いた。
決して勇敢なんかじゃない。佐吉のように、敵に果敢に立ち向かうこともできない。自分の身に危険が及べば、誰よりも先に逃げるだろう。
「虎丸はきっとダメダメなふりをしているだけだ。 何でかは僕には分からない。 それが虎丸の処世術でもあるんだろう。 だけど、いつかきっとその才能が開花する時がくるだろうね」
不思議と、虎丸は自然に笑みが溢れた。
悲劇は人を蝕む。劇的な人生の先が、多くを失い、傷を負い、そこから立ち直らなければいけないのなら、虎丸は必要ない。虎丸はむしろ救われたのだ。特別な人じゃなくて、平々凡々でよかった。
虎丸が生まれてきたことの意味は、自分で見つける。どこにでもいる普通の人間の一人として、虎丸は自分で自分を見つけていく。
本作品はフィクションであり、登場人物や作中で起こる出来事は全て創作です。