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別れ

本作品は歴史物語ですが、度々横文字が使われています。予めご了承ください。


「……ということを、していただけないでしょうか」


 お願いしますと、商人のおっさんと赤井川虎丸が頭を下げた。その頭のてっぺんを眺めながら、野坂清菜はしばらく黙っていた。


「まあ、いいから顔をお上げなさいな」

 

 虎丸がそろりと顔を上げた。


「事情はよくわかりました」


 驚きを顔に出さないために、清奈は険しい表情を作るしかなかった。まったく、いちいち驚かせてくれるわ、この人達は。


「けれどね、残念なことに、私は伊豆との関係はほとんどないのですよ」

「そこを何とか!」


 虎丸は思わずという風に語気を強めて、清菜の強い視線に、急に腰砕けになった。

 商人のおっさんは黙っている。


「む、無茶なお願いであるということは、百も承知です」

「そう、無茶なお願いです」

「でも、天間佐吉君の心がかかっているんです」

「私の知ったことではありません」


 さすがに、虎丸の頬が強張った。


「その願いは、あなたたち個人の願いです。 国単位で動くことはできません」


 まばたきもせず、虎丸は清奈を見る。清奈も見つめ返した。


「あなた達は彼を見捨てないんでしょう? それは大変感動的ですけれど、私には関係ないですよ」

「彼を解放できるかもしれないのに?」

「ほかの方法を探してみたらどうです?」

「そんなものがあるなら頼みませんよ!」


 大声を出してしまってから、虎丸は顔をくしゃくしゃにした。 頭ががくんと下がる。


「――すみませんでした」


 いやはや――これはもう、とんでもない連中だわ。

 辛抱たまらんと、とうとう商人のおっさんが笑顔になった。


「いやあ、清奈様はあまりお分かりにならないかもしれませんが、赤井川君がここまで熱を持って語るのは、凄く珍しいことなんですよ」


 これには清奈も納得する。初めて会った時は、もっと弱々しい感じがした。地味で目立たず、大人しい子なのねと思ったのだ。

 おっさんは言った。


「とりあえず、この話はここにとどめておきましょう。 ですが、清菜様もぜひ、彼が守られる価値のある人間であるかどうかを、よくよくお考えください」


 * * *


 天間佐吉は先程からずっと何者かにつけられている気がしていた。外出の最中である。幸い家からはそう遠くないが、いずれにしても碌なことではあるまい。

 ここは何も知らないふりをするのが得策だろう。その何か(・・)がどのような動きを見せるのかを探るのだ。

 ど素人の尾行だろう。つけ方が下手くそである。そして、それが誰であるのか見当がついてしまうのも悲しい。

 ()()は、急に後ろから佐吉に向かってきた。

 さっと横に避けると、見事に()()は前につんのめった。

 葦名寧々だった。手に小さい刃物を持っている。

 佐吉は回れ右して家の方へ逃げ出した。もちろん、寧々くらいならすぐにでも倒せるが、反射的に動いたのは逃げ出す方だった。

 寧々はみるみる引き離されていく。よたよたとしていて足取りが頼りないので、佐吉には決して追いつけまい。家に入って身を隠すと、しばらくして門ががたがた鳴りはじめた。


「逃げるな! 出てこいよ!」


 寧々の声だった。あんなにガリガリなのに、声だけは妙に甲高く、佐吉の耳に突き刺さる。冷や汗がどっと噴き出た。身体が固まってしまって、全く動かない。

 いつの間にか、佐吉の居場所を突き止めていたのだ。意識はせずとも、何となく身を隠していたというのに、どうやって分かったのだ。

 門はがたがた鳴り続ける。佐吉は、まるで外に蔓延る鬼から身を隠すように縮こまっていた。しばらくすると、ぴたりと音が止んだ。何もなかったかのような静寂が訪れる。が、かえってそれが佐吉の不安を煽った。こっそり外を見てみると、何と寧々が入り口にどっかりと座り込んでいるではないか。

 待ち伏せをする気なのだ。

 その時、桜が村の方から全力疾走でやって来た。


「やっぱり、あんたここにいたのね」


 寧々は立ち上がると、桜に掴み掛かった。


「あいつを出せよ。 この中にいるんだろ!」


 寧々は全力でぶつかっているつもりだろうが、桜は微動だにもしない。


「さっさと帰りな。 あんたのためだよ」

「うるさい! 早くしろ!」

「馬鹿、大声出すんじゃないよ」


 桜は寧々の襟首を引っ張ってどこかに行ってしまった。


 * * *


 虎丸は背中越しに声をかけられた。

 商人のおっさんだった。


「今朝、清奈様に呼ばれて、直々にこれを渡された。 お前にだけは知らせようと思ってな。 口は堅いよな?」


 虎丸はしっかりと頷いた。おっさんから手紙を渡され、その内容を見た瞬間、虎丸は目を見開いた。


「これがどういうことか、分かるか」


 おっさんが、柄にもなく低く静かな声で言った。


「これはとんでもなく重い鉛の玉だ。 清奈様はそれを我々に投げた。 これをどう受け止め、どこにどう投げるかは俺たち次第だってことだ。 決して、後戻りや失敗は許されない」

「でも、どうすればいいのか……」


 自分の声は思ったよりも気弱だった。まったく、情けないものだ。


「大丈夫だ」


 太く短い指を、ボキボキと鳴らす仕草をした。気合十分だ。


「あとは俺に任せておけ」

 

 * * *

 

 その夕方、佐吉は縁側に一人で座っていた。何かを考えなくてはいけないのだが、何も考えたくなかった。

 すると、虎丸がやって来た。


「今日、大変だったね」


 うん、と返した。

 虎丸は佐吉の隣にそっと座った。佐吉は驚いた。なぜなら、佐吉は虎丸とまともに話したことがないからだ。

 何をする気だ。励まそうとするつもりだろうか。それとも、ただ横に座って佐吉に寄り添おうとしているのか。

 そんな佐吉の心情を察したかのように、虎丸は言った。


「あの、別に慰めようなんてお節介なことをするつもりじゃないんだ。 ただ、佐吉とはあんまり喋ったことがないから、ちょっと話してみたかっただけだよ」


 虎丸は照れたように微笑んだ。虎丸の笑顔は優しい。人をどこか安心させるような眼差しだ。


「佐吉はすごいよ。 強いし、頭いいし、かっこいいし。 僕、尊敬しちゃうなあ」


 瞬間的に、反感が喉元まで上がってきて、佐吉はぐっと堪えた。良く見えるのは表面上だけだ。虎丸が思っているような、尊敬できる人間じゃない。何がすごいものか。

 とりあえず、ありがとうと言った。否定するのも余計に話がややこしくなる。

 そんな佐吉の顔を見て、虎丸は言った。


「自信持ってよ。 佐吉には才能があるんだから」

「才能なんて無いよ」


 佐吉の口調の厳しさに虎丸は目を見張った。

 だって、佐吉は精神が強いわけでは無い。力があるわけでもない。一人の少年にも向き合えないような弱い人間だ。

 それに、才能なんて生まれてから何一つなかった。全ては佐吉の努力だ。血の汗を流す努力で手に入れたのだ。何故それを皆んなわからない?

 虎丸はやわらかく言った。


「佐吉が頑張ってるのは皆んな知ってるよ」


 反射的に虎丸を見た。どうやら、虎丸には佐吉の頭の中が丸見えらしい。

 突然、虎丸はくすくす笑いだした。佐吉が驚いていると、


「ごめんごめん、佐吉って意外とそういう人だったんだ」


 と、まだ笑いながら言った。


「自分は皆んなにコレコレ思われてるけど、それは偽りで、本当の自分はコレコレなんだ――みたいな」


 あまりに的を得ていたので、思わず佐吉は微笑した。


「自分の身に起こった不幸をなんとかするために、もがくのはカッコ悪いことじゃないよ」


 口調を変えて、虎丸は静かに言った。佐吉は虎丸を見た。虎丸は自分のつま先を眺めていた。


「だって、それは皆んながやることでしょう? 誰でも追い詰められたら悪戦苦闘して何とかしようとするよ」

「違うんだ。 僕は僕のせいでこんなことになってるんだ。 だから、僕は責任をとらなきゃいけない。 絶対に楽な方には逃げられないんだ」


 虎丸はしばらくじっと黙った。


「人殺しが酷いのは、被害者が死んじゃうだけじゃなくて、残された人間も死んじゃうからじゃないかって僕は思うんだ。 残された人は皆んな自分を責めるよね。 こうしていればよかった、ああしていればよかったって。 残された人はそうやって自分で自分を死なせていくんだと思う」


 殺すとはあえて言わず、死なせると言うところが虎丸らしい。 

 佐吉はどうすることもできずに俯いていた。虎丸が言っていることは確かにそのとおりだからだ。


「寧々が佐吉を追いかけてくるのは、彼自身が救われたいからじゃないかな」


 佐吉は再び頭をあげて虎丸を見た。まるで、魔法にかけられたみたいだった。目の前にいるのは、佐吉が思っている、ひ弱で大人しい虎丸ではない。虎丸にもこんな一面があるのかと新鮮な気持ちになる。


「佐吉が自分で自分を責めて痛めつけているのを見ると、安心するんだと思うな。 不幸なのは俺のせいじゃない、俺が悪いんじゃないってね」


 虎丸は微笑んだ。


「佐吉は偉いよ。 逃げたりしないで自分の罪を自分で認めてる。 だけど、ぶたれ続けるのは良くない。 ただぶたれるのに任せてたら、佐吉の身がもたないよ。 傷がただ広がるだけだ。 だから、いっぺん言ってごらんよ。 僕が僕の罪とどう折り合いをつけるか、それは自分で考える。だから、あんたもあんたの心の傷をどう癒すか自分で考えろってね」


 目が覚めたように、なるほどと合点した。商人のおっさんが虎丸を六人の中に入れたわけだ。


「僕、余計なことしか言えないけど。 皆んな佐吉を見守ってるよ」


 佐吉は前を見た。夕陽に照らされた景色が急に滲んだ。

 

 * * *


 次の日佐吉が外出すると、青白い寧々の顔が待ち構えていた。手にはやはり刃物を持っていたが、襲いかかれないだろうなと思った。幽霊みたいに薄っぺらくなっている。本当に透けてしまいそうなくらいだ。

 佐吉が無視を決め込んで歩くと、ぱたぱたと足音が尾いてくる。寧々が追ってきているのだ。


「無視するつもりか」


 寧々は弱々しく言った。


「ちょっと待てよ」


 足音が止まった。


「待てよ!」


 声が荒がった。

 佐吉は足を止めて振り返った。寧々は肩を怒らして、仁王立ちしている。


「本当に俺のことを無視していいのか?」


 寧々は怒鳴った。


「俺がどういう気持ちでここに来たかわかるのか? 俺がどうやってここまでたどり着いたのかわかるのかよ?」


 寧々は息継ぎもせずに言う。


「身体売ってるんだよ」


 佐吉は冷や汗が脇腹を伝うのを感じた。


「金がないと生活できないから、俺、オバさんたちの慰みものになってんだ。」


 寧々の声は次第に張りあがっていく。もはやわめいているのと変わらない。


「毎日毎日、オバさんに素っ裸にされるんだ。 昼間からオバさんの股ぐらに顔を押し付けられんだよ。 それがどういうことか、お前にわかるのか? お前のせいだ。 全部お前のせいでこうなったんだ。 俺の人生をめちゃくちゃにしたのだって、全部お前が悪いんだ!」


 佐吉は刀を鞘から抜いて、寧々の喉元にに突きつけた。

 寧々はそれだけで尻餅をついてしまった。


「俺は諦めないからな」


 寧々が言った。


「絶対にお前を殺してやる。 この手で殺してバラバラに引き裂いてやる!」

「僕は辰巳さんのことを尊敬していました」


 自分の声はきわめて平静に聞こえた。不思議なことに寧々が怖くなかった。そして、それが佐吉を勇気づけた。


「頼りになって、僕のことを引っ張ってくれた。 だから、自分を犠牲にしてあの家族を助けたことは、辰巳さんの考えがあったからだと思う。 それがこんなことになってとても残念です」


 寧々は大人しく聞いている。


「君にも申し訳なく思っています」


 風はなかった。木々は葉音一つ立てない。そのおかげで、大きな声を出さずとも言いたいことがちゃんと言えた。


「だから、この後君がどうするかは君に任せる。 僕のことを放っておいてもいいし、僕を殺してもいい。 僕も勝手にするから」


 佐吉は刀を下ろした。

 身動き一つしない寧々を残して去ろうとすると、寧々が突如に言った。


「待てよ」


 ざらざらした声だった。


「父さんはあんたのこと、こう言ってたよ」


 思わず足を止めた。


「あんたは努力家で、馬鹿みたいに真面目なんだって」


 寧々は佐吉を睨みながら続ける。


「父さんがあの家族を助けたのは、父さんが本当にそうしたいって思ったからだ。 だけど、そうなったらあんたが自分のことを探すことになるって、父さんはわかってた」


 突然寧々、の声が震え出した。


「でも、逃げてる最中には父さんはこう言ってた。 あんたのことがずっと憎かったんだって。 あんたは昔捨てられて、征侑士になって、それからもずっと周りから虐められてたはずなんだって。 それなのに自分よりも顔も頭もよくて、武術も優れてる。 父さんが必死になって積み重ねた地位をいとも簡単に得ていく。 だから、父さんはあんたが嫌いだった。 父さん言ってた。 あんたに会ったら自分はあいつに殺してもらうんだって。 そしたらあいつは死ぬほど真面目だから必ず苦しむだろう、もしかしたら自殺までするかもしれない。 あいつは自分が捨てられた人間なんだって、誰からも必要とされない人間なんだってことを思い知らせてやる。 努力する意味なんてない。もともとなるはずだったあんたの人生、あんたがなるべき人生にしてやるって。 父さん、あんたのことわざと苦しめようと……」


 寧々が本格的に泣きそうになり、顔を歪めた。きっと佐吉の目も赤くなってるはずだ。

 寧々は辛かったのだ。自分は誰に怒ればいいのか、誰に責任を押し付ければいいのか、板挟みの立場でずっと苦しんでいた。一番の被害者だ。

 けれども、もう終わらせなくてはならない。きり《・・》をつけなければならない。もう過去の残像とはお別れの時だろう。

 それは誰のためだろうか?自分のためか、それとも寧々のためか?まだ見ぬ未来のためだ。自分の未来なぞどうでもいい。寧々をここにとどまらせてはいけない。自分が産んだ負の遺産は自分で回収しなければならない。彼を呪縛から解き放つのだ。そして佐吉は責任を負い続ける。寧々が自分の両親を死を間近にした苦しみを忘れない代わりに、佐吉も忘れてはならない。この記憶を一瞬でも消し去ってはならない。


「言ったでしょう。 勝手にしろって。 君が、これから何をしたいかを考えるんだ。 これから君は何をしたっていい。 どんな道を行こうが君の勝手だ。 だけど、何があっても人のせいにはしちゃいけない。 全部自分の責任なんだ。 自分が選択した行動なんだから」


 佐吉がそう言うと、寧々は目をこすった。眉をひそめて佐吉を見ている。


 「だけど、気をつけるんだ。 悪い人間はいっぱいいるから。 辛くて苦しんでいる人を利用しようとする人間はいくらでもいる。 だけど、そうじゃない人だって必ずいるんだ。 そういう人を見つけた方がいい。 自分が苦しんでいるときにそばにいて、手助けしてくれる誰かを」


 寧々は佐吉をじっと見ていた。その目は濁っていて暗かったけれど、奥に僅かな光が確かに見えた。

 佐吉は懐から小判三枚を引っ張り出した。


 「金がないんでしょう? せめてもの詫びと思って、受け取ってください」


 小判を受け取ると、寧々は立ち上がり、踵を返した。しっかりした足取りで道を進んで行った。

 葦名寧々は去っていく。彼がこれからどうするかは彼次第だ。過去、今、未来のどれを見るかは彼が決める。

 寧々は途中、一度だけ振り返った。それは、怯えて、なじって、責める彼の顔しか見たことのない佐吉にとっては、初めて見る表情だった。

 これでいいんだ。

 佐吉は目の裏に鮮やかに浮かぶ寧々の姿に別れを告げた。


 * * *


 またもや縁側に座ってぼんやりしていると、虎丸走って来た。何かが握られている手をぶんぶんと振っている。


「これ読んで!」


 顔を真っ赤にして、何やら興奮している。()()と手に握っていたものを佐吉の胸に押し付けた。

 一枚の手紙だった。

 長ったらしく書いてあるが、佐吉の目はある一行に釘付けだった。


――これにて征侑士の職務を解する――


 虎丸が嬉しそうに言う。


「僕が提案して、商人のおっさんに相談したんだ。 それで、おっさんも手伝ってくれて、清菜様に頼んだの。 そうしたら、伊豆に手紙を出してくださったんだ」

「何で……こんなことするんだ」


 虎丸は微笑む。


「単純にそうしたいって思ったからだよ。 清菜様も最初は渋ってたけど、結果的には協力してくれたわけだし。 佐吉の努力とか、闘いぶりとかを見て、清菜様も力を貸してくださったんじゃないかな、きっと」


 しばらくして、佐吉は笑った。


「ありがとう」


 それは、一人の普通の青年としての、眩しい笑顔だった。

 


本作品はフィクションであり、登場人物や作中で起こる出来事は全て創作です。

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