再会
本作品は歴史物語ですが、度々横文字が使われています。予めご了承ください。
本当に刀を習ったことはなかった。思えば、何故私は園田桜に武道を教えられたのだろう。武道なんか一度も教わったことはなかったのに。刀を操った時に一番驚いていたのは私――黒田栄だ。まるで、何者かに身体を乗っ取られているみたいだ。
私、どうしちゃったんだろう。
一抹の不安が栄を襲う。
今までこんなことはなかった。自分の行動に不安を覚えることも、これからの計画に尻込みすこともなかった。――なかったのに。
あいつらのせいだ。あいつらが首を突っ込み始めてからおかしくなり始めたのだ。奴らの動向を面白がっていたが、さっさと始末するべきだった。殺せるうちに殺してしまおう。
なのに、なんでこんなに不安なんだろう?
栄は路地裏に身を潜めていた。隣には田中乙女がいる。
栄はある人物が来るのを待ち伏せしていた。瀬名から貰った絵を頼りに、行き交う人々の顔を一人たりとも見逃さないよう注意する。
遠くから目的の人物が歩いて来るのが見えた。念の為、もう一度絵と見比べる。
間違いない。
いきなり目の前に飛び出したら、待ち伏せしているように見え、かえって警戒される。通り過ぎた後を追っかけて肩を叩いた。
「あなた、葦名寧々さんよね?」
* * *
園田桜は朝香村を歩いていた。何をするでもなく、ただ歩いていた。
ふと後ろから視線を感じた。振り返ると、葦名寧々の青白い顔が浮かんでいた。
桜は咄嗟に身構えることも出来ず、ただ馬鹿みたいにまじまじと寧々の顔を見つめていた。
「久しぶりだな」
以前のヒステリックにわめく寧々とは別人のように、無機質な声で彼はそう言った。
「ああ……」
「お前ら、人殺しを探してるんだって?」
そんなことを知っているのか。
だが、寧々が一人で桜たちの事情を調べられるはずがない。協力者がいるのだ。
それが誰かなんて、もう決まってる。
長谷川勇介の盗賊騒ぎの時と同じだ。栄が寧々に声をかけたに違いない。
「天間佐吉もやってるのか?」
「そうよ」
寧々はいつもの恨みがましい目つきで言った。
「罪滅ぼしのつもりか」
桜はがっかりした。
なんだ。前と大して変わっていないではないか。
寧々の目をちょっと覗き込めばすぐ分かる。あの時のように、叫んだり毒づいたりしていないだけで、根本的なものは一切変わっていない。寧々の二つの瞳はぎらぎらと光っている。
「罪滅ぼしなもんか。 あんたのことなんかこれっぽっちも考えちゃいないよ」
と言い捨ててやった。
寧々はくるりと踵を返すと、返事もしないで走り去った。
その素直さがかえって桜の不安を煽る。
何で私に声をかけた?何をするつもりだ?
寧々の後を追いかけようと思った時である。
「お久しぶりね」
ぎょっとして振り返ると、案の定黒田栄がいた。彼女の顔を見るのはもううんざりだ。碌なことがないと分かっている。
桜は言葉も出ないでいるのに、あまつさえ、栄はほほえんでいた。
「私はあんたのことを救ってあげたのに、恩を仇で返すような事をされるとはねー。 さすがにびっくり仰天よ」
声も笑っていた。そのことに桜はぞっとした。
何でこいつはいつも笑っているのだろう。
「確かにあんたは私のことを助けてくれたかもしれないけど、救われた覚えはないわよ。 私は自分で自分を救ってきたのよ」
「あんたにいいこと教えてあげよっか」
栄は薄ら笑いを浮かべた。
「最初に殺された町人たちがいたでしょう? あの人たち、実は裏で少女買春をしていたのよ。 自分の家族にも隠してね。 オヤジ臭いったらありゃしない、品もへったくれもないと思わない?」
さすがに言葉が出なかった。奴らにそんなウラがあったのか。
遊郭で幼い頃から身体を売っていた桜にはわかる。ほとんどの場合、女性は犠牲にされる側だ。他人事とは思えない。そして、そのことを桜に伝える有効性を、栄は十分過ぎるほど心得ていた。
気の利いた反論をしようとして、たっぷり十秒は考えて口から出てきたのは、
「だからって殺してもいいわけないでしょ」
という陳腐なものだった。栄は眩しいものを見るように目を細めて言った。
「勘違いしてない? 私だって、誰でも彼でも殺したいわけじゃないのよ。 私が本当に殺したいのは野坂道残なのだから」
これに関しては以前天間佐吉からの話にもあった。つまり、栄は朝香村の撹乱を狙っていたわけだ。
「何でよ」
「彼がどれだけの悪行をしてきたか知っているでしょ?」
確かにその手の噂はよく聞く。一番最近だと、通りすがりの妊婦の腹を裂いたという。それでよく村民が許せたものだ。――いや、許していないのか。
見て見ぬふりをしているだけなのだ。知って知らぬふりをしているだけだ。傷つきたくないから。面倒なことになりたくないから。
「だからってあんたに奴らを殺す資格なんか……」
「あるわ」
桜は思わず息を呑んだ。身じろぎするほど、栄の目が据わっていたからだ。
「彼のせいでどれだけの人が涙を流したかわかるの? 殺された人がいるということは、苦しむ人の数はもっともっと多くなる」
そう言う栄の表情は、桜が初めて見るものだった。真顔でもほほえんでいるのでもない。憤怒だ。彼女の身体の底の底で、煮えたぎる怒りに熱く燃えていた。
「彼を憎む人間なら、彼を地獄に落とす動機はいくらでもある。 きっかけは誰にでもある。 それが私だったまでよ」
桜はさすがに黙ってしまった。何と言い返していいかわからなかった。栄の言っていることもわからなくもないからだ。
――なのに、何故救おうとする?これは、野坂道残という持て余しものを排除する千載一遇のチャンスではないのか。
桜は頭を振った。
駄目だ。何があろうと人は殺しちゃ駄目なんだ。それは、実の父を殺そうとした自分が一番わかっているじゃないか。
「あなたには殺された人々と道残の共通点がわからない?」
何故、わかる?と聞くのではなく、わからない?とあえて聞くのだろう。腹が立つ。
「彼らは人の心を殺してるの。 あなたもその犠牲者の一人でしょう?」
栄は抑揚を欠いた口調で、義務的に話していた。
「私だって殺されたのよ。 私はもう生きてない。 幽霊なの」
辺りに負の雰囲気が立ち込めるのを感じた。早くここから立ち去った方がいい。
「彼らが人の心を殺したのだから、私は彼らの身体を殺したまでよ」
栄は急に笑い出した。なのに、ちっとも楽しそうではなかった。明らかに桜を不愉快にさせようと笑い続ける。
「寧々を見失ったわね」
桜は息を呑んだ。
「彼、この後どういう行動に出るのかしら」
栄はくるりと背を向けて去ってしまう。追いかけようとしたが、足か全く動かなかった。身体が重く、何から何まで敗北感にまみれていた。
本作品はフィクションであり、登場人物や作中で起こる出来事は全て創作です。