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奇妙な人間

本作品は歴史物語ですが、度々横文字が使われています。物語の内容自体も歴史にそぐわないものではありますが、語感やストーリーを優先させてそのようにしました。あらかじめご了承ください。


「盗賊たちの暴徒を押さえてくださり、感謝いたします」


 六人と商人のおっさんは頭を深々と下げた。


「あなたもそんな怪我をして大変でしたね」


 恐縮する長谷川勇介の姿は目新しかった。

 西田照たちは今、野坂清菜の前に並んで座っている。野坂清菜というのは、現・朝香村の城主である、野坂道残の従姉妹にあたる。とても聡明で頭がよく、美しいと聞く。悪評が目立つ野坂道残とは真逆である。実際会ってみると、艶やかな髪、賢そうな目、自信溢れる鼻、穏やかそうな唇、確かに美しい。声も透き通っていて、爽やかなオーラを発しているようだった。


「ただ、あなた方が蒔いた種なのですから、感謝していいのか怒っていいのかわからない感情ですよ」


 清菜は格好良く口を曲げる。大層ご立腹なようだ。


「あなた方が犯人を探してるなんて知りませんでしたしね。 二度とそんな真似はしないでください」


 すると、突然清菜はしゅんとした。


「どうして、こんなことになってしまったんでしょう」


 清菜は悲しそうにため息をつく。


「道残がもっと良き人であれば、こんなことにならなかったんじゃないかと考えてしまうのです」

「必ずしもそれが原因とは決まっていませんから」


 天間佐吉が言う。


「ただ、犯人は感情に任せて動いているわけではないということです。 敵を調べ上げた上で自分の手を汚さない手法は、大胆でありながらも十分に計算されています。 奴らの行動には裏付けがあるということなんです。 今回のような形ではなくとも、相手が次にどう出るかは分かりません」


 清菜はしばらく黙った。


「今や私はあなた方に頼るしかないのですね」 


 清菜は自嘲するように俯いた。しばらくそうしていた。次に顔を上げた時には、強く、真っ直ぐな瞳で照たちを見た。


「私はあなた方に朝香村を救って欲しいのです」


 清菜は決して目を逸らしたりはしなかった。


「いざという時に全く役に立てないことは思い知らされました。 だから、犯人探しはあなた方にお任せします。 でも、私にだって出来ることはあります。 なんでも協力しますから」


 清菜は照たちに近寄ると、ぐいっと身を乗り出した。


「よろしくお願いしますよ」


 一番近くにいた、照の肩に手を置いた。

 その瞬間、風が部屋に吹き込んできた。

 

 * * * 


 天間佐吉は家の玄関先に座り、考え込んでいた。

 どうすれば犯人を捕まえられるだろうか。確実に犯人は近くにいるはずだ。しかも、こちらは犯人が何者なのかさっぱり分からないのに、向こうは佐吉たちを認識し、調べ上げている。相手が一筋縄ではいかないことは確かである。

 考えても考えても、すぐに思考停止してしまう。どの道筋でも必ず壁にぶち当たり、その先が見えなくなる。前回の盗賊騒ぎの時も、たまたま上手くいっただけだと言われれば、そうとしか言いようがない。今度こそ、慎重に行動しなければならないのだ。

 頭に砂が詰まったようである。そろそろ嫌になって頭を上げた時だった。

 強烈な殺気を瞬間的に感じた。それは、佐吉に襲いかかった。慌てて避けるがすぐに次の攻撃が向かってくる。相手の動きが速すぎて、顔もしかと見えない。ただ、次第に自分は刃物を向けられているらしいことに気がついた。

 佐吉は未だ刀を抜くことさえ出来ていなかった。刀を抜く間に相手が攻撃を仕掛けてくるからだ。相手の刃を避けるだけで精一杯である。相手が向かって来たので、足を引っ掛けるとまともに転んだ。その間に体勢を整えて、相手に向き合う。が、思わず間抜けに口を開けてしまった。

 いっそ、弱々しくさえ見える小柄な少年ではないか。いや、少年という言い方で合っているかは分からない。男か女か判別がつかないのだ。少年(とりあえず佐吉はそう呼ぶことにした)が持っているのは短剣だった。呆気に取られているうちに少年は次の攻撃に突入した。

 なにしろ、小柄なものだから少年は上手く懐に入ってくる。動きが俊敏でその上短剣と来た。これほど刀に不向きな相手は見たことがない。

 少年と間合いを取る。

 その瞬間、少年が短剣の刃を佐吉に真っすぐに向けて、顔面に投げつけてきた。咄嗟に避けるが、ハッとした時には、少年の拳が佐吉の鳩尾を直撃していた。

 小さい拳だからこそ、適格に急所を突いてきた。全体重を掛けたような拳で、鈍痛が響く。前のめりに膝を屈すると、素早く伸びた手が佐吉の右腕を捻り上げる。小さい身体からは到底想像出来ないほどの腕力だ。佐吉は刀を取り落とす。佐吉は夢中で少年の足にしがみつき、手前に引いた。さすがの少年も体勢を崩し、よろめく。だが、残念なことに、佐吉は有段者ではない。寝技にも持ち込めないので、せめて目と鼻の先に転がっている短剣を取ろうと手を伸ばす。すると、すぐさま少年は佐吉に飛び掛かり、短剣をつかもうとした手を真上から踏み砕かれた。あまりの痛みに指先が小刻みにわななく。この体勢では、どう考えても佐吉は不利だ。形成逆転するためには、少年と間合いを取らなければならない。佐吉はもう一度少年の足を手前に引こうと試みる。しかし、同じ手を食らうほど相手は甘くない。少年は捕まる前に、爪先を佐吉の顔面に繰り出した。咄嗟に身をかばったものの、左腕が犠牲になった。骨が砕けたかと思うほどの痛みだ。しかし、その瞬間佐吉の手を踏みつけていた足の力が弱まった。片手は失う覚悟で短剣を引っ掴んで、少年の太ももに突き立てた。躊躇う余裕はなかった。少年はよろめくと、刺さった短剣を抜いた。血が滴り、短剣を持つ手も血で染められている 

 佐吉は少年の顔を見た瞬間、ぞっとした。少年は痛みに顔を歪めるどころか、無表情だったからである。単に無表情というわけではなく、そこに表情が何もないから無表情に見えるのだ。

 固まって動けずにいると、

 しゅっ、さくっ。

 少年の手首に矢が刺さった。虎丸だ。家の塀の内から矢を放っていた。助けてくれたのである。少年は短剣を取り落とした。佐吉はその間に刀を引っ掴んで、少年の首に突き付けた。少年はよろよろとよろめいて、尻餅をついた。


「誰だ」


 少年は何も答えない。

 少年は初めて佐吉の顔を見た。佐吉は息を呑んだ。人の眼のようではなかった。全ての光を跳ね返してしまうほど固い眼。得体の知れないものを目の当たりにしているようで気味が悪い。


「お前は誰だ」


 少年はやはり答えなかった。

 その代わり、


「何故、余計なことをする」


 と聞いた。

 か細い、ほとんど聞き取れないほどの微かな声だった。声も聞きようによっては、男にも女にも聞こえるような中性的な声だ。が、何故か絶対零度の冷たさを感じる。


「何のことかさっぱり分からないな」

「犯人を探し出そうとしていることだよ」

「何故、それを僕に聞くんだ」


 少年はめっきり黙ってしまった。


「わかっていない」


 とつぶやいた。


「世の中には、屠らなければならない命もある」

「屠るのは君の仕事ではないだろう」

「違う」


 少年の口から鋭い声が発せられた。


「何が違うんだ」

「これはボクの考えじゃなくて、雇い主の考えだということだ」


 そうすると、少年はまた黙ってしまった。しばらく項垂れていたが、突然ぶつりと音がした。少年の口から血が溢れる。佐吉は思わず後ずさった。が、血は止まらない。舌を噛んだのだ。血の量からして相当強く噛み切っている。途端に、少年は飛び上がると回れ右をして逃げ出した。余りの出来事に呆気に取られた。はっとして追いかけようとしたが到底追いつく速さではなかった。

 

 * * *


 山埜瀬名は血を拭った。後ろを振り返る。さすがにここまでは追いかけてくるまい。

 ただの野次馬かと思って処分しに来たのだが、予想以上に強敵だった。元盗賊の頭領に並ぶ奴らだから、それなりに強いことは覚悟はしていたのだが、正面切って戦っても体力の無駄だ。

 血が地面に垂れている。そのうち、これを辿ってくるだろう。

 瀬名は短剣で自分の首を切った。

 

 * * * 


 血の跡を辿っていったのだが、しばらくしたところできれいに途絶えていた。一体、あの少年はどこに行ったのだろうか。

 西田照にお使いを命令されたので、長谷川勇介は八百屋に行った。


「ちょ、喜多郎さん、どうしたのよその怪我!」


 一瞬、何のことだかわからなかった。

 そうだ。八百屋のおばさんは勇介のことを、油売りの新田喜多郎と思っているのだった。

 勇介は未だ怪我が治りきっていない。脚にも頭にも包帯を巻いており、さながらミイラ男という風情だ。それでも、今もこうして生きている。なにしろ、医者には馬並みの生命力だと呆れられたほどなので。


「ちょっと、悪い輩に絡まれて喧嘩したんだよ」


 あらそう、だったらいいけど、と若干引き気味に返された。


「前にも、喜多郎さんみたいな若い子がよく来てたのよ」


 どうやら、勇介の怪我っぷりは大して大事ではないらしい。そういえば、このおばさんはお喋りな人だったと思い出す。


「あなたよりも小さかったけどね。 男か女かわからないような子だったわよ」


 本能的に脳が反応した。男が女かわからないと言うと、必然的にあの少年を思い出す。あれほど中性的な人間はそういないだろう。勇介は勝手に少年と言っているが、本当に男であるかは判然としていないのだ。


「あんたのこと探してたわよ」


 だったら、おそらくそうだ。あの少年だろう。


「最近来なくなっちゃったのよね」

「いつから来なくなったんだよ」

「いつだったかねえ。 時間は覚えてないけど……。 最近物騒だから、その話をしたのよ。 ほら、犯人が手紙を残して登場したっていうやつね」


 本当は自分たちが仕掛けた犯人なのだが。


「いつもは無口なんだけど、その話にはいつもより少し反応したのよ。 それで何にも買わないで帰っちゃった」

「そいつについて何か知ってることはない?」


 おばちゃんは途端に目を輝かせた。


「なになに、あの人とどういう関係なの?」

「知り合いだよ」


 おばちゃんは難しい顔をしてうーんと唸った。


「それが何も知らないのよね。 なにせ自分のこと何も話さないんだから」

「いつも来る方向とか」

「決まってないわねえ」


 ああでも、と言う。


「一回村で見かけたのよ。 笹身山に入って行くところだから、ほら、山の中なんて何もないでしょう? だから、何しに行くんだろうって思ったのよ」


 それ以上は押しても引いても、おばちゃんは何も思い出せなかった。

 それでも、あの少年は笹身山に何かしら用事があった。笹身山に何かある(・・・・)ということだ。一度行ってみる価値はある。


「おばちゃん、もしそいつが来たとしても、俺が探してたことは言うなよ」

「なんで?」

「逃げられる」


 * * *


 勇介は園田桜と笹身山の中に入って行った。

 おばちゃんが言っていた通り、笹身山というのは何もない。かろうじて道らしいのはあるが、およそ用事がありそうな場所は見当たらない。確かに、西田照と佐吉と朝香村に来た時にも、何かあった記憶などこれっぽっちもない。


「ねえ、本当に意味あるの?」


 桜がだるそうに言う。


「あるよ」

「でも、何であの少年がここに来たのかもわからないし、場所だって見つけられないでしょ」


 確かにその通りなのだが、何もなければないでいいのだ。何もないことが分かればいい。そのために来たのだ。

 すると、遠くに人影が見えた。若い女だった。こんな険しい山から、一人で歩いてくる女はそう見かけるものではない。何か知っているかもしれない。

 通りがかったところで声をかけて尋ねた。


「あの……ここら辺で何か建物とかってありますかね」

「建物……ですか?」


 近くで見ると、穏やかというか、弱々しい感じの女の人だった。自信なさげで、どことなくうさぎを連想させる顔立ちである。

 女は怪訝そうに勇介と桜を見た。


「建物というか、まあ、人が来そうな場所はあるかということなんですけど……」

「そんなところないですよ」


 勇介は手を揉みながら、できるだけ相手の気に触れないように、聞いた。


「お姉さんはどこから来たんですか?」


 すると、女はあからさまに機嫌が悪くなった。


「なんでそんなことを聞くんですか?」


 いやらしい、と呟く。

 女は勇介を睨みつけると


「そんなこと知りません」


 と、やけにつっけんどんに言って去ってしまった。

 後ろ姿を見送ってから、桜は器用に口の端だけを上げて笑った。

 勇介は言った。


「道じゃない、別のところに何かあるのかもしれない」

「でも、それじゃ探し出せないよ。 ヘタに探しても迷子になるだけだって」


 桜はもとより気乗り薄である。


「馬鹿、俺を誰だと思ってるんだ。 元盗賊の頭領だぞ。山の中なんて庭みたいなもんだ」


 そう言って、道から外れ、険しい山道に入っていった。

 桜は大袈裟にため息をついて、未練がましくその場に留まっていたのだが、結局大人しくついて来た。

 道なき道を行く。


「ねえ、本当に大丈夫なの?」

「大丈夫だって」

「でも……」


 ここで桜が言葉を切ったのには理由がある。道のようなものが見えて来たのだ。明らかに葉が掻き分けられている。

 桜はその場で立ち尽くした。


「これが盗賊の勘ってやつ?」


 そんなものこの世のどこにも存在しないが、あえては反応しなかった。目の前に立ち塞がる葉を退けようとした時である。

 後ろから唸り声が聞こえた。何かが飛び出して来て、桜と勇介を襲った。そして、運悪くそれは勇介の方に突進してきた。衝撃で勇介は横向きに吹っ飛んだ。その拍子に、癒着しかけていた足骨がもう一度砕かれ、激痛が走る。痛みでなかなか体勢を立て直すことができない。

 視界の端で、飛び出してきた何かの正体を捕えた。思わず目を見開いた。さっきの女ではないか。しかし、様子が違った。目が血走り充血している。眉は吊り上がり、口からは鋭い牙と真っ赤な舌がちろちろとのぞいている。爪が尖り、髪の毛が逆立っていた。

 獣だ。

 獣女は再び勇介に襲いかかって来た。覆い被さるようにして、獣女は勇介に噛みつこうとする。なんとか体をガードしようとしたせいで、腕が犠牲になった。

 獣女の牙が腕に食い込む。自分の身体に血が垂れてくる。すると、桜が獣女の後ろから無防備になった腹に膝蹴りを入れた。獣女の噛みつく力が緩む。桜の動きはこれまた俊敏で、獣女の顔面に回し蹴りを繰り出した。

 ぐわあああっと獣女は叫ぶと、今度は桜に狙いを変えた。反撃を許した怒りは烈しく、嗜虐欲をそそる。

 獣女は桜に飛び掛かった。桜は獣女の襟元を掴んで寝技に持ち込もうとしたが、獣女は身をよじって振りほどこうとする。その勢いで桜は吹っ飛ばされた。

 勇介は短剣を取り出して、獣女に投げつけた。短剣は脇腹あたりに刺さり、血が流れてきた。女は唸ると、勇介を見た。獣女の皮膚から血管が浮き出た。獣女は飛び出して勇介に突進した。自分を守った腕がごきりと鳴った。桜は獣女の頬を拳で殴り、腕と首を取ってどちらか一方の骨を折ろうとした。

 その時である。


「ちょっと! 何、二人がかりで若い女を虐めてんのよ!」


 声の主はまた別の女だった。視線をやると、髪を一つにまとめていて、凛々しい顔立ちの女だった。腰に手を当て、仁王立ちでこちらを睨んでいる。


「あっ!」


 桜が声を上げた。それだけでわかった。

 こいつが黒田栄か。


 * * * 


「あなた達は、何で私達の邪魔をするのよ」


 勇介はフンと鼻を鳴らした。


「生憎、公的に犯人探しを受け持ったんでね」

「だからあ、なーんでそんなことをするのかって聞いてるの」

「俺はお前が何で人殺しをするのかがわからんな」

「私は皆んなのためにやってるのよ。 あなた達だって知ってるでしょー? 野坂道残がどれだけ卑劣極まる行為をしているのか。 だから、私たちが潰してあげるの。 悪は滅びないといけないのだから」

「お前がやってる行為は悪じゃないのか」

「世の中には必要悪もあるの。 皆んなの平和を実現するには、誰かが悪者にならないと駄目なのよ」

「お前のせいで、悲しむ人が出てくるとは思わないか」

「そんなこと知ってるわ。 でも、多くの人々を助けると思えば、たかが数人の犠牲なんてどうってことない」


 栄は鼻で笑った。


「第一、私があなたに責められる筋合いはない。 あなただってかつては人殺しでしょ?」


 思わず息を呑んだ。

 そう出てくるか。

 元盗賊であることを掘り下げられれば、勇介は何も言えないのだ。


「むしろ、罪なき人を傷つけたという意味では、あなたの方が性質(たち)が悪い。 それなのに、今更正義漢面なんて、どういうつもりよー」


 栄は肩をすくめた。


「私はあなたが大っ嫌い。 だから本当は、盗賊たちにあなたのことを殺させるつもりだったの。 それなのに、今もこうして生きているんだから、あなたってそうとうしぶといのね。 まあでも、痛い目に遭ったんだから、身に染みて分かったでしょ。 これ以上余計なことはしないことよ」


 栄はくるりと身を翻して去ってゆく。獣女もそれに続いた。

 金縛りに遭ったかのように動きを停止させ、勇介はぼんやりと栄たちの背中を見送っていた。


「あんた、大丈夫?」


 桜が勇介の肩を思いっきり揺さぶった。そのあまりの力の強さに、勇介は飛び上がった。慌てて桜に視線を寄越すと、桜は疑いの目で勇介を見ていた。


「大丈夫って、何が」

「あんた、ちょっと惑わされそうになったでしょう」


 正確に胸の内を言い当てられ、どれほどぎょっとしたかは言うまでもない。


「は、はあ? そんな訳ないだろ。 何を俺が惑わされるんだよ」


 桜は勇介をじっと見つめた。


「あのねえ、私からしたらあんたも栄も同じ穴の(むじな)よ。 それでも、あんたは自分がずっと悪い事をしてきたって承知してるでしょ。 自分が人を傷つけてきたって分かってるじゃない。 だけど、栄は間違ったことをしてるって思ってない。 自分が正義だと思ってる。 でも、どんな理由があっても人を殺しちゃ駄目なのよ」


 勇介は目を(しばた)いた。どうやら、桜を小さく見積もり過ぎていたらしい。桜が言っていることは極めて真っ当である。


「自分が正しいと思ってる限り、栄は死ぬまで人を殺し続けるよ。 私はそっちの方が、よっぽど面倒だし、性質(たち)が悪いと思うわね」


 毒のこもった栄への批判は辛辣だ。まったく――なんと人は第一印象によらぬものか。しかし、次第にその矛先は勇介に向いてきた。


「こんなこと言ってるからって、私があんたに肩肩入れしてるわけじゃないわよ。 栄がやってることは間違ってるけど、雀の涙くらいは賛成。 あんたが盗賊として人を傷つけてきたことは、誰も許しちゃくれないわよ。 私だって本当は元盗賊なんかと関わりたくないんだから。 私、別にあんたと仲良くなりたくてここにいるんじゃないんだからね。 佐吉さんと付き合うために協力してやってるの。 勘違いしないでちょうだい」


 桜は勇介を残して、ぐんぐんと帰り道の方向に歩いて行った。


 * * *


 栄は朝香村の牢屋にぶち込まれた。おそらく、勇介か桜が告げ口をしたのだろう。

 ぶち込まれたと言っても、栄の両脇の牢屋には山埜瀬名と獣女――田中乙女も同様に牢屋に入れられている。

 この乙女という娘は、随分と栄に懐いている。栄が豪商から家出したあと、荒れ果てた寺で、何か役に立つものはないか探していた時に出会ったのだ。物置らしき小屋の戸を開けると、乙女がうずくまっていたのである。服はボロボロで、半裸と言っても過言ではない状態だった。髪はちりちりで、肌も黒く汚れており、見るに堪えない姿だったので、思わず栄は彼女を助けてしまったのだ。

 乙女は奴隷の子だった。幼い頃から身売りされていて、住まいを転々とし、前の主人に買われてからは長い間落ち着いていたらしい。しかし、前の主人は乙女を姑のごとく虐めた挙句、夜になると彼女の寝床に忍び込むという繰り返しをしていた。彼女がどれだけ屈辱的な行為を強いられたのかは、語るまでもない。それにに耐えがたくなった乙女は、必死で脱走してきたのだ。そこで栄が乙女を拾って以来、恩を感じているのか、随分と忠誠を尽くしてくれている。十分な活躍ぶりだ。人には良くするものである。

 瀬名に関しては、この件について全く協力者ではない。ただ、栄が雇っているだけである。瀬名は依頼さえすれば、淡々と、しかし確実に仕事をこなす。言われた以上のこともそれ以下もしない。だが、栄としてはその方が安心できる。事実、瀬名は栄が金を払い続けている限り、裏切ったりはしない。

 このまま行けば、栄たちはおそらく死刑だろう。朝香村の城主への反逆者とみなされるからだ。しかし、栄はここで諦める気はなかった。

 ここから脱出しなければならない。私には野坂家を罰する使命があるのだから。


「痛っ、痛あああ! 助けてえええ!」


 栄は腹を押さえて叫んだ。格子を揺らし、牢屋中を転げ回った。栄の声を聞きつけた見張り番が駆けつけてくる。


「大丈夫か!」


 見張り番は牢屋の鍵を開け、栄を揺さぶる。

 今だ。

 栄は見張り番の首に腕を回し、頸動脈を締め上げた。咄嗟のことに見張り番は叫ぶ間もない。抵抗しても両手が後ろに回らず、為す術がない。見張り番の動きは次第に緩慢になってゆく。しばらくして、相手はようやく動きを止めた。襟の内をまさぐると、鍵を見つけた。牢屋の鍵だろう。栄は乙女と瀬名を牢屋から解放し、瀬名には見張り番の服を剥ぎ取り、着るように指示した。脱出するとき、万が一誰かに怪しまれた場合に誤魔化すためだ。

 牢屋から脱出すると、外に出た。真っ青な空が気持ちいい。瀬名を先頭に、栄、乙女と続いて歩きだす。正門に向かう途中、何人かとすれ違ったが、何も咎められることはなかった。いや、一人だけ声をかけられた。が、瀬名が

「今日配属されたばかりの女房でして、迷ったそうですので、案内をしております」

 と言うと、なんの疑いもなく去っていった。栄は忍び笑いをこらえた。朝香村の城主の敷地内はこんなにも職務怠慢とは。

 栄たちは正々堂々と朝香村の城を後にした。


 * * *


 

「奴らが逃げ出しただとおおおお!」


 勇介が吼えた。

 

「俺らがこんな目に遭ってまで捕まえた奴をまんまと逃がしやがって。 見張り番は何をしてるんだ。 だらけきっている証拠じゃないか。 武術くらいは体得しているはずなのに、いいようにされるなんて、お笑い種もいいところだ」


 やっと任務完了となり、千葉薫子が「これから美作に行くんだ」と早々に去って行った矢先だった。


「静かにしろ」


 佐吉がたしなめるが、感情としては一致していた。

 全員が盛大なため息をついた。やり切れない気持ちが溢れている。そんなことを素知らぬ空は真っ青だった。


本作品はフィクションであり、登場人物や作中で起こる出来事は全て創作です。

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