出会い
本作品は歴史物語ですが、度々横文字が使われています。物語の内容自体も歴史にそぐわないものではありますが、今回は語感やストーリーを優先させてそのようにしました。あらかじめご了承下さい。
西田照はただ森の中を歩いていた。草だの蔦だの掻き分けて、身体の感覚はとうになくなっている。けれども、決して歩みは止めない。止められない。
それには少し理由がある。
照はもともと歴史三十七年の忍者道場で一人前の忍者になるための修行をしていた。
まず、そもそも忍者とは何かということから説明しよう。忍者は大名や領主に使える身である。破壊活動や暗殺など様々な活動をするのだ。必要とあらば、戦の時には足軽としても活躍したり、村の自衛についたりもする。また、一概に忍者と言っても様々な違いがある。忍者の中には必要な時に募集されるケースとプロの忍者が集団で雇われるケースがあり、照の場合は後者である。というのも、忍者になるのは大概が山賊や盗賊、夜盗や悪党、前科者などが占める。つまり、社会的地位を失った者の逃げ道な訳だ。とはいえ、照はそのような犯罪者ではない。照には両親がいない。母親は産後の肥立ちが悪く病死し、父親とも幼い頃に死に別れた。もともと親戚との縁も薄かったので、忍者道場に拾われ以来修行を積んでいる。
照がいたこの道場、歴史が古くて同じ忍者道場の中でも一流の道場だった。で、その時の師匠が超スパルタだった。練習が上手くできないと竹刀で叩かれた。何か失敗をすればムチ打たれた。掟を破れば五日間ご飯を食べさせてもらえない。こんなことは日常茶飯事である。完全なるパワハラである!
練習メニューも過酷で、朝は四時起き、近くの山で往復十周は必ず行う。ちなみにこの山、なかなかの急坂で標高も高い。地獄である。
日中の練習は日によって違う。忍者なので、もちろん武術や忍術も習うが、一般の人がするような勉学も行う。その他の専門的な事も習う。忍者は知識も豊富でなくてはならないのだ。
これをスパルタ師匠に扱かれながら三六五日する。なので、皆んな毎日泣きながら練習をしている。練習によっては涙どころか汗だの鼻水だの涎だの、とにかく穴という穴から液体が流れる始末だ。
照は忍術に優れており、かなりの腕前だった。自分で言うのもナンだが、天才的に上手かった。
忍術に関しては、だ。
武術は天才的に下手だった。山往復十周では皆んなが走り終わっている時点で三周目だった。手裏剣を投げれば後ろに飛んでいって、仲間に怪我をさせるところだった。縄を投げれば自分の顔に当たって、顔が真っ赤になった。剣を持てば、相手に突っ込もうとして木に突き刺し、体が貫通したかと思った。つまり、極度の運動オンチなのである。
それもかわいい笑い話になれば話は別だが、そうはいかない。照の心情としては全く笑えない。
そのため、例のスパルタ師匠にそれはそれは扱かれた。体中アザだらけ、傷だらけ、赤い痕だらけである。
そもそも忍術などただの幻覚に過ぎない。それにほぼ使わない。相手にダメージを与えるためのものではないからだ。それに比べれば武術なら使いようがある。武器だって数え切れないほどある。
要は、修行に耐えられなくなり、夜にこっそり逃げてきたのである。そして、今に至る。
だから、逃げ出したはいいものの何のあてもなく、ここがどこかも分からず、彷徨っているのである。こんなことになるなら逃げなければよかったと思わなくもないが、今戻ったとしてどのようなお仕置きが待っているか考えただけでも恐ろしい。そして、逃げ出した今でも後ろから師匠の怒鳴り声が聞こえる気がするのだ。常に師匠に怒られることを考えてしまう。強迫観念というやつである。
それほどまでに師匠を恐れていた。
しかし、真夜中から今に至るまで少しも休まず、しかもとんでもなく険しい山道を歩いているのである。いくら忍者道場で鍛えていたとはいえ、遂に人間の体力と精神の限界に負けてしまった。へなへなとそこに座り込んでしまった。そして人間、限界状態で休むとそれ以上動けなくなる。
これからどうしよう。ここがどこかもわからない。あてもない。疲れて動けない。
何もできない。
すると、後ろから足音が聞こえた。照の方に向かって来ている。山道だというに、やけに軽快である。
誰だろうか。殺されるかもしれない。山賊か盗賊か。まだ死にたくない。だが、立ち上がる気力もない。
「おい、お前大丈夫か?」
後ろを振り返った。そこには若い男がいた。それにしてはがりがりだし、乾麺みたいにバリバリな髪を一つに結んでいる。薄汚れていておよそ健康そうな体つきではない。だるそうな感じで、どちらかというとチャラい系の印象を受ける。あからさまに不機嫌そうだ。照を怪しんでいるのかもしれない。そりゃ、こんな山道で泥だらけの女がへたり込んでいたら怪しむだろう。ただ、目の前が霞んで男の顔もしかと見えないのでわからない。
返事をしようとしたが、なにせずっと人とは話していないし、喉もからからだから、掠れて声が出ない。
「大丈夫かって聞いてるんだけど」
男は眉をひそめて、しゃがんでもう一度聞いた。目線が同じになる。男は怪訝そうに照の全身を眺め回した。
「お前誰だ?」
殺すなら早く殺してよ。早く楽になりたいのよ。
すると、男は突然思い立ったかのようにがさごそと懐から竹の筒を取り出し、照に差し出した。
「これ、やるよ」
水を与えてくれたのである。
忍者道場では目を離した飲食は飲まない食べないが鉄則だ。何が含まれているか分からないからである。ましてや知らない男に差し出されたものだ。だが、そんなことはもう関係なかった。この男が一回でも口をつけたかもしれないとか考えなかった。死に間際にそのようなことは考えていられない。ごくごく飲んだ。いままで飲んだ水の中で一番美味しかった。
水ってこんなに美味しいものだっけか。
口から水がこぼれ落ちた。そんなことはもう気にしなかった。男はじっと黙って照を観察していた。
一通り飲み終えたとき、照はほとんど気絶するようにして倒れた。
視界が真っ暗になった。
* * *
目を覚ますと木の天井が見えた。布団の中にいた。
ここはどこだ?
ハッとして慌てて服を見た。我ながら情けないが、まずそこを見た。異変はなかった。何もされていなさそうだ。
周りは特に何も無い。本当に何もないのだ。布団がぽつんとあるだけである。部屋は比較的広く、右手に入り口が見え、左はただの壁である。そこから見るに、この建物は二間となっていて、照はその奥側にいるらしい。部屋の入り口には扉がなく、土間と台所の一部、その二つの間に建物の入り口が見える。その入り口にも扉がないので、外の様子がよくわかった。雨が降っていて、今は夜なのだろう。物音がして、人の気配もする。
周りを見渡しながら後ろを振り返ると、人がいた。あまりの驚きに大きな声をあげた。相手も驚いたらしい。一瞬びくりとして目を見開いた後、照を睨んだ。
「何だよ」
照が座り込んでいる時に声をかけてきて水をくれた、あの男だった。
「どうかしましたか」
隣の部屋から明るい声がして、穏やかな顔つきの若い女が覗いてきた。
「あら、起きたんですね。 よかった」
男が格好良く口をへの字にして言った。
「この人がお前を助けてくれたんだ。」
女はにっこりと笑った。
「笹井孝子です。 私はここに住んでいるんですけど、時々あなたたちみたいな人が来るのよ」
すると、今度は孝子は男を見て言った。
「ここまで運んできてくれたのは勇介さんなんです。 私は別に何もしてませんから。 お礼なら勇介さんにしてくださいね」
この男は勇介という名らしい。
「お前なあ、知らない男の前でぐうぐう寝て、三日間起きなかったんだぞ。 本当に感謝しろよ」
孝子はにっと笑って言った。
「お腹減っているでしょう。 今から用意するので待っていてくださいね」
ここはとりあえずお礼を言うべき時なのだろうか。
孝子が去った後、照は正座して勇介に向き合った。
「ありがとうございました」
勇介は頭をかきながら口を尖らせて言った。
「しょうがないだろ。 声かけちゃったんだから。 置いて行く訳にもいかないから、背負ってここまできたんだよ」
照は気づいた。この勇介という男、身なりはみずぼらしいが意外と愛嬌のある顔をしている。
照はもう一回頭を下げた。
「すみません」
すると、勇介は少し顔を緩めて言った。
「ここから一番近い村は朝香村だから。 って言っても結構遠いと思うから、明日から出発した方が良いよ。 西の方にずっと進んでいけば着くからな」
照は恐る恐る聞いた。
「西ってどっちですか」
勇介は壁の方を指さした。
「あっち」
照はさらに恐る恐る尋ねた。
「ここってどこですか」
すると、呆れられたらしい。
「お前、自分がどこにいるかも分からずにあそこでへたり込んでたのかよ」
それから、薄目になって照を眺め回した。
「ていうか、お前誰だ? 何であんな所にいたんだよ? 怪しいなあ」
こうなると照は弱い。まさか、忍者道場の弟子で修行があまりに辛いために逃げ出したんですとは言えない。
勇介は薄目のまま言った。
「ここ、笹身山」
笹身山とは中部地方のど真ん中に位置する、日本で有数の、険しいことで有名な山である。余談だが、この山がでんと立っているお陰で中部地方は昔から南北で分かれていた。つまり東西での行き来は盛んなのだが、この山を堺にした交流は多くないというわけだ。が、近年南北を結ぶ道が整備され、東海と北陸との行き来は増えつつある。そのため南北で横断する際はこの山を通らず、回って行くのが一般的なのだが、当然回り道なので、理論上は笹身山を通った方が速い。しかし、あまりに険しいので普通に回った方が速く行ける、という山である。なので、笹身山を通る人は滅多にいないのだが、この建物はあえて山を通る人のための宿というか休憩場所なのだろう。
「お前今すごくややこしい所にいるぞ」
勇介は呆れたように壁に寄りかかった。
「お前みたいなの放って置いたら何が起こるかわからないから、俺が連れて行ってやってもいいよ。 暇だし」
優しいではないか!
「感謝します」
深々と頭を下げた。勇介は初めて少し笑った。
「当たり前だ。 お前を見つけたのが俺じゃなかったら、どうなってたかわからないからからな」
ところで、ずっと気になっていたことを聞くことにした。
「あの、あなたは何をしてる人なんですか?」
少し間があいた。勇介は一瞬瞬きをした。まつ毛が長いので、本当にぱちぱちと音がしそうである。
「流浪人」
世の中には中々珍しい流浪人がいるものだなと思った時、隣の部屋から声が聞こえた。
「用意できましたよ」
部屋に行ってみると、作りたての、湯気が温かい、良い匂いの夕飯が置いてあった。白米と味噌汁と大根の漬物と鮭の塩焼き。一見質素だが、一般市民にとってはこれでも大層豪華な夕食なのである。孝子曰く、毎月麓の村から食材を取り寄せているらしい。
「美味しそう!」
孝子はにっこりと笑う。
「ありがとうございます」
座って、早速いただきますと言おうと思ったら、外から何者かが建物に入ってきた。こんな雨の夜に一体誰だろうか。咄嗟に思った。
ヘンなやつじゃないだろうな。
刀をさしている男だった。傘を被っていて、縁から雫が滴っている。シルエットはやや細くて華奢だ。暗くて顔が見えない。
そして、男が明かりに照らされ、その顔を見た瞬間衝撃が疾った。信じられなかった。夢のようだった。こんな人間がこの世に存在するのか。美しいのだ。どこかの王様のように、神のように!
端正な顔立ちで、並々ならないオーラがある。大きい目、長いまつ毛、形の良い眉、通った鼻筋、陶器のような白い肌、血色の唇。
彫刻で彫ったかのようだ。
勇介までもが目をまん丸くしている。
「すみません、今夜泊めていただけませんか」
圧倒されていたのだろう。話しかけられて孝子はだいぶ慌てたようだった。
「も、もちろんです! どうぞお上がりください。 すぐご飯用意しますから! そちらにお座りくださいね」
孝子はこちらに手を向け、逃げるようにばたばたと準備しだした。
男はそれほど濡れていなかった。雨はしとしと降っている程度だからだ。
男が座るや否や、それまで間抜けに口を開けていた勇介は急に貼り付けたような笑みを浮かべて、猫撫で声で聞く。
「あのー、お名前は?」
勇介、おもねるな。
男が勇介を見た。男は意外なほど思慮深い光を瞳に宿している。
勇介は愛想笑いのまま固まる。
「天間佐吉と申します」
「へえー、何歳です?」
明らかに照に対したがらっぱちな態度とは違うではないか。ムカつく。
「まあ……二十代くらい……です」
勇介は器用なことに、愛想笑いはそのまま、眉を片方だけ上げた。歳をはっきりと言わないことになにかを感じたのだろう(それは絶対に良い感情ではない)。
だが、それより照は驚いていた。そんなに若いとは思わなかったのだ。言い方は悪いが、だいぶ老けている。良いようにとらえれば大人っぽい、悪いようにとらえればおじさんくさい。
何より、心の底から疲れ果てているような、暗い闇が佐吉の瞳にどんよりと漂っていた。照は最初に彼の顔を見た時から確かに感じていた。暗黒とでもいうべきか。
よっぽど疲れているんだ。
「どうぞ」
孝子がご飯を運んできた。
「ところで君はどこからきたの」
米をぱくぱく食べながら勇介が聞く。年齢が二十代と聞いて親近感がわいたのだろうか、ため口になっていた。
「伊予から来ました」
「ふーん、何しに?」
答えが返ってくるまで少し時間があった。考えていたのだ。どこまで話せばいいのか困っていた。
どこまで話せば疑われず、嘘をつくこともなく勘弁してもらえるだろう。
「人を探してました」
勇介の箸の進み具合が怪しげに遅くなった。
「その人は見つかったの」
「はい、もう用事も済んで帰るところです」
「用事」と言うところだけ、言うのに一瞬躊躇した。
勇介はふーんと言った。言葉だけ単体でそこに浮かんでいて、顔はちっとも納得していないと言っている。
俺はお前を疑っているぞ。
「じゃあこれからどこに行くの?」
「朝香村に行きます」
すると、勇介は大いなる喜びを顔に浮かべた。
「じゃあ、お前佐吉と一緒に行けばいいじゃねえか! 絶妙なタイミングで来たなあ!」
お前とは照のことだ。
失礼なやつめ。
でも、口も態度も悪い男と行くより、カッコいい男と行く方が照としては嬉しい。恥ずいが。
「良いですけど、僕はあなたたちのことが知りたいですね」
確かに、一方的に聞くだけ聞いてそのままなのはおかしい。
「俺とこいつは全くの他人。 こいつが道端でへたり込んでて死にそうだったから俺が助けておぶってここまで連れてきたの」
佐吉は照を見た。
「お名前お伺いしても良いですか」
「に、西田照です」
どうにも、ハンサムと話すと緊張する。
「なぜここに来られたんですか」
勇介もちゃっかり佐吉に乗っかる。
「そうそう、俺もそれ気になってた!」
くそ。
勇介は癪だが、どうしよう。良い言い訳が思いつかない。困った。どうにも困った。しかし、よくよく考えてみればこの二人に素性を偽ったところで照には何の害もない。どうせ長い付き合いにはならないのだ。
えーい、それなら何にでもなれい!
「逃げてきたんです」
え、と二人してきょとんとした。
「親に暴力振るわれて逃げてきたんです!」
そうだ。嘘はついていない。暴力は日々振るわれていたし、肉親がいない照にとっては師匠が親代わりと言ってもいい。
嘘じゃない、嘘じゃない。これは嘘じゃないぞ!
「夜にこっそり抜け出したんですけど、暗かったから道がよくわからなくて。 とにかく逃げる一心で走ってたらここに辿り着きました」
場がしんとした。
「そう、なんですね」
あまり触れない方がいいと思ったのだろう。佐吉は勇介に目を向けた。
「あなたは、名前は?」
勇介に一瞬迷いが見えた。が、名前はあっさり教えた。
「長谷川勇介」
「あなたは何でここに来たんですか?」
一瞬目が泳いだ。
「俺はどうでもいいだろ。 怪しい人間じゃねえよ」
誤魔化そうとしたが、無理だった。佐吉にじっと見つめられて、彼の目力にとうとう負けた。
「流浪人だ、流浪人。 ただ彷徨ってただけだよ」
投げやりになったように言う。
勇介も苦しい誤魔化しであることは分かっているのだろう。実際、決まりが悪そうな顔をしている。仮に流浪人なら、なぜこんな場所を彷徨っていたのか疑問が残るからだ。本当に流浪人だとしても、何か怪しい。どこがどう怪しいのか聞かれると困るが、彼が放つ「クサさ」は、照にだってわかる。照、同時に佐吉がわかっていることを勇介自身もわかっていて、だからこそバツが悪いのだ。しかし、佐吉はなにも言わなかったし、それ以上追求もしなかった。ただ、ふーんと言ってさっきの勇介と同じ顔——全く納得していない顔をした。勇介もそれに気づいたのだろう。お互い睨み合った。
双方、強い。
決着がつく前に照が耐えられなくなった。
「ともかく!」
二人が同時に照を見た。それはそれで緊張する。まず佐吉の方を向いた。
「佐吉さんには朝香村まで連れていってくれると嬉しいんですけど、よろしいですか」
「え? ええ、もちろん」
今度は勇介と向き合った。
「せっかく命を助けていただいたのに、何もしない訳にはいきません。 お礼をさせてもらうためにも一緒に来てください」
それに、と続けた。
「流浪人ならこんな所でうろうろしてどうするつもりですか」
まあ、確かにと勇介は歯切れ悪く頷く。
「二人ともなんか怪しくて、どんな事情かは知りませんけど、お願いだからついてきてください」
相変わらず勇介は不満そうにしていたが、急ににやりと笑うと言った。
「そこまで言うならなあ。よし、じゃあ俺もついて行っちゃる」
その夜である。
明かりのない真っ暗な夜。静まり返った闇。皆んなぐっすり眠っていた。
そんな中、照は目が覚めた。
気配がする。勇介でも佐吉でも孝子でもない。
建物の入り口の方である。
忍者道場では第三の目というものを習う。両目を閉じていても気配で「視る」のだ。なんだまたカッコつけた名前つけやがって——とその時は思ったし、視覚が塞がれているのにその場の状況が手に取るように分かるなど、まったくもって意味がわからなかったが、例の如く師匠に扱かれ、第三の目こそ手に入れられなかったものの気配くらいは感じ取れるようになった。それがここにきて役に立つとは。
照はじっと「眼」を凝らした。
男が二人だろうか。武器を持っている。あれは刀か。危なくないか?
二人の男は足を忍ばせている。だが、あまり上手くはない。
こいつらどうするつもりだろうか。もしかしたら殺人鬼なのか?
そう思った次の瞬間、男二人が大声をあげて建物の中に飛び出した。部屋が明かりで照らされる。
照は飛び起きた。が、それよりも佐吉の動きは速かった。鉄砲のように飛び出すか否や、それと同時に刀を抜いて男らの方の刀を一気に撥ね上げた。そして、男たちを床に蹴り倒し、刀を二人の首にあてた。
瞬殺である。
孝子が来た。照も孝子も、驚くというより呆れるように唖然として立っていた。
何なんだこいつらは?
照は勇介を探した。勇介は照たちの若干後ろに立っていたが、その瞬間照は目を見張った。
勇介は立ち上がっていて、恐ろしい形相で男二人を睨みつけていたのだ。顔も真っ青である。
片っぽの男が叫んだ。
「お、お願いだ! こ、殺さないでえ!」
佐吉は絶対零度の声で聞いた。
「誰?」
「お前らには何もしないから!」
佐吉は刀を握る力を強めた。
「誰って聞いてるんだけど?」
男たちは大いに慌てる。
「あ、あいつ!」
男は目で勇介を指した。
「あいつのも元手下だ。 あいつを追っかけて来たんだ。 だからあんたらには何もしねえよ。 あいつさえ殺せば良いんだから」
すると、鋭く冷たい目で男らを見つめてから、佐吉は無言で刀を引いた。
殺したのだ!
違かった。刀の切れない方で切ったのだ。ただ気絶させただけだった。
佐吉はすくっと立ち上がると今度は刀の切先の勇介に向けた。
「どういうことか説明してください」
勇介は佐吉を睨んだ。
「これだけ危険な目に合わせて説明しないなんてことはないでしょう?」
切先を勇介の喉元にあてた。
照と孝子はツバをごくりと呑んだ。孝子が照にしがみつく。
「説明してもらう権利はあると思うけど」
すると、突然勇介はその場にへたっと座り込み髪の毛をかきあげ、呆然とした。動けないのだと思った。しばらくして諦めたような顔をして言った。
「わかったから勘弁しろよ」
勇介は語りだした——
勇介は盗賊一家の一人息子として生まれた。母親は知らない。ずっと父親に育てられて、母親のことを聞いたことはないという。で、その父親がとある盗賊の集団の中のトップだったのだ。(ちなみに勇介は盗賊の中でトップの人のことを頭領と呼んだ。以後、照たちも頭領と呼ぶ。)日本全国には様々な盗賊がいるが、その中でも名が知れるというのだからそれなりの地位を持っていたのだろう。盗賊なんぞ褒められたものではないが、その頭領となればやはり厳しく、しかも一人息子だったために勇介は父親に従属するしかなかったという。そうして育てられた勇介は様々な知識を身につけ、盗賊としてのノウハウも覚え、盗賊になるのに必要な力をつけることができた。しかし、ある日突然父親が倒れてしまった。心臓の病気とどこかの医者は診断した。そして、父親が亡くなる最後の日、父親は自分の役職である盗賊の頭領の座を勇介に譲ることを伝えた。ちゃんと遺書も残していた。大きな重荷を背負う立場を勇介ならできると考えたのだ。
本来ならば、頭領はその集団の盗賊全員の投票によって決まるらしい。その時も投票を行ったのだが、なにせ前頭領が遺書に残したというのだから結果はわかったようなものだ。
ということで勇介は盗賊界のトップになった。が、そういう人には様々なリスクが伴うものである。勇介のような立場を羨む人もいるし、下剋上を志す人もいる。ましてや、勇介の場合親の七光りと捉える人もいる。確かにそういう一面はあったのだろう。が、そもそも七光りやコネといった類いのものは決して悪いことではない。信頼があるからだ。全く知らない人よりは確実な人選なのである。しかし、勇介の場合、それが裏目に出てしまった。今がチャンスと思ったのだろう。父親の一番の臣下だった男が反乱を起こした。しかも信頼もあり、実力もある男だった。勇介をよく思わない人も多くいた。結果、沢山の人が反乱に参加した。
反乱を起こすということはテキを殺さなければいけないということだ。勇介は事実殺されかけた。血眼で命からがら逃げて来たらしい。ただ、一回逃げたからといって安全なわけではない。実際には殺されるまで追いかけられるのだ。だから、さっき男たちは勇介を殺そうとしていたのである。そして、そんな必死で逃げている最中に道端にへたり込んでいる女、つまり照と出会ったのだ。
「だからさあ、俺と一緒にいたら危険な目に遭うだけだよ。 俺は置いてって二人で朝香村に行けよ。 俺はテキトーに逃げとくし、殺されたところでお前らには関係ないだろ」
確かに勇介といれば危険にさらされる可能性がある。だが、照だってだてに忍者道場の弟子ではない。もしかしたら何か役に立てるかもしれない。何も助けられないかもしれないが、助けたいという気持ちだけでも伝わるといい。照だって助けられた身なのだ。何も返さないわけにはいかない。
「一緒に行きましょう!」
佐吉が目を剥いて振り返った。さすがにまずかったかと思い、一瞬どきりとしたが、すぐ持ち直した。
「私だって助けてもらったんだから、私も何かあなたの役に立ちたいです。 何もできないかもしれないけど、このまま放って置けません」
勇介は目を見開いて言った。
「だって、お前俺と一緒に殺されるかも知れないぞ」
照は拳を握りしめた。熱がこもってきた。
「そしたら遠慮なく逃げるわよ。 けど、あんたの話聞いて何もしないなんてできないのよ!」
照は忍者道場から、師匠から逃げている。勇介も自分を裏切った奴らから逃げている。同じ者同士、似た者同士だ。
「けど、俺は盗賊だぞ。人殺しが仕事みたいなもんなんだよ。それでもいいわけ?」
さすがに言葉に詰まった。佐吉が横目で見ている。
「でも、悪い人じゃないですよね。」
勇介はぽかんと口を開けた。
感覚だけで人を見るのはもってのほかだが、照だって今まで沢山の人と関わってきた。経験はモノを言うのだ。師匠も言っていたではないか。「人は目を見ろ」。そういえば師匠は意外とそういう精神論のようなものを大切にしていた。
「私は全く無問題です!」
空白にも近い沈黙が流れた。そして、とうとう勇介の頬が緩んだ。苦笑していた。
「俺、お前みたいな熱血女子はあんまりタイプじゃないんだけど」
勇介は佐吉に目を向けた。
「お前はどうなんだよ」
佐吉はとてつもなく長く黙っていた。そして言った。
「わかった、いいよ」
佐吉はため息をついた。
「それよりこいつらをどう始末するか考えないと」
こいつらとは先程の盗賊どもである。
本作品はフィクションであり、登場人物や作中で起こる出来事は全て創作です。また、ここで一つお断りを入れますと、天間佐吉の出身地として登場する「伊予」という地名はかつて実在したものではありますが、「朝香村」、「笹身山」に関しては全くの創作です。加えて、忍者や盗賊について作中で少々説明しておりましたが、これらは事実無根です。本作品はすべてにおいて歴史的事実に基づくものではありません。歴史を多分に失礼な形で扱っていることは重々承知です。どうか創作の一環としてあたたかくお読みになっていただけると幸いです。ご理解よろしくお願い致します。