複数の選択肢
その日、その場所は非常に異様な空気に包まれていた。
場所は国内の13歳から18歳の貴族や優秀な平民が通う、国立学園。放課後の食堂の一角、窓際の心地よい席で少女達がお茶会をしていた。
その、メンバーが周囲の一般生徒からすれば色々な意味で注視してしまうものだった。
一人は、第一王子の婚約者である公爵令嬢。
その対面には、第一王子の恋人と目されている、多くの男子生徒を魅了する平民の女生徒。
その周りに数人の女子生徒が座っており、周囲の生徒は噂によると平民の女に侍る、第一王子の側近の婚約者たちと、平民の女の友人である男爵や子爵の令嬢たち。
食堂の給仕としてバイトしている平民の特待生は、このテーブルの担当になった自分のくじ運を呪いながら、胃を痛めていた。必死に無表情を保ってテーブルをセッティングして、一礼する。
「控えておりますので、御用の際にはお呼びください」
「ありがとう」
公爵令嬢は微笑んでお礼を言う。それにもう一度深々と頭を下げた。
そのままテーブルから少し離れつつも食堂の広さの関係上、会話が聞こえないほどではない定位置に戻る。
胃が痛い、暴力沙汰になったらどうしよう。
そんな内心は胸のうちに隠せたと思いたい。
「さあ、いただきましょう」
公爵令嬢は言いながら自身の前に置かれたカップを優雅な所作で持ち上げ、美しく一口飲む。マナーのお手本のようだ。
「・・・一体、なんなんですか」
平民の女は睨むような険しい目つきで目の前の公爵令嬢を見る。公爵令嬢はクッキーを一枚食べ、もう一口紅茶を飲んでから答えた。
「あなたが最近、殿下の傍にいる事、殿下と親しい間柄である事は見知っております。だから聞きたいのです、あなたは殿下を愛しているのですか?」
思い切り直球に放たれた言葉に、場の空気が一気に緊張を孕んだ。
この平民の女は、貴族令嬢がするには無礼がすぎる態度ながら、可愛らしさと大胆さで数々の高位貴族の令息たちと親しくなり、ついには第一王子ですら篭絡してみせた。今や第一王子は本来の婚約者である公爵令嬢を蔑ろにしてこの女と憚る事なく逢瀬を重ねている。
そんな女は、途端にうるりと目を潤ませ、俯いて見せた。
「その事ですか・・・ごめんなさい、殿下にあなたという婚約者がいる事は知っていました・・・でもどうしても殿下を好きになってしまって・・・!」
「っ!何をふざけたことを!」
「きゃっ!」
公爵令嬢の傍らの女子生徒が怒声をあげると、近くにいるのが男ならば咄嗟に守らねばと思うぐらい可愛らしい声音で平民の女が悲鳴をあげる。
残念ながら周囲にいるのは女子ばかりなのでその神経を逆撫でするだけだったが。怒声をあげた生徒が嫌悪感も顕に口を開くが、公爵令嬢が手で制した。
「おやめなさい。声を荒げるなど、はしたなくてよ」
「っ?っ、も、申し訳、ありません・・・」
注意された生徒は言いたい事を懸命に呑み込んで謝罪した。そのまま、俯いて膝に置かれた手は固く拳を握りしめていた。
「そう、では殿下を愛しているのね?」
「は、はい・・・私は殿下を愛しています・・・」
弱々しく肯定する女に、公爵令嬢は笑みを向けた。
「そう。ではあなたに提案できるのは4つの選択肢です。それぞれにメリット、デメリットをご説明いたしますね。それに伴う苦労と覚悟についてもきちんと教えてさしあげますわ」
「「え」」
この言葉を聞いた者たちから、殆ど同時に同じ一音が口からこぼれ出た。てっきり、身分の低い女が第一王子の寵愛を受けていることに対する苦言とか苦情とかお叱りとかだと思っていたが、全然違うらしい。
公爵令嬢は周囲など置き去りに、ケーキを一口食べて紅茶で喉を潤しながら滔々と語り出す。
「あなたの選ぶ選択肢によって、わたくしの身の振り方も変わるのです。できればすぐに答えを出してほしいわ。さっそくいくわね。
まず一つは、わたくしを排除して殿下の正妻として結婚する選択。メリットは愛する殿下の正式な妻となれる事。そして殿下の頑張り次第ではありますが、ゆくゆくは王妃や王太后にだってなれる事。手に手を取って愛する人と国の頂点に立つ道です」
それは無理だろ、と給仕の特待生は思ったが勿論口にしない。第一王子殿下は確かに第一王子で次期国王の最有力候補だが、まだ王太子ではない。公爵令嬢から平民に婚約者を変えた時点でよほどの功績をあげないと今の地位すら危うい。
「デメリットは、常に前婚約者であるわたくしと比べられ、ありとあらゆる妨害工作で命の危険がある事。ああ、勿論わたくしがするわけではありません。ただ平民として生まれたあなたが下剋上するという事は、下に押しのけられた多くの人々があなたを疎むという事です。彼のご両親だって明らかにいい顔はしませんでしょうし、こればかりはあなたの人徳と能力と魅力をもって跳ね除けるしかありませんわ」
・・・すごく、無謀。多分全員の心が一つになった。
「それから血反吐を吐くほど勉強に励み、死に物狂いで結果を出してわたくしを超えねばなりません。わたくしが幼少期から積み上げ今日に出している結果を、結婚までの僅かな間に追いついて追い越す必要があります。今のように殿下と睦み合う時間は確実になくなりますが、殿下と愛し合っているのですもの。二人で乗り切りましょう」
公爵令嬢がにっこりと「頑張って」とエールなのか皮肉なのかよくわからない事をいう。苦労が壮絶すぎて、平民の女は青ざめている。
「そ、それは・・・あの」
「ああ、今親しくしている令息たちも、今までのような付き合いをしてはなりませんよ。でないと、浮気とみなされて相手かあなたがどうにかなってしまうかも」
「ヒッ!」
平民女は怯えたような顔をするが、それこそ王族の婚約者ともなれば当たり前の事だ。それだけ色々と大変な思いをしているからこそ、王族の婚約者に選ばれるのはすごい事なのだ。
公爵令嬢は女の怯えなど意に介さず、紅茶を一口飲んで指を二本立てて示す。
「次に2つ目の選択肢ですわ。このままわたくしに殿下と結婚してもらい、わたくしに従い、立場を弁えた側妃になる事。メリットは第一王子殿下がこのまま国王になる確率があなたが正妻になるより確実である事と、勉強にしろ公務にしろかなりの猶予がある事。与えられる公務もわたくしの補佐がメインなので重要なものはあまりないといえるでしょう。デメリットは、寵愛など関係なく立場は確実にわたくしの下になる事、実際娶ってもらうまで時間がかかる事かしら」
「時間がかかる?どうしてですか?」
現段階でかなり勉強不足の女は、不愉快そうに顔を歪めた。そんなわかりやすく顔色を変えるのは淑女らしくないな、と特待生はこっそり思った。
「王族が側妃を娶るには、条件があるのです。正妻と白い結婚ではなく、3年経っても子ができない場合。又は第一子が女児で、出産後、5年経っても次子ができない場合。あとは政治的な理由での側妃との結婚ですが、これはあなたには関係ございませんので省きますわ。これは規則なのでわたくしや殿下にどうこうできるものではありません。
お分かりかしら?側妃を目指すとしたら、最低でも3年、最大で約10年、もしくは一生、結婚もできずに待つ覚悟が必要です」
「さ、三年、ぐらいどうってことは・・・!」
乙女の三年は貴重だと思うのだが。
「最低、3年ですわ。わたくしが殿下と夜を共にしてても3年出来ない場合。3年目に懐妊が発覚して生まれたのが男なら、側妃はいらないから、あなたが待ったのは無駄になるわ。そういう可能性にあなたの若い一時を全部賭けられるかしら」
女児だった場合でもそこから更に5年だ。今二人は同い年の17歳だ。約10年待って、26歳なら普通に結婚していたら子供2、3人いそうな年齢だ。それまで独身で待つのは覚悟がいるだろう。
「それに、側妃は子を産むのが目的だから、3年出来なければすぐに離縁させられて別の方にすげ替えられるわ。公務の責任も軽いから正妻と違って簡単に切られるのよ」
「そ、そんな・・・!」
ただでさえ若くないのに子も出来ずに返品されたら。実家で今まで通りの生活などさせてもらえるはずもない。
針の筵で余生を過ごす羽目になる。
この場の女子生徒たちも、少しだけ顔色が悪い。華やかな一面の裏側は地獄と紙一重だった。
冷え切った各々のカップの紅茶を新しいものに取り替えた特待生の給仕が元の位置に戻ると、公爵令嬢は指を3本立てて続けた。
「3つ目。愛妾になる事。これは全く公務もなければ教養も必要なく、なるために必要な条件もありませんわ」
前2つに比べてとても気軽そうな立場に、平民女の顔色が少し復活した。
「これは二パターンありまして。一つは理解ある方と結婚して公式の愛人になるパターン。この場合、子はたとえ殿下との子だろうとも夫との実子扱いになって王族とは認められません。いくら殿下の実子だとしてもそう主張することは違法となります。ちょっとぽろっとこぼすだけで犯罪者になってしまいますわ。お気をつけ遊ばせ」
この『理解ある夫』など、そうそう確保できないのでかなり難易度は高い。
「一つは子を産めぬ体に処置された上で殿下の愛に縋って生きる形です。どちらの場合でも、そうなったあなたの処遇は殿下次第。愛の切れ目でどうなるか、わたくしには想像もできませんわ。殿下次第です」
なし崩しで死ぬまで養うか実家に返されるか放逐されるか邪魔だと処分されるか。どう扱うも殿下次第で、特に規則も罰則もない。それはそれで恐ろしい。
「4つ目。殿下との事は一時の夢だと割り切り、殿下とは適切に距離を取り、他の分相応な方と無難に結婚する道です。メリットは今まで言った全ての苦労とは全くの無縁になります。デメリットは勿論、一度夢見た華やかな暮らしとも無縁になる事ですわね」
一番現実的なのが一番最後にきた。
「これは一番無難な道であり、周囲の方々も他の選択肢に比べれば断然味方となってくれるでしょう。後々の不利益も、精々一時とはいえ殿下の恋人だった女との評判が立つ程度。殿下からなんらかのアクションを取ろうとも、それを拒否しても阻止してもお咎めはありません。寧ろ受け入れる方が咎められるかもしれませんわね」
何もなかったことにする。どの程度の関係だったかは正直詳細には知らないが、それが叶うならそれが一番いいだろうと小市民な給仕は心の中で思う。
「さあ、どうなさいます?大体、考えうる限りの選択肢を提示できたと思いますが」
「そ、そんな・・・私は、殿下と結婚してお妃様になってキレイなドレスや宝石に囲まれて贅沢三昧に幸せに生きるのよ!!」
まるで逆ギレのように欲望を思い切り垂れ流す。それを公爵令嬢は涼しく受け流した。
「物語のお姫様みたいな生活はね、実家の財力でするのよ。もしくは殿下の個人資産。国庫から出るお金で作ったドレスや宝飾品は、舞台役者に舞台衣装を着せるようなものよ。王家という劇団からのレンタルでしかないのよ」
周囲から舐められないために見栄を張って豪勢に作るが、いざという時に売られるために城の宝物庫に入れられる。
普段着は実家の財力相当なのだ。ちなみに公爵家は事業も成功してるし領地も広く、堅実な経営をしている。相当なお金持ちだ。
「あなたの望みがそれなら、選択肢4かしら。殿下など諦めて裕福な商家あたりに嫁いだ方が誰にも非難されずにそういう生活できますわ」
紹介しましょうか?とにこにこ邪気なく微笑む公爵令嬢に、平民の女は、がっくりとうなだれた。
「・・・後妻でなく、性格や性癖に問題がなくて贅沢な暮らしができる人でお願いします・・・」
「あら図太いのね」
公爵令嬢はころころ笑って、探して紹介する事を約束した。
その日、その場所は異様な雰囲気に包まれていた。
放課後の食堂の一角。そこに公爵令嬢は婚約者たる第一王子殿下と相対していた。殿下の周囲には殿下の側近達が、殺気立って立っているし、令嬢の周りには令嬢のお友達たちが席を埋めている。
いつぞやと同じように給仕についた平民の特待生は、全員にお茶をいれてすぐに対応できる位置に控える。殿下は令嬢を睨みつけているので、殿下のお茶はアイスティーにしようかと思ったが勝手にそういう事をするのはやめておいた。
「それで殿下。一体どうなさったのです?」
公爵令嬢はお茶を一口飲んでから微笑んで問いかけた。
「とぼけるな。私の恋人のアリスのことだ」
アリスというのはあの平民女の名前だ。
「まあ、いけませんわ。彼女は先週婚約が整ったばかり。他人の婚約者をそのように言うのは」
「貴様が!無理やり婚約させたのだろう!!」
だんっ!と激しくテーブルを叩いて殿下は怒鳴る。弾みでカップが倒れてまだアツアツの中身がテーブルに広がった。素早くテーブルを拭いてカップを片付ける。誰にもかかる前に処理できたおかげで、殿下も令嬢も火傷などしていない。
「ありがとう、次のお茶はアイスティーにしてくれる?」
「かしこまりました」
令嬢に指示されてカップを片付けて厨房にアイスティーを注文する。それをセッティングしてから、話は再開したようだ。
「彼女の婚約ですが、わたくしが無理やり、などということはありませんわ。彼女が選んだのです」
「馬鹿な!ありえない!」
殿下は真っ向から全否定するが、公爵令嬢は小首を傾げる。
「何故、ありえないのです?彼女は平民、同じく平民の商家の男性と婚約するのが、どうしてありえないのです?」
かの平民の女は、先週公爵令嬢から紹介された裕福な商家の嫡男で10歳年上の男と婚約した。今は学園に通いつつも婚約者の商家でも働いているらしい。意外と彼も仕事も合っていたらしく、公爵令嬢にこれまでの振る舞いを土下座せんばかりに改めて謝罪し、この婚約を整えてくれたことへの感謝を述べていたのは先週のこの場所でのことだ。
「彼女は私と結婚するはずだったのに!」
「殿下の婚約者はわたくしでしてよ?彼女と結婚するなどという予定、わたくしは聞いてませんけど?」
ない予定を元に糾弾されても、と困った顔をする公爵令嬢に、殿下は顔を真赤にした。
「彼女だって、今の彼以外に何人か紹介してお見合いをした結果、彼と婚約するに至ったのです。無理やり上から決めつけた婚約ではありませんわ。現に三人、お見合いしてますし」
かなり選り好みしていたようだが、その中でも今の彼を選んだのは彼女だ。親から強制されたわけでも、ましてや公爵令嬢から押し付けられたわけでもない婚約なのだ。
「だが!」
「殿下。そんなにおっしゃるなら、殿下にはいくつか選択肢がございましてよ?」
公爵令嬢はにこりと微笑んだ。