仮契約
【東京都内某所】
半年前まで引き籠もりをしていた亜沙美が、人の多さでは国内最大の東京都内に居た
「はぁはぁ…ちょっと待ってロミータちゃん…」
「どうしたの亜沙美、歩き疲れたの?」
「そういう訳じゃないんだけど…ううん、少しは疲れたんだけど…やっぱり事務所と契約なんて…私ちょっぴり怖いと言うか…その…」
多少は歩き疲れている亜沙美だが…そんな事よりも、まだ高校1年生(16歳になったばかり)の自分が高校に在籍中に企業と契約をする事に緊張しているようだ
「まだ高校1年生だから気にしてるの?」
亜沙美を本気で好きなロミータは、彼女が口に出してない事まで見抜いていた
「う、うん…16歳なのに、もう就職するのって早すぎるんじゃないかなって…」
一般的に今の時代は無理してでも大学に行くのが社会的にセオリーな昨今、高校1年生の段階で就職を考える者も少ない時期なのに今日、契約する為に東京まで来ている自分が信じられずに戸惑っているようだ
「あのね亜沙美…普通の人生も良いけれど、普通に生きてたら普通の幸せしか望めないものよ?せっかく特別な機会を得られたんだから、ソレを活かさないのは後で絶対後悔するわよ?」
ロミータは亜沙美の心配を理解していた。そのうえで、彼女が前に進めるように言葉を選んで励ましていた
「そ、そうだよねぇ…うん、行くよ私!」
ロミータに励まされた亜沙美は、VTuber事務所が入っている駅ビルの中に入って行く
【international activity】
1階のフロア入居企業案内掲示板に、international activityと書かれているのを指差すロミータ
「ここよ。ここがロミーが半契約している事務所よ。ロミーも来るのは2回目だけどね」
「サポートお願いねぇ…」
「……うはっ♪」
遂に目的地までやって来た亜沙美は、緊張のあまり付き添いのロミータの手を掴む。が、亜沙美に惚れ込んでいるロミータには、ようやく彼女と手を繋いで歩く事ができる喜びで胸がいっぱいのようだ
【事務所】
「12:50分。10分前に着いたわね。どう亜沙美、緊張してる?」
「だ、だ、だ、だ、大丈夫だよぉ…」
「全然大丈夫じゃなさそうね…ロミーが居るから安心しなさいよ。ほら行くわよ…ガチャ」
……………………………………………
「お邪魔しマース!ロミータです、約束していたアミを連れて来ましたよっ!」
「来たわねロミー。貴女が竹取 亜沙美さんね。初めましてオリビア・ショーツよ」
「くけにょちゅわ!」
「……亜沙美。それ何処語なのよw」
「ꉂꉂ(ᵔᗜᵔ*)あはは♪そんな緊張しなくて良いわよ。それに、この前オンラインコラボした仲じゃない」
「あ、あの時はお世話になりました!」
ガッチガチに緊張している、まだ引き籠もり感が抜けきらない亜沙美は、何処の言葉なのか?全く理解出来ない返事をしていたw
「そうそうロミー…あの配信の時はやってくれたじゃない!貴女がアミちゃんを勝たせる為に、私の苦手なゲームばかり選んでたでしょ!」
「あはは。すみませんでした…ところで、あのイカつい社長さんは居ないんですか?」
今日は亜沙美が半契約をする為に早起きして、三重県から東京までやって来ているのだ。その契約に社長の姿が見当たらないので不思議に思うロミータ
「社長は隣りの社長室に居るわ」
「オリビアさんが社長さんじゃないんですね?」
「社長ではないけど副社長を任されているわ。詳しくは聞かされていないけど、所属タレントの【蒼空メルル】と緊急の話が出来たから。って私に貴女との契約手続きを頼まれたのよ」
「へ〜メルルも来てるんだ。ふぅーん…」
どうやら社長は隣の部屋で、所属タレントと大切な話をしているらしい。代わりに、以前オンラインコラボしたオリビアが面接してくれるようだ
【会議室】
「本名【竹取 亜沙美】さんね。さて、打ち合わせに入る前に昼食にしましょうか?中華料理になるけど2人とも大丈夫?」
「えっ?あ、はい。有難うございます」
「……あっ!3年前のあの中華料理屋ってまだ健在なの!?」
契約の話に入る前に、まず昼食にしよう。と提案してきたオリビア。亜沙美とロミータは、早めの朝食を食べたキリ何も口にしてなかったので喜んだのだが、どうやらロミータはその店を知っているようだ
「覚えてたのねロミー。3年前に貴女が御両親と一緒に来てくれた時にも、ご馳走したのと同じお店よ。スタッフも気に入ってるから、ずっと利用させてもらっているわ。はい、これがメニュー表ね。食べれる範囲で好きな物を頼んで良いわよ。貴女たちは遠い三重県からワザワザ来てくれたんだし、何も遠慮しなくて良いのよ」
「そうなんですか?…じゃあ…天津飯と杏仁豆腐お願いします」
「ロミーも同じのをお願いするわ。あっ!餃子も美味しかったんだわ…亜沙美と半分こするから1人前お願いします」
……………………………………………
昼ごはんに中華料理を食べた3人は、いよいよ亜沙美の契約の話に入ろうとしたのだが…
「あのオリビアさん…そのネコ耳は?」
「あ!あはは…私ね、ネコVTuberとして売り出しててね…リアルでも室内に居る時は付けてないと落ち着かなくて…気にしないでね」
「そ、そうなんですね…」
実はコスプレ趣味もあるオリビアは、あまりにも自分のVTuberとしてのコスプレを日常的にし過ぎているせいで、人目に付きにくい室内に居る時はそのコスプレをしてないと落ち着かないようだ
「されはさておきまして、さて亜沙美さん。貴女が当社と契約し所属タレントになると、貴女が行うYouTubeの配信で得られた収入…広告料やスーパーチャット代が一旦当社に振り込まれます。当社は貴女をプロモーションして人気VTuberになれる様に、様々な形でサポート致します。その分の手数料と思ってもらえれば良いのですが…その振り込まれた総額の2割を頂いています」
「ねぇロミータちゃん。私の配信活動の収入なんて微々たるモノだけど、その2割で大丈夫なのかなぁ?」
チャンネル登録者数が1万人を超えたばかりだが、毎日活動している亜沙美に入ってくるお金は…たまに1万円を超える程度だ。いわゆる【お小遣い程度】である。そんな金額で企業のサポート代として良いのか?という疑問がわいた亜沙美だが…
「大丈夫よ亜沙美。ロミーもココの事務所と契約せずに個人勢でやってたら…たぶんだけど、まだチャンネル登録者5万人も行けてないと思うわよ。悔しいけど事務所のマネジメント効果は侮れないの。亜沙美のチャンネルが大きくなれば、この事務所にも恩恵は有るって事なのよ」
「パチパチパチ正解です。ロミーが居てくれて私も助かるわね。協力させてもらう見返りは、貴女たちが上げる成果から自動的に得られるのよ。だから気にする事はないわ。前にも言ったけど、最低月に1度以上ウチのメンバーとコラボ配信してくれてれば、今のところ文句はないわ」
「なるほど…そうなんですねぇ…」
企業系VTuberの身の振る舞いなどに疎い亜沙美だったが、ロミータとオリビアの2人からの説明で理解できたようだ
「後は、お盆と年末年始には会社全面協力の元で大きなイベントをするから、ソレには必ず参加してもらうくらいかな?」
「Σ(ㅇㅁㅇ;;)えっ!?年に2回も東京に来るんですかぁ!?」
「ꉂꉂ(ᵔᗜᵔ*)あはは♪亜沙美ちゃん、だったわよね?貴女も今回が初上京なの?東京の人の多さに当てられちゃった?」
「えぇ、まぁ、そうですね…」
どうやらオリビアという副社長は、新人で田舎育ちの亜沙美の立場を良く理解しながら話してくれているようだ
「ロミーちゃんは知ってると思うけど、彼女の様に都外の所属ライバーには無理して上京してもらわなくてイイように、オンラインでの参加形式で済ませれるように調整はするわ。ただ、ライバー全員揃ってのライブを開く事になってしまったら、その時は是が非でも参加してもらうわね…まぁ、年に1回有るか?無いか?の事だと思ってもらえれば良いわよ」
「そ、そうなんですね。頑張ってみます…」
「とは言え、2人ともまだ高校生ですからね。極力そんな事にはならないようにするし、本当にどうしても。の事態になった場合は、2人揃って上京する形にさせてもらうわ。それならまだ可能でしょ?」
「は、はい。そうですね…正直言って私1人じゃ東京まで来て無事に家に帰れる気がしませんから…あはは…」
「オーケー!これで企業説明はお終いよ。はい、コレ。今の説明を書面に書き起こした物よ。帰ってから時間のある時にでも少しずつ読んでちょうだい。返事は来月末までにお願いするわ」
かなり亜沙美の立場や状況を配慮してくれているのが分かった。入ってから説明されていない内容を強要され、断れば慰謝料を請求してくる詐欺事務所もある中で、信頼に足る対応をしてくれたと言えるだろう
「さて、それでは亜沙美ちゃんの技量を試させてもらうわね」
「私の技量…ですか?」
「あー、そんな難しく考えないでオーケーよ。録音室に言って貴女の配信用の声と歌声を聞いておきたいのよ。それくらい良いでしょ?やっぱり配信で聞いてる声と、生の肉声では微妙に違いがあるからね」
「わ、分かりました…」
【録音室】
「昔々ある所にお爺さんとお婆さんが居ました。お爺さんは山へクマ退治に、お婆さんは川へサーフィンに向かいました……やがて金太郎は大きくなり町を救う英雄になりました。めでたしめでたし……以上です」
「うんうん、可愛い声してるわね♪なるほど、ロミーが気に入るのも理解できるわ」
「亜沙美はロミーのモノよ。誰にもあげないんだからねっ!」
「えぇー!?私ロミータちゃんの所有物になってたのぉ?」
ジョークを交えながら亜沙美の声質を調べるオリビア。和んだ空気のまま、亜沙美の検査は進んでいる。どうやら概ね良好のようだ
「ファンが付きそうな可愛い声ね。それに喉もかなり丈夫そうで配信向きね。後は…アカペラになるけど、何でも良いから好きな歌を歌ってもらえるかしら?私が知らない曲でも構わないわよ」
「好きな曲ですか?(。-`ω-ก)うーん…あ!アイドール唄います!」
……………………………………………
「……キミは完璧で究極のゲッター♪……皆に愛されるアイドール様♬……ど、どうでしょうか?」
「パチパチパチ。普通ね」
「あはは。そ、そうですよね…」
流行りの曲を唄った亜沙美だが、評価は【普通】だった。一所懸命に唄ったので、少しショックを受けていた
「まぁまぁ気にしなくて良いわよ。本格的に歌わされるとなったら、ボイトレや歌唱指導を付けられて練習する事になるんだから、そうしたらソレナリには唄えるようになるわよ」
「はい。ロミーちゃんの言う通りです。それに、上手い!とは言えませんが感情の入った歌い方が聞いてて気持ち良くなれました。練習を重ねていけば、その内オリ曲を出せる日も有り得ますよ」
オリビアの言い分は…今は普通だが素質はあるので、練習していけばオリ曲をリリースできる可能性も十分にあるらしい
「それでは今日はここまでです。あまり遅くなると帰るのも大変でしょう?」
亜沙美とロミータが時計を見ると…時刻は間もなく16時になろうとしていた。行きも移動に5時間を要していたので、これ以上長居していれば乗り換えの都合などで、終電に絡むほど遅くなる可能性もあった
「それじゃ、この仮契約書にSignしてもらえるかな?あくまでも仮なので、やっぱり辞めたくなっても問題ないですからね。その為に返事をもらう日数も1月取っていますから」
「そんなに気遣いしてもらってばかりで、なんだか申し訳なく思っちゃいますね…」
思っていたよりも亜沙美の都合に寄り添っての契約の形になっているので、かなり覚悟していた彼女にとっては少し拍子抜けだったのかも知れないが…
「ぶっちゃけちゃうとね、仮に誰の推薦であっても本人にヤル気が無かったら採用しないのよ。配信活動はメンタル勝負なところが強いのは知ってる?ましてや企業系VTuberともなれば、色々言われてしまうしアンチもたくさん増えるから、心が折れて辞めてしまう子も少なくないのよ。だから、本人のヤル気は半端な素質よりもズーッと評価対象になる訳なのよ」
つまりは素質がある子を見つけて、この場でベタ褒めしてヤル気を出させてデビューさせても、心無い視聴者からのエグいコメントに負けて辞める子が多いようだ。そんなアンチに負けない情熱が大事らしい
「そっか、そうですよね。ロミータちゃんは芯の強い女の子で、私も見ていて尊敬させられっぱなしだから、そんな気持ちの強い女の子が歓迎されるんですね!」
「そういう訳なの。それじゃ1月間ジックリ考えて返事をちょうだい。亜沙美ちゃんから返事をもらってから1月後にデビューしてもらうように、コチラも調整するからね」
どうやら、この会社はライバーを大切にしてくれる会社のようで、ひとまず安心した亜沙美だった
「さて亜沙美。今日のところは帰りましょうか?」
「うん。ロミータちゃん帰ろ」
「それじゃ良い返事を期待してるわね。でも、強制はしないから安心してね」
最後にもう一度、ライバーに寄り添う企業である事をアピールするオリビア。その時ロミータが何かに気が付いたようだ
「そう言えばさ…社長とメルルさん、まだ社長室に居るみたいね。一体どんな話をしてるかしら?ロミーたちが来てから、もう3時間近くになるのにね?」
「そ、そうね。確かに長いわね……どうしたのかしら?あの社長は、人の相談に長時間かけて熱く語るような人ではなかったと思うんだけどな…」
いくら会社の社長が所属タレントとの大切な打ち合わせをしているにしても、3時間も外にも出ずに話っぱなしというのは確かに長い。その事を気にするロミータ
「それだけ大切な話なんだよ。そろそろ出発しないと本当に帰れなくなっちゃうよぉ?」
「そ、そうね。半契約ライバーのロミーたちが気にする事でもないわね。それじゃ帰ろうか?オリビアさん、今日はありがとうございました」
「オリビアさん。有難うございます!」
亜沙美の為に時間を取ってくれたオリビアに、礼儀正しく会釈をした2人。社長とメルルの話の長さが気になったロミータだが、いい加減出発しないと三重県に帰るのが危うくなるので、別れの挨拶を済ませて事務所を後にしたのだった
続く




