十年前
「もういーかい!」
夏休みを目前に、この辺りでも随分と蝉が煩くなってきた。私は大学からの帰り道、不意に公園の方から聞こえてきた声に、思わず足を止めた。
「まーだだよー!」
それに応える、別の子どもたちの声。かくれんぼだ。賑やかに走り回っていた子どもたちの声が、あるタイミングでピタッと止む。
「もういーかい!」
「……もういーよ!」
その言葉を最後に、辺りは一気に静まり返る。聞こえるのは蝉の声と、鬼の子どもが探し回る足音だけ。
そして、自分の僅かに荒くなった呼吸の音だけだ。
「……大丈夫、大丈夫だから」
胸に手を当てゆっくり呼吸を整える。自分に言い聞かせるように小さく呟く。何度も言い聞かせるうちに、少しだけ落ち着くことができた。
そっと子どもの方に目をやると、ちょうど二人目を見つけたのか、楽しそうに三人で辺りを見回していた。それが、昔の自分たちの姿と重なる。十年前に自分たちが遊んだかくれんぼと。
◇◇◇
それは秋の終わりごろ、昼間でも日によっては涼しく感じるような時期だった。その頃、私たちの間でもかくれんぼが流行っていて、その日も近所の公園に集まっていた。今では珍しくなった、グラウンドが併設された大きな公園だ。
「もぉいいか!」
最初の鬼はダイちゃんという子だ。この日のかくれんぼは、私とダイくん、ケンくん、ユウくん、ナナちゃん、ホノちゃん、トモくんの七人だった。
「「もーいいよ!」」
六人の声が重なり、それを聞いたダイちゃんが探しに歩き出す。いつも通りのかくれんぼ。最初に見つかったのはホノちゃんだったと思う。
「もーいーかい!」
ホノちゃんの次は私で、ケンくん、再びダイくんと、何度も鬼は交替した。どれくらい遊んだだろうか。
「もぉーいぃーかぁーい」
隠れると同時に、鬼の子の声が響く。長くゆったりとした声だった。もういいよ、と応えて暫くすると、やがてナナちゃん、ユウくん、トモくんが見つかった。
「みぃーつけた」
かけられた声に顔を上げると、いつの間にか鬼の子が背後に立って笑っていた。肩を落として広場に戻る。しかし、先に見つかった三人と合流してから直ぐにホノちゃんが見つかった。その後もあっという間。まるで隠れ場所が分かっているような速さだったのを覚えている。
「じゃあ次はナナちゃんが鬼だよ」
鬼の子が言うと同時に、ナナちゃんの十を数える声が始まる。それを合図に、みんなは隠れ場所を探して散っていった。
「何してるの。早く隠れなきゃ」
トモくんに手を引かれて、私は遊びが始まっていることに気づいた。動こうとしない私を心配して、声をかけてくれたのだ。
「だいじょうぶ?」
「……ううん。なんでもない」
きっと探し方が良かったのだろう。そう思って違和感を誤魔化す。その時だった。もぉーいぃーよぉー、という声が響いた。
「ま、まーだだよ!」
まだ隠れてないのに誰かが勝手に言ってしまったようだ。トモくんと一緒に隠れるのと、ナナちゃんが探し始めたのは殆ど同時だった。そして、
「トモく……あ!二人ともみーつけた!」
◇◇◇
「みーつけた!」
「隠れるの上手すぎー!」
ナナちゃんに手を引かれ、最後の子が現れる。ユウくんたちも早くに見つかり、すっかり待ちくたびれていたようだ。
「ごめんね。でも次はトモくんが鬼ねー!」
褒められたと思って嬉しかったのだろう。その子は繋がれたナナちゃんの手を、元気よく振り回しながら応える。トモくんは仕方なさそうに顔を伏せて数え始めると、私たちも一斉に隠れた。
もう三回ほどかくれんぼを繰り返したころ、みぃーつけた。という声に立ち上がり、みんなのところに集まる。気づけば日は傾き、辺りはすっかり暗くなっていた。
「……ねぇ、そろそろ暗くなってきたし解散しない?」
「なんで?」
お互いの顔も既に見えなくなっていたと気付いたのはその時だ。そろそろ家に帰らないとまずいと思ってみんなに提案するも、鬼の子が首を傾げて応えてきた。
「だって、帰らないと怒られるし……」
私の家では当時、六時のチャイムが門限だと言われていた。その公園には時計が無いため時間の確認ができなかったが、既に暗くなっているから、時間はあまりないはずだ。
「……帰らなかったら怒られないよ?」
ぼそりと、鬼の子が言った。
「帰らなかったら、怒る人は来ないよ?」
屁理屈のようなことを言って、かくれんぼを続けようとする姿に少しムカッとしたのを覚えてる。
「だ、だめだよ。帰ろ?今日はもう解散!……ね?」
そう言って注意しようとしたときだった。目の前にいる彼の名前が分からなかった。
「……え?だれ?」
思わず声に出た。私たちの仲間にこんな子はいただろうか。助けを求めようと振り返るも、最後に見つかったあの子も、隣にいる子も、まったく名前が出てこない。まったく知らない子だった。
「……もぉーいぃーかぁーい!」
突然、鬼の子が叫ぶように問いかけた。それを合図にみんな隠れようと走り出す。
「もぉーいぃーかぁーい!もぉーいぃーかぁーい!もぉーいぃーかぁーい!」
何が起きているのか、さっぱりわからなかった。私は目の前で狂ったように叫び続けるその子と、それを平然と受け入れるみんなが怖くなって、隠れるふりをして柵を乗り越え、こっそり帰ろうとした。そして、
◇◇◇
気づいた時には病院にいた。窓の外はまだ明るかった。
「気が付いたんですねー。ダメだよ、きみ。お水はちゃんと飲むようにしないとね」
ゆっくりと顔を動かすと、看護師さんが様子を見に来てくれたところだった。どうやら私は熱中症で倒れたらしく、それを見たホノちゃんが泣きながら大人を探してきてくれたらしかった。
言い訳のように聞こえるかもしれないが、その日は決して暑い日などではなかった。公園には日陰も多く、水だってそれなりに飲むようにしていたと思う。いつ倒れたのかも定かではなく、私にはどこまでが本当のことだったのかが判然としない。
ただ一つ、私はあれ以来、彼らと遊ぶことは無くなった。心配をかけたくせに身勝手な話だとは思うが、私には、彼らが私の知っている彼らだとは思えなくなっていた。あの時の子どもたちが入れ替わってしまったのではないかと、そう思えて仕方なかったのだ。
中学では積極的に新しい友達を作り、高校は彼らのいないところへ進学した。もう既に五年も話をしておらず、彼らが今、どうしているのかなど、もはや見当もつかない。彼らには本当に申し訳ないことをしたと思っている。
「もぉーいぃーかぁーい」
無邪気に遊ぶ声がする。その言葉が今の私にとって、酷くトラウマになっている。あの時にいた、誰とも違う言い方でみんなに呼びかけていた声。あれが夢だったのだとしても、その声は未だにはっきりと耳に残っている。
呼吸を整えて歩き出す。この十年、このようなことがどれほどあっただろうか。子どもたちに一切悪いことはないが、つい恨みがましく目をやってしまう。
「みぃーつけた」
あの時の子どもが、嬉しそうにこちらを指差して笑っていた。