第2話 底なしの闇と新たな光
ウルがメリル村に来るまでのお話です。
メリル村に人狼が襲撃してくる話は次回書きます。
闇。光が一切差すことのない常闇に少年は迷い込んでいた。
なぜ自分がこんなところにいるのか、どうやってここへ来たのか見当もつかなかった。
とりあえず辺りを探索してみようと、少年は怯えながらも真っ暗闇を歩く。
何分、いや何時間歩いただろうか。いくら歩いても見渡す限り闇、闇、闇。
暗闇に包まれ続け、気が狂いそうになった時、少年の足元に赤い雫が落ちてきた。
不審に思い、上を見上げると何か人のようなものが降ってきた。
少年はとてつもない恐怖に襲われた。見てはいけない。降ってきたものを絶対に見てはいけないと本能が警告している。それでも確認しなくてはいけない思い、少年は恐る恐る見下ろすと、そこには全身が真っ赤に染まり、左腕と右足が無く、虚な目で少年を見上げる最愛の母の死体が転がっていた。
「うわあああああ!!!!」
少年_ウルは小さなシングルベットから飛び起きた。
「はあ…はあ…母さん、どうして…」
さっき見た光景が頭から離れない。
母の無残な姿を見てウルはひどく動揺しているようだった。
全身に流れ渡る汗がそれを物語っていた。
「どうしたの!?大丈夫!?」
「……‥!」
さっきの叫び声を聞いて駆けつけてきたのだろうか。
綺麗なブロンド色の長い髪をなびかせ、翡翠色に光輝く宝石のようなものが付いたネックレスを付けた女性が、ウルに問いかけてきた。
「あ、あの、その…大丈夫…です…」
「そっか、ならよかった。体の調子はどう?膝を擦り剥いてるみたいだったから、一応手当てはしておいたんだけど」
「あ、大丈夫です…。全然痛くないです」
「それならよかった」
女性は安堵し、優しい微笑みを浮かべた。ウルは今の状況がイマイチわからず辺りを見渡す。六畳くらいの小さな部屋にシングルベッドと、花瓶に差さる赤い花が窓際で太陽の光を浴び、輝いているように見えた。よく見ると自分の着ている服も変わっていた。
「あの、ここはどこですか?あと僕の服はどこに?」
「私の家だよ。服は泥だらけだったから、洗って今外で干してるよ。」
「そうなんですか…。あの僕はどうやってここに…?」
「私が森で山菜採りをしてたら、泥だらけで倒れている君を見つけたんだよ。私びっくりしちゃってさ、とりあえず私の家まで君を担いで運んできたんだよ」
「そうだったんですか、ここまで連れてきてくれてありがとうございます」
「どういたしまして。それより君の名前を教えてくれないかな?私の名前はアリサ・エリネス。ここ、メリル村で1人で暮らしてるんだ。」
「僕の名前は…ウル・ヴォールグです。えっと、ガンナ村というところで暮らしてました」
「ガンナ村…。聞いたことないな〜。すっごく離れたところにあるのかな?」
「はい、たぶんそうだと思います。何時間も走って…きた…ので…」
ここに来るまでの記憶が鮮明に思い出される。脳内が真っ赤な色で染め上げられ、その中にポツポツと、人と似た姿をした黒い異形の生物が蠢いている。
「はあ…!はあ…!」
思わず過呼吸になる。全身に鳥肌が立ち、恐怖に押しつぶされそうになった。
その時、ふわりと、優しく暖かいものに包まれる。
「大丈夫。もう大丈夫だよ。私がそばにいるからね。」
アリサだった。ウルの小さな体にアリサはそっと抱擁をした。
とても落ち着く。ウルはそう感じた。母のような暖かみを感じ、体を預ける。
そして、糸がほつれたように、顔をぐしゃぐしゃにして大粒の涙を溢しながら、アリサに抱きつく。
「怖かった…怖かったよう…」
「よしよし。いっぱい泣いていいんだよ。私がちゃんと受け止めるからね」
ウルはアリサの胸の中で目一杯泣いた。体中の水分が無くなるほどに、たくさん。
「あの、少し話したいことがあるんですけど、いいですか?」
「うん、いいよ。ゆっくりでいいから話してみて」
ウルはアリサのことを信頼していた。
だから、ウルはガンナ村での出来事を話すことにした。
ウルはガンナ村で母親と一緒に暮らしていた。
母の名はドミニカ・ヴォールグ。女手一つでウルを育ててきた、強い人だ。
ウルはそんな母を心の底から愛していた。
最愛の母と昔から一緒に遊んでいる仲間もいて、ウルはとても幸せな日々を送っていた。あの日までは…
満月が村を照らす、昨晩のことである。ウルが寝ていると村中から悲鳴が聞こえてくる。
それを聞いて起きたウルは慌てて窓から外を見ると、大きな黒い影が村の人々を襲っていた。全身に生えている黒い毛、大きな耳と口、牙、爪を持ち、不気味に光る赤い目を持った、人類の天敵。人狼が村中に溢れかえっていた。
「う、うわあ、あああ…」
ウルは恐怖で立てなくなり、そのまま床に腰を下ろす。あれが母から聞いていた人狼であると認識した。初めて見るその姿にとてつもない恐怖を覚えた。
「ウル!」
「母さん!」
「早く立って!早くここを出ないと、人狼に食べられちゃうわ!急いで!」
ドミニカが険しくも怯えた表情でウルに近づき、手を引いて無理やり体を起こす。
ウルの手を引っ張り玄関へ向かい、ドアを開けようとドアノブに手をかけると、
“ズサッ!“
ドミニカの真横にドアを貫通して、血に染まった大きな爪が飛び出してきた。
「ひっ…!」
ドミニカとウルが後ずさると、大きな爪がそのままドアを破壊し、爪の持ち主が姿を現した。赤黒い色に染まり、舌舐めずりをし不敵な笑みを浮かべる人狼が立っていた。
「ウル、急いで家の裏庭につながる窓から逃げなさい!」
「そんな、母さんは!?」
「私はここで囮になるわ!だからその間に早く逃げなさい!」
「そんな!やだよ!母さんがいないと俺何もできないよ!」
「いいから早く離れなさい!」
そう叫ぶとドミニカはしがみつくウルを、人狼の反対方向に突き飛ばした。
突き飛ばしたことに少し罪悪感を感じたドミニカだが、ウルを逃すためならしょうがないと振り向くと、
「ガルアァァァ!!!」
人狼がドミニカに襲いかかる。ドミニカは倒れ、人狼にマウントを取られる。
「母さん!」
ウルは怯えながらドミニカに近づこうとする。だが、
「来ちゃダメ!」
と怒鳴り散らすように大きな声で警告する。
それと同時に人狼はドミニカの左腕を掴み、大きな口を開け、噛みつく。
「ぁああああああ!!!!」
ドミニカの叫びとともに、赤い雫が部屋中に飛び散り、赤く染め上げる。
「あ…ああ、母…さん」
「…ウル!早く…逃げなさい…!あなただけでも…生き延びるのよ…!」
「母さん…、ごめん!」
ドミニカは痛みに耐えながら必死に言葉を紡ぎ、叫んだ。
ウルはドミニカに背を向け、窓から外へ出る。
「ウル…愛しているわ」
もう声にもならないほどの小さな声でドミニカは呟くと、人狼はドミニカの体を貪り喰らい始めた。さっきとは比べ物にならないほどの血が飛び散る。
部屋全体が紅に染まり、1人の女性の無残な死体と、満足そうに笑う人狼の姿が残った。
「はあ…!はあ…!」
ウルは村から外れた森に向かって必死に走った。
逃げてる途中でチラリと見えた、大好きな仲間たちの死体と、嬉しそうに人を喰らう人狼の姿がウルの恐怖心をますます駆り立てる。
「うっ…みんな、母さん…!」
死んでいった仲間たちと自分を犠牲にしてまで守ってくれた母を思い出し、ウルは泣きながら必死に走る。
そして、やっと森に辿り着いたものの、ウルは疲労など忘れ、満月を背に走り続けた。
「そっか。ガンナ村でそんなに辛いことがあったんだ。」
「はい…そうです。」
全てをアリサに話したウルは、目に涙を浮かべ、今にも泣きそうに俯いてる。
そうしていると、頭に暖かな重みがのしかかる。
「ウル、もう大丈夫だよ。私が今までのこと全部忘れさせてあげる。これからたくさん、ウルに嬉しくて楽しいことを教えてあげるから。私がずっとそばにいて、いつでも慰めてあげるからね」
アリサはウルの頭を撫でながらそう言った。
ウルは泣いた。悲しみの涙ではない。嬉し涙だ。今度は顔をくしゃくしゃにした笑顔で泣いている。
「これから一緒に幸せに暮らそうね、ウル」
「…うん!アリサ姉ちゃん!」
真っ暗な闇の中に、一筋の光が差した。