第1話 逃れられぬ絶望
「はあ…!はあ…!」
満月が照らす深い森の中、1つの小さな影が駆け回っていた。
息が乱れ、過呼吸になりながらも少年は何かに怯えながら、逃げるように走っていた。
(早く…逃げなさい!あなただけでも…生き延びるのよ!…)
さっきまでの悲惨な光景と愛する母の最後の言葉が、脳裏に浮かんできた。
もう誰も頼れる人はいない。大事な仲間も愛する人も全てを失ったと、少年は自覚した。
「うわっ!」
道に落ちていた石に躓き、派手に転んだ。膝を擦り剥き、赤い雫が溢れている。
転んだせいで、怪我をし疲労が限界まで達していることがわかった。
「もう…うご…けない」
月明かりに照らされながら、そのまま少年は気絶した。
〜5年後〜
満天の青空。暖かな日差しが差すメリル村で1人の少年が牛の乳搾りをしていた。
「はあ…なんでこんなにいい天気なのに、わざわざ牛の乳搾りなんかしなきゃいけないんだよ」
文句を垂れ流しながら、少年は気怠そうに乳を搾る。
「文句ばっか言ってないでさっさと搾りなよ。ウル。まだこれから野菜の収穫とかしなきゃいけないんだから。」
「はいはい。真面目にやりますよー、アリサ姉ちゃん。」
ウルが乳搾りをしていると、義理の姉であるアリサが牧場に入ってきた。
「それ終わったら、裏庭の畑に来てね。」
「はーい。」
アリサはそのまま牧場を出ていった。
「ったく、ほんと人使いあらいよなー、アリサ姉ちゃんは。俺のことも少しは気遣えっつーの。なーお前もそう思うだろ?。」
アリサに対しての不満を吐き、目の前にいる大きな牛に共感を求める。
「おいおい、あんま舐めるなって。汚れちゃうだろ」
牛は嬉しそうにウルの顔を舐めてきた。
「やっぱりここはいいな。長閑ですごく落ち着くし。平和だ」
ウルは乳搾りを終え、畑へ向かった。
畑仕事を終えるとすっかり夜になっていた。
「今日1日、乳搾りと畑仕事で終わった…」
「いつも遊び呆けてるんだから、たまにはいいでしょ。ほら、夕飯の時間だから家に入りなさい」
「はいはい」
ウルとアリサはメリル村に2人で住んでいる。家はとても小さいがウルは今の暮らしに、幸福を感じている。アリサに叱られたり、畑仕事などをしなきゃいけないのがたまにキズではあるが。
「ウル、ご飯できたからお皿並べて」
「わかった」
テーブルに木造りの少し欠けた皿を並べる。今日の夕飯はパンとクリームシチューとサラダだ。質素ではあるが、料理上手のアリサが作った料理だ。不味いわけがない。
「今日ウルが絞ってくれた牛乳と一緒に採った野菜で作ったから、すっごく美味しいと思うよ。」
「俺が汗水垂らして働いたんだからあたりまえでしょ」
「途中でサボったりしたくせに」
「うっ、うるさい」
アリサに図星を突かれたウルは少し狼狽えた。アリサはそれを見てクスッと笑う。
こんな暖かくて平和な日常が続けばいいなとウルは密かに思った。
「じゃあ食べよっか。」
「うん」
手を合わせ、いつもの決まり文句を言おうとする。
「いただきまっ」
“ゴーン!ゴーン!ゴーン!“
突如、村中で鐘の音が響き渡る。
「なんだ!?」
「危険を知らせる時の鐘の音!何か起きたの!?」
どうやら村の中心にある鐘の音のようだった。村にとって危険が迫った時に使う鐘だ。
今まで1回も鳴らされたことがなかったので、ウルとアリサは驚いた。
「アリサちゃん!」
「エルドおじさん!何かあったの!?」
近所に住み、いつもウルとアリサを気にかけてくれるエルドが血相を変えて、家に入ってきた。
「大変だ…奴らが村に侵入してきた…。このままだと俺たちは喰われちまう!」
「奴らって…まさか!」
「…人狼」
エルドがそう呟くとアリサの顔はみるみる青ざめていった。
「う、嘘だ…」
ウルは膝から崩れ落ちる。体中が震え、とてつもない恐怖に襲われている。
そして、あの時の、5年前の惨劇が脳裏に浮かんでくる。
大事な仲間たちの死体、辺り一面に広がる赤い液体、愛する母の食べられている姿と…
不敵な笑みを浮かべ、母を貪り喰らう人狼の姿が。
“ゴーン!ゴーン!ゴーン!“
絶望を招く鐘の音が再び村中に轟いた。