09
怒ったわけでも冷たくしたわけでもないのに、日和が話をしてくれなくなってしまった。
単純に深月と仲良くするためというのなら納得できるのだがそれすらもせずひとりでいるのは大変気になってしまう。
「やはり触ったのが良くなかったのかしら……」
自分から握ってくるくらいだったのに、いざこちらが握ったり触れたりしては駄目というのは中々複雑なものがある。
「水野ー」
「はい」
呼ばれて廊下に出るとそこには深月もいた。
日和がいないことになんとなく残念感を抱きつつ筑波先生に視線を向ける、その筑波先生は深月を指差し職員室の方へと歩いていった。
「水織さん、もしかして日和と喧嘩した?」
まあ近くにいればそのように見えるかと内心で苦笑する。
「嫌われたのかもしれないわね」
「えぇ!? あの日和が水織さんを?」
「ええ、どうせなら座って話しましょう」
廊下で立ち話をするというのもおかしな話だ。
席に座り対面に同じようにした彼女を見つめる。
彼女は日和のことをどう思っているのだろうか。
「それで? あの後、なにがあったの?」
「一緒にファミリーレストランに行ったの。その時はまだ拓篤も架純さんもいたんだけど別れたのよ。店内を出るまでは普通だった……けれど外に出て彼女に触れた瞬間に拒絶されてそのまま――といった感じかしら」
「なんで日和に触れたの?」
「固まっていたから体調が悪いのかもしれないと気になったからよ。結果としてはそれが逆効果、ということになったわけだけれど」
このまま終わりということになっても構わない。
しかし、なんにせよ理由くらいは聞かせてもらいたいものだ。
触られたことが嫌だった程度の説明でもしてくれないとモヤモヤが残ってしまうから。
「ねえ」
「ん?」
「日和のこと、お願いね」
「えー、頑張ってから言ってくれないと受け入れられないかな」
「頑張るって……拒絶されているのよ?」
嫌われるように頑張るということならこれほど楽なことはない、挨拶をしたりそれこそ彼女に触れてしまえばいいだけ。
「嫌われてないと思います!」
「そうかしら……」
「だって僕があなたと一緒にいるんだからね」
何故そこで胸を張れるのかが分からない。
「それって余計に嫌われるでしょう」
「なんで?」
「なんでって、日和はあなたのことを好きでいるからに決まっているじゃない」
「えぇ? 日和が僕のことを好きでいるぅ?」
気づいていなかったのなら私を馬鹿にできないくらいの鈍感力だ。
「ないないっ、そんなの有りえないよ、あっはっは!」
「あなたねえ……勝手にないものとして扱うのは失礼じゃないの?」
「水織さんこそ本当にそうかも分からないのにそんなこと言うの、日和に失礼じゃない?」
「私は確かにこの目で!」
「はいはーい、ムキにならないのー!」
……正論だからこそついつい大きな声で反応してしまった。
他人に興味がないとか言っていた私はどこに行ってしまったのか、いや、単純に最初から完全に興味がないわけではなかったのか……。
とにかく、彼女に押されたことがまだ気になってしまっている、そういうものだって割り切ることができないでいるのだ。
「日和は?」
「放課後になった瞬間に出ていったわ」
「そっかー連絡することはできるけどどうする?」
「私がいるって分かった瞬間にまた逃げられるでしょう、しなくていいわ」
「りょーかい」
ふたりきりでは絶対に上手くいかない、それでもふたりきりできちんと話がしたいという矛盾を抱えている。
「ねえ……」
「ん~?」
「なんでこんなにモヤモヤするのかしら……」
押されたこともそうだけどあの表情は私の心に突き刺さった、一応興味がないわけではないけど興味がないと片付けていた頃の私によく似ていて。
「日和といられないこと?」
「ええ……」
「そんなに気になるなら水織さんが連絡してあげなよ」
「そうね……どうせ終わるにしてもきちんと話をしてからじゃないと納得できなものね……」
最初から分かっていたことだった。
自分で考えて分からないのなら他人を頼るしかないってことを。
でも、これまでは対大人以外にそれはできなくて困っていたわけだ。
「はははっ、本当に水織さんは変わったなぁ」
「あ、そういえばあなたは中学の時の私を知っているのよね? どんな感じだった?」
「どんな感じって、最近話し始めるまでのあなたと一緒だよ」
「そう、教えてくれてありがとう」
気にせず連絡をする。
なにを今更怖がっている? それでなにを言われてもどうでもいいと片付けてきた自分が普通だったじゃないと割り切って。
「……もしもし?」
「あなた今、どこにいるの?」
「隣の空き教室」
「分かったわ」
電話を切って深月に笑いかける。
「隠れんぼをしているみたいなの、鬼の私は見つけなければならないわよね?」
「あははっ、そうそう! その通りだよ! んー、だけど僕はもう帰るね! 今度の期末テストであなたに負けないよう頑張りたいから!」
「ええ、望むところよ」
彼女と別れて隣の空き教室へ。
席に座っているということはなくて色々と探してみたら教卓の内側に体操座りで座っている彼女を見つけた、汚れてしまうので手を伸ばして彼女を優しく引っ張り出す。
そのまま意味もなく抱きしめたら「なんで抱きしめるの」なんて文句を言われてしまったが気にせず続ける。
「ねえ日和、あなたも深月も私を変えてしまったのよ? なのにやるだけやってどこかに行くのは卑怯だと思うのだけれど」
「知らないよそんなの……勝手に変わったのが悪いんじゃん」
「それを言われると痛いわね。ならどうしたらいいのかしら? 以前までのようにこういうものだって割り切ってひとりに戻った方がいい?」
「勝手にして……私は関係ない」
「そう、なら仕方がないわね、このまま抱きしめ続けるわ」
最後ということで甘えさせてほしい。
深月と仲を深めるにしろ、そうでないにしろ、こんなことを家族以外の人間に簡単にできるわけではない、せめて別れ際くらいは甘い気持ちでいたいのだ。
「……けれどもう終わりね」
完全下校時刻までまだ時間はあるが冬はすぐに真っ暗になる、別れる前に彼女の温もりを味わえたことがなによりも嬉しかった。
「なんで私が深月ちゃんのことを好きでいるんだとか考えていたのに抱きしめたりなんかしたの」
「それは……よく分からないけれどあなたといれないとモヤモヤしたからよ」
未経験故にこれだ! という答えを出してあげることができない。
「それってさ、私のことが好きだってこと?」
「日和のことは好きよ?」
「違う、特別な意味でってこと」
「それはどうかしら……」
こうやって触れててもドキドキなんてしな――いはずだったのに、
「凄くドキドキしてるの伝わってくるよ、ちょうど顔が水織ちゃんの胸に当たってるからさ」
指摘されて益々速度が上がる、運動しすぎて止まってしまうのではって少し恐怖を抱くくらいには暴れていた。
「……仮にそうだとして、あなたはそれを受け入れてくれるの?」
「えーどうしようかなー私には深月ちゃんがいるからなー」
「……そう、苦しいのね失恋って。初めて体験したわ、この痛みはそうそう耐えられるものではない……もう二度としないでしょうね恋なんて」
彼女の体を離して距離を作る、その距離が丸ごと今の私達を表わしているかのようで余計に苦しくした。
勝手に離れて苦しむって中学生時代の人達と同じようなことをしてしまっているじゃないと後悔したがもう遅い。
「……謝らないといけないなぁ、深月ちゃんに」
「なんで?」
「だって深月ちゃんさえいればいいって思っていたのに気づいたら水織に惹かれてたんだよ? 昨日だってあんなことしちゃって凄く苦しくなったんだから。嫌われたらどうしよう、もう喋ってくれなかったらどうしようって……お風呂に入っている時に涙が出たくらいだよ?」
「その割にはあなたが無視してきたじゃない……」
上げて落とす作戦だけは勘弁してほしい。
「あのさ、私が責任を取らないといけないんだよね?」
「そうよ……ひとりじゃいられなくなってしまったのよ?」
「ふふ、それならしょうがないなーだって私と話せないだけでずっと悲しい顔をしちゃうくらいだもんねー」
「私が……?」
「うんっ、今日の朝からずーっと! だからうん、しょうがない……これはしょうがないことなんだよ」
今度は彼女が抱きしめてくれた。
何故泣いているのかは分からないが嗚咽を聞いているとこちらも泣けてきて彼女の髪にポタポタと涙を垂らしてしまう。
「ご、ごめんなさい、拭くわね」
「いいよ、このまま続けよ?」
「あなたがいいなら……」
五分、十分、十五分と私達は抱き合った。
今朝までのそれはなんだったのかと見ていた者がいるなら言うだろう。
「おーい、あんまりイチャイチャしないでよねー」
「「え」」
急に現れた深月の存在に驚き、私も日和も固まった。
「うーん、やっぱり水織さんにとってのメインは僕が一番であるはずなんだよなーなのに『もう冷めたから』なんて言ってた日和が選ばれるなんて思ってなかったなー」
「うっ……」
「嘘だよーんっ、ふたりともおめでとー! さてと、僕は孝くんでも狙おうかなー」
「「え」」
確かに独身っぽいけれどそれは不可能ではないだろうか。
「水野っ、日和をあんまり甘やかすなよ! そんなことばかりしているといつでも引っ付いて離れなくなるぞ」
「ちょっと孝伸君っ、それって私に失礼じゃないかな!?」
こちらも当たり前のように現れ、日和と言い合いを始めている。
おかげで抱き合ったままなことに説教をしたりはしないのだろうかとビクビクする羽目になった。
「ミヅ、こいつらは敵だ……もう話してやらん!」
「そうだそうだー、敵だー!」
「なんて冗談だけどな。いやーまさか水野がこんな風になるなんてな、口酸っぱく言ってきた甲斐があったというものだぜ!」
「それだよねっ、いやー本当に頑張ってよかったなぁ」
本当に賑やかな人達だ。
しかし怒られたり去られたりする流れにならなくて、私は抱きしめたままの彼女と笑ったのだった。