05
大森さんに謝罪をした。
大森さんは笑って「大丈夫だよん、だって年上ですから」なんて言ってくれたけど、謝罪だけでは申し訳なかったためごはんを奢るという形であの人と自分を満足させる形となった。
あまり奢ったり奢られたりが増えると嫌なのだが落ち着かなかったのだから仕方がないと割り切ってその日を終えて。
「見てこれっ、ねえ見てっ!?」
「頬が赤いけれど大丈夫?」
「水野さんのせいだからね!?」
翌日登校すると当然のように深月から絡まれ、こちらも普通に対応。
「ふふ、勝手に食べるとそうなるのよ」
「あ……」
「うん?」
こちらを見たまま固まる彼女。
私もじっと見ていたら「な、なんでもないっ」と少し慌てるような感じで目を逸らしてしまう。
痛さを思い出してしまったのだろうか?
「……あ、そうだ、筑波先生が『放課後に仕事を頼む!』って言ってきたよ」
「そう、分かったわ」
「僕もやるからねっ」
「? そう、なら一緒にやりましょうか」
日和みたいにはっきり言わない子だから対応しづらい。
それでもこの子はずっと来てくれたし文句も言わなかった子だからなるべく柔らかく対応してあげたかった。
午後の授業が始まり予定を立てる。
一応、私なりに友達とはどうするのかを調べたのだ。
結果、出た答えは放課後に買い食い――喫茶店とかファストフード店とかに行くべき、となった。
となれば筑波先生から頼まれた仕事はいち早く終わらせるべきだろう、そして今日は私から誘って彼女達を驚かせる、それができる。
ただ誘うだけで驚かれるような人間性というのは微妙ではあるがそんな評価はこれからどうとでもなる。
「水野さん、なにを笑っているんですか?」
「えっ? す、すみません」
「授業に集中してくださいね」
「は、はい」
しかし他人と関わるとどうしたって自分らしくない部分も出でくるわけで、そういう点は考えどころだった。
「これで終わりっと――とと!?」
何故か後ろに倒れそうになった彼女をふんわりと支える。
「危ないわよ、気をつけなさい」
「う、うん、ありがと……」
彼女が自力で立ったのを確認してから距離を作った。
それにしても深月はどこか落ち着きがない、観察した限りでは私の時にだけこの症状が出る、実は今更になって友達になんかなりたくなかったとか?
「この後、喫茶店にでも行きましょう」
「えっ、水野さんとふたりきりで?」
「日和も誘おうと思ったのだけれど今日は用事があるって帰ってしまったからそういうことになるわね」
日和に限ってはまだ友達ということにはなっていないため無理はない、私も意地でも連れて行くなんてことはしないですぐに引き下がった。
予定があるなら仕方がない、仮になくても他に優先したいことだってあるのだろう。
「あー……」
「無理なら別にいいわ、大森さんでも誘うから」
これは少し――いや、かなりショックだった、何故ショックを受けているのかは分からないのが問題だ。
「行くよっ、行くけどさぁ……その、水野さんとふたりきりだと緊張するというか」
「どういうところが緊張するの? 言ってちょうだい、直すから」
「え……み、見た目?」
「それは無理ね、ごめんなさい」
自分の顔に不満があるわけでもないしそこを突かれてもどうしようもない、水野水織はこういう顔だと納得するか、嫌い、苦手ということならなるべく見ないように距離を置くかのたった二択だろう。
「あといい匂いがするところ」
「そうかしら?」
「あと、綺麗な紺碧色の瞳とか」
「待ちなさい、それって緊張することなの? あなただって普通に綺麗じゃない、けれど私は緊張していないわよ?」
「と、とにかく行こー!」
行ってくれることにはなったようだ、私の心もあからさまにほっとしているのが分かる。
こういうのを伝えるべきなのか迷いながら近くの喫茶店に移動。
「私は黒糖プリンで、あなたはどうするの?」
「僕はチョコレートパフェかなぁ」
「分かったわ。すみません、黒糖プリンとチョコレートパフェをお願いします」
店員さんに注文を済まし目の前の彼女をじっと見つめる、「えっ、な、なに?」と彼女が慌ててもお構いなしに続け、
「あなたとこうして来られて嬉しいわ」
迷っていたことを素直に吐く。
「いいことでも悪いことでもしっかりと口にするのが長続きのコツだ!」と書いてあったのを参考にさせてもらった。
「ひ、日和が来てても言うんでしょ?」
「それはそうでしょうね。けれどあなたが来てくれるって分かった時、明らかにほっとした自分がいると気づいたわ。私、あなたといるのが好きみたい」
「え、えぇ……今日はどうしたの? 一昨日とかまでは『私は他人に興味ないのよ』とか言って距離を置いてたのに……」
「いいじゃない、あ、きたわよ」
複雑そうな顔のまま食べていた深月だったが、すぐに「美味し! これすっごく美味しいよ!」とハイテンションになりパクパクパクと手が止まらず。
私は私で大好きな食べ物を味わって食べて、なんとも落ち着いた時間を過ごすことができた。
「ふぅ……美味しいんだけど食べ終わった後の虚無感が凄い……」
「あなたのは七百円もするものね、時間とお金を食べたようなものだわ。そうだ、黒糖プリンを食べる?」
「え、いいの?」
「ええ、あーん」
友達にはこうして食べさせてあげるものだと母から聞いた。
だが、そう言ってる時の母はやけにニヤニヤというかニコニコとしていたのはなんでだろうか。
「ぶっ!?」
「え?」
彼女は急に鼻を押さえる、また鼻血が出るということなら今日もハンカチを持ってきているし拭いてあげようとしたのだが、
「う、ううんっ、あ、あーん……ん、美味しいっ、えへへ」
彼女はスプーンにかぶりついて味わっていた、自分の好きな物を美味しいと喜んで食べてくれるこの子は好きだ。
「あっ」
「どうしたの?」
「か、間接キス……」
「別に私は気にしないわ、あなたが気になるということならごめんなさい」
相手が兄――拓篤ならともかくとして、一緒にいるのが好きだと思えるそんな相手だ、別に気にならない。
だが、中にはそういうのが苦手だという人だっていることだろう、そういう点では考えなしだったのかもしれなかった。
「ごちそうさまでした」
「ご、ごちそうさまでした、色々な意味で」
さて、食べ終われば後は帰るのみ。
会計を済まして外に出ると、夕方だというのもほぼ黒色に染まりつつあった。
こういう点は冬の悪いところだと思う、友達ならこの後ゆっくりと話をしながら帰るというのが普通なのに。
「寒いねぇ……」
「そうね、冷えるわね」
「手、つなぐ?」
「私は別にいいけれど。あ。あなたの手、凄く温かいわ」
背は私の方が大きいが彼女と同じくらいの手の大きさだった。
こうして母以外の誰かと手を繋いだりするのは初めてで少しむず痒い。
「それは水野さんの体温じゃない?」
「やっと落ち着いたわね」
「え? あ、僕のことか……うん、なんか上手く対応できなくて」
「いちいち緊張なんてしなくていいのよ。それと名前で呼んでくれればいいわ。さん付けもいらない、呼び捨てで結構よ」
こちらだけ呼んでいるのはなんとなく友達らしくない。
こうして考えてみると案外、こだわりが強いのかもしれなかった。
ひとりでいることに固執したり、友として認めたのなら一気に態度を変えたりと、人は急には変わらないなどと考えていた私にしては本当に意外なことではあるが。
「そ、そういうわけには……あ、でも名前では呼びたいかも。えと……水織さん――って、は、恥ずかしいぃ!」
「ふふ、それなら明日までの課題ね、練習しておきなさい」
手の温もりを更に得ようとするかのようにギュッと握る。
彼女も「えへへ、なんか照れるね」と笑って握り返してくれたのだった。
「なんか最近寂しいんだが」
「はぁ……それでどういう風に寂しいんですか?」
「水野が久保や本田といるようになったのはいいんだが、これで頼られることもなくなってしまっただろ?」
「そうですか? 筑波先生は依然として私に仕事を頼む傾向にありますが」
それに担任とそのクラスの生徒というだけで接点はある、今だってこうして直接話をしているくらいだ、考えすぎだと思うけれど。
「それに私、筑波先生のこと頼りにしていますよ?」
「例えばどのようにだ?」
「深月や日和が暴走した場合に筑波先生がいると対応しやすくなります」
「そういう……他にはないのかよ、単純に他の教師より好いてるとかさ」
「好きですよ、この学校の先生の中で一番」
単純に先生との時間が一番長いというのはある、先生も「どうせ俺としか主に関わっていないからだろ……」と小さく呟いていた。
「よしよし、すみませんでした、寂しい思いをさせてしまって」
「はっ、お、お前なにやってんだっ」
「え、寂しかったんですよね? お母さんがこうしてくると落ち着くので筑波先生にもしてあげようかと。それに単純にお世話になったのもありますから私なりにお礼がしたかったんです。勿論、もっと返していくつもりですけどね」
「お、お前は本当にあの水野か?」
「はい、水野水織です。あなたが受け持つクラスの生徒ですよ」
呆然とこちらを見つめる筑波先生の頭をそのまま抱く、今回は特になにかを言うということもなくそのままとなっていた。
「いつもありがとうございます、そしてありがとうございました。筑波先生の言っていたことは全て正しかったんです」
「あ、ああ……」
「これからもよろしくお願いします」
「ああ……任せておけ」
「あー!」
ふたりでびくりとする。特に先生の慌てようは凄かった。
「ちょっと孝伸君、なに水野さんに抱きしめてもらってるの!」
「はっ!? そ、そういえばなにをやってるんだお前は!」
「なにって、抱きしめていただけですが」
これも母がよくしてくれることだ。
何度もされているため軽く鬱陶しく感じるくらいだったがしてみてよく分かった、これはする側も落ち着くのだということを。
「どうしたら教師を抱きしめるという流れになるんだ! そういうことをするとな、男は簡単に落ちるんだからやめろよ!」
「はぁ、気をつけます。でも、筑波先生は未婚ですよね? 彼女がいるわけでもないでしょうし問題はないのでは?」
「か、彼女くらいいるわい!」
「それなら今度紹介してくれませんか? あなたの彼氏さんは凄いいい方ですって説明しておきたいですから」
後はこんなにいい人いないですよ、結婚した方がいいですよと説得するつもりである、これくらいのお礼はしなければならないだろう。
「そ、それは無理だ」
「どうしてですか?」
「いない……からだ!」
「そうなんですか。それなら私でどうですか? お世話になりましたし、お礼をしたいと考えていたんです」
こういう物理的な方法でしか思い浮かばない、母はよく「私似で綺麗に育ったねー!」と言ってくれるため見た目が微妙ということはないと思う、多分。
私が悩んでいる間に「できるか馬鹿っ、大人をからかうのもいい加減にしろ! 俺は戻るからな、さっさと帰れよ!」と残し先生は出ていってしまう。
「水野さん、ああいうのやめた方がいいと思うよ」
「そうなの? そういうものなのね」
結局教師と生徒という括りにしたってただの人間同士ということには変わらない、当人達がそのつもりなら黙って応援してあげるのが筋というものではないだろうか。
「それに深月ちゃんが悲しむと思うな」
「深月が? それはどうして?」
「それは言えないかなぁ。どうしても聞きたいのならそこで突っ伏してる本人に聞いたらいいんじゃない?」
そういうことならと近づき彼女の肩に触れる、ばっと顔を上げてくれたがその目はやけに潤んでいるように見えた。
「どうしたの? 日和か筑波先生に酷いことをされたとか?」
「……ぐすっ、ううん……そんなのじゃないよ」
「そうなの? ならいいけれど」
けれど友達が泣いているのは見ていて心が痛む、頬を伝う水滴を指で拭い、先生にしたように彼女の頭を抱いておいた。
これで少しでも心地良さを感じてほしい。自分ので感じてもらえるなんて考えているところが傲慢かもしれないけれども。
「どうしてナチュラルに私が酷いことをしているってことになるの?」
「だって日和は危ない子じゃない、尾行したり付きまとったり」
「じ、事実だから否定できない……」
ここはずっと前から友達だったであろう日和に頼るべきだろうか、他人と距離を置いてきた身だからこういう時にどうしたらいいのかが分からない。
最適解がないのは分かっている、大切なのは気持ちだということも分かっている、それでも彼女の涙が止まる最善策を求めて出なくてこんなことをしているのが現状だ。
「泣かないで深月」
「うぅ……」
「怖い夢や悲しい夢でも見たの?」
「……どちらかと言えば悲しいの」
小さい頃にそれらの夢を見た時はいつも母に抱きついて甘えていた。
離れてと言われても離れないでくっついて、結局母も諦めて一緒に寝たことだって沢山ある。
そう考えると母の存在というのは大変重要だ、これからもずっと仲良くしていきたいと強く思った。
「そっか、ならそのまま抱きしめてもらっておけば? 私はもう帰るけどふたりはゆっくりね。あ、でもあんまり遅くになると真っ暗になるから気をつけなよー」
「ええ、気をつけて」
「ありがとー」
「じゃあね……日和」
「うん、ばいばい」
放課後の教室にふたりきり、電気を点けていないのもあって薄暗いし冷えるけれど胸の中の温もりをより大きく感じることができて嫌ではなかった。
「よしよし、泣かないの」
「……さっきは日和がいたから言わなかったけどさ、水織さんのせいだからねこれ」
「え、そうなの? ごめんなさい、気づいてあげられなくて」
色々考えて彼女より先生や日和を優先していたからでは? と少しだけ納得ができた。
しかし自分より優先されることを慣れている身としては何故それで泣くのかが分からないということも考えてしまったが。
「だって筑波先生にあんなことするんだもん……」
「そう……みたいね、筑波先生もあんな反応だったことだしもうしないわ」
どちらかと言うと物理的接触したことが引っかかったらしい、確かに先生にその気がないのに抱きしめたりするのは迷惑だったかと反省する。
そういうのをやる時は求めてきたらということにしようと私は決めた。
「……僕にはいいの」
「深月にはいいの? そう、なら今度は涙を流す前に頼りなさい」
涙を流している時にこれをしてもすぐには止まらないということを学んだ。
となればそうなる前にするしかない、なんとか決壊するのを食い止めるしかないのだ。
「だから水織さんがあんなことをしなければこうならないって!」
「気をつけるわ、本当にごめんなさい」
「あ……謝ってほしいんじゃなくて……もうちょっと考えてほしいなって思っただけだよ」
「ええ、反省するわ。落ち着いたのならそろそろ帰りましょう」
「うん、ごめん、付き合わせちゃって」
ちょっと心配だったが帰りは手に触れるなどということもしなかった。
必要な時だけ接触すればいいと考えての行動だったが、正しかっただろうか。