03
「ほら水野、約束の報酬だ」
「あー筑波先生が水野さんにプレゼントしてるー」
「前々から怪しいと思ってたんだよね、筑波先生って水野さんによく絡むし」
「ちげえよ、これは動いてもらったお礼だ。水野はいつも仕事とかを手伝ってくれているからな」
敢えてふたりきりの時を選ばなかったのは贔屓していると感じさせないためか。
クラスメイトも特に咎めようとなんてしていない、きっと盛り上がれればそれでいいのだろう。
「ほら」
「ありがとうございます」
よく考えてみなくても久保さんや日和と友達になっただけで報酬を得るっておかしな話だ、これまでそういう形でしか友達になってもらえなかったということなら多少は同情するところではあるが。
「で、どうだ? いい感じに仲良くできているか?」
「分かりません。友達とはなにをすればいいんですか?」
「そうだな、本田なんかが既に言っているだろうが特に考えず一緒にいてやればいいんだよ。そうすれば楽しくなる、絶対に」
「そうですか」
そもそもこれはプリンを得るための条件、だから特に深く考えずに一緒にいるのがベストだというのはなんら間違っていない事実だ。
「水野さん、お願いしますっ」
「なに?」
いきなり来たと思えば急に大声。
大きな声を出せばいいと考えている人が多すぎる、私はそう思う。
「べ、勉強……教えてください!」
「あそこに筑波先生がいるじゃない、本職の方に頼まない理由ってなにかしら」
「だって筑波先生って小言がうるさいから……その点、水野さんなら必要なことだけ教えてくれそうだからさっ、ね?」
筑波先生が「小言は余計なお世話だ! 大体、久保が真面目に――」云々かんぬんと不満なよう。
「見ておくくらいならいいわよ」
「ありがとうっ、水野さんがいてくれるだけでやる気が出るから助かるよ」
私はその間に大森さんへメッセージを送信、理由は単純に兄がうじうじうるさいし面倒くさいからだ。
ここではっきりと兄をどう思っているのか聞いて教えてあげようという私なりの優しさである。
『ごめんね返信遅れちゃって、それとたっくんのことはいい人だと思っているよ』
これってそういうつもりでは見られないと遠回しに言っているようなものではないだろうか。
『そうだ! 今日の放課後、近くのファミリーレストランに来てくれない? 大学が終わったらすぐに行くからっ』
『分かりました』
自然にそう返してハッとする。
「なんで私が大森さんと会わなければならないの?」
同級生の拓篤と行くならともかくその妹である私と行く理由ってなに? もしかして拓篤が迷惑をかけているとか? それならしっかりと謝ってもうこれ以上近づかないように説得するところではあるが。
「え? あ、ここなんだけどさ」
「そこはこれをこうして……で、こうなるから」
「あ! そういえば先生がそう言ってたよね、ありがとう!」
またいちいちお礼なんて言う。
私は側にいることを了承したのだからこれくらいは当然する、勿論、自分にできる範囲で、ではあるが。
「……ところでさ、おおもりさんって誰?」
「兄の友達……かしらね」
大森さんは拓篤と同級生だということしか口にしてなかった、そのため、兄の友達かどうかは分からないため少しだけ間を作ったということになる。
「なんでそこで微妙な感じ? じゃなくて、なんてお兄さんの友達の人と水野さんが会わなければならないの?」
「それはこちらが聞きたいわよ」
まさか兄が言っていたようなことが実際にあるわけでもないだろうしこれはもう兄に離れるよう説得してくれと頼まれる流れしか思い浮かばない。
「ぼ、僕も行っていい?」
「それなら私の代わりにお願いするわ」
「駄目だよっ、水野さんは行ってっ、僕も付いていくから!」
「声が大きいわよ。でもそうね、約束をしてしまったのは私だもの」
メッセージを送ってみたら『いいよー♪』とすぐに返ってきた、それを見せたら「やったー! ありがとう!」と久保さんが盛り上がる。
「と・こ・ろ・で、なんで日和のことは呼び捨てなの?」
「そういう条件なのよ、黒糖プリンのためならなんでもするわ」
「それなら僕のことも名前で呼んでっ」
何故この子も日和もたかだか名前呼び程度でここまでハイテンションになれるのだろうか、しかも私に呼ばれて喜ぶって増々理由が分からない。
「あなた……勉強から脱線しているわよ」
「呼んでくれたらもっと頑張れる!」
「深月、これでいいの?」
ほら、別になんてことはないことだ、名前で呼んだからって気恥ずかいわけでも嬉しさがこみ上げてくるわけでもない――だというのに、目の前の深月は物凄く嬉しそうな顔でまたお礼を言ってきていた。
不思議だったのはそれを見て若干ホッとしている自分がいることだ。
「ぶっ――ちょ、ちょっと鼻血が……」
「ああもう世話がかかるわね……ほら、ハンカチを使いなさい」
「え、でも汚しちゃう……」
「いいわよ、そのまま垂れて汚される方が迷惑だから」
無理やり押し付けるように彼女の血を拭って落ち着かせる。
これくらいなんてことはない、目の前で他人が困っているのなら干渉対象になるのだから普通のことをしているだけ。
「大丈夫?」
「う、うん、ありがと……」
「落ち着きなさい。あと、もう少しで授業が始まってしまうからさっさとやるわよ」
「うんっ」
不真面目なのは兄だけで十分だ。
残り時間はもう少ない。
それでも、徹底的に叩き込んでみせるつもりで臨んだのだった。
「は、初めまして、久保深月といいます、よろしくお願いします!」
「あはは、そんなに緊張しなくても大丈夫だよ。でも、ご丁寧にありがとうございます。大森架純といいます、よろしくお願いします」
私には緊張しないのに大森さんには緊張する理由が分からない。
どちらかと言えば私の方がよっぽど話しづらいというのに……。
「うむ、そちらが妹の友か」
「こっちは水野拓篤くんね」
「ってことは水野さんのお兄さん!? 水野さんも十分大きいけど、お兄さんはすっごく大きいね! あと格好いい……」
容姿だけで判断すると痛い目に遭うって教えた方がいいだろうか。
「本田日和でーすっ、よろしくお願いします!」
「深月ちゃんも日和ちゃんも可愛いねぇ、ね、たっくん」
「うむ、だが大森が一番であるぞ」
「そういうのはいらないから」
「う、うむ……」
誰かと比べること自体が失礼だと学ばなかった結果がこれだ。
好きな人に振り向いてもらいたいという気持ちは伝わってきても配慮というのが全然ない、おまけにあの喋り方を今すぐやめてほしい、友達の前で恥ずかしいから。
「それとたっくん、その喋り方は今すぐやめて」
「すまん……妹の友達と会うのなんて初めてだから緊張してな」
大森さんが常識人で本当に良かった。
「えっと……拓篤さんってお名前で呼ばせてもらってもいいですかっ?」
ただただ深月のこの食いつきようは気になる。
「ああ、別にいいぞ。ただな久保、俺はこの大森が好きだからそういうつもりでこられても困るぞ?」
「え、そんなつもりは一切ないですよ?」
「あ……そ、そうか……」
あっさりと振られたうえに本命からも「そういうのやめて」と言われている兄は流石に可哀想だった。
「それで今日はどのような用件で呼ばれたんでしょうか」
「あー仲良し会?」
「え、それはどういう……」
「ただ喋って食べて飲んで自由に過ごす時間かな」
握っていたグラスから手を離して立ち上がる。
「私はこれで失礼します、意味が分からないので。あ、お金はきちんと支払いますので安心してください」
「「「待って待って!」」」
引き止められ一旦は大人しく座る、これ以上騒がしくするのはお店の人に申し訳ないからだがもし再度無駄だということがわかったら今度こそ躊躇なく帰るつもりだった。
「大体、どうして日和がいるのよ?」
「え、逆になんで深月ちゃんだけ誘おうとしたの? 私達友達だよね? 思わずメッセージで『友達だよね?』って百回送るところだったよ」
「あなたってナチュラルに危ないわよね」
毎晩電話をかけてくるしきちんと話をしようと一時間経過しても消そうとしない。
ただまあ、課題をやる時なんかには結構捗るため全てが無駄ではないというのがある意味悩みのタネだった。
「水織、友達ができて良かったな」
「友達って言えるのかしら」
「どういうことだ?」
黒糖プリンのためにお願いしたことを説明する、説明している間、なんとなくふたりの方を見られなくてずっと兄や大森さんの方を見ていた、この罪悪感はなんだろうか。
「なるほどな。けど今日はこうして一緒に行動しているだろう? いちいちそういう言い方をしなくてもいいんじゃないのか?」
「結局そういう強制力がなければ一緒に行動していないのよ?」
そもそもどうしてふたりが私に興味を抱いているのかすら分からない、魅力もなければ基本的に損だと考えて切るような存在だ。
私が他人の立場だったらまず間違いなく近づかないだろうと思えるような存在なのに……。
「強制力云々って話ならその担任の前でだけ振る舞えばいいだけだろ? なのに水織はこうして久保や本田と一緒にいるじゃないか」
「それは深月や日和が行きたいって言ったから……大森さんに興味があったかここに用があっただけよ」
「お前も頑固だよなぁ……いいじゃねえか、損はねえんだから」
「私はひとりで十分なのよ」
他の人といると分からないことが増えていくだけだ、そのうえ分からないことを分かろうと動いても答えが出ない。
問題は増えていく、解決できずに溜まっていく、そういう面倒くさいことから逃れるための手段でもあるのだ。
自分から状態を悪くさせてどうするのかって話だろう。
「たかだか黒糖プリンなんかに釣られて久保や本田を利用しているお前がそれを言うのか? それをくれているのだって人だろうが」
「別に完全にひとりで生活できるなんて自惚れてはいないわっ!」
まるで地の利を得たかのようにネチネチと指摘してくる兄に腹が立ってつい大声を出してしまった。
財布からお金を出して机に叩きつける。
「大声や大きな音を出すなよ。それにそこでムキになっちまうところが答えなんじゃないのか?」
「うるさいわよ、偉そうに言わないで。もう帰るわ、さようなら」
なにが仲良し会だ、空気を壊す兄や私がいる時点でそんなのは不可能。
一番無駄だと思うのはこういう衝突で、こういう流れにしてしまった以上私の負けで。
「だから嫌なのよ……」
敗北者は黙って去るしかない、というか和気藹々とした雰囲気がとにかく私には会わないのだから辞退するべきだったんだ。
最低限の協調性さえあればほぼひとりの生活でも普通にやっていける。
誰にも邪魔させてたまるものか。
「筑波先生、もうあの件はいいです」
「は?」
クラスメイトと談笑していた先生のところに言って本題を告げた。
「「それって友達をやめるってこと?」」
当然のように深月や日和がやって来て食いつく。
「そうね。私はすぐに大声を出すような迷惑な人間だもの、関わったところで損しかないわ、だから忘れてちょうだい」
「ちょっと待て水野、なんで急になんだ?」
「面倒くさいからです。気を遣ったりするのがとにかく面倒、メリットがないからです」
人間は急には変わらない、そして私は変えるつもりもない。
それで悪口を言うのなら好きに言ってくれれば構わないし邪魔をしなければ怒ったりもしない。
「おい……久保も本田もいるんだぞここに」
「別に構いません。寧ろ私の意見をしっかりと聞いてもらって判断してもらった方が早いと思います」
「だそうだが……久保や本田はどうなんだ?」
「水野さんが言うのなら仕方がないと思います」
そうだ、相手が望んでいるのならそういうものかと割り切る、忘れて他のことに専念する、これは当たり前のことなのだ。
「えっ、僕は納得できないよ! 別に強制力でも利用されているだけでもなんでもいい、僕はただ水野さんと一緒にいたいんだから!」
が、深月は尚も諦めない。
「だってよ、これだけ言ってくれても駄目なのか?」
「あなたがいいなら好きにすればいいわ――なんて言わないわよ?」
「はぁ……なんで水野はそこまで頑固なんだよ」
「寧ろ彼女の方が頑固だと思いますけどね」
もっと損得を考えるべきだ。
相手と過ごしてなにを得られるのか、なにを失うのか、それをしっかり考えた上での決断ならともかくたかだか体育の時間に保健室に連れてったくらいで恩を感じ共にいたいなどおかしい話。
「はぁ……深月ちゃん、もう諦めなよ」
「なんでっ?」
「なんでってそれを水野さんが望んでいるからだよ。それに空気を悪くだけして一方的に帰る人だなんて思わなかったしさ。まあ、簡単に言うと昨日ので冷めたかな私は」
勝手に近づいて来てこういう言い方をする人間は一番大嫌いだ。
求めたわけではない、こちらが拒んでも無理やり側に居続け愛想を尽かせば勝手なことを言ってのける。
「日和がそうでも僕は諦めないよっ」
「やめておきなって、水野さんが言うようにメリットがないでしょ。関わり続けたって冷たくしかされないよ」
「そんなことないっ、水野さんは優しいんだから!」
「それは完全に嫌われないための保険かもよ? だって無駄だなんて言ってのける人なんだよ?」
「とりあえず空き教室に移動しよう」
私は行く必要がないため鞄を持って教室を出る、が、階段を下りようとした私の腕を深月が掴んで離さない。
「帰らせない」と呟き、こちらに縋るような視線をぶつけてくる彼女になにかを言おうとしたら「お前が帰ったら意味ないだろ?」と筑波先生まで片方の腕を掴んできた。
「私は帰ろっと」
「気をつけて帰れよー」
「はーい」
寧ろ私が帰るべき立場にあると思うのだが……。
無理やり連れて行かれ場所は空き教室に。
筑波先生は手を離したが深月は掴んだままだった。