レオナルド・スブリーニエ①
父の葬儀が終わった翌朝、シャーロッテが姿を消した。朝、メイドが部屋を訪れたときには既に彼女の部屋はもぬけの殻だった。
葬儀の時、彼女は涙も流さず立っていたから、それほどのショックを受けていないのだろうと思っていた。
それが間違いだった。
私は父を苦手としていた。憎んですらいたかもしれない。それ故に、彼女もそうなのだと思い込んでしまった。
昨夜、彼女が残した言葉が耳から離れない。
表情が抜け落ちた顔で、それでも私の目を真っ直ぐに射抜いた彼女の、「お義兄様には、わからないでしょうね。」という言葉が。
何を、と問う気力もなかった。父の死に対する悲しみはささやかな罪悪感を抱かせるほど微塵もなかったが、喪主としての務めや爵位を継ぐというプレッシャーに疲れていた。
だから、何も問い返さなかった。聞き流したのだ。
けれどそれが、「どうしてあの時問い返さなかったのか」という身を焦がすほどの後悔となった。
シャーロッテは10年前に父が養女にした。父は多くを語らなかった。シャーロッテの親のことはおろか、彼女の本当の年齢や名前すら。
母は弱々しい溜息をつくだけで、何も言わなかった。元々体も気も弱かった人だった。
数年後儚くなる時も、何一つ言わず静かに息を引き取った。
シャーロッテは最初こそ痩せ細り怯えた目をして戸惑っていたものの、環境に慣れてしまえば活発で人懐こい少女だった。
人の感情を察することに長け、それに寄り添うことができる優しい子だった。
母が亡くなった時や父と対立した時。
多くの時、私のかたわらには彼女がいた。
そっと寄り添い、私がまた立ち上がるのを待ってくれた。
言葉をかけることよりも、人の温もりが心を癒してくれること。
そして、家族が血の繋がりよりも絆や過ごした時間で成り立つことを、彼女という存在が教えてくれた。
義理の妹になると紹介された時は白々しいと思った。実の息子の面倒すら見れない男が、養子をとるのかと嘲りすら覚えた。
彼女のことも受け入れるものかと思った。
けれど無関心な父や何も言えない母よりも彼女と過ごす時間は長く、いつしか私の家族はきっと彼女だけなのだろうと思った。
政略結婚で実家の借金を帳消しにされた母は、実際父に口出しなどできなかったと分かっていても、それでもせめて。
息子には、何か言って欲しかった。
母の声を思い出せる程度には、亡くなった後に悼む涙を流せる程度には、私へ語りかけて欲しかった。
父との対立は、年を追ってますます深くなった。言い争いが増え、私は本宅へ帰ることが少なくなった。
幸いというべきか、私の実家は裕福な伯爵家だったため、いくつかの別宅があった。
そのうちの一つに私は住むようになった。
シャーロッテは私が本宅へ戻るたび、私をお義兄様と呼びニコニコと嬉しそうに笑っていた。
父は昔から気難しく何を考えてるかわからなかった。突然養女をとったり、長年勤めた宰相職を辞したり。
理由も何も聞かされなかった。ただの執事からの事後報告だけで、直接語りかけられることもなかった。
混乱が起きぬよう完璧な引き継ぎを行ったあたり鉄壁と呼ばれた手腕を感じさせたけれど、
血の繋がる親子でありながら、結局は水と油のように合わないのだとずっと感じていた。
本宅へ戻っても、父とは顔を合わせなかった。
父からも何も言われなかった。
シャーロッテだけが、物言いたげな顔をし、「次は何時ごろ帰るのか」と問うた。
私とて何度か歩み寄ろうとは思った。
後継者として学び、人脈を作り、成果を上げた。
けれど徹底して父は私に関心がなかった。
シャーロッテからは、お義父様がドレスをくれた、お花をくれた、どこへ連れて行ってくれたと話をされるたび、私の知る父とは別人ではないか?とも思った。
父が子供の願いを聞いてやるような男ではないことは確信できた。それほどまでに私たちの関係は凍りつき、離れていた。
そしてある日、シャーロッテの友人が隣国との国境へ左遷された。栄転という形ではあったが、そこは数年にわたり隣国と小さな諍いが起き、たびたび数名の死者が出る要塞だった。巧妙に細工されていたが、父の仕業だとわかった。
それに気づき、不思議なほどの焦燥とともに本宅へ向かった。何にそれほど焦ったのかもわからぬまま、それでも嫌な胸騒ぎに従った。
激しい雨の日だった。叩きつけるような雨音に、私の帰宅した声がかき消されるほど。
不気味なほど雨音以外の音が消えた邸内で、話し声のする方向へ向かう。
父の書斎の扉が半端に開いていた。
なぜ、と思いながらドアノブへ延ばしかけた手が、女の大声に驚きピタリと止まる。
シャーロッテが激昂し父を罵っていた。「人でなし」と。父をシリウスと名前で呼び捨てながら。
父は、彼女の足元に蹲るように座りながら啜り泣いていた。
異常な光景だった。少なくとも、怒鳴る彼女を見たのは初めてだったし、驚くほど冷たいけれど常に凛とした父が泣いている姿など、想像したことすらなかった。
背筋を冷たい汗が静かに伝った。
見てはいけないものを見てしまったと感じた。
鼓動が狂ったように胸板を内側から叩く。
父が、呻いた。
「ディアナ、捨てないでくれ」と。
ディアナとは誰だと思うけれど、その部屋にいるのは2人だけだ。シャーロッテがディアナに決まっている。
何が起きてる?
私の家で、私がいない間に何が狂っている?
それ以上、見ていられず足音を殺して外に転げ出た。
見えない何かから逃げるように、別宅までひたすら駆けたけれど、頭の中で父の呻き声が響き続けた。
数日後、再び本宅を訪れた。
不気味なほど、いつも通り微笑むシャーロッテが、おかえりなさいと私を迎え入れた。
彼女の後ろに広がる薔薇園が、現実離れして見えるほど美しく咲き誇っていた。
雨の日のことを聞き出すべきか、とも思った。
聞いてどうするのか、とも思った。
お茶にしましょうと弾んだ声を出す彼女の背後を歩きながら、背筋に寒気が走る。
その時、耳を塞いできた噂が、誰ともわからない声で囁かれた気がした。
「スブリーニエ家の養女は、当主の愛人だ。」




