テンティウム②
それが日常だと言うには、この街はあまりに気取りすぎていた。
淡黄の月が見下ろす、《テンティウム》の街。その街灯がわずかに首を背けるほの暗い横道の先に、不穏な声が響き渡る。
「早く食料をくれ! こっちはくたばってる暇なんかねえんだよ!」
くすんだ鉄柵が囲む、檻のような四角形の広場。その汚れたシミだらけのタイルの上に、ある生物たちが、無数の列を成して佇んでいる。
毛むくじゃらの体、泥まみれの二本足、そして、小人を思わせる半人前の背丈。
鉄柵に手をかけた彼は、その異様な風体に思わず目を奪われていた。
「あれが、《亜人》です」
背後で、少女《Vivien》が小さな声をこぼす。
その視線は、鉄柵の広場を飛び越えて、さらに奥へと続く薄暗い通りへ、見上げるように向けられている。そこには、とても同じ街とは思えないような汚れた街並みがだらだらと広がっており、その廃墟のような建物から、あの毛むくじゃらの生物たちがちらほらと顔を覗かせていた。
「食餌の配給を行っています。ここは、彼らの食堂なのです」
彼女は、ごく淡々と説明する。
しかし、その言葉とは裏腹に、広場の中に食堂らしい物品はどこにも見当たらなかった。そこには、無数の毛むくじゃらの生物たちが窮屈そうに押し込められているだけで、食事のためのテーブルはおろか、腰掛けるための椅子すら無い。
見れば、先に配給を受け取ったのだろう何体かの生物たちは、地べたに座り込んで一心不乱に「何か」に齧りついている様子で、その光景は「食事をしている」というよりは「餌を貪っている」という印象に近かった。
「列が進んでいない」
彼は、背後の少女に問いかける。
「先頭でトラブルが生じているようです。どうやら、この場を担当する《Vivian》が死亡したため、配給が停止してしまったようですね」
そう言って、少女は行列の先頭に向けて小さな指を向ける。
そこには、何やら大声で喚き散らす幾体かの生物たちと、その手前で力なく横たわる、小さな「少年」の姿があった。
「冗談じゃねえ! もう朝飯が終わっちまうよ!」
「後任はいつくるんだ! ちくしょう! この寿命無しのくそったれ!」
ぴくりとも動かない少年の体を蹴りつけながら、その生物たちは怒りの声を上げる。
その傍には、どこかチューバを思わせる大型の機械が地面から伸びており、それを、何体かの生物たちが取り囲むようにまさぐっている。
おそらく、それが配給の設備なのだろう。そのベルような戸口へ一所懸命手を押し込んでいる姿を見て、彼はふと城下の光景を思い出す。なるほど、ここが「テンティウムの城下」というわけだ。そこでも、似たような機械がぽつぽつと立っていたことを思い出しながら、彼は小さなため息をこぼす。
「なんとかならないのか?」
同情したわけではない。だが、その言葉には小さな戸惑いが乗っていた。
「不可能です。配給の再開は、担当の《Vivian》でなければできません。《王国》の基盤施設には、厳格な規則が定められているのです」
やや強い口調で、少女は答える。
そこには、ほんのかすかだが「怒り」が浮かんでいるように思われた。
彼女ら――あるいは彼ら《Vivian》にとって、基盤施設の管理は存在意義そのものだ。彼女らの存在が無くては、レギオンたちは一人たりとて生き続けることはできない。それは、彼らの《王国》が存続するための、悪意あるシステムの一つである。
ゆえに、基盤施設に関わる話では、機械のような彼女らの顔にも色が浮かぶ。
余計なことを言った。彼は、鉄柵から静かに指を離す。
「結局、後任待ちってことか」
少年の「死体」が、わずかに宙に浮かぶ。
《Vivian》の寿命は短い。彼らは、その多くが三年程度で一生を終える。それは、彼らを生産している、《ダーガー》の意思によるものだ。彼も、おそらく生まれてからそう何年も経っていないだろう。
かつての人類からは、このシステムは非常に非効率に思われるかもしれない。しかし、《Vivian》の良さは、その生産性の高さにこそあった。
「どうやら、到着したようです」
少女が言う。
すると、かすかな駆動音とともに、広場の鉄柵の一部がガラガラとめくり上がる音が響いた。
「やった! やっときた!」
一転、毛むくじゃらの生物たちが歓喜の声を上げる。
見れば、その開いた鉄柵からは、トラックに似た一台の車両が、無人の運転席のハンドルを一人でに回しながらゆっくりと広場に入り込んできていた。
先頭にいた生物たちが、一斉に元の列に戻る。
それは後任――すなわち、死んだその少年と全く同等の技能を備えた、《Vivian》の到着を意味していた。
「《ウェイター・T97》、着任いたします」
トラックの荷台が開き、そこから小さな少年が現れる。
すると、さっきまで無音であったチューバ型の機械が唐突に稼働を始め、そのベルのような戸口から、白い小さな箱が、一つ一つゆっくりと排出され始めた。
「参りましょう、御公子様」
ふと、少女が顔を見上げる。
どうやら、問題は解決されたらしい。やや複雑な気分を抱きつつ、彼は静かに背を向ける。
これからは、きっとこういう光景も増えるのだろう。再びの小奇麗な街並みに、その足取りは少しだけ重かった。
そして、その発砲音が響いたのは、そんな時だった。
「《ダーガー》より、お前たちの懲罰が決定された。これから、お前たちは我々機甲連隊の指揮下に入る。手を頭の後ろに組んでそこに伏せろ!」
はっとして、彼は振り向く。
その脅しがかった声は、けれども、あまりにも聞き覚えのあるものであった。
「《ジャン・ジャルジャック》!?」
彼の声に、ふと両者の視線が一致する。
「――おう、また会ったな、ロット・ワン」
そこにあったのは、怯える生物たちの前でコートの右袖を虚しく揺らす、ジャン・ジャルジャックの姿であった。