城下第一区①
時折、夢を見る。
冷え切った暗闇、音さえも死に絶えたその中で、ただ一つ、小さな火が見える。
太陽のような、あるいは星のようなその黄金の瞬きに、彼は惹かれ、知らず知らず手を伸ばす。
そいつは、笑っていた。暖かく、不穏なくらい、温かく。
それは、一体何だったのだろうか?
今となっては、もう分からない。
彼の指が、そいつに届くより先に、不意に差し出されたもう一本の手が、そいつを握り潰し、夢を破ってしまったからだ。
唐突に訪れる終わり。両足を無明の闇が引きずってゆく恐怖に、彼は叫ぶことしかできないまま、すべては失われてゆく。
目が覚めると、そこには橙色の光があった。
からりからりと、埃を散らしながら揺らめくそれは、見慣れた煤色の天井に反射して、辺りを淡い灯りで照らし出している。
乱雑としたそこには、くすんだガラス瓶といったガラクタがところどころに放置され、ここに住む者の性格を悪い方向で表していた。
「よう、やっとお目覚めだな」
ふと、視界に一人の影が割って入る。
「《ジャン・ジャルジャック》?」
「ご名答。どうやら、頭の方も問題なさそうだな」
夜のような漆黒の体に、古めかしいオーバーコートを羽織った、背の高い男。
その男は、ふふんと鼻を鳴らしながら、彼の横たわる手術台に、どっかりと腰を下ろす。
「化け物が吹っ飛んだのを見て駆けつけて見れば、言わんこっちゃない。放っておいたら、間違いなく《子供たち》の餌だったな。まあ、礼ならお前さんの相棒に言うことだ」
その男――ジャン・ジャルジャックは、左手でオーバーコートの埃を払いながら、落ち着いた笑みをこぼす。
それは顔の無い、声だけの笑顔。しかし、彼は、自らと同じ作り物の表情の内側に、かすかに感情の揺らめきを感じていた。
――《レギオン》。
人類は、彼らをそう名付けた。
それは、作り物の体と、作り物の顔に、人間の「中身」を閉じ込めた、呪われし人々。
いつかの進化の果てにさえ、決して生まれるはずのなかった、歪んだ生命。
ゆえに、今の二人に、人間としての「表情」は残されていない。残っているのは、図形化された、象徴的な無表情の仮面だけであり、それが、同時に彼らに与えられたすべてであった。
そんな彼らが、お互いの仮面越しに感情を確かめ合うのは、ほとんど性と言えよう。
そして彼――《ロット・ワン》は、そんなジャン・ジャルジャックの様子を訝しく思いつつも、ゆっくりと手術台に身を起こす。
痛みはない。記憶はだいぶ曖昧なものの、あれだけ負ったはずの無数の傷跡は、どこにも残ってはいなかった。艶やかな外殻は、照明に照らされて何事もなかったかのような鈍い輝きを放ち、散々汚れたはずの右腕の杭は、綺麗な状態で元の上腕部に収まっていた。
「《バベル》」
彼は呼んだ。
すぐに、頭の中にかすかな電子音が走り、ノイズがかった中性的な声が飛び込んでくる。
「おはよう」
その声を聞いて、彼はわずかに上を向く。
「《牡羊》は?」
「死んだよ。《オレオール》は、彼のすべてを焼却した」
「俺は、どうなったんだ?」
「どうもこうも、大はしゃぎ。やられた時は、今度こそどうなるかと思ったよ。スラスターが無事だったのは、本当に幸運だった。ああ、感謝なんかいらないよ。気持ち悪いからね」
呆れた、といった声音で、それは言う。
彼は、ところどころ欠落した記憶に苦々しいものを感じつつも、自らに起こった出来事について、いくらかの整理を得た。
「ポットCは、もうやめるよ」
「その方が良いね」
短いやり取りを終えて、彼は再びジャン・ジャルジャックに向き直る。
「話は終わったか」
彼よりも先に、その男が口を開いた。
「気にするな。実は、礼ならもう貰っていてな。それより、《サー・ローレンス》がお前さんを呼んでいるぞ」
「父が?」
「大方、今回の件についてだろうな。ともあれ、俺の仕事はここまでだ。色々と準備があるんでな。また会おう、少年」
どこか含みのある言葉を残しつつ、ジャン・ジャルジャックはおもむろに部屋を出てゆく。
鉄製の扉がガタガタと不愉快な音を立て、不意に舞い込んだ一陣の風が、ドアノブにかかるコートの袖を巻き上げた。
「しっかりやれよ、《最初の好例》」
一瞬の静寂。
風に巻き上げられたその男の右袖が、ふわりと力なく浮き上がり、そして落ちる。
《ジャン・ジャルジャック》は隻腕である。そして、その一言は、今の彼にとって、この上もない皮肉であった。
「仕方ないよ。彼は、好例にはなれなかったんだ」
まるで思考を読んだかのように、バベルは言う。
そこに、悪意は無い。もちろん、その男にしても。
しかし、彼の一瞬を支配したその感情は、彼ら、《レギオン》を取り巻く現実の一つであった。
「行こう。父が呼んでいる」
大地に、両足をつく。
天井に揺れる橙色灯りが、小さな部屋の中に大きな黒い影を浮かび上がらせる。
彼は、ゆっくりと歩き出した。
一つの星の死――しかし、そこに始まる彼らの物語は、まだ始まったばかりであった。
2019.2.3 誤字訂正
2019.4.26 日にち経過により前書き削除