表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ニュクスの星にて  作者: 御御
プロローグ
4/39

星の夜② (終)

【前回のあらすじ】

 終わることのない夜に、竜の咆哮が轟く。

 星々の輝きをまとい、その頭に二本の巻き角を頂いたそれは、蹄持つ恒星。

 かつて、人々が《牡牛》と呼び名した、《星の竜》だ。

 熱と唸りが、無明の荒野を切り裂く。

 「彼」は、静かに刃を抜いた。

 その一瞬は、あまりに長すぎた。

 地を蹴る音とともに、中空へと放り出された彼は、眼下で煌く星の輝きに、ゆっくりと刃を向ける。

 突き出された右腕には、人の腕ほどもある無骨な杭が備えられており、その切っ先が、風を切る音とともに容赦なくその脳天を貫く。

 しかし、なおもそれは動かなかった。

 ただじっと、彼が自らを害する瞬間を、試すかのように眺めていた。


 「鳴れ」


 そうして、それは響き渡る。

 夜明けを告げる教会の鐘が、その背中に無数の鈴の音を従えて、突如と夜の静寂を破る。

 それが放つ凄まじい衝撃波は、杭の突き立った星の()を暴力的なまでに引きちぎり、荒れ切った大地に、風とともに白い粘液を撒き散らした。

 地上へと飛び退いた彼は、それの頭に、大ぶりのクレーターができているのを目にした。

 美しい二本の巻き角は、いまや崩れた土台の上でがたがたと揺れ、さっきまで微動だにしなかった全身は、死にかけの虫のように小刻みに震えていた。

 時間にして、ほんの十秒足らずの出来事。

 それでも、それがいかに危険な冒険であったのかは、荒々しい呼吸の音が鮮明に語っていた。

 

「怒ったよ」


 頭の中に、短く声が流れる。

 直後、脳を引っ掻き回すような凄まじい絶叫――金切り声が、周囲のすべての存在に向けて放たれた。

 大地がひっくり返り、土煙が上がる。視界は一瞬で失われ、時折自壊してゆく岩石の破片が、わずかに視野の端を横切るばかりとなった。

 彼は、反射的に右腕の杭を盾にする。

 すると、それは主人の命令を待つまでもなく、速やかに「対抗」を行う。

 地形さえ崩壊させる竜の絶叫に、教会の鐘の音が割って入ると、両者は死の悲鳴を上げる大気どもの間で、壮絶な格闘を始める。

 そのヒステリックな破壊性のぶつかり合いは、やがて拮抗し、彼の周辺に、半円形状の歪みを生み出した。


 《水面(サーフェス)》と、彼らは言う。


 実際、大気が無数の波紋を打って揺らめく様は、さながら水中から見上げる水面のようであった。

 とはいえ、それはあまりにも近い。

 目と鼻の先で、今にも潰れてしまいそうなその水面は、両者の力の差を残酷に表していた。

 彼は、水面を抜けてくる衝撃の痛みに耐える。両足のスパイクが弾け、無表情の仮面にもヒビが入るが、それでもこらえてじっと待つ。

 そうして、ついに絶叫の攻勢が止むと、彼は速やかに、右腕の杭を右へと振るった。

 対手の失せたそれは、土煙とともに大気をなぎ払い、彼の視線の先に、その()()の姿を露にする。


 『人は、決して竜には届かない』


 そう言わせしめる光景が、そこにはあった。

 星のような純白の煌めきは、いつしか血のような赤黒い鈍光へと変わり、そいつの全身に、血管のように浮き上がっていた。

 毛皮のような触手は、明らかな敵意を持って逆立ち、地平線に、無数の怪物の影の如く立ち上っている。

 そして、何より、先ほど引きちぎられたはずの頭部が、まるで何事もなかったかのように、憤怒に満ちた一つ目とともに、彼の小躯を見下ろしていたのであった。


 「ポットAからCを開放、スラスター展開」


 その呟きと同時に、彼の全身から痛みが消失する。

 代わりに、四肢には不自然なくらいの圧力感が生じ、彼の体を、強制的な躍動へと駆り立てる。

 最後に、興奮と恐怖が入り混じった感情から恐怖の一切が消え失せると、彼は無表情の仮面の下に、うっすらと悪意ある笑みが浮かぶのを感じた。


 ――からん。


 不意に、乾いた音が荒野に響く。

 見れば、彼の左大腿部に空いた小さな縦穴から、細長いガラスの小瓶が三つ、体外へと吐き出されていた。

 そして、その縦穴が自らの口を閉じるのと同時に、彼の背中から肩にかけての外殻が擦過音とともに蠢き、内側から、バーナーのような噴射口を備えた二つの円筒を露出する。


 「結局、こうなるのさ」


 彼は、低い微笑とともに、のっそりと空を見上げる。

 しかし、竜は、そんな隙を見逃してはくれなかった。

 彼の視線が動くより先に、それの蹄が猛然と大地を踏みしだく。その重圧は、荒野に小規模なクレーターを穿ち、彼の体は、その真っ暗な影の下へと消える。

 さらに、それでもまだ飽き足りないというのか、それは何度も、何度も、何度も何度も踏んで踏んで踏みつける。

 そうしてようやく、その憤怒が収まりを見せる頃には、すでに大地には()()()()()()()()()が残されていた。


 「つかんだ」


 踏み潰した。確かにその感覚はあった。

 しかしながら、それからの感覚の違いに気づくには、そいつの知性はやや愚鈍に過ぎた。


 「いいいいちいいいいいまああああああいいいいいめえぇぇっ!!」


 金属を打ち鳴らすような耳障りな絶叫、それが聞こえると同時に、それは自らの背中に激しい苦痛が走るのを知る。

 一際輝く、蜉蝣のような一対の薄翼。あろうことか、竜の背中には、その片割れを引きちぎりながら狂喜の叫びを上げる、おぞましい彼の姿があった。


 「死ね! 死ね! あっははははははっ――!」


 噴き出す体液にまみれながら、そして潰れた外殻から漏れ出る自らの血にまみれながら、彼は酔う。

 聞けば、彼の右腕から発せられる音は、いつからか澄んだ鐘の音ではなく、死の舞踏を演出する乱痴気地味たピアノの連打へと変わっていた。


 「そうらにまいめだあああああああああああああああ!」


 杭を突き刺し、抜いて、また突き刺す。

 ざくざくと切っ先が風を切るたび、狂ったピアノの音が、赤黒い星の肉を引きちぎって撒き散らす。

 その容赦ない滅多刺しは、瞬く間にもう一枚の翼をもぎ取り、無邪気に笑う彼の左手を飾る。

 そして、その無残にも穿たれた傷口の奥では、竜の内側で最も尊ぶべき純白の「心臓」が、輝ける赤血の奔流に彩られて妖しい鼓動を放っていた。

 彼は、喜々としてそれに杭を突き立てる。白い輝きが、鈍い音とともに弾け、漆黒の天上に赤いカーテンが舞った。


 「はは、はははははははは……」


 竜が、動きを止める。

 同時に彼も、何かを喪失したかのような様子で、ぐったりと肩を落とした。

 死んだ。いや、死んでしまったのか。混沌とする頭の中で、彼は様々な感情が行き交うのを感じていた。

 だが、それでも――


 『人は、決して竜には届かない』


 直後、突如として竜の全身に白い光が溢れる。

 それは天上の《雲》から生じ、まるで水瓶から注ぐが如く、竜の背中へと注ぎ込まれてゆく。

 状況は、一瞬にしてひっくり返った。

 再び溢れんばかりの活力を取り戻したそれは、並々ならぬ憎悪とともに、彼に刃を突き立てる。

 全身を、無数の触手が貫く。轢かれたガマのような呻き声が上がり、彼のすべてから、一瞬にしてすべての力が失われる。

 死闘は、あっけなく終焉を迎えた。それは、軽々と彼の体を宙に放り投げると、ほどなく、美しい巻き角の一本を、小さな黒い冠で飾る。

 狂ったとて、人は竜には届かない。それは、宇宙の摂理であった。

 そう――《それ》さえいなければ。


 「スラスター強制起動」


 意志なき脳髄に、声が響く。

 直後、彼の背中から炎が上がる。そのエネルギーは、巻き角にぶら下がる主をコマのように回しながら引き剥がすと、まるで爆風の如き速度で、その体を彼方へと吹き飛ばす。

 一瞬の出来事に、竜の注意が奪われた。

 そして、それの蹄が一歩踏み出されたのを見て、《それ》は、人の勝利を宣言するのだった。


 「《オレオール》――発射」


 その煌きは、夜のすべて塗りつぶした。

 雲よりも遥か天上から発せられたその一条の光は、雲海に黄金の「輪」を顕し、真っ直ぐに竜の心臓を撃ち貫く。

 その熱と衝撃は、竜の肉体を刹那のうちに焼き尽くし、それが自らの死を意識するより先に、それのすべてを消し去っていた。


 「焼却完了。お疲れ様、相棒」

 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ