星の声④
その顔は、まるで氷のように白み切っていた。
線の薄い紡がれた口、厭わしげに細められた真っ赤な目、稜線さえ浮かばぬ密やかな鼻、そして、雪を思わせる白銀の髪――。
そのすべてが、その内側に潜ませた冷ややかな感情とともに、目の前の真っ黒な来訪者たちに、見定めるように注がれていた。
それが誰だったのか、彼女は初めは分からなかった。知っていたはずの相手なのに、なぜだか、それが遠い誰かのように感じられてならなかった。
やがて、色が揺れた。さらりと音を立て、まるで羽根のように波打つのは、美しい紫色。その淑やかな流れは、その下に隠した吸血鬼のような青白い少女の姿を包んで、来訪者たちへ、ふわりと腰を折った。
「《エリン》と申します。この《星見台》にて、管理人を務めさせていただいております」
少女が、言った。
その時、彼女は、それが一繋ぎの使用人服であることに気づいた。
そして、そこでようやく、彼女はそれを纏う無機質な顔をした少女が、自らと同じ、紛れもないVivianの一人であることを思い出した。
「意外な出迎えだな」
デリンジャーが言った。
「まるで、ずっと見ていたかのようだ」
その視線は、その少女の背後に広がる、不可思議な広い空間へと向けられていた。
そこは、真っ白な壁に覆われた、吹き抜け状のホール。その天井には無数のライトが吊り下げられ、それが、橙色の光を放って、まるで太陽のように部屋中を照らし出していた。
また、床には、さながら教会のそれをそのままはめ込んだような精巧な「絵」が描かれ、美しい大地と、その上を行き交う何人かの子どもたちの姿が、楽園もさもあらんという幸福の表情でもってあらわされていた。
「見ておりましたよ」
少女が言った。
その言葉に、彼女は強烈な寒気を覚えた。なぜかは分からない。しかし、その言葉の示す響きが、彼女の耳には、どうしようもなく恐ろしいものに感じられてならなかった。
ふと、床へと目を逸らす。すると、そこには他の子どもたちから離れて、一人の少女と思われる子どもが、一本の木のそばに寄りかかって、彼女の方をじっと見つめていた。
「わたくしには、そのための《眼》が与えられているのです」
その眼は、真っ黒にくり抜かれていた。
床に残る、刃物の跡。彼女は、それが意図してそうされたのだと、すぐに分かった。
そして、その少女もまた、それに気づいていたのか、彼女の方へちらりと冷たい眼差しを交差させた。
「そうですよね、マルカ?」
少女が、試すようにこちらを向いた。
それに彼女――マルカは、一瞬だけ反応が遅れる。周囲の者たちが、わずかに訝しげな視線を注いだ。
言葉が、出ない。予想だにしなかった感覚に、彼女は少なからぬ動揺を覚える。
「……はい。《ダーガー》により、《エリン》には私と同様、Vivianに対する同期権限が与えられています」
わずかに口ごもる彼女に、デリンジャーがふと《エリン》を一瞥する。
動きはない。腰の前で両手を結んだまま、向けられる視線をぴくりとも意に返さず、その少女はじっと佇んでいた。
「同期?」
しかし、そこにロット・ワンが割って入った。
「ああ、そういえば、あなた様はご存知ないのでしたね」
《エリン》が反応する。
その顔には、薄い作り笑いが浮かんでいた。
その時、彼女は、彼が自らの「力」を知らなかったことを思い出した。
「私とマルカは、他のVivianの視界を共有することができるのです。例えるなら、あなた様とその《天使》の関係に近いでしょうか。あなた様が見たものを、《天使》が同様に認識できるように、私たちも、他のVivianが見たものを、自らの光景のように認識することができるのです」
彼女に与えられた、一つの力。
それは、他のVivianたちを自らの「眼」とし、その視界を共有する「同期」の力。
ある《星の竜》の研究から生み出されたその人ならざる力は、彼女の上官たる《リー》によって組み込まれ、同時に、彼女自身を象徴する「機能」の一つでもあった。
「《眼》と申しましたのは、つまりはそういうことです。この街に入られてから、皆様方がご覧になったVivianたち、彼らはいずれも私の《眼》でございます。ゆえに、皆様方がいらっしゃったことも、門をくぐられたことも、私にはすべて見えておりました。失礼に思われるかもしれませんが、それがこの街のシステムであり、また私の役割なのです」
《エリン》が、来訪者たちを見渡す。
正しい答えではなかった。しかし、それを訂正することは、それを放置するよりも遥かに危険な選択でもあった。
厳密には、彼女と《エリン》の《眼》は、見え方という点で大きく異なっている。それは、彼女が《テンティウム》に居て、《エリン》がこの《星見台》に居るということと深く結びついている。
《エリン》は、見えすぎる。
制御が効かないほどに。そして何より、《王国》が脅威を覚えるほどに。
彼女の《眼》は、周囲のVivianを無制限にその影響下に置く。ブラックホールのように、他のVivianが捉えた光を、その《眼》は際限なく彼女の脳髄へと囚え続ける。そこに、彼女の意思は関係ない。
街にVivianが少なかったのは、そういう理由だ。
周囲のVivianが増えれば増えるほど、《眼》が増えれば増えるほど、その驚異もまた増大する。それは、なまじ彼女自身の「性能」が優れていたことも相まって、《王国》の抱える厄介な問題の一つとなっていた。
最高の傑作にして、最悪の失敗作。
ゆえに、その存在については、創造者にさえ発言することは許されていない。
本当は、外にいた時から、ずっと感じていたのだ。その少女の視線を、その《眼》の支配力を、Vivianの仮面に隠された、完成しすぎた感情を。
機械がなければ、見ることさえできない「妹」。それを、「姉」は果たしてどう思っていたのか。
別離から、三年。マルカは、過ぎ去ってしまった時の流れをひしひしと感じつつ、自らに下されたその命令を――その男の言葉を思い出す。
「《王国》は、君に任せると言っている。それが、主人に反抗した、君の自我への罰だそうだ。奪うか、それとも処すか――君が選べ。《リー》を悲しませたくなければ。そのための手段は、与えられているのだから」
ロット・ワンが、確かめるようにこちらを見た。
「ご理解、いただけましたか?」
《エリン》の声が響く。
ロット・ワンは、ややどもった口調で肯定した。
すべて、見えていたのだろうか。彼女は、心臓さえ鷲掴みにされるような強い圧迫感を感じて、思わずその両目を紫色の少女へと向ける。
だが、それは、すでに彼女を捉えてはいなかった。
「ご理解いただき、ありがとうございます。それでは、さっそく皆様をご案内させていただきます。《教授》がお待ちでございます。ご高齢ゆえ、お時間に限りがございますので、どうかはぐれることのないよう、お気をつけ願います」
少女は、そう言ってくるりと背を向けた。
その先には、まるで病院のそれを思わせるような、暗がりを纏う、一本の通路が口を開けている。
足音が、コツコツと耳に響いた。
彼女は、再び床へと目を向ける。一度刻まれた傷は、死してなお、消えることはない。そこに描かれた眼をくり抜かれた少女は、その虚ろな眼窩の下で、そう言って、ひっそりと笑っているのだった。




