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ニュクスの星にて  作者: 御御
《天秤》編
39/39

星の声④

 その顔は、まるで氷のように白み切っていた。

 線の薄い紡がれた口、厭わしげに細められた真っ赤な目、稜線さえ浮かばぬ密やかな鼻、そして、雪を思わせる白銀の髪――。

 そのすべてが、その内側に潜ませた冷ややかな感情とともに、目の前の真っ黒な来訪者たちに、見定めるように注がれていた。

 それが誰だったのか、彼女は初めは分からなかった。知っていたはずの相手なのに、なぜだか、それが遠い誰かのように感じられてならなかった。

 やがて、色が揺れた。さらりと音を立て、まるで羽根のように波打つのは、美しい紫色。その淑やかな流れは、その下に隠した吸血鬼のような青白い少女の姿を包んで、来訪者たちへ、ふわりと腰を折った。


 「《エリン》と申します。この《星見台》にて、管理人を務めさせていただいております」


 少女が、言った。

 その時、彼女は、それが一繋ぎの使用人服であることに気づいた。

 そして、そこでようやく、彼女はそれを纏う無機質な顔をした少女が、自らと同じ、紛れもないVivian(ヴィヴィアン)の一人であることを思い出した。


 「意外な出迎えだな」


 デリンジャーが言った。


 「まるで、ずっと見ていたかのようだ」


 その視線は、その少女の背後に広がる、不可思議な広い空間へと向けられていた。

 そこは、真っ白な壁に覆われた、吹き抜け状のホール。その天井には無数のライトが吊り下げられ、それが、橙色の光を放って、まるで太陽のように部屋中を照らし出していた。

 また、床には、さながら教会のそれをそのままはめ込んだような精巧な「絵」が描かれ、美しい大地と、その上を行き交う何人かの子どもたちの姿が、楽園もさもあらんという幸福の表情でもってあらわされていた。


 「見ておりましたよ」


 少女が言った。

 その言葉に、彼女は強烈な寒気を覚えた。なぜかは分からない。しかし、その言葉の示す響きが、彼女の耳には、どうしようもなく恐ろしいものに感じられてならなかった。

 ふと、床へと目を逸らす。すると、そこには他の子どもたちから離れて、一人の少女と思われる子どもが、一本の木のそばに寄りかかって、彼女の方をじっと見つめていた。


 「わたくしには、そのための《眼》が与えられているのです」


 その眼は、真っ黒にくり抜かれていた。

 床に残る、刃物の跡。彼女は、それが意図してそうされたのだと、すぐに分かった。

 そして、その少女もまた、それに気づいていたのか、彼女の方へちらりと冷たい眼差しを交差させた。


 「そうですよね、マルカ?」


 少女が、試すようにこちらを向いた。

 それに彼女――マルカは、一瞬だけ反応が遅れる。周囲の者たちが、わずかに訝しげな視線を注いだ。

 言葉が、出ない。予想だにしなかった感覚に、彼女は少なからぬ動揺を覚える。


 「……はい。《ダーガー》により、《エリン》には私と同様、Vivian(ヴィヴィアン)に対する同期ダイブ権限が与えられています」


 わずかに口ごもる彼女に、デリンジャーがふと《エリン》を一瞥する。

 動きはない。腰の前で両手を結んだまま、向けられる視線をぴくりとも意に返さず、その少女はじっと佇んでいた。


 「同期ダイブ?」


 しかし、そこにロット・ワンが割って入った。


 「ああ、そういえば、あなた様はご存知ないのでしたね」


 《エリン》が反応する。

 その顔には、薄い作り笑いが浮かんでいた。

 その時、彼女は、彼が自らの「力」を知らなかったことを思い出した。


 「私とマルカは、他のVivian(ヴィヴィアン)の視界を共有することができるのです。例えるなら、あなた様とその《天使》の関係に近いでしょうか。あなた様が見たものを、《天使》が同様に認識できるように、私たちも、他のVivian(ヴィヴィアン)が見たものを、自らの光景のように認識することができるのです」


 彼女に与えられた、一つの力。

 それは、他のVivian(ヴィヴィアン)たちを自らの「眼」とし、その視界を共有する「同期ダイブ」の力。

 ある《星の竜》の研究から生み出されたその人ならざる力は、彼女の上官たる《リー》によって組み込まれ、同時に、彼女自身を象徴する「機能」の一つでもあった。


 「《眼》と申しましたのは、つまりはそういうことです。この街に入られてから、皆様方がご覧になったVivian(ヴィヴィアン)たち、彼らはいずれも私の《眼》でございます。ゆえに、皆様方がいらっしゃったことも、門をくぐられたことも、私にはすべて見えておりました。失礼に思われるかもしれませんが、それがこの街のシステムであり、また私の役割なのです」


 《エリン》が、来訪者たちを見渡す。

 正しい答えではなかった。しかし、それを訂正することは、それを放置するよりも遥かに危険な選択でもあった。

 厳密には、彼女と《エリン》の《眼》は、()()()という点で大きく異なっている。それは、彼女が《テンティウム》に居て、《エリン》がこの《星見台》に居るということと深く結びついている。


 《エリン》は、見えすぎる。


 制御が効かないほどに。そして何より、《王国》が脅威を覚えるほどに。

 彼女の《眼》は、周囲のVivian(ヴィヴィアン)を無制限にその影響下に置く。ブラックホールのように、他のVivian(ヴィヴィアン)が捉えた光を、その《眼》は際限なく彼女の脳髄へと囚え続ける。そこに、彼女の意思は関係ない。

 街にVivian(ヴィヴィアン)が少なかったのは、そういう理由だ。

 周囲のVivian(ヴィヴィアン)が増えれば増えるほど、《眼》が増えれば増えるほど、その驚異もまた増大する。それは、なまじ彼女自身の「性能」が優れていたことも相まって、《王国》の抱える厄介な問題の一つとなっていた。


 最高の傑作にして、最悪の失敗作。


 ゆえに、その存在については、()()()にさえ発言することは許されていない。

 本当は、外にいた時から、ずっと感じていたのだ。その少女の視線を、その《眼》の支配力を、Vivian(ヴィヴィアン)の仮面に隠された、完成しすぎた感情を。

 機械がなければ、()()ことさえできない「妹」。それを、「姉」は果たしてどう思っていたのか。

 別離から、三年。マルカは、過ぎ去ってしまった時の流れをひしひしと感じつつ、自らに下されたその命令を――その男の言葉を思い出す。


 「《王国》は、君に任せると言っている。それが、主人レギオンに反抗した、君の自我への罰だそうだ。奪うか、それとも処すか――君が選べ。《リー》を悲しませたくなければ。そのための()()は、与えられているのだから」


 ロット・ワンが、確かめるようにこちらを見た。


 「ご理解、いただけましたか?」


 《エリン》の声が響く。

 ロット・ワンは、ややどもった口調で肯定した。

 すべて、()()()いたのだろうか。彼女は、心臓さえ鷲掴みにされるような強い圧迫感を感じて、思わずその両目を紫色の少女へと向ける。

 だが、それは、すでに彼女を捉えてはいなかった。


 「ご理解いただき、ありがとうございます。それでは、さっそく皆様をご案内させていただきます。《教授》がお待ちでございます。ご高齢ゆえ、お時間に限りがございますので、どうかはぐれることのないよう、お気をつけ願います」


 少女は、そう言ってくるりと背を向けた。

 その先には、まるで病院のそれを思わせるような、暗がりを纏う、一本の通路が口を開けている。

 足音が、コツコツと耳に響いた。

 彼女は、再び床へと目を向ける。一度刻まれた傷は、死してなお、消えることはない。そこに描かれた眼をくり抜かれた少女は、その虚ろな眼窩の下で、そう言って、ひっそりと笑っているのだった。

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