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ニュクスの星にて  作者: 御御
《天秤》編
32/39

《天秤》の右手①

「前回のあらすじ」

 城下の外れ、《ターミナル》へとやってきた一行は、そこで古めかしくも巨大な一台の「列車」を目にする。

 彼らはVivienの少女マルカと再会し、改めていくらかの言葉を交わす。

 ロット・ワンは、そこでもう一人の姿が見当たらないことに気づくが、その答えははっきりと告げられぬまま、何やら不穏な雰囲気とともに列車に乗り込むこととなった。

 黒々とした車窓を、小さな稲光が横切った。

 はっと映し出される、輪郭の無い平野。ロット・ワンは、がたがたと音を立てる車窓の縁に腕を掛けつつ、そんな殺風景な景色に、ふと過去の記憶を重ね合わせる。

 何も、変わっていない。色も、かたちも、まして雰囲気さえも、何もかもが昔のままだ。それは、思い出せば思い出すほど、よりいっそう確信を増し、三年前、十年前、果ては百年前に至っても、それは同じままであった。

 車窓のガラスが、ぎらりと灯る二つの赤星を反射する。さっきの光が、この旅に見る最後の光だ。無意識をつつく奇妙な予感が、自動的に、彼の外殻に()()ための助けを要求する。

 目の前が、ぱっと明るくなる。まるで、車のライトが夜道を照らし出すように、薄黄色の人工的な光が、ブラックホールのような車窓の向こう側を滑るように塗りつぶしてゆく。

 《セントラル》の西部。そこは、あらゆる光に見捨てられた、暗黒の世界である。星の満ちる東の海より遠く離れ、吹き払われたような凸凹の無い平地ばかりが続くそこには、《星の竜》のそれはおろか、一筋の雷光さえも届かない、ただただ寂しい暗がりだけが広がっている。

 一歩進むごとに、いや増しに下がるばかりの気温は、まるで地下墓地を下るようなひりひりとした感触を孕み、ちらほらと線路の周辺に顔を出し始める凍りついた黒い水たまりは、そこが、これまでとはまったく別世界であることを遠まわしに言い表していた。


 「《ダーガー》は、《懲罰大隊》の解散を望まなかった」


 ふと、デリンジャーが口火を切る。

 窓辺から離れ、車中へと顔を戻したロット・ワンは、不意に目を焼く橙色のライトにむっとしつつも、色の薄くなった両目を、そこに集う三人の姿へと向ける。

 座席は、一枚の黒いテーブルを挟んで、前後向かい合わせに設置されていた。前方側の内外席には、それぞれマルカとデリンジャー、そして後方側のそれには、亜人の老人(大隊長)と、それからロット・ワンが座っていた。


 「だが、同時に《テンティウム》への居住権も認めなかった。お前が――お前たちが()()()()のも、そういう理由だ」


 話を聞きながら、ロット・ワンは少し前までの光景を反芻する。


 「まあ、実際には()()と言った方が正確だな。先の外征で、《王国》は大きく揺れた。あろうことか、お前の親父殿ら――もとい《管理者サー》の連中が騒ぎ始める始末だ。しばらくは、《ダーガー》でさえ読めない状況が続くだろう。だから、見方によっては一つの避難措置とも言える」


 デリンジャーの言葉に、隠すような気配はまったくなかった。

 《管理者サー》――。それは、《星の夜》以来、眠りについた人類の中で、唯一覚醒の権限を持つ、《王国》の真の支配者たち。レギオンとは異なり、なおも人類の肉体を保ち続ける彼らは、《王国》の創始者であり、そして《管理者サー》の名を冠する、絶対的な決定者でもある。

 ゆえに、その権限は《ダーガー》の意思をも超越する。むろん、《管理者サー》の権限は《管理者サー》同士の合議制によって成り立っているため、その計算を外れた独断が通ることなど滅多に無いが、状況によっては、それが正しく機能しない可能性も十分に考えられた。


 「儂の場合は、部下(いきのこり)に合わせる顔が無いだけのことじゃがな。余計なことを、べらべらと話されては困るのであろ。そういう面倒な事情が、お前さんを繋ぎたい《王国》の都合と一致しただけのことよ」


 老人が、自らの「首輪」を忌まわしげにさする。

 それに、向かい側に座るマルカが眉間に一瞬皺を寄せた。


 「《懲罰大隊》はジャン・ジャルジャックの指揮下……。つまり、もう自由にはさせない、と?」

 「そうなるな。それだけの力だ。《サー・ローレンス》の――《管理者サー》の()()()殿()といえど、いよいよ野放しにはできないということなのだろう」


 背を持たれ、小さく息をつくデリンジャー。

 ロット・ワンの脳裏に、ふと父の姿がよぎる。

 思えば、父は――《サー・ローレンス》はどれだけの権限を持っているのだろう。少なくとも、彼が《好例ロット》の力を得てからの三年間は、《王国》から干渉を受けたことは一度もない。

 それは、父が《管理者サー》だったからか。あるいは、《王国》の内部で何らかのやり取りが行われていたのか。考えたところで、答えなど出るはずもない。


 「ところで、ジャン・ジャルジャックは――《シェルター・ゲール》はどうなったんだ?」


 ぽろりと口をつくそれが、一瞬の緊張を連れてくる。

 ロット・ワンの言葉に、三人がちらりと顔を見合わせた。


 「ジャン・ジャルジャックは、しばらくは動けない。負傷したんだ。リーは、その治療に当たっている」

 「負傷した……?」


 デリンジャーの言葉に、ひっくり返ったような声が返る。


 「まあ、自業自得のようなものだ。そう深刻な話でもない。近いうちに顔を出すだろう。《子供たち(ガキども)》についても、掃討は十分に達成された」


 そう言って視線を送る先には、俯くように小さく頷くマルカの顔があった。

 そこに、嘘は感じられない。まさかとは思ったが、あの《子供たち》の数だ。ジャン・ジャルジャックが負傷する可能性も、無いわけではないだろう。

 しかし、何か違和感がある。それに、デリンジャーの沈みきった声が答えを与えようとしたその時、ちょうど、彼はふと記憶の中に、もう一人の人影があったことを思い出した。


 「――だが、()はだめだった。巻き込まれたんだ。《シェルター・ゲール》は自爆した。調査に向かった《ロックウェル》は戦死、同地での生き残りも無し、これが……すべてだ」


 信じがたい言葉に、思わず頭が静止する。

 同時に、マルカが懐から一本の小指大の金属棒を取り出す。

 コツンという小さな音。するとその直後、ふと車内の照明が暗くなり、それから目の前の黒いテーブルの盤面に、光で編まれた凸凹のある地形図が現れる。

 それは、ロット・ワンから見て上部――地図としては南部――に、「川」のような一本の太い線が伸びる、かつて見覚えのあるものであった。


 「デリンジャー様の仰ることは、本当です。《シェルター・ゲール》は――自爆しました。《融合炉フラスコ》を自壊させたのです。その影響で、同地域の周辺は高度に汚染され、現在は調査はおろか接近さえできない状況です」


 そう言って、彼女は再び金属棒を叩く。

 地形図が入れ替わり、さっきまでの「川」が、大地の半分以上を埋め尽くす巨大なクレーターのような歪な姿へと変貌を遂げる。


 「これは、あくまで予想図です。ですが、もう《エレレート・ライン》は渡れません。ロット・ワン様には大変申し上げにくいのですが――《ダーガー》は、《ポイント・エレレート》調査計画の凍結を決定いたしました」


 何も言えなかった。

 なるほど、道理で話すのを躊躇うわけである。

 彼らが命懸けで奪い取った《ポイント・エレレート》への道は、ありえざる悲劇によってすでに断たれていた。


 《融合炉フラスコ


 《王国》を始め、それに関係するすべての都市が保有するこの動力炉は、都市に住む人々に無尽蔵に等しいエネルギーを供給する一方、暴走させれば、地形ごと消し飛ばしてしまう凶悪な兵器ともなりうる。

 さらに、そうなった場合、そこから撒き散らされるある種の「毒」が、もはや比べ物にならないほどの悪性を持って大地を汚染し、その有害性は、《星の夜》以降の世界を生きるレギオンたちでさえ死に至らしめる。

 ゆえに、「毒」が十分に薄まるまで、誰ひとりとしてそこに近づくことはできない。

 そして、皮肉なことに、このあり得べからざる「毒」を中和できるのは、《星の竜》とともにもたらされた星々の「毒」のみであった。


 「《三眼みつめ》――」


 呆然とするロット・ワンを前に、大隊長が静かに呟く。


 「風の噂で、そう聞いた。未知の竜、()()()()が、あちこちを飛び回っておる、とな」


 その言葉に、デリンジャーとマルカが一斉に目の色を変える。

 見れば、両者の視線は老人の首元で激しく点滅する、灰色の「首輪」へと向けられていた。

 作動してしまう――。その予感は、隣にいるロット・ワンにもびりびりと伝わった。

 しかしながら、それは次の瞬間、予想もしないかたちで裏切られることとなった。


 オォォン……オォォォォン……!


 不意に流れる、ハープのような美しい音色。

 それを耳にした直後、耳をつんざく警告音が、揺れる車中のただ中に吹き荒れる。


 「なんだ!?」


 弾かれたように、デリンジャーが立ち上がる。

 首元に下げたペンダント代わりの銃身が、ばりばりと音を立てる窓ガラスに呼応して、彼の胸元で鳴子のようにわめきたてる。

 その時、彼らは窓の外に、太陽のような柑子色こうじいろの光を見た。

 だが、()()()は、そうだと認識するには、あまりにも小さかった。

 全長三メートルほどの、ほっそりとした肉体。光を放ち、さながら天馬にも似た純白の毛並みを持つその生物は、その背中の右半身に、手のひらを思わせる美しい七色の薄翼を持っていた。

 天を踏む四本の足には、炎の如く揺らめく蒼色の輝きがあり、それが、まるで大地にいるかのような動きでもって中空を踏んでいた。

 そして、鳳凰にも似た気品のある鳥型の頭部の中心には、無垢なる柑子色の輝きを頂く煌々たる一等星があり、その最奥では、まるで惹き込まれるような美しい光が、ある種の不可思議な穏やかさでもって彼らを見据えていた。


 《天秤リブラ》の右手――。


 それは、数ある《星の竜》の中でも、最も美しいとされる一体。

 強壮なる大竜、《天秤リブラ》の眷属にして、煙のように天を舞うその小さき竜は、彼らと視線が合うや否や、再びハープに似た美しいいななきを放つと、天馬のような蒼い前足を大きく上げる。


 「来るぞ!」


 大隊長が叫ぶ。

 しかし、それはあまりにも遅い警告であった。ふわりふわりと、右半身の薄翼を羽ばたかせたそれは、その輝ける瞳に一つの意思を宿して、汽笛を上げる彼らの列車に向けて、舞うように突進を開始した――。

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